むりせず、あきらめず

やぼな男のひとり言

入院中の父との会話

2010年11月28日 10時35分56秒 | 日記
昨日は三木の温泉に寄った関係もあり、父の病院に着いたのは19時過ぎでした。約30分ほど話をしましたが、いままでになく会話がかみ合いました。

父は昔から体が丈夫な方でなく、私が小さかった頃、感情の起伏も大きな人でした。
亡くなった母は、利発で、頑張り屋で、コツコツと何事も進める人でした。
母が生前、父親がお金があると判ると使ってしまうので、いくらお金があるかを隠していると言っていました。

私が躁の時に、買い物がしたくなりますが、今思えば、父も躁鬱の傾向があったのではないかと思います。

母が亡くなる前に、色んな事を聞き、また母が死んでから父に色んなことを聞いていました。

父は体が丈夫な方ではなく、50才(胃潰瘍の手術をした)のを過ぎたころから、自分自身は60代で死ぬと思って入たようです。(実際は低血圧の方なので、長生き)
13才で神戸の繊維問屋に奉公にでて、3年は神戸、残り3年は名古屋に、徴用され体躯が貧弱であったため、国内で電気工事の関係についており、終戦時は奈良にいたようです。

父の母方の親戚が畳屋をしていた関係で、畳屋を始めたようで、父の母方の姪にあたる母(父とはいとこの関係)と昭和27年?の母の誕生日1月10日、22歳に結婚したようです。(姉も確か22歳の誕生日、5月8日に結婚したと思う)

私が確か小学校3年頃に現在住まいしている、土地(約150坪)を昔の小作の人から登記を変更してもらうのに農協から100万円借金するのが大変で、100万円の現金を母が見せてくれたのを思い出します。

荒れ放題になって居た土地、当時は廻りは、皆田んぼで、竜山石のこっぱ(無用な石)で国道の高さに合わせて石垣を積み、約1/2以上を埋め立て、しばらくは自動車部品の廃品業者に貸していました。長年荒れ放題になっていたので、草を抜き、土を分けて、埋め立てた高さの所まで土を持って行き、畑にする作業を母と一緒にやりました。

私が働く様になってから約1年後に、今の住まいする場所に移って来ました。その後も畳屋[借家]をすこし続けていましたが、籠谷のたまご屋に行ったり、10年以上74歳まで加古川駅前のサンライズで立体駐車上の受付操作をしていました。

母はエンバの毛皮の裁縫の内職を長年していましたが、20年前に私が家内と結婚してしばらくして、ホワイト急便のクリーニングの取次を始めて、74歳まで続けました。昔から洋服や着物の裁縫などが得意で、細かなしみや傷まで確認し、場合によってはつくろいものまでするような人でしたから、毎日夜の12時近くまで、預かった物の整理や、出来上がった物の確認をしていました。

父、母の努力があっての今であり、父もこの12月12日で87歳になり、孫4人、曾孫3人にも恵まれ、父も「世間に大きな恥をさらすこともなく、今まで生きてこれて、私の家族や姉の家族も、生活が成り立ちしているのであれば、良しとし満足だ」というをこと言っていました。

自分自身が病院にいることもすぐに忘れ、昨日のことも忘れ、家族構成も忘れ、昔の色んなことや、現状を話をしてやり、頑張って生きてきたことを褒めてあげました。安心してか、眠りに付きました。また今日も夕方に見舞いです。


平成の大馬鹿者の碑をK氏から捧げられていました

2010年11月28日 09時00分33秒 | 日記


K氏のブログは私が骨折してからも、毎週のように山行きの写真で彩られています。この写真を見るだけでも楽しいです。9月26日には、以前ルートを間違い悪戦苦闘した後山に行って平成の大馬鹿者の碑を写真に納めて、骨折した私に捧げてくれていました。是非この目でも実物を見たいと思いますが、まだまだ先になりそうです。

平成の大馬鹿者の碑は、5段の違う石が複雑な形状で噛み合ってその水平断面はほぼ正方形ですっくと立ち、なかなか気に入りました。武骨な中に愛着が持てるものです。作者の制作意図と、この「平成の大馬鹿者」の作品名に最後までこだわり続けて、この場所にようやく設置されたもののようです。

平成の大馬鹿者は、作者自身のことではなかったのか。目まぐるしく変化する世の中でも、普遍的は価値観へのこだわり。自分は四面を広く見てなおかつ、その心棒は、そっとやそっとで、曲がらないぞと言っているようです。5段積んであるのは、ひとの五感を表しているのではないかと思います。

本日は、午前中に、母の仏壇の部屋の片付け、掃除。その後散髪に行き、午後からは昨日家内に了解を得て久しぶりにSさん宅にお邪魔し、仕事を始める前に読んで頂きたい本を持って行きます。17時前には自宅に帰ってきて、母の月命日のお経を同級生の住職があげてくれます。

無理せず、ブログを再開します

2010年11月27日 09時11分51秒 | 日記
8月8日にブログを一時休止してから、約3カ月になりました。

その間いろんなことがありました。まずは当方の簡単な近況報告から、左足骨折の影響で、約2カ月動かすことがなかったため間接の稼働域が狭く、まだ早くは歩くことが出来ません。ここ2週間ほど前から、毎日ストレッチを少しの時間ですが寝る前に始めました。左足に入った5cm長さボルト2本と2重巻きになった針金が手術で取れるのが、来年の夏です。腰椎の圧迫骨折は、鈍痛が取れません。まだまだ様子見の状態です。

8月17日、友人のN氏の長女Mちゃんが、17才で学びの時を終えました。約2年前に骨髄移植をして、順調に回復していると思っていましたが、N氏自身が癌との戦いの中で精神的にもつぶれそうな状態の中での訃報を11月16日に届いた喪中はがきで知りました。

父が10月19日に家の中で転んで、大腿骨骨折で救急車で病院へ、10月30日手術。以降にボケが進行し、家族構成や、母が死んだことなど、なぜ入院しているのかも判らなくなり、何度も同じことを聞いたり、起こってもいないことを話したりの状態になってきました。
昨日11月26日、介護認定の市職員調査の際には、自分の年齢も20歳近く若い年齢を言い、私の妻のことを誰かと聞かれて、自分(父)の妻だと返答したそうです。

今日はこれから朝食、散髪、垂水病院へ診察、家内の実家に寄り、夕方には父の見舞いに石川病院に行く予定です。