小原姓が十和田市はじめ青森方面へ広まった背景
1591年8月和賀稗貫一揆を鎮圧した奥州再仕置軍は、そのまま北上し同年3月に起こった「九戸政実の乱」の鎮圧に向かいます。この乱は現在の岩手県二戸市に在った九戸城を居城にしていた南部...
秋田県横手市増田町の増田小原家について①
この書籍は2005年10月に出版されました。この書籍の著者は北上市出身の小原藤次氏です。実は1...
私市(きさい)姓発祥の地について
私市姓は、河内国交野(肩野・片野)私市から派生した姓です。現在の大阪府交野市私市(きさいち...
奥州市江刺の稲瀬小原家について
稲瀬小原家は、和賀忠親(享年26才)と共に殉死した小原忠秀(享年62才)の弟小原実勝(勝秀)の子...
奥州市江刺の稲瀬小原家の家紋について
稲瀬小原家は元々「丸に鶴紋」を家紋としていましたが、江戸幕府五代将軍徳川綱吉が、鶴紋の...
奥州市江刺の愛宕(おだき)小原家について
奥州市江刺の愛宕(おだき)小原家について愛宕小原家は岩崎城和賀氏(和賀氏流岩崎氏)に仕えた...
岩手県県北の小原家について
和賀家は豊臣方からの小田原征伐参陣要請に従わず、改易の処分が下され、第一次奥州仕置軍(15...
安俵小原氏の出自に関して
安俵小原氏が出自を藤原氏に改変した理由は、伊達家重臣の藤原氏流小原氏と誼を結ぶ為に同族...
私市党が武蔵国北部(現埼玉県北部)で形成された経緯について
肩野物部氏は、 587年7月に起きた丁未の乱(ていびのらん)に敗れ、一族の日下部氏らと共に畿内...
秋田県横手市増田町の増田小原家について②
増田小原家は和賀氏の一族である煤孫(須々孫)氏の末裔です。この煤孫氏は、かつて和賀郡西部...