少年トッパ

1977年に「全然大丈夫」は、あり得ね~。

 テレビ版『嫌われ松子の一生』を見ていて妙なことに気付いた。昭和52年に松子は刑務所から出るのだが、そのすぐ後の会話で「全然大丈夫」と言うのだ。

 「全然オッケー」とか「全然いいじゃん」というような言い方が日本語として間違っているってことは、今さら指摘するまでもないだろう。しかし、その間違った言い方がすっかり定着した今、もはやそれは間違いではなくなってしまった。実際、周囲にいる20代数人に聞いたら、みんな「全然大丈夫」「全然オッケー」「全然いいじゃん」が間違った言い方だと自覚していないのである。好むと好まざるとに関わらず、結局のところ言葉ってのは時代と共に変化していくものなのだ。

 ただし、この「全然+肯定の言葉」という言い回しが世の中に広まったのは1980年代以降である。それまでの日本人は「全然面白くない」「全然心配ない」「全然問題ありません」などと、「全然+否定の言葉」という組み合わせで使っていた。それが常識だったのである。では、どうして「全然オッケー」が普通になったのか。
 僕の推測では、「断然」と「全然」がゴッチャになったのである。「断然面白い」「こっちの方が断然いいじゃん」という言い方を誰かが聞き間違えて(もしくは故意に)「全然面白い」「こっちの方が全然いいじゃん」と言ったのではないか。
 で、そういう「間違ってるけど、ちょっと面白い言い回し」ってのは、けっこうウケるものである。世のお調子者どもは、その手の言い回しをやたらと使いたがるものなんである。「○○ちゃん、今度のアイデア、全然いいじゃん」「チーフ、その言い方、間違ってますよ」「いやいや、これが最近の若者コトバなのよ、○○ちゃん」ってな感じでマスコミや広告業界、音楽業界などの輩の間で瞬く間に伝播し、それが一般人にも浸透したのではないだろうか。当時、狭量な僕はテレビで芸能人が「全然いいですよ~」などと言うのを聞くたびに、苦々しい気持ちになっていたものだ。

 ちなみに、その手の「間違ってるけど、ちょっと面白い言い回し」として広まった言葉には、最近だと「あり得ない」ってのがある。これも従来の使われ方とは異なる使い方をされ、「でも、その言い方もアリじゃん。ってゆうか便利じゃん」と、時代のうねり(ちょい大げさ?)に呑み込まれてしまったのだ。時代は移ろっていくのよ。♪ケ・セラ・セラ♪

 そんなわけで昨今のドラマには「全然オッケー」や「全然いいじゃん」が当たり前のように使われている。それが会話に現実味を与える役割も果たしているのだから、まあ仕方ないだろう。しかし、昭和52年――つまり1977年の時点で松子が「全然大丈夫」と言うのは絶対にヘンである。本来の意味での「あり得ない」なのだ。

 もうひとつ、『嫌われ松子の一生』の中では「それって微妙だよね」という言い回しも出てきた。松子のムショ仲間(小池栄子)がアダルトビデオで有名になったことについて語る場面である。この場合の「微妙」は、従来の意味とは異なるものだ。従来の意味ってのは、goo辞書によると下記の通り。

(1) なんともいえない味わいや美しさがあって、おもむき深い・こと(さま)。
   「―な色彩のバランス」
(2) はっきりととらえられないほど細かく、複雑で難しい・こと(さま)。
   「両国の関係は―な段階にある」「―な意味あいの言葉」

 しかし、松子らの会話に出てくる「微妙」は「どっちつかず」というような意味合いである。「あの人の顔、微妙」とか「この味、微妙」という風に使う時の「微妙」だ。「ビミョ~」と表記した方がしっくりするだろう。というか、今や僕らが使う「微妙」は、ほとんどが「どっちつかず」の方である。
 ちょっと自信がないけど、こうした「ビミョ~」が誕生したのも80年代ではなかっただろうか。あと「病気」を「イカレてる状態」という意味合いで使い始めたのも同じ時期だったような気がする。ほら、あの「ほとんどビョーキ」って言い回しが流行った頃ね。

 そんなこんなで、時代は変わる。言葉も変わる。その流れに抗うことなど僕らにはできない。初めて入った店で食べた料理を評して「これビミョ~だよね」と語り合い、風変わりな知り合いのことを「アイツ、ビョーキじゃん」とこきおろす。誰かが何かを言えば「ってゆうか」で切り返し、話し相手の嗜好が自分と合っていないと「それ、あり得ないじゃん」と口を尖らす。それが2006年12月の僕らなのである。
 しかし! これだけは意地でも曲げない。僕は絶対に「全然大丈夫」とか「全然オッケー」とか「全然いいじゃん」なんて言ったりしないぞ。何があっても、その一線だけは踏み越えてたまるか!
 え? そんなことじゃ若者と意志疎通ができない? それは心配ないって。全然大丈夫! ……あわわっ。

 ついでに、もうひとつ。『嫌われ松子の一生』の中には「ソープ嬢」という言葉も出てくる。だが、当時はまだ「トルコ嬢」と呼ばれていたはずだ。まあ、原作では「トルコ嬢」だったので、これはテレビの放送倫理規定とか、そういったものに配慮したのだろう。しかし「歴史の改竄」ってヤツは、こうした細かな部分から始まることが多いのではないか……という気もするぞ。
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