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Tony's One Phrase

観察日記

シャックリ・ママさんの掃除風景を追え!

2021-06-06 13:50:26 | GO! GO! NIAGARA
先日、音楽仲間と大滝詠一の詞の意見交換をしました。

その方は「あつさのせい」の歌詞はスゴイ!と話されていました。これに対して、僕は「シャックリ・ママさん」が大好きなので、その魅力を力説しました。

・「洗剤値上がり 止めーーたいけれどぉ、ホッ♪」という、洗剤の値上がりが止まってない様子を歌で表現したところ、
・”洗剤”のような生活資材を歌にしたところ
が好きとの話をしました。

僕が「シャックリ・ママさん」で一番好きな箇所は「歌うーたうー」という節回し(U~トゥ・U~トゥ・U~)ですが、なにより「シャックリ・ママさん」という題材を歌にしようという発想自体が非常にユニークで、5本の指に入る大好きな曲です。

今回、「シャックリ・ママさん」の話が出たのを機に、改めて少し追いかけてみました。


〇「Peggy Sue Revisited in 1975」
公開されたレコーディングデータによると「シャックリ・ママさん」の録音日は次の通りです。

《Recording Data 1975》
Jan.26-31 Fussa Sessions I〜IV (林立夫 / 細野晴臣 / 鈴木茂 / 佐藤博)
 30 「シャックリ・ママさん」Take 1~4
Feb.2 <お先にどうぞ> at Toshiba Studio
Feb.4-7      Fussa Sessions VII〜X(上原ユカリ / 細野晴臣 / 伊藤銀次 / 佐藤博)
Feb.20-22      Fussa Dubs I〜III(鈴木茂 / 佐藤博)
 21 「シャックリ・ママさん」(E.Piano / Guitar  / Slide)

大滝詠一本人によると、この曲の原題は「Peggy Sue Revisited in 1975」とのこと。バディ・ホリーの命日である、2月3日前後に録音がされていて、スライドギターやエレキ・ピアノのダビングでより魅力的な曲に仕上がっています。

 大滝詠一は、イーチ大滝として、ラジオ番組「Go!Go!Niagara」の中で3回にわたってバディ・ホリーの特集したほか、レギュラー放送においても、「Words Of Love」「Maybe Baby」「Peggy Sue Got Married」「Crying, Waiting, Hoping」「Rave On」「Fool's Paradise」「Early In The Morning」「It's So Easy」・・と、彼の曲を何度も取り上げています。


 ライナーによると、「シャックリ・ママさん」の”シャックリ”は、バディ・ホリーの歌唱スタイル、"Hiccup"をもじった、シャックリ唱法からとったものだそうです。

 ここで指摘したいのは、この"シャックリ唱法"という言葉自体も、大滝詠一本人が生み出した言葉だと以前、ラジオで発言していたことです。音の特徴をつかみ、自分の言葉で言語化することで、その音楽がより親しみやすいものになります。
 
 奇しくも、ジョン・レノンは、同じころ、1974年10月25日に「Peggy Sue」を録音し、1975年にカヴァーアルバム『ロックン・ロール』をリリースしています。また、ポールも「Peggy Sue」を取り上げており、あっちでもこっちでも「Peggy Sue Revisited in 1975」という発想が同じ!!なのです。

John Lennon「Peggy Sue」
   

PAUL McCARTNEY「Peggy Sue」REHEARSAL 1975
 


『NIAGARA 45RPM VOX』ジャケット
福生45スタジオ併設の米軍ハウス内のポスターもバディ・ホリーだった


疑問1 「ママさん」の由来を追え。
まず、そもそも、大滝詠一が「シャックリ・ママさん」という題材をとりあげようとした、その由来を追ってみました。

 遥か沖を眺めていると、モロコシの方角からママさんがシャックリしながらやってきて、浜辺の松に座って水を飲んだ、などということが起きれば、これが「シャックリ・ママさん」の由来だと、なるかもしれませんが(ならない)、そうでなければ、やはり歌に元があって、然りです。

・「帰れソレント」よりもさらに壮大な、Connie Francis「Mama」(1960年ヒット。 Bixio CherubiniやCesare Andrea Bixioなどのクレジット)

・ゆったりとしたワルツのB. J. Thomas「Mama」(1966年ヒット。Mark Charron作)

世の中の曲には、いろいろなママさんが登場していますが、自分のつたないナイアガラ関連の知識では、「楽しい夜更かし」が、Ernie K-Doe「いじわるママさん」のモジリ曲だったはずです。

また、ネットで検索すると、 Little Richard「True Fine Mama」という曲について書いている人もいます。

どこかでこの曲にも言及していたはずだと記憶していたのですが、どこだか忘れてしまったので、今回、改めて調べてみました。すると、2005年のライナーに、吉田美奈子の”ケッツペキ・ニイサン”に触れて、次の記載がありました。

 このアルバム・リリース後、吉田美奈子が「シャックリ・ママさんの続編作ったヨ。”ケッツペキ・ニイサン”!ということがありました。もともと私が「ステキなママさん」と「いじわるママさん」からヒントを得て「シャックリ・ママさん」としたものですが、それが”ケッツペキ・ニイサン”と、発想の連鎖となったわけです。

ということで、遠方の唐土ではなく、さらに遥か、細哈連(ニューオリンズ)の地より、「ママさん」をインスピレーションしたということが、分かりました。

R&Bの楽曲としてカヴァーせず、バディ・ホリーのシャックリ唱法を掛け合わせて、3コードのロックンロールにした、というところに、この曲の独自性があると思います。

そして、この曲はシングルを切るべきだったと思いました。片面サイダーというので考えていて、会社との交渉がうまくいかず、シングルが出なかったのかもしれません。

自分が選ぶなら、私家版としては「ナイアガラムーンがまた輝けば」がB面でしょうか。通常販売版は、「ロックン・ロール・マーチ」か「ハンド・クラッピング・ルンバ」のどちらかになると思います。両A面というのもありかなとか、夢?が膨らんでしまいました(^^;)。

図「すてきなママさん」と「いじわるのママさん」と「いじわるママさん」


大滝詠一本人もサイトで取り上げていましたが、「いじわるママさん」の曲調の曲として、The Rivingtons「Love Pill」のようなニューオリンズ曲も楽しいですね。

さて、ここで終わらず、もう1歩踏み込んで、「ママさん」の由来を追いかけてみることにしました。


疑問2 ステキでいじわるな日本のママさんを追え
 大滝詠一の「シャックリ・ママさん」が「ステキなママさん」と「いじわるママさん」からヒントを得ているとして、そのいじわるママさんは何からヒントを得ていたのか、自分に身近な「父・母」を歌詞にとりあげる、一親等が歌詞に出てくる曲が出てきたのはいつ頃なのかという疑問にこたえるべく、「日本のママさん」系譜の追跡にも挑戦してみました。

まずは、「いじわるママさん」ですが、スリー・ファンキーズがカヴァーしているので、その歌詞を書いたのは誰なのか、しらべてみました。

ネットのオークションなどにレコードのスリーブが掲載されています。
 

見つけたLP『スリー・ファンキーズ ヒット・パレード』のスリーブを、拡大してみると「みナみかズみ作曲 トーセン作曲」との文字。作曲が2回あるので、最初が作詞の誤記と考えられます。

みナみかズみ作 (アラン・)ン作曲ということでしょう。

せっかくここまで追いましたが、ここで、題名はみナみかズみが手がけたとするのは少し短絡的かもしれません。東芝のディレクターが手がけた、宣伝の人が邦題をつけて作詞家みナみかズみに渡した、色々な可能性が考えられ、ここは当時の記録がないとわからない部分かと思います。

一度振り返って考えると、この「いじわるママさん」は1962年の作品ですが、アーニー・ケード(Ernie K-Doe)「いじわるのママさん」が1961年。“アーニー~”のいじわるのママさんの方が先です。

また、リトル・リチャード「すてきなママさん」(キングレコードLED-96、B面の邦題には触れずにスーっといきます)は、1958年発売。

ということで、リトル・リチャードの名前を付けたキングのディレクターがキーパーソンといえるのではないでしょうか。(名前までは追えませんでした)

話を日本における「ママさん」の歴史に戻し、少し広い範囲で探索を続けています。

みナみかズみ(のちの安井かずみ) の手掛けた詞には、例えば、ダニー飯田とパラダイス・キング「悲しきあしおと」があります。このダニー飯田とパラダイス・キングの代表曲「シェリー」、漣健児作詞です。

「シェリー」の歌詞は、次のようなものです。

「シェリー そおっとおいでよ さあ出ておいで パパもママも ぐっすりとお休みだけれど♪」

 

この漣健児が、歌詞でほかに"ママ"にふれた作品といえば「大人になりたい」 が挙げられます。

伊東ゆかり「大人になりたい」
「夜遅くに帰ると ママから お目玉 いつも 10時に寝るの それがきまりよ♪」

洋邦問わず、ママが登場すると、恋の手ほどきをしてくれたり、早寝早起きで夜遊びをたしなめてくれたり、人生の先輩としてのママが描かれることが多いようです。

・サム・クックのようなサウンドのThe Shirelles「Mama Said」(1961年、Luther Dixon)
・それを推し進めたようなサウンドの、カーティス・メイフィールド作Jan Bradley「Mama Didn't Lie」

・ダンスを教えてくれるママ:Eydie Gorme 「Mama, Teach Me to Dance」
Christine Quaite 「Tell Me Mama」 (1963)
・もういなくなってしまった想い出のママ:Patti Page「Mama from the Train」、Stan Kenton「Mama Sang a Song」

など、ママの登場のしかたも様々です。

そして漣健児に登場するママには、もう1つタイプがあります。

飯田久彦「ルイジアナ・ママ」
「あの娘は ルイジアナ・ママ やってきたのは ニューオーリンズ♪」

また、ニューオリンズが登場してきました(^^)。

「ルイジアナ・ママ」は、「フジヤマ・ママ」系のママです。

スラングなどを扱うUrban Dictionaryによるとmamaという単語は、”a very attractive woman”を指すそうです。

いずれにしろ、日本語のママもどちらかの系譜に属することになると思いますが、留意が必要なのは、いずれも「ママ」・「パパ」として登場していて、これらの曲は「ママさん」、「パパさん」としての登場ではないことです。


このため、ママさん、パパさんと、きちんと”さん付け”されている歌詞について、追ってみると、次の曲にいきあたりました。

雪村いづみ「夢のマンボ」作詞:井田誠一
「すぐにすてきなお方が来て お嬢さん踊りましょうよ 恋の花園へ行きましょう パパさんもママさんもみんな 誘いましょうよ マンボ踊りましょう」

マンボ時代は「パパはマンボがお好き」という曲があるように、パパや、ママが頻繁に登場します。

それでは、ママさん、パパさんの歴史はどこか?なんだかんだ調べてみると、国立国会図書館の歴史的音源配信で調べると、森岩雄作詞のバートン・クレーンさんにいきつきました。

図 バートンクレーン作品集と「のんきなママさん」
 

「のんきなパパさん」は「It's a Long Way to Tipperary」から、
「のんきなママさん」は「よさほい節」をカヴァーしているということで、バートンクレーン作品集に行きつきました。1933年7月発売とのこと。

石田一松「酋長の娘」では、「私のラバさん、酋長の娘♪」という歌詞があり、恋人はラバさん(Loverさん)と呼ばれていたそうですが、単に〇〇とつかうより、〇〇さんというほうが、対象に対して愛着がわきますね。

映画界でも“ママさん”を使われる動きがあり、春原監督の「おヤエのママさん女中」(1959)などもありますが、ノーマ・シアラー主演「陽気なママさん」(Let Us Be Gay)が1930年で、そのころからママさんという言い方があったようです。

「Let Us Be Gay」(1930) Robert Z. Leonard監督、Norma Shearer主演

ということで、「シャックリ・ママさん」のルーツは、意図するしないにかかわらず、「陽気なママさん」だろうというのが、今ところの結論です(^^)。


疑問3 歌詞はどこから?
もう1点の疑問は、この歌詞を書く時に、歌詞全般をどこから思いついたのか、アイディアの源泉は?どこにあったのか、です。

僕が好きなのは背中にラジオを背負いながら掃除しているシーンです。『ナイアガラムーン』のライナーに「うちのスーもよくシャックリをします。」と書いている通り、実体験に基づいているのでしょう。台所、水道、掃除などいかにも漫画的な歌詞です。


ということで、以下推測です。

「シャックリ」→シャックリ唱法をやってみるが基本のアイディア。



シャックリママさん台所
水を飲んでも びっくりしても
どうにもシャックリ止まらない

1番では、しゃっくりを止める方法は水を飲むことなので、ここをまず忠実に歌にしようという発想です。

シャックリママさんお洗濯
洗剤値上がり止めたいけれど
まずはこのシャックリ止めて

2番は社会の記録です。1973年、中東戦争でアラブ産油国が石油輸出を停止し、原油価格が高騰したことがよくわかります。はっぴいえんど「抱きしめたい」で「とても素速く飛ーび降りるので♪」の逆バージョン。


シャックリママさん庭掃除
帚かかえて歌唄う
背中で鳴ってるトランジスター・ラジオ

そして問題の3番。掃除のシーンです。
色々考えたけれど、よくわからない中、落語を聞いていたら全然違うところに
これかなと思うヒントがありました。
これ「山号寺号(さんごうじごう)」じゃないでしょうか?

お寺には、金龍山浅草寺というように山号寺号があるということで
「〇〇さん、〇〇じ」というのを幇間が挙げて小遣いを稼ぐいくという噺。

例えば談志の演目でも、途中で次のような場面が出てきます。
 「えーっと、向こうの方でおかみさんが働いています。
  おかみさん拭き掃っていうのはどうでしょう?」

「床屋さん、耳掃除」、「酒屋さん、味噌下地」、「蕎麦屋さん、卵とじ」
、「時計屋さん、今何時」、「肉屋さん、ソーセージ」・・・。これまで聞いたことがない噺でしたが、春風亭柳枝などもやっているようで、わりと有名なものでしょうか。
単なる語呂合わせかもしれませんが、「・・さん、・・じ」となったところに面白さがあると思います。


シャックリママさん編みもの 手を止すませて呟いた どうも浮世は儘ならぬ
シャックリママさん大欠伸 手で口押さえお茶にごし 肩がこったとひねる首

4番の
「大欠伸」(ただのあくびではない)、
「止すませる」(敢えて止めるという字を使う)、
「お茶にごし」
というのは、何からきているのか、これは今後の課題です(^^)v。

ということで、次々疑問点の探求が
さしかけになっているような気もしますが、「一旦退"散"、これ年中行"事"」!?

おあと大勢。


Chelsea Is Back ~ Summer Breezeの謎を追え

2021-04-11 00:35:57 | GO! GO! NIAGARA
『Road to A LONG VACATION』に収録された「Summer Breeze (Demo Version)/大滝詠一」。

アン・ルイス向けに書かれた「Velvet Motel」の原曲。複雑なリズムになる前の曲が収録されていましたが、その素直な歌に耳を傾けています。

「Summer Breeze」の歌詞は次の通りです

窓辺より添えば そよぐ / よせる 波の音 耳元に はこぶ / Summer Breeze(SB) / 
まだ来ぬ月影に おもふ / 首かしげ すずしい /(SB)(SB)/ 
夜空の星 まばたき / はるかな眠り 誘う Endless Sleep / 
夜 とけだし 残る月 / (SB)  / 空 はなびら 舞い踊る / (SB)(SB)

「はなびら 舞い踊る」とか「Endless Sleep 」とか、心の中を通り抜けるキーワードが、チラリホラリと降りかかる春の午後、「Velvet Motel」と「Summer Breeze」の謎をいくつか追ってみました(^^)。

  • 「Summer Breeze」の謎を追え(その1)
「はなびら 舞い踊る」謎を追え!
まず「夏の風(Summer Breeze)が吹く中で空から花びらが舞い踊る」って、どんな光景なのか。歌詞を改めて通しで読んでみると、ふとそんな疑問がわきました。

それぞれの言葉はわかるけれど、夏の光景として、うまくイメージできないのです。夏の花の代表といえば向日葵ですが、向日葵の花びらが風で舞うことがあるだろうかとか。

昔、「うすむらさき色した深い眠り」ってどんな眠りなんだろう?と考えた時(うすむらさき色の謎を追え>)と同じような疑問です。

Summer Breezeの謎、まずは夏の花びらの謎を追ってみました。

“大滝詠一リリカル・ソング”(メロディックな曲をこう名付けた)には共通したイメージがあります。

「星、風、月影、窓、波の音」、そして「花」

作詞家大滝詠一の使う言葉には一貫性があり(使いまわしとも・・・)「Summer Breeze」は、星薫派作家大滝詠一の集大成とでもいうべき作品です(^_^)。(*註2)

その歌詞をみわたすと、「おもふ」という古めかしい言葉遣いも混じっていて、歌謡史、俳句、百人一首などのどこかに答えがあるのだろうと予測できますが、すぐに特定できる出展元は思い浮かびません。ヒント探しを兼ねて、まずは大滝詠一4万字インタビューにあたることとしました。

「Velvet Motel」については、男性の声で声を裏返している稀有な曲だということがインタビューでは強調されています。この話は2005年の内田対談でも出ている話(*註1)なのですが、芸能には表と裏があり、平野愛子「港が見える丘」やルー・クリスティ「Two Faces Have I」の裏声はそれを歌唱で体現しているという話です。

ラジオ番組「ゴー・ゴー・ナイアガラ」で大滝詠一、いや、イーチ大滝 (DJ)が紹介している平野愛子の曲が2曲あります。

「港が見える丘」と「君待てども」という曲ですが、いずれも1976年3月29日の 放送(第42回)でかかったもので、かれこれ30年ほど前に自分もそのダビングを聞かせていただき、いっぺんで平野愛子ファンになりました。

「Summer Breeze」の歌詞を眺めながら、久しぶりに平野愛子の歌を聴いてみて、突然の発見に一瞬、心乱れました。

平野愛子「君待てども」
1.君待てども 君待てども / まだ来ぬ宵 わびしき宵 / 窓辺 一つの / 蒼白きバラ / いとしその面影 香り今は失せぬ / 諦めましょう 諦めましょう / わたしはひとり

2.君待てども 君待てども / まだ来ぬ宵 朧の宵 / そよふく風 冷き風 / そぞろ身に沁む / 待つ人の影なく 花片は舞い来る / 諦めましょう 諦めましょう / わたしはひとり
(3番省略)

つまり、「Summer Breeze」の「はなびら 舞い踊る」は「君待てども」の「花片(はなびら)舞い来る」から、「まだ来ぬ人」は「まだ来ぬ宵 わびしき宵 窓辺の 」からきているのではないかと思ったのです。

そういう観点で、よくよく眺めてみると、そもそも2番の「そよふく風 冷き風」=「Summer Breeze」ということなのではないでしょうか。

この曲は(いやこの詞は)、平野愛子の「君待てども」から、イメージを膨らませて、これまでの要素も入れて作った力作なのではないか?だから、平野愛子バリに声をひっくり返らせているのではないかというのが、自分の読みです。

世阿弥『風姿花伝』には「秘すれば花なり、秘せずば花なるべからず」
とありますが、ひっそりと咲く夏の花。どないなもんでショ?(と、大滝さんなら締めたはず)

(2021/04/18追記)
この「君待てども」の世界に
アネット&アヴァロンの世界を追加したのかもしれません。
窓辺より添えば そよぐ / よせる 波の音 
Annette Funicello & Frankie Avalon 「Because You're You」

  • 「Summer Breeze」の謎を追え(その2)
「首かしげ」の謎を追え!

次は小ネタです。
2番の歌詞に「 首かしげ すずしい」とあります。なぜ首をかしげるのか、こちらが首をかしげたくなります。

この「首かしげ」の出典を追ってみました。

花が題名に出る曲としては、オールディーズ界では「花はどこに行った」「花のサンフランシスコ」とならんで街角男の異名も(日本では)名高いデル・シャノンの「Hats Off To Larry(花咲く街角)」が有名です。

日本では、東京でもアメリカでも長崎でも上海でも花を売る、花売り男(?)オカッパルです。

ということで、これは間違いなく岡晴夫「東京の花売り娘」の2番でしょう。

岡晴夫「東京の花売り娘」
「花を召しませ 召しませ花を / 小首かしげりゃ 広重描くも新たな 春の宵」

この曲自体は「趣味を召しませ 召しませ趣味を」として「趣味趣味音楽」で「ゴー!ゴー!ナイアガラ」ファンにはおなじみの曲です。3番の歌詞に「影を追うよな甘い風」と風という単語も登場する春の唄なのですが、夏に応用したのでしょう(^^)

  • 「Summer Breeze」の謎を追え(その3)
「Endless Sleep」の謎を追え!
その1、2は割と自信ありですが、その3以降はあまり自信ありません。よろしければお付き合いのほどを。

「Summer Breeze」の3番には「はるかな眠り 誘う Endless Sleep」とあります。たぶん、わが国ではそれほど使わない表現だと思います。

このパートでは、「Endless Sleep」という言葉を使ったきっかけはどういうことなのか追ってみました。

普通に考えると、「Endless Sleepに誘う」ためには
・白雪姫のよう睡眠導入剤のリンゴ?
・連れ寝?
など、睡眠導入装置の仕掛けが必要で、それについて訊きたくなります。そもそもどんな眠りなのか。

少し調べると、Jody Reynolds「Endless Sleep」という曲があります。

ジョディ・レイノルズが、エルヴィス・プレスリーの「ハートブレイク・ホテル」にインスピレーションを得て作った曲で、元々の歌詞は、デス・ソング(彼女が亡くなる)だったのですが、レコード会社からの意見を取り入れて救ったことにした(「I saved my baby from an endless sleep」という歌詞に変えた)そうです。

この曲はTeddy Bearsとカップリングになっているレコードもあるようなので、大滝詠一がそれを聴いていた可能性もあるし、あるいはカントリー好きなのでHank Williams Jr の歌を聴いていた、あるいは同名異曲でニック・ロウが歌ったものを参考にしたのかもしれません。

つまり、この「Summer Breeze」という曲は、亡くなった(endless sleep)人に向けた曲ということを意識して作った曲なのかもしない、というのが今回の結論です。

「Summer Breeze」は、有明の月の下で、亡くなった最愛の恋人だったり、肉親だったりを思って歌う歌なのだと思うと、アコギ一本で大滝詠一が歌うこの曲に感じる風は、これまでより少しヒンヤリとしたものになるのではないでしょうか。




  • 「Summer Breeze」の謎を追え(その4)
Green Light 仄かに光るアスファルト」の謎を追え!

雑誌『PEN』(2021年3月15日号)に、「Velvet Motel」についての松本隆のコメントがありました。

「(もととなった題材は)昔、ハリウッドのモーテルで、偶然、伊勢正三とプールサイドで詞のはなしをしてた。」

「Velvet Motel」は、『A LONG VACATION』の中でも作詞家松本隆のカラーが濃い歌詞だなと思うのですが、なぜこの曲(メロディ)にモーテルの詞がついたのか、深読みをしてみたいと思います。

いきなり推測から始まりますが、大滝詠一は、アルバム2曲目を高音で(裏返った声を入れながら)歌うクセがあった、言い換えると2曲目は高音で歌いたかった、のではないでしょうか。

これまでの大滝詠一のアルバムでは、A面2曲目に高音で歌う曲を入れることが多いように思います。

『ナイアガラ・カレンダー』の「Blue Valentine's Day」もそうですし、『大瀧詠一』の「それはぼくじゃないよ」もそうです。

忘れていましたが、『風待ろまん』の2曲目「空いろのくれよん」もそうです(Thanx!@metalside)

ここからはすべて妄想ですが、「Summer Breeze」という曲を作ったとき、大滝詠一は「それはぼくじゃないよ」のような曲を作りたくて、光、風、眠りの要素をいれて曲を作ったのではないでしょうか。

そして、久しぶりのアルバム『A LONG VACATION』を「ボーカルをメインとしたJ.D.サウザー『You're Only Lonely』のようなアルバムとする」というコンセプトを決めた時に、2曲目にはこの「Summer Breeze」を入れようと決めた。

新しいVOXでは、ロンバケの曲順が前後していく様子がうかがい知れますが、「Summer Breeze」はずっと変わらずにM2(2曲目)となっています。

それで、大滝側から、詞をつけるにあたっては、大滝=松本コンビ「それはぼくじゃないよ」の続編の詞を作ってほしいということを頼んだのではないでしょうか。

つまり、デモテープを渡し、この曲に松本らしい色をつけて欲しいという注文です。(色をつけてくれ~♪)

具体的には「まぶしい」の中で「眠っている」君を「ただの」がのぞきこんでいた、あの2人が今、どうしているかを書いてほしいということ。

松本隆が思いついたのは(あるいは「光、眠り、風」という3題話でお願いしたいと大滝から依頼があって入れ込んだのは)、
「仄かに雨に光る」アスファルトをみながら、今日は「ソファーで」る自分のいる「傾いてる景画ひとつ」だったのではないでしょうか。

さらにもう少し妄想をたくましくすると、「それはぼくじゃないよ」でクレジットしている、ちぇるしいに歌わせるとしたらどんな歌詞がよいか考えたのではないでしょうか。

ちぇるしいは、大滝詠一がジョニ・ミッチェルの「Chelsea Morning」を弾き語ったのを聴いていたラヴィン・スプーンフル・ファンクラブの女の子からつけられたあだ名です。(この大滝版「チェルシー・モーニング」聞いてみたかった!)

そのジョニ・ミッチェルは、たとえば「Carey」のように変幻自在に裏声を操っています。今回のアルバムで、大滝が「ちぇるしい」として、こうした歌の男性版を歌おうとしているということも話したのかもしれません。

ジョニ・ミッチェルの曲をみると、実に色に満ち溢れた歌詞となっています。

Big Yellow Taxi」でのピンクのホテルと駐車場(アスファルト)や「Blue Motel Room」の青い寝具なども頭にあったのかもしれません。ジョニ・ミッチェルとは全然関係なく、フィッツジェラルドの『華麗なるギャツビー』 で印象的に使われる「グリーン・ライト」(青信号)などのシチュエーションが用いられたのかもしれませんが、「Velvet Motel」の歌詞は、「Summer Breeze」以上に、時々ひっくり返り(最後は本物の女性の声になる)ちぇるしいの歌声に色どりを与えているように思います。

  • 「Summer Breeze」の謎を追え(その5)
「ドラムパターン」の謎を追え!
「Velvet Motel」は、「Summer Breeze」(デモ)より複雑なリズムが続き、それが曲としての魅力となっています。アコギを重ねた「Summer Breeze」の完成版も聞きたかったですが、やはり「Velvet Motel」は完成度の高い曲だと思います。

昔から気にしていたリズムは、キャプテン&手ニールの「Love Will Keep Us Together」ですが、なぜこんなリズムをいれたのかについてを少し追ってみました。

最初、この文章を書こうと思ったときに考えていた結論(推測)は、『ロングバケーション』というアルバムは、これでダメなら引退をかけた、復活の狼煙をあげるアルバムなので、ニール・セダカ『Sedaka's Back』やエルヴィスの『Elvis Is Back』のように「Each's Back」の視点で、関係するものをすべて入れようとしたというものでした。

「Only the Lonely」を『Elvis Is Back』でエルヴィスが歌う可能性があったという記事をみたときに、その思いを強くしました。ロイ・オービソンもニール・セダカも不遇の時代をすごしてヒットを出したという過去と照らし合わせると、捲土重来、夢よ再びALVです。

でも、それだけが結論ではイマイチかなと思っていたところに、今回の4万字発言でなるほどと思ったのが、「ドラムパターンが74と同じです」の発言です。

「サイダー74」にかかるコメントを2つほど引用します。
1「大瀧ポップスの最初の完成品です。ここに<はっぴいえんど>も、2年後の『夢で逢えたら』も、6年後の『ロング・バケーション』も、全てが含まれていると思います。」

2「このころは複合リズムですよ。裏打ちのビート、それとパーカッションと間に打つ変形のリフ、それにオルガンなんかも入れて」

「サイダー74」はニューオリンズです。ニール・セダカ「Love Will Keep Us Together」を聞いたとき、ビーチボーイズの「Do It Again」を複雑にした曲だなと思いましたが、Eddie Bo、Willie Tee、Robert Parkerなどを聴くと、ニューオリンズのリズムは多彩だなと思います。

ニール・セダカ自身に、後年「ニューオリンズ」という曲もありますし、『ナイアガラ・ムーン』の解説でもありましたが、ニール・セダカ「Sweet Little You」で楽しい夜更かしをしています。この曲、裏声も多用していますので、ロンバケではリズムを極地まで試してみようと思ったのではないでしょうか。

まだまだ、ニューオリンズは追っていく必要があると思っています。

ということで、最後はなんだか尻切れトンボですが、最後は個人の興味で1人で追いかけていく必要があるということで、歌詞を一節づつ。

J.D. Souther「You're Only Lonely
「You're Only Lonely~♪」

平野愛子「君待てども
「諦めましょう 諦めましょう  わたしはひとり~♪」

大滝詠一「Velvet Motel」
「今夜はソファーで寝てあげるよ. Lonely night~♪」

おあと、おおぜいm(__)m。


<註1>
大滝=内田樹対談「文藝別冊 大瀧詠一」河出書房新社 
2005年8月16日 山の上ホテル内田樹対談での発言をいくつかピックアップします。

#『ヴェルヴェット・モーテル』なんてコミック・ソングかと思うぐらいにひっくり返しましたが、あんなにひっくり返しが多いのは、当時としてはマヒナスターズ以外では日本歌謡史上初でしょう。

#ハワイアンはみんなファルセットでやるから。マヒナスターズもパラダイス・キングもそう。ラテンのトリオ・ロス・パンチョスの『ラ・マラゲーニャ』でもひっくり返しが長いし、デル・シャノンも『悲しき街角』の時に感極まってひっくり返す。

#その前にルー・クリスティという歌手がいて、『トゥー・フェイセズ・ハブ・アイ(二つの顔を持つ男)』という歌があるんですが、最初は地声で歌うので『トゥー・フェイセズ・ハブ・アイ』。多重人格障害の初期のものなんだよね。

#大笑いなのは城卓也の『骨まで愛して』の第二弾のダブル・ジャケットで、片方は『骨まで愛して』調の『愛する人はただひとり』なんだけど、片方は『トンバでいこう』と言って、ヨーデルなんだよね。あの人はカントリー歌手なんだけど、カントリーにファルセットが入って、片方はムード歌謡で片方はヨーデル。『トゥー・フェイセズ・ハブ・アイ』。つまり城卓也は日本盤のルー・クリスティなんだよ。表と裏ーーハレとケでもいいし、正常と狂気でもいいけれどーーの落差というと、もちろんセクシャリティもあるけれども、ショック度もある。

#歌謡や芸能のなかには表と裏があって、それを歌唱法のなかにもとめたのが平野愛子にあるんじゃないかと考えたので『ヴェルヴェット・モーテル』で男性の声でひっくり返しをやったりしたんだけれども、意味もなくいちいちひっくり返すというのは珍しかった。

個人的な想い出ですが、当時、一番歌謡曲にハマっていました(ミス・コロムビア「ふんなのないわ」とか、灰田勝彦「森の小径」など)。ここでのカントリーへの言及がなんとなく体感できるようになってきたのは、最近です。

<註2>
大滝リリカルソングの変遷

これまでの大滝リリカルソングの歌詞を色付けして並べてみました。自分の作品で同じモチーフを繰り返し使う(換骨奪胎する?)ことが非常に多いですが、その変遷をみてみます。

「Summer Breeze」
窓辺より添えば そよぐ / よせる 波の音 耳元に はこぶ / Summer Breeze(SB) / 
まだ来ぬ月影に おもふ / 首かしげ すずしい /(SB)(SB)/ 
空の星 まばたき / はるかな眠り 誘う Endless Sleep / 
とけだし 残る月 / (SB)  / はなびら 舞い踊る / (SB)(SB)

「ナイアガラムーン」
霧に覆われた ナイアガラの / 佇む二人 漂うシルエット / 聞こえてくるよ 滝が奏でる / ロマンチックな調べ 子守唄 / ゆらりゆらゆら 月影揺れて / 今宵二人きり ここで ここで過ごそう/ 星が瞬く瑠璃色の / 寄り添う 二人 浮かぶシルエット / (略)

「夜明け前の浜辺」
あたりをおおう 波の音 / 砂の上に 横たわり/ 僕の声は からだで / 君は受けとめ 目をとじる / 丸いが名残り惜しげに / 海に浮かぶ / 明け前の浜辺で 二人を照らす うすあかり / (略) / 残るの遠い独言

「今宵こそ」
今宵こそ この胸の つのる想いを 君の耳もとで打ち明けん / 今宵こそ そよぐ風に 君の 髪が揺れて リボンをむすぶよ / 今宵 今宵こそ 君の 熱いその胸

「真夏の昼の夢」
夏の昼下り 揺れる / 日ざし 浴びて / ぼくは深い 眠りに / 誘われるまま ゆらり
夢に現れた 人魚とぼくは 泳ぎ出す(略)
夢の 波の音は いつか きいた 子守唄 / 終りのない すき透った調べ / 真夏の昼の夢

「DOO-WOP! TONIGHT」
Tonight 今宵こそ 影の 渚で/ And Tonight 汚れない この愛を打明けたい / Oh My (略) / Tonight 小(さざなみ)が 消してゆく/ 二人のイニシャル / Oh My (略)/ Tonight 離れない 岩影に寄りそう シルエット / Oh M(略)  IN THE NIGHT

「泳げカナヅチ君」
カメに別れを告げてはるかな 彼方へ Go! カナヅチ君 Go! 泳げ泳げ泳げカナヅチ君

(2021/4/25追記)
「今宵こそ」のリボンも「ボタンとリボン」でないし、と追いかけていたのですが、

「長崎のザボン売り」より
 髪に結んだ リボンも可愛い 可愛い娘 ああ 長崎のザボン売り 
 風がそよそよ 南の風が 港長崎 ザボン売り
ということで、“今宵”のリボンは、長崎からの風に吹かれているのでしょうね(^^)

さらにおっかけるのが、ナイアガラ・ファンの「宿命」!?
この「長崎のザボン売り」は、北原白秋の詩『思い出』の中の
『朱欒(ざぼん)のかげ』と『人形つくり』にヒントを得て“ザボン娘”を
イメージして作詞したとのこと。

思ひいづるそのかみのTYRANT. 狂ほしきその愉樂………… 今もまた匂高き外光の中 あかあかと二人して落すザボンよ。 その庭のそのゆめの、かなしみのゆかしければぞ、 弟よ、 かかる日は喧嘩(いさかひ)もしき。 『思ひ出』-朱欒のかげ

さらに少し検索すると、本居宣長も、亡き父母のことを思い、こんな歌を詠んだそうです。
「思ひ出る そのかみ垣に たむけして 麻よりしげく ちるなみだかな」
まさに連鎖が連鎖を呼ぶ、分母分子論です。





So Long

2020-03-02 00:28:39 | GO! GO! NIAGARA
"Happy Ending" 大滝詠一の続きです。

やはりファッツ・ドミノなのでしょうが、
「Blue Moon」のようなこの曲を聴いて、このカヴァーでもよいなぁと思いました。

The Four Aces - So Long (1954)


制作側も「So Long」を最後にするか、
「Happy Ending」を最後にするか迷ったでしょうね。
思い切って、A面の最後を「So Long」にしてもよかったかも!?
まぁ、言うは易し行うは難し。出るだけ有難いことなのです。




東独大使館を追え!

2019-04-20 04:30:07 | GO! GO! NIAGARA

〇伊藤アキラさんの推理

 伊藤アキラさんが『週刊てりとりぃ』に”「名月赤坂マンション」は今”と題して、2回にわたり『Niagara Calender'78』の「名月赤坂マンション」についての考察を書かれています。

 内容もさることながら、そのユーモアあふれるあたたかい語り口に、読んでいてジンときます。これからも自伝準備が続くのが楽しみです(^^)。

記事はこちら↓

〇1回目 自伝準備稿 第3回 「名月赤坂マンション」は今

 ・「名月赤坂マンション」の歌の下敷きになっているのが、国定忠治「名月赤城山」であることが述べられています。

〇2回目 自伝準備稿 第4回 続・「名月赤坂マンション」は今

 ・「名月赤坂マンション」の歌詞の出自として、三橋美智也「お花ちゃん」、三波春夫「東京五輪音頭」、松尾和子&和田弘とマヒナスターズ「お座敷小唄」など具体例があげられ、実際にどこに赤坂マンションがあったのか、赤坂マンションの場所についての推理が展開されています。

 「お座敷小唄」は、「ゴー・ゴー・ナイアガラ」でもかかった昔から好きな歌です。以前、この歌について、追いかけたこともありました。

 「名月赤坂マンション」という曲は、自分も『ナイアガラ・カレンダー'78』の中で大好きな曲で、「歌の下敷き曲」も「東独大使館の位置」も、調べたことがあり、非常に興味深く拝見しました。

・・・ということで、この機会に、自分なりの推理を再度まとめてみました。

 

〇東独大使館を追え!

東独大使館を手掛かりにするという伊藤アキラさんのアプローチは、まったく同じ方法を自分も試したことがあるので、そうそう!と大きくうなづきました。

「向かいにゃ、東独大使館~♪」。ということで、ネットを使い、手がかりとなる東独大使館を探すと、

「東ドイツ大使館」が現在の「ドイツ文化会館」になった

という情報に遭遇します。ドイツ文化会館の住所は「港区赤坂7丁目 5-56」。

伊藤アキラさんは、ネットで大使館について調べた人の情報なども探りながら、

1.ドイツ文化会館の竣工は、1979年(東ドイツ大使館が存在していたころ、時期的に建つわけがない)

2.「ヨーロッパ・ドライブの旅」(伊木俊二著)に「ドイツ民主共和国大使館 東京都港区赤坂 7-5-16 赤坂マンション」と書かれていると調べた人がいる。

3.「向いにゃ東独大使館」という歌詞から、大瀧会社と大使館は同一建物でないハズ。大使館と領事部が分かれており、大瀧会社と領事部のある「名月赤坂マンション」は「赤坂7-5-17(16?)」にあった。この敷地は四方が道路で囲まれていて、大使館はどちらかとされていました。書き方も面白いです(^^)

 

自分の推理。

1.歌詞の最後が「稲荷坂」となっています。この歌詞は"実録"なので、ナイアガラのオフィスをたたむときに、月を見ながら稲荷坂を通ったことがあるということで、赤坂マンションは稲荷坂に面しているのではないか?

→赤坂の近隣に「稲荷坂」を発見!

 

2.地図を見ると、「ドイツ文化会館(現:東京ドイツ文化センター)」と「稲荷坂」は面していないことがわかります(オレンジが稲荷坂)。

→文化会館の建設時期は気にとめていませんでしたが、まず、2つの可能性を考えてみました。

(案1)大使館は文化会館辺りにあり、直接坂には面していない。赤坂マンションだけが、稲荷坂に面していて、マンションから大使館が見えた。

(案2)文化会館とは異なるところに大使館もあった。

(案1)を検討するために稲荷坂から面した建物から会館が見えるのだろうか?考えてみました。上り坂のため、高い建物が建築されていたら見える可能性もあります。ただし、入り組んでいて、古い地図もみましたが、向いとして見えそうなポイントが見当たらない。→やはり文化会館ではなく、別の建物(案2)ではないかと考えました。

 

 3.同時並行で、当時の「東独大使館」の位置についての文献を検索しました。

→大使館が赤坂マンションにあったという、文献を発見することができました!

「ドイツ民主共和国大使館」赤坂7-5-16 赤坂マンション
*出典「区内における外国公館」外務省大臣官房儀典官室発行(昭和53年5月1日現在)港区/デジタル版 港区のあゆみより

東ドイツが「ドイツ民主共和国」って、当時小学校で習っていたっけなぁ、でした。

 

4.赤坂マンションが「赤坂7-5-16」にあったというキーワードを目にして、ふと、あることに思いつきました。

そもそも、この赤坂マンションは、何のために設置されたのか?

それは、仕事のために都内に用意されたオフィスということだと気づきました。わざわざ福生までくるのが大変な人のためのオフィスで、当初は常勤の人がいて、「Go!Go!Niagara」のコピー・サービスもやっていた場所。住所も、ファンに分かるように、ラジオでしゃべったり、広告を出したりしていなかったっけ?ライナーにも載っていたハズだ!

→ナイアガラCMスペシャルのライナーから、ナイアガラ・オフィスの位置を発見!

無事に赤坂7-5-16の202号室だと特定しました(^^)v

(正確には、エンタープライズ内にある"信じられる耳を持つ努力をしよう会"ファンクラブの住所を発見しました)

 

5.住所が「7-5-16」で、東独大使館とピッタリ一致!伊藤アキラさんがたどり着いたのと同じ結果になりましたが、同じ疑問が残ります。大使館と会社が同一住所でいいのか?という疑問です。

 ここからはさらなる推測になります、先の外務省の資料には、大使館の住所が色々と掲載されています。

例えば、イエメン民主人民共和国大使館は「赤坂9-5-26 赤坂ハイツ」、ウルグァイ東方共和国大使館も「赤坂9-5-26 赤坂ハイツ403号室」。つまり、あまり大きな大使館でなければ、マンションの一室が充てられていたと考えられます。

わが国との関係は,73年の国交樹立以来,文化交流が盛んに行われ,75年の貿易額は総額で7,776万ドルであつた。
出典:「昭和51年版わが外交の近況」外務省

 同じ青書によると、西欧との貿易は「日本通関統計で輸出81億3,089万ドル(FOB),輸入43億9,541万ドル(CIF)」とのこと。日本と交流はあるものの、規模的にそれほど大きなものではなかった可能性があり、こうした大使館では、大使をはじめ数人が勤務していて、届いてきた手紙を本国に送付するくらいの事務処理が出来れば、あまり不都合がないものと思われます。ナイアガラの事務所も、そこで「音作り」をするわけではなかったので、202号室で、ファンがダベる場所があったり、電話がおいてあったりする、そういった規模感だったはずです。

ということで、自分の推理は、大滝会社事務所と同一住所だと見えない、”向かいにゃ”の向かいもマンションの1フロアー。つまり、マンションの廊下を挟んだお向かいさん、ということではないか?というものです。

1階に何部屋の貸しスペースがあったのか定かではないですが、例えば4部屋あったとして、

結論! 

東独大使館は「赤坂7-5-16 赤坂マンション 2階、ナイアガラ事務所向かい201号室!」にあった。

 
 一応図解しましたが、月が見えるため、南向きで窓もあると推測しました。坂はクダリなので、隣に高層マンションが建っていない限り月は見えそうです。9月の満月ですと午後6時に月の出、午前5時が月の入りですので、深夜会社の縮小を感じながら、シミジミと月を見るとしたら、午後10時頃でしょうか。「右に見える」なので、他人の家は南西に位置することになります。

(修正)現地にいくと、リキアパートが非常に高い建物でしたので、南に月がでているのを見ることは出来ないようです。月の位置と時間をを訂正します。
月齢カレンダーによると1977年の満月は9月27日。
月の位置計算ソフトを使うと、西南西に月がみえるとしたら、午前三時(宵の頃!)というところだと推定します。




 (修正終了)

 ただし、ここで1つ、気になる点が出てきてしまいました。「右に見える」と言った後、「向かいにゃ」とするには、"振り返らないといけない"のです。そうしないと「後ろにゃ」となってしまうのです。
 
 トルストイは、その作品内で延々と細かい描写を列挙する作風でした。例を挙げると、「"一方の壁"には地図が掛かっていた」と書くと「"別の壁"には下に通じる戸口があって、"一方に"定規が2本かけてあった」と書いて補足を行い、さらに「定規の1つは私たちのもので、もう1つは家庭教師イヴァノーイッチのものだ」など2本の定規の説明までしてしまいます。これにより、あえて感情を書かなくても登場人物の心情を描写しています。
 
 大瀧詠一も、「対」にコダワリます。「右」と書くと必ず「左」が登場するので、「右と左をよく見て渡ろう横断歩道」ですし、「イカした」ことには「タコウエ」がついてまわります。けれども、描写を詳しくすることで、感情を表現したというより言葉遊びの要素が強いのだと思います。また、音で受け手のイマジネーションを強く出る効果があったのだと思います。本人が「東独」が「届く」につながることを意識したと書かれていたので、あとはリスナーに耳で訴えかけるためのごろ合わせなのかなと思っています。つまり、「後ろに届く」は、イマジネーションしづらいので、「向いにゃ~」と歌ったということで、どうでしょうか?
 
 この件は、ゴーゴーナイアガラのリスナーで、実際のナイアガラオフィスを訪ねたことがある人が多くいると思いますので、真実はすぐにでもあきらかになるのではないでしょうか。ぜひ、情報求む!です。
 部屋が北東でも203号室でも、オラ知らねぇ~です(^^)

 

〇たそがれ忠治を追え!

続いては、伊藤アキラさんの指摘( )に加え、2番の自分の推理を< >で書きました

今宵可霧か この室も
可愛いい 社員と 別れの門出 (→国定忠治)
名残り惜しいは お互いさ  (→お花ちゃん)
あの日 ローマで ながめた月も(→東京五輪音頭)
今月今夜の この月も    (→金色夜叉)
あー 
月に変りは ないものを   (→お座敷小唄)

右に見えるは 他人の家
向いにゃ 東独大使館 <→園歌?>
見慣れた 景色とも
おさらば アバヨ <→おさらば東京&縁があったらまた逢おう>
ニッコリ笑って無い袖振れば <→たそがれ忠治>
千切れテープが風に舞う  <→憧れのハワイ航路>
あー  <→港町十三番地>
月も泣いてる 稲荷坂 <→月の法善寺横丁><→あゝ田原坂>

 

 いちおう、それぞれの歌詞の出自の推察などを書いておきます。

右に見えるは 他人の家
向いにゃ 東独大使館

 自分はこの曲では、この2行が一番気に入っています。「他人(ひと)の家」って当たり前ですが、大使館との対比が印象的です。先にも書きましたが、本人は「東独」を歌うときに「届く」と捉えられるかもしれないと意識して歌っていたということ。月に思いが「届く」ということを連想することが出来るようにしていたのかもしれません。

 「大使館の横」と言えば、圓歌。

 珍説となりますが、落語家は900人といる中で、自宅の隣が大使館なのは圓歌だけだと歌之介がネタにしていました(*)。多分、圓歌本人も昔から話していたでしょうし、演芸好きの大滝さんの頭の中にも、大使館が隣にある(=金持ち)ことをネタにしようという考えがあったのかもしれません(珍説どまり)

 *正確に言うと、三遊亭歌之介改め四代目三遊亭圓歌が三代目三遊亭圓歌のことを話していた

 「右に見えるは」調査中デス。

 

見慣れた 景色とも
おさらば アバヨ<おさらば東京>

 自分には、歌詞カードをみるクセが無いので、「おさらばぁ~ヨォ~!」と歌っているとばかり思いこんでいた箇所なのですが、さらっと「ばよ」と追加して言っていますね。

 これは、もちろん三橋美智也「おさらば東京」の「思い出消えるところまで あばよ 東京 おさらばだ」の「あばよ」から来ていて、「あばよ」と「おさらば」をひっくり返した形になっています。

 もしかしたら、1番の歌詞に「お花ちゃん」を使ったので、2番に「おさらば東京」を、とAB面のカップリングを狙ったかもしれません。三橋美智也は「あばよ」という曲も歌っていますが、これらのもとになるのは、三橋美智也「縁があったらまた逢おう」の「あばよさよなら 港の鴎♪」でしょう。橋幸夫「潮来笠」まで続く、マドロスものの流れの曲で、三橋美智也でも初期にヒットした大好きな曲です。

  

 

 また、「名月赤坂マンション」は、イントロがクレイジー・キャッツの「たそがれ忠治」からの頂きで、アレンジがJohnny Nash 「I Can See Clearly Now」だと、大滝詠一本人がこれまでのインタビューで述べています。

たそがれ忠次


 「たそがれ忠治」は、「面倒みたヨ」の恩着せがましい感がチョッと残っていますので、単に「国定忠治も落ち目だねぇ」という、自虐の意味合いが強く出てしまい、ナイアガラの終焉が重くなってしまいます。

Johnny Nash - I Can See Clearly Now

 そこに「I Can See Clearly Now」のアレンジを重ねることで、「雨があがって好転へ向かう」という”思い”を込めているのかもしれません。多額の借金を背負っても、音にはその侘しさを一切出さない強さを感じます。

 このやるせない悲しみをジメッとしたものにしない世界感は、クレージー以上に、先に歌詞であげた「縁があったらまた逢おう」(作詞:矢野亮、作曲:船村徹)や、「おさらば東京」(作詞:横井弘、作曲:中野忠晴)に近いのではないかなと思います。それは曲調もさることながら、三橋美智也のサッパリとした歌声に起因するところも多いと思います。

 ナイアガラカレンダーでは、「月」をテーマにしたモチーフでしたが、「太陽」だったら「赤い夕陽の故郷」のような、もっと中野忠晴色が濃いスケールが大きい作品にしあがったのかもしれません。

 脱線しますが、借金と歌と言えば、「熱き心に」が小林旭の借金を返すのに役立ったということも思い起こしてしまいます。大滝詠一「Pap-Pi-Doo-Bi-Doo-Ba物語」は、三橋美智也の「おさげと花と地蔵さんと」の「あれから三年 もう三月」、村田英雄「王将」の「あの手この手の 思案を胸に」、村田英雄(徳山璉かも)「侍ニッポン」の「きのう勤皇 あしたは佐幕」など、歌謡曲の歌詞がてんこ盛りで、アーティスト名は大滝詠一と「昔の名前で出て」きて、「赤坂」の仇を「信濃町」で返しています。

 

ニッコリ笑って無い袖振れば<→たそがれ忠治>
千切れテープが風に舞う <→憧れのハワイ航路>
あー<→港町十三番地> 

 美空ひばり「港町十三番地」の「涙こらえて 乾杯すれば 窓で泣いてる 三日月様よ」や、

岡晴夫の「憧れのハワイ航路」の「別れテープを 笑顔で切れば」の要素があると思います。

 全般的には、先にあげたクレイジーキャッツ「たそがれ忠治」の「風のまにまに流れる雲を 見れば身にしむ胸にしむ」と同じ型なのかなと思います。

 ここでウマいのは、連絡船の出港で使われる「紙テープ」と「録音テープ」を掛詞としたことでしょう。実際に録音用のテープがおいてあるのはFUSSA45スタジオなので、赤坂マンションにはテープはなかったのでしょうけれども、武士は食わねど高楊枝の精神ながらも、テープが風に舞っていく様子を印象的に描き、捲土重来を期していることもヒシヒシと伝わってきます。何度も登場する三橋美智也「縁があったらまた逢おう」の3番の歌詞は「どうせつなげぬ ちぎれたテープ 未練残さず 波間に棄てて 別れ汽笛を 思い切りよく 鳴らしておくれ」です。

 また脱線しますが、「スピーチ・バルーン」は元々、「別れのコラージュ」という題名にするかもしれなかったと聞いています。この曲は「暗い海へのパッシング」が印象的ですが、「投げたテープが絡まる」別れと「千切れたテープが舞う」別れ、いずれも切ないもので、ロンバケ作成の時に松本隆に「別れの紙テープ」をモチーフに書いてくれと頼んでいたとしたら、面白いなぁと妄想しました。

 

あー<→港町十三番地>

 「あ」から始まる曲の流れは、伊藤アキラさん作詞の「サイダー」(通称:あなジン)や、大滝詠一「Pap-Pi-Doo-Bi-Doo-Ba物語」の「アツアツふたりは恋人さ」などありますが、歌謡曲の王道は途中に「あー」が出て来る“あゝ歌謡曲”(←今名付けた)の系譜があげられることでしょう。

  例えば、新川二朗「東京の灯よいつまでも」には「ああ 東京の灯よいつまでも」と使われていますし、三橋美智也「あゝ田原坂」でも 「あゝ散るが花かよ 田原(たばる)坂」と使われています。特に、美空ひばりの「港町十三番地」の「あぁ」は、「涙こらえて 乾杯すれば 窓で泣いてる 三日月様よ」のあとに「ああ 港町 十三番地」となっていることから形式としては一番近いように思います。こうした“あゝ歌謡曲”は岡晴夫の「ああ 憧れのハワイ航路」から、連綿と続いていると感じます。曲によって、影響の強弱があっても、「あー」を入れた曲作りをしたことで、重層的にいくつもの“あゝ歌謡曲”を思い浮かべることができるようになったのだと思います。

 

月も泣いてる<→月の法善寺横丁>
稲荷坂<→あゝ田原坂>

 藤島桓夫「月の法善寺横丁」にある「月も未練な十三夜」から「月も」がきているのではないかなと思います。「月の法善寺横丁」も「ああ 若い二人の 想い出にじむ 法善寺 月も未練な 十三夜」と、“あゝ歌謡曲”です。

 「名月赤坂マンション」には、元々セリフを入れることも検討したけれど、布谷さんの「アミーゴ~!」を入れることで作品がよくなった、ということを大滝さんはコメントでいっていたハズですが、まさにそのとおり。セリフが入る有名曲「月の法善寺横丁」の1フレーズ(月も)をいれて来たるべきアミーゴを予告した上で、布谷文夫の「アミーゴ~!」が爆発する、“あみ~ご歌謡曲”です。

 坂のほうは、「九段の母」二葉百合子でも最後に「九段坂」が登場しますが、どちらかというと、これまた“あゝ歌謡曲”構造から、三橋美智也「あゝ田原坂」がモチーフかなと思っています。作詞:高橋掬太郎、作曲:山口俊郎の雰囲気ある作品です。山口俊郎は、「福生よいとこ」の作者でもあります。

 

 歌謡曲には、東京を出てきて、なかなかうまくいかず、故郷を思う思いなどを「月」を題材としてとりあげる作品が色々とあります。

 例えば、山中ひろし「夢ば見ていた東京さ来たが」(♪話す相手もお月様~)、三波春夫「チャンチキおけさ」(♪月がわびしい路地裏の~)、藤島桓夫「お月さん今晩は」(♪リンゴ畑の お月さん今晩は)、高田浩吉「名月佐太郎笠」(♪月も今夜はひとり旅))

 こうした「月」の物語だけに縛られることなく、あれこれアイディアを思いめぐらせる(伊藤アキラさんは「大瀧さんの脳内に沈殿していた日本の芸能遺産を縦横無尽に使い倒し」たとした)作風は、布谷文夫の「深南部牛追唄」から「Pap-Pi-Doo-Bi-Doo-Ba物語」まで変わっておらず、「名月赤坂マンション」は、いかにも大滝さんらしい作品だったんだなぁと再度、思いかえすよいきっかけとなりました。

 ナイアガラの作品は、星菫派ではなく、「霧に覆われた」ぐらいがちょうどよく、ピカピカの満月はあまり似合わないように思いますが、「夜来香」ではないですが、今年の中秋の名月には「つきぬ思い出」を胸にしながら、都の空を照らす月に思いを馳せてみるのも悪くないかなと思っています。

 

 


俺とletのスペシャルな関係

2019-03-30 23:45:13 | GO! GO! NIAGARA
ジョニー・リヴァース「Midnight Special」
Let the Midnight Special, shine its a ever-lovin' light on me.
 
「NIAGARA CM SPECIAL Theme」は10秒でも印象的な曲。歌詞が同じということは分かっていたが、久し振りに聞いて、ジョニー・リヴァースがやりたかったんだなと改めて気づいた。
 
1つめの気づき
ジョニーのアルバム『Here We à Go Go Again!』は、「Go! Go! Niagara」と語呂としても関連が強いなぁ!

2つめの気づき
「NIAGARA CM SPECIAL Theme」
この20年間「オレとNiagara CM Special! shine its a ever lovin' light on me.」
だとばっかり、思っていたが、もしかして、俺とでなくLetと発言していた!?
 

「 Let The Good Times Roll」
だったり、LETものを重点的に当たらなければならないかも。
Let it Beではないことはわかるけど、色々ありそうで
”天竺”は通そう。
 
Fats Domino - Let the Four Winds Blow
 
一番気になっているのは、最初のピアノの低音から高音縦走。あれはだれ?
 
 

When a House is Not a Home

2016-02-15 02:56:18 | GO! GO! NIAGARA
先日の大滝詠一『Debut Again』の「Tall Tall Trees 〜Nothing Can Stop Me」は誰を念頭にカヴァーしたのか問題の続きです(オリジナルが誰かを追う、ではなく、誰のバージョンを念頭にセッションしたのかを追う!です)

ジョージ・ジョーンズか、ロジャー・ミラーか、ですが、少し調べればすぐ解決でした。前回、時間かけずにだらだら書いただけでしたが、今回も時間取れず要点のみ。

(1)直接証拠
2013年1月8日@each_bot
「いいんでしょお? 自分のお金使ってサ、なけなしの金はたいて、スタジオで遊んでんだよ、退屈だから。プレスリー歌ったりとかさ、ロジャー・ミラーをカバーしたりとか好きにやってんですよ」 (1999/FM)…細野=大瀧対談

(2)間接証拠
エルヴィスの解説『エルヴィス 1968 ベスト』でも、「ギター・マン (Guitar Man)」
<ナッシュビルの希望の星>の若者が登場します。若者と言っても、キャリアはそれ相当に積んで来た人で、特にそのギタリストとしての腕は相当な評判でした。その人物とは<ジェリー・リード>で、その<登場の仕方>は「解説」に詳しく書いてあります。彼のキャリアを見ますと、60年代初期に2枚のシングルをリリースしています。色々なナッシュビル・セッションに顔を出していたようですが、私が目にしたのはロジャー・ミラーの62年のセッションで、「トラブル・オン・ザ・ターンパイク (Trouble On The Turnpike)」という曲で、リードのギターがフィーチャーされています。(因みに、R・ミラーも殆どが例のバック・メンの作ったサウンドです) エルヴィスがJ・リードをピック・アップした事が《原点回帰》の象徴となりました。
(略)
 ここでエルヴィスが思いだしたのは、自分にはブルース・ベイシックなシンプルなロックが似合っている、ということ。ギタリストを初め、ミュージシャンと<直接>語り合うことの楽しさ、だったでしょう。50年代はモチロンのこと、60年代初期も殆どが<一発録り>でした。マルチ録音の多用から演奏と歌との分業制が確立され、エルヴィスの歌から本来のパッションが消えて行きました。まさにこの日は、その60年当初、それよりももっと前のサン時代をも思い起こさせる<素朴>なセッションとなり《原点回帰》に成功したのです。

ということで、再度、ロジャー・ミラーのバージョンでファイナルアンサー。

Tall, Tall Trees-Roger Miller


Nothing Can Stop Me


スタッフがバディ・ハーマンのドラムほか、エルヴィスのセッションメンバーとしてもおなじみの「例のバック・メン」なのは前回も書いた通り。

Harold Bradley, Ray Edenton, Chip Young - guitar
Charlie McCoy - guitar/bass/vibes
Buddy Emmons - steel
Bob Moore - bass
Buddy Harman - drums
Buddy Spicher, Tommy Jackson - fiddle
Hargus Pig Robbins - piano
Recorded:Jun/1970, Nashville

やはり、大滝詠一リハビリセッションは、原点回帰でエルヴィスとその周辺を気のおけない仲間と録音したのでしょう。
で、ここからは、予想(妄想)コーナー。

ほかにどんな曲が録音されたのか?
Roger Miller... "Husbands and Wives" 1966

ピアノがきれいな、エヴァリーも『Pass the Chicken & Listen』で取り上げた曲。Brooks & Dunnで1998年にNo.1ヒットとのことでリハビリセッションが1年遅かったらやったかも。


AREA CODE 615 - TRIP IN THE COUNTRY (1970)

ロジャー・ミラーのアルバムとタイトルが同名なので、ついでに取り上げる。「Katy Hill」は、多羅尾伴内楽團「337秒間世界一周」でもおなじみ。でも、インストなので、声のリハビリならず?

Std-Spider/Tony Joe (1970) Tony Joe White

負荷をかけたリハビリ、一番つらいところに挑戦するとしたら、こんな曲では?雨はてんのー、雨はテンのをぉ~。

DEBUT AGAINの謎を追え

2016-02-07 21:47:49 | GO! GO! NIAGARA
初回限定盤のボーナストラックの概要が出そろったよう。
<以下、引用>
1997年、大滝詠一が約1か月にわたり極秘裏に行なった通称《ナイアガラ・リハビリ・セッション》より、ジーン・オースティンの歌でヒットしたポップスのスタンダードナンバー「私の天竺」とエルヴィス・プレスリー作品のカバー音源「陽気に行こうぜ~恋にしびれて(2015 村松2世登場!version)」、また植木等の歌唱が懐かしい「針切じいさんのロケン・ロール」(オリジナルは58年の全米No1ヒット「The Purple People Eater(ロックを踊る宇宙人)」を収録するなど大滝ならではのロックンロール、カントリーの世界に浸れる内容となっています。
<引用終わり>

1日でなく1か月!のリハビリセッションからの曲とのこと。

僕が、聴きたかったベスト3はいずれも入らず。
3位 1976年3月吉田美奈子コンサート at紀伊国屋ホール「ディープ・パープル」
2位 1976年10月Go! Go! Niagaraコンサート at渋谷公会堂「DREAM LOVER~TRAVELIN' MAN」

1位 1980年12月16日「LET'S DEBUT AGAINコンサート」の「I Call Your Name」
これは、発売アルバムの名称から当然のように入るものと思っていましたが、落選でした。Again店主が店主になるずっと前に、大滝さんが歌ったと教えてもらった曲。アルバム『「LET'S DEBUT AGAIN」Again』発売まで待つしかないかな。





でも、「Tall Tall Trees 〜Nothing Can Stop Me」は、おもいがけない選曲で嬉しいです。



ということで、なぜこの曲を取り上げたのか。ナイアガラ・リハビリ・セッションとはどんなセッションだったのか、少し考えてみました。

(1)陽気に行こうぜ〜恋にしびれて
やはり、リハビリということでは。イメージしたのは、エルヴィスでしょう。カムバックスペシャルのような、リラックスをして好きな曲を。
ということで、ここは屋台骨。骨太サウンドで。

(2)私の天竺
ニューオリンズ。音楽的に意識したのは、ファッツ・ドミノの「My Blue Heaven」かな。日本ポップス伝で紹介した二村定一の流れもあり、アメリカンポップスと自分との関係、たどった道筋を「天竺」とし、黒人音楽も参考にしたドヴォルザークの「ユーモレスク」やフォスターの「峠の我が家」もおりこんだところ。自分にとっても天竺的作品。
公式HPの、『ジーン・オースティンの歌でヒットしたポップスのスタンダードナンバー「私の天竺」』は、ジーン・オースティンを引き合いに出したところと「天竺」としてナンバーを紹介しているところなど、少し疑問符です。

というようなことを思っていましたが、ボビー・ヴィントンの「私の青空」を聴いて、カヴァーのもとはこれかなとも。
ナッシュビル録音1963年とのこと。
『Blue on Blue』から“日本独自”のシングルカットと思われます。後ろのブイブイならすギターなど。まだまだ天竺は遠い。



(3)Tall Tall Trees 〜Nothing Can Stop Me、針切じいさんのロケン・ロール
今回、リハビリで音楽変遷を当たる場合、注目すべきカントリー。ナッシュビルの流れ。

リハビリは1997年ということなので、1995年のアラン・ジャクソンのリヴァイバルヒットの流れもあるのでしょう。大滝さんは、本筋しっかりしながらもわりと外の動きにも敏感なので。

「Nothing Can Stop Me」とつなげてメドレーにしたのは、2曲ともはいっているロジャー・ミラーの『A Trip in the Country』からジョージ・ジョーンズとの共作2曲を、ということでしょうか。

このアルバムはバディ・ハーマンがドラムの、ボブ・ムーアのベースなどエルヴィスの布陣。チャーリー・マッコイなどがギターに控え(残念ながら、ピアノは一押しフロイド・クレイマーではなくって、ハーガス・ロビンス)『BLONDE ON BLONDE』の布陣でもあり。

ジョージ・ジョーンズに焦点を当てるなら、
ゴーゴーナイアガラ第45回 Riche Furay特集 5分ぐらいのところ。https://youtu.be/dAu83kUPA7c
「やっぱり、リッチー・フューレイはカントリーが好きだったようでしてね~。
 前に、会ったことがあるんですけれども。 その時にどういうカントリーの歌手に影響されたかって、聴いたんですけれどもねー。
 ジョージ・ジョーンズとかねー、ウェブ・ピアスとか、あの辺の名前が出てきてましたんでねー。
 やっぱりカントリーが好きなんだなって感じですけれどもねー。
 スティーブン・スティルス、ニール・ヤングと比較するとこの人一番歌がうまいって感じがしますね。
 まぁ、好き嫌いがあると思いますけれども、みなさんの中にもね。一番、何と言うか、艶っぽいという感じがしますね、この人。」
ということで、原点に返って、リッチー・フューレイの歌声を、という流れもあるかもしれない。


https://www.youtube.com/watch?v=m4nxzcnRuI0の解説を読むと。
ジョニー・リヴァース、ジェイムス・バートンなどもつながるよう。



また話がどんどん拡散するけれど、ロジャー・ミラーといえば、まずはキング…だけれど。「Do-Wacka-Do」は歌い方もオモシロイけれど”Good Luck Charm”の歌詞が出てくる、お守りソング。
今年初めに、metalsideさんがつぶやいたElvis Presley「Good Luck Charm」⇒Cliff Richard「Lucky Lips」⇒「福生ストラット」の流れに納得。
と取り留めもないことを忘備録。

しかし、ラボックあたりのサウンドは北海道によく合うなぁ。
この流れで、クリケッツの「デボラ」とかもやってたらよいのに、と思いました。
「ナックルボール」でも聞くか。

Niagara Moonの謎を追え

2015-07-30 00:17:04 | GO! GO! NIAGARA
・丁寧なつくり、いろいろと興味深いことの連続ですね。ただし、コードなど楽曲の音符関係はあまり出さないようにしているとも思いました。さて、興味深い事をいくつか並べて。

 「三文ソング」カラSo So ~そう、そう。⇒常に「音」を意識していたのでしょうね。
 「Two Beat」⇒結構、途中まで候補だったのですね。
 「アナジン」「あなたがじんと きは わたしもじんとく す」⇒仁徳が浮かび上がる構造が素晴らしい。
 「74」サイダーベランメ⇒江戸っ子?
 「Gen-In Merenge」原因メレンゲ⇒日本語と英語の変換が常に出て来る。
 「恋はメレンゲ」「I See The Moon,I See The Moon, Wheres it gonna Get Me」⇒SHELLEY FABARESの「Johnny Angel」のB面「Where's It Gonna Get Me? 」?から
 「ホーハイホー」trad.ホーハイ節(青森)⇒既に音頭路線の兆し?その後、まっしぐら。
 「楽しい夜更かし」tanoshi iyo fukashi」⇒あえて、「し・い」を分けて「イヨ」と相槌のようになっているのも面白い。
 「タンバリンロック」⇒ミスタータンブリンマンから?
 「地団駄」こいつはすごい大発明。俺が最初に作った⇒思うところがあったのだろう、と思うのは早計でしょう。3文ソングのバージョン違い。
 「Rock'n' Roll March」You Can't Sitdownのリフ⇒聞いてみたからわかったよ。
 「小岩メレンゲ」⇒さすが総武線沿線詳しかったのでは。船橋ヘルスセンターが思い浮かぶ。
 「行け行けドンドン」針切男、ノートルダム⇒男つながりでノートルダムか。傴僂(せむし)という字はいつも偏屈と間違う。ルーフトップシンガーズとのつながりは?
 「とっときの お話し 一つ きかそか」あれはダンスパーティの夜⇒小林旭「俺の、いいノド、聞かそうか」の流れか。「お話」なので、子供たちに聞かれたらが出て来るのかも。

といったところでしょうか。

むかし、右に映っているビートルズ、どこの国の盤かのあてっこをした。結局、インストかぁというオチだったのを思い出しました。「ツラいけれど、想い出にさよなら~♪」…は、できませんね。

しかし、今回の後ろの右の曲名は何を意味しているのか?ふん数が入らないなら、「’73」とか「ナイアガラ・ムーン」とかは書かなくてもいいと思うけれど。どちらかに入っていれば入れるという2枚のLPのあわせ技ってことかなぁ。ビシッと1枚にしてほしかった。

最後の裏ジャケは、真ん中「不在」でもよかったかも。まぁ、それだとあまりにも、追悼の意が強すぎるかな。


キャロル・キングで取り上げられる曲 予想1

2013-02-28 06:47:31 | GO! GO! NIAGARA

毎日、忙しい日々が続き、なかなかこちらに傾注できませんが、書くことだけは続けます。
昨日は、キャロル・キングの楽曲をミュージシャンから予想しましたが、今日は、ライター側から予想。

たぶん、キャロル・キングの作曲した曲も取り上げられることでしょう。
では、どれか?
次の中のどれかが取り上げられると思います。

Will You Love Me Tomorrow / The Shirelles
What A Sweet Thing That Was / The Shirelles
Some Kind Of Wonderful / TheDrifters
When My Little Girl Is Smiling / TheDrifters
Up On The Roof / TheDrifters
Halfway To Paradise / Tony Orlando
How Many Tears / Bobby Vee
Take Good Care Of My Baby / Bobby Vee
Walkin' With My Angel / Bobby Vee
Shareing You / Bobby Vee
Every Breath I Take / Gene Pitney
Crying In The Rain / The Everly Brothers
Crying In The Rain / Carole King
Her Royal Majesty /James Darren
I've Got Bonnie / Bobby Rydell
Keep Your Love Locked / Paul Petersen
The Locomotion / Little Eva
Keep Your Hands Off My Baby / Little Eva
Old Smokey Locomotion / Little Eva
He Hit Me(It Felt Like A Kiss) / The Crystals

このリストを自分でまとめて発表年、レーベル(プロデューサー)、チャートなどの切り口をいれれば、ポップス伝3の材料は出払うはず。これを全部の観点から眺めて、時間内に収めるという作業をしているのがすごいところです。

1曲といえば、これまでも書いたThe Locomotion / Little Eva ではないかなと思います。

今日の1曲は最初が九ちゃんの歌が聞こえてきそうな曲にしました。これはかからないと思う。
グッ、タ~イミング♪、チカチカちかちか、タイミング、このよで一番肝心なのは、素敵なタイミング。

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YouTube: Bobby Rydell - "I've Got Bonnie"


番外編

2011-08-01 06:09:32 | GO! GO! NIAGARA

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こんな感じで、数人の人にずっとみてもらってたみたいです。
ありがとうございました。一番増えたのは、ニーチが紹介してくれた日。

第2部再開も楽しみですが、第1部の日本バージョンもあわせてやってほしいと思ってます。1959と1960の間なのかロカビリーとポップスの間をつないで、洋楽との関係性を日本の立場から光を当ててほしいように思います。

ま、ラジオ「スピーチバルーン」で、飯田久彦さんにインタビューしたり、かまやつさんにいにゃビューしたり、ほとんどやっていたような気もするので、やはり三橋美智也と春日八郎、三波春夫かな。