むりせず、あきらめず

やぼな男のひとり言

今朝も、「雑言集」から、淡々と

2011年02月26日 09時48分52秒 | 日記
とっちゃりの雑言集より
S57.1.10
「きみの言葉に未来を感じた
 きみの言葉に恋をした
 きみの笑顔を夢に見た
 きみの笑顔を信じていた

 今は、ウィスキーをあおり、冷たいふとんに私の体がしみいる。
 私の信じたあの言葉
 私の信じた女性だから
 きっと、幸せつかんでくれるだろう」

S57.1.10
「切に思えば、必ずとぐるなり」道元より

S57.2.2
「他人の目にとらわれては、いけない。
 他人の目を気にすべきところ、とそうでないところを
 見極めることが大切」

S57.3.3(2.20に26才に)
「時には、うらみを受けてやることが、最善であったりする」

S57.3.15
「犠牲的精神を発揮していると、感じるときに、注意しなければならないのは、
 相手が、その精神の犠牲者になっていないかということ。」

S57.3.15
「自分でなすことも、他人に任せることもできない人間に理想を語る資格はない」

S57.3.15
「知ることの、怖さも考えてから、知れ」

S57.3.15
 「自分の能力を考え、結果の良否が五分五分と考える時、後は自分の誠意が最後を決める」

ようやく、雑言集の大学ノートの7枚目を書き終えました。



いい夢見ろよ

2011年02月26日 04時42分17秒 | 日記
「いい夢見ろよ」は、婚約者であった彼女への、伝わらない私の想いとは別に。彼女が早く、自分自身を取り戻し、普段の生活に戻ってほしいという願いを込めて、詩にしたものです。

S57.1.5
いい夢見ろよ
「君は今日、はじめての大きな悲しみに、人を信じることを、忘れてしまった。
この世に裏切りも、あるけれど。
それと同じ数の誠意も、あるのさ。

冷たい水で、顔を洗い、春には薄い紅でもさして。

眠れ、眠れ、
眠れ、眠れ、
眠れ、愛する君よ。

いい夢見ろよ。

君の手は、幸せを取り落とし、人を愛することを、忘れてしまった。
傷ついた、その胸を、抱くよりも。
熱い心の人に触ってごらんよ。

パジャマのボタン、ひとつ外し、やわらかい枕に頬をうずめ、

眠れ、眠れ。 眠れ、眠れ。

眠れ、愛する君よ。

いい夢見ろよ。」


いくらどんな、一方的な振られ方を、しても。何ら君への、仕合せになってほしい
という、想いは変わらなかった。

まずは、疲れた心を、休め。私など必要とせずとも、仕合せなってほしい。
そんな、気持で書いた詩です。

失恋は、相手を想えば、想うほどに、辛いものです。

また、相手の気持ちを、理解していれば、いるほど。辛いものです。
相手が指摘したことは、当方が意図的にそうしたことで、それには、私の彼女に対する想いが、こもっていたが、彼女にはそのことが、理解出来なかった。当方も最後まで彼女には、理由は言わなかった。(お父さんには、手紙で伝えた)

亡くなった母が慰めれれたのは、人生には、ボタンの掛け間違いがあり、戻すことができないことがあるでした。

彼女には、感情面で、優柔普段な所があり(彼女のお母さんもそうでした。おとうさんが、最初にアドバイスをくれましたが、その時はあまり気にとめませんでした。)、理屈では説得はできませんでした。

冷静な、お父さんの態度が印象的でした。もがき苦しむ私に「ふく水、盆に戻らず」、あきらめて、新しい自分を取り戻しなさい。というようなアドバイスでした。

あらゆる、手段は手をつくし、疲れた体で、昼の休みに、屋上で走り、絶対なんとかして見せると、想いましたが。
癒してくれたのは、屋上からのながめる、昔からの山並みの景色でした。


今日も、「雑言集」から、淡々と

2011年02月26日 03時21分38秒 | 日記
今日は、PJメンバーの交流会で、明石まで、帰ってきたのは、0時30分頃。それから風呂に入り。ブログを書き始めたのが、3時10分前です。

S56.12.19
「神様がいると、したら。どこまでが神様の思し召しであろうか。
どこまでが神様のなせる、わざであろうか。
何か悪いことがことが、私たち人間のせいで、何か良いことがあれば神様のおかげなのだろうか。
何処までが偶然で、どこからが、神様の意志であろうか、そしてそれを決めるのは人間以外にいるだろうか。
神様に認めてもらうために、生きるのではない。
自分自身のために、精一杯生きる。
自分自身のために素晴らしい、友を、そして相手をもとめる」

S56.12.19
「神はいるかも知れない、でも神の言葉は信じられない。
人間の言葉だから、!!。人間が綴った文章だから。
不思議なこと、判らないことを、神の持つ、神秘性、神の存在と置き換えることは、早計だ。
なぜなら、そのことが、不思議なことではなくなった時に、そのことが否定される。
否定するのは、神ではなく人間だから」

S56.12.21
「いろんなことに不安を持つ人がいる。不安を他人に広げる人もいる。
けれど、不安を、一歩解決して、ことに当れる当れる人は少ない。」

S56.12.28
「他人には望みをたくし、自分自身に失望をする人間にはなりたくない。

今日は、この辺で一区切りにし、次は、雑言集には、意図的、書き移さなかった。雑記集の一部を紹介したい。

今日は、「雑言集」から、淡々と

2011年02月25日 03時55分07秒 | 日記
今日は、とっちゃりの「雑言集」から淡々と。

S56.11.18 「無知なるが故の不幸。無知なるが故の幸福。無知なる事の恐怖。知ることの恐怖。知恵を活かせる人間になれ!」

「愛に、形があるならば、こんなに悩むことはないかも知れない。でも形がないから、永遠であり、ある人には無縁である。
 映画『慕情の』の中のスーインという女性が、彼の手紙を読みながら、『彼がそばにいる時より、ずっと私の近くに感じる』と、いうようなことを言った。
 そして、『彼氏が死んだことを知った時も。最後には、彼を追い求めなくとも、彼を近くに感じることが、わかった』ように想う。」

S56.11.22 マークツゥエインの言葉、「悲しみは、ひとりで、充分に味わうことができる。しかし、喜びを充分に味わうためには、誰かに手伝ってもらわなければ、ならない」

S56.11.22
「待つことを知る者は、望むものを得ることができる」

S56.11.29
「白は、白でも、より白に比べれば黒」

S56.12.18
「他人が、居て、自分自身の本質的なものを、気付かせてくれる。
気付かせてくれる機会を、与えてくれるのは、他人だが、それを見抜くのは、自分自身で、なくてはならない。
また、それしかない。
例えば、もてたからとて、自分自身の本質に相手がほれたのか。
虚像にほれたのか、見抜くのは、自分自身であって、ほれてくれた相手ではない」

S56.12.19
「女性は、男性(結婚相手)には、非常に当たり前なのだが、信頼できる相手を望み、その人のために尽くしたいと思うらしい。
でも、その当たり前のことに、応えられる男は、非常に少ない。
このことは、女性も理解しているはずだ。
女も、男も、夢を見ることは、いいことだ。
夢を、見れるときに、見ることも必要だ。夢を実現するための努力も必要だ。
現実を見た時に、夢であったこととの区別が必要だ。
これは、何も、白けた、あきらめた、考え方ではない。
夢を現実のものとするためにも、現実を見て、お互い、努力をしろと、いうことだ。
互いに、大きな期待に、夢をふくらませ、努力もせずに、期待を裏切られた時に狼狽して
相手を見失ったり、誤解を抱かないためにも
自分自身の未熟さと、相手の未熟さをも知り、互いに助け合いたいものだ。
自分の未熟さを、自分で、認めながら、また相手に、認めて貰いながら。
相手の未熟さは、認め、許してやれないのではいけない。」

S56.12.18
「理性的には、男性が好きだ。感情的には女性が好きだ」

S56.12.18の途中ですが、今日、25日は、夜は宴会の掛けもちですので、この辺で、愛想なく、終えます。

久しぶりのとっちゃりの「雑言集」よりは、なんと昨年の7月18日以来

2011年02月24日 02時17分19秒 | 日記
 とっちゃりの「雑言集」よりは、いつから書かずに来たのか調べて見ると、昨年の7月18日からでした。なんと7月20日に骨折する2日前以来です。
こんなものを期待して待ってる人はいないとは言え、我ながら、いい加減なものです。

だけど、誰かが、自分が若かった、約30年前頃に書きはじめ、雑記していたのものを、読んでくれている、と思う、とうれしいものです。
今の家内の前に、婚約者がいて、ふられた時に。そのエネルギーで、元々は、小さな雑記集から、その一部を拾い上げ、大学ノートに写したものが、雑言集です。

 今の家内が、なぜか、この雑言集を、読んだはじめての、人となり、結婚することになりました。
生命の不思議を、先日、書きましたが、同期会の2次会で、たち寄った、姫路の倶楽部に、わすれものを取りに行ってきました。
忘れ物は、ただの紙切れかも、しれませんが、なぜか自分自身を忘れて来たような気がして(少しきざな感じ)、母の3回忌の28日にまでにと想い、行ってきました。

 今日のとっちゃりの「雑言集」よりは、
 S56.11.15「自分に対する批判は、何も、直接他人に、聞かなくても、目をつぶっていて、また本を読んでいて、また、他人の行動を見ていて、ふと気がつくことがある。
他人に直接批判されたく、なければ、普段、自分自身で、批判をあびせることだ。
そうしておけば、他人に初めて批判されても、それが批判されても、それが批判されるべきことか、そうでないかが、すぐ判る。
批判してくれた、人にお礼をお礼を言わなければ、ならないことか、どうかもわかる。
自分に対する批判を、予知できないようでは、自分自身を観ているとは、言えない。」

もうひとつ
 S56.11.17「愛する能力は、多くの人にあっても、幸せにする能力は、すべてにはない」

今日はこの辺で、終えます。
わすれたものを、今日は、拾って帰って来たようです。