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とろの日記…

能登半島応援ツァー 2日目 その4

近江町市場にて見学を兼ねたお昼を食しまして…🥢
 午後から…
次の見学場所は金沢と言いましたら兼六園・金沢城公園、
 移動中のバスの中にて添乗員さんから案内の地図と説明を受け
 走る事15分程で兼六園と金沢城公園の中間の所で🚌を下ります


 添乗員さんから兼六園の入園券を頂き
『特別名勝 兼六園 桂坂口』から入ります。

 
自由散策は90分です…
 兼六園はこんな感じ…

 
兼六園:江戸時代の代表的な林泉回遊式大名庭園の特徴を
    そのまま今に残して要る名勝庭園でして、
    加賀藩五代藩主 前田綱紀が延宝4年(1676)城に面した地にあった
    作事所を城内に移し蓮池御亭を建てて、
    その周辺を作庭した事が本園の始まりで、
    その頃は蓮池庭と呼ばれていたそうです。
    12代藩主・斉広は、文政5年(1822)蓮池庭を改良して、
    名前も『兼六園』と改め命名されました。
    13代藩主・斉泰は、御殿を取り壊し霞が池を掘り広げ
    曲水の新たな取り入れも行い、元々ありました蓮池庭との調和を
    活かし現在の庭園が出来上がったとされております。
    廃藩後、明治7年(1874)5月7日兼六園は一般開放され、
    大正11年(1922)3月8日『史跡名勝天然記念物保存法』により
    『名勝』の指定を受け昭和60年(1985)3月20日『特別名勝』
    の名前を受けました。

そして、桂坂口より順路通りに進み中央に位置します霞が池に出ますと、
 兼六園と言えば此処
『雁行橋・ことじ灯籠』雁行橋の上からことじ灯籠と霞が池 


琴じの灯篭の左側…

 
ことじ灯籠:霞が池にそっと足を下ろした様な美しい姿、
      足が琴の糸を支える琴柱に似て居る事から、
      その名が付いたと語り継がれ兼六園を代表する
      景色となっております。

霞が池の一本奥の道を通り… 

根元の苔が美しい…



 
霞が池に突き出たように建てられている『内橋亭』の脇を通り


 

 
『時雨亭』に来ました。



此処でお茶を頂きます… 


時雨亭:延法4年(1676)加賀藩五代藩主・前田綱紀は兼六園の前身である
    蓮池庭の作庭に取り掛かった。
    その庭の中心的な建物として建てられた漣池御亭は
    その後六代藩主・前田吉徳によって立て替えられ
    藩政後期に時雨亭と名を改めて呼ばれたそうです。

此処でお茶を頂くのですが情報不足で、
 順番に席が空いたらお茶を頂けると思いましたら
 入り口に『次のお茶会は13:10からです』との事なので、
 入り口にて皆待っている状況で、時間まで周りから時雨亭を…


 
時間になり入り口で『お抹茶セット・煎茶セット』の券を購入して
 待合室に案内をされ庭園を見ながら待ちます。



 
この女の子が、盛んに剣を抜いて見せてくれまして

『ジャパニーズ・サムライ』と聞きましたら
『ノォー・ニンジャ』何ですって
 その割には時頼 手でピストルの形を取り撃って来るんですよねぇ~
ひたすら呼ばれる迄待合室で待ちます…



さて、同じツァーの方もおりまして
 入ったは良いのですが集合時間が迫って来ていて
 同じツァーの方々私達を含めて7人とひそひそ話
『どうしましょう間に合わないかも、50分まで待って何事も無かったら
  キャンセルして帰りましょうかぁ~』などなどなど
 そしたら一人の方が機転を利かして聞いて来て下さり
『30分頃準備が出来ましたら茶室に通され、それからお茶を頂けるそう』
 何ですって
 そして30分頃『準備が出来ましたので茶室の方に移動をお願いいたします』
 と言う事で移動を致します。


 
着物を着た方が各セットを運んで下さり

 
私・お抹茶セット

👸様・煎茶セット

 
『お召し上がりください』との事で観賞する間もなく頂き
『申し訳ありません時間が有る物で』と断り同じツァーの7人
 時雨亭を後にしました。
 もっとゆっくり茶室や庭園を眺めながらお茶をしたかったなぁ~
 尚:私達の回 約50人程でしたがその7割が外国人観光客で、
   そうなんだなぁ~と痛感致しました。
 そして早歩きで集合場所の桂坂口に戻りました…。
                       つづく…

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