少年トッパ

死ぬくらいなら逃げよう。

 ここ半月ほど、いじめに関する報道が多い。自殺する子ども、いじめを隠蔽しようとする学校、それを追い詰めようとするマスコミ、姿を現さない加害者とその親。その関係は昔も今も変わらない。マスコミは学校を責め、学校は責任逃れに汲々となる。いじめがあったかどうか? その行為がいじめに該当するか否か? そんなやり取りを聞いていても虚しいだけだ。

 とにかく守るべきは、今現在いじめられている子どもたちである。ずっと前にも書いたが、そういう子どもたちには、こう言ってあげよう。学校から出れば、きっと人生は楽しくなる――と。

 学校ってのは窮屈な場所だ。しかし、そこに通う期間なんて人生の中では短い。社会に出れば、少なくとも学校の中よりは自由に生きていけるのである。無論、社会にも「制約」や「競争」は存在するし、嫌がらせに遭うことがないわけじゃない。しかし、自分にとって居心地の良い場所を見つけられる機会は、学校にいる時期と比べれば格段に多くなるのだ。だから、辛い状況に置かれていたとしても、学校を出るまで耐え続けよう。
 でも、どうしても今の状況に耐えられないのなら、学校なんか行かなければいい。とりあえず逃げよう。そして、逃げた場所から世界を見渡し、自分の居場所を探していけばいいのである。逃げるという表現に抵抗があるのなら、避難すると言い換えてもいい。
 自殺すれば、誰かが必ず悲しむ。その誰かは、君を大切に思ってくれている人だ。そして、その誰かは君が死を選んだことで自分を責めるだろう。それはとても残酷な仕打ちなんだ。大切な人を苦しめちゃいけない。

 いじめられたからって、暴力による仕返しは考えない方がいい。自分が罪の意識を背負うことになるだけだ。いじめっ子を入院させた経験がある僕が言うのだから間違いない。
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