〇伊藤アキラさんの推理
伊藤アキラさんが『週刊てりとりぃ』に”「名月赤坂マンション」は今”と題して、2回にわたり『Niagara Calender'78』の「名月赤坂マンション」についての考察を書かれています。
内容もさることながら、そのユーモアあふれるあたたかい語り口に、読んでいてジンときます。これからも自伝準備が続くのが楽しみです(^^)。
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〇1回目 自伝準備稿 第3回 「名月赤坂マンション」は今
・「名月赤坂マンション」の歌の下敷きになっているのが、国定忠治「名月赤城山」であることが述べられています。
〇2回目 自伝準備稿 第4回 続・「名月赤坂マンション」は今
・「名月赤坂マンション」の歌詞の出自として、三橋美智也「お花ちゃん」、三波春夫「東京五輪音頭」、松尾和子&和田弘とマヒナスターズ「お座敷小唄」など具体例があげられ、実際にどこに赤坂マンションがあったのか、赤坂マンションの場所についての推理が展開されています。
「お座敷小唄」は、「ゴー・ゴー・ナイアガラ」でもかかった昔から好きな歌です。以前、この歌について、追いかけたこともありました。
「名月赤坂マンション」という曲は、自分も『ナイアガラ・カレンダー'78』の中で大好きな曲で、「歌の下敷き曲」も「東独大使館の位置」も、調べたことがあり、非常に興味深く拝見しました。
・・・ということで、この機会に、自分なりの推理を再度まとめてみました。
〇東独大使館を追え!
東独大使館を手掛かりにするという伊藤アキラさんのアプローチは、まったく同じ方法を自分も試したことがあるので、そうそう!と大きくうなづきました。
「向かいにゃ、東独大使館~♪」。ということで、ネットを使い、手がかりとなる東独大使館を探すと、
という情報に遭遇します。ドイツ文化会館の住所は「港区赤坂7丁目 5-56」。
伊藤アキラさんは、ネットで大使館について調べた人の情報なども探りながら、
1.ドイツ文化会館の竣工は、1979年(東ドイツ大使館が存在していたころ、時期的に建つわけがない)
2.「ヨーロッパ・ドライブの旅」(伊木俊二著)に「ドイツ民主共和国大使館 東京都港区赤坂 7-5-16 赤坂マンション」と書かれていると調べた人がいる。
3.「向いにゃ東独大使館」という歌詞から、大瀧会社と大使館は同一建物でないハズ。大使館と領事部が分かれており、大瀧会社と領事部のある「名月赤坂マンション」は「赤坂7-5-17(16?)」にあった。この敷地は四方が道路で囲まれていて、大使館はどちらかとされていました。書き方も面白いです(^^)
自分の推理。
1.歌詞の最後が「稲荷坂」となっています。この歌詞は"実録"なので、ナイアガラのオフィスをたたむときに、月を見ながら稲荷坂を通ったことがあるということで、赤坂マンションは稲荷坂に面しているのではないか?
→赤坂の近隣に「稲荷坂」を発見!
2.地図を見ると、「ドイツ文化会館(現:東京ドイツ文化センター)」と「稲荷坂」は面していないことがわかります(オレンジが稲荷坂)。
→文化会館の建設時期は気にとめていませんでしたが、まず、2つの可能性を考えてみました。
(案1)大使館は文化会館辺りにあり、直接坂には面していない。赤坂マンションだけが、稲荷坂に面していて、マンションから大使館が見えた。
(案2)文化会館とは異なるところに大使館もあった。
(案1)を検討するために稲荷坂から面した建物から会館が見えるのだろうか?考えてみました。上り坂のため、高い建物が建築されていたら見える可能性もあります。ただし、入り組んでいて、古い地図もみましたが、向いとして見えそうなポイントが見当たらない。→やはり文化会館ではなく、別の建物(案2)ではないかと考えました。
3.同時並行で、当時の「東独大使館」の位置についての文献を検索しました。
→大使館が赤坂マンションにあったという、文献を発見することができました!
*出典「区内における外国公館」外務省大臣官房儀典官室発行(昭和53年5月1日現在)港区/デジタル版 港区のあゆみより
東ドイツが「ドイツ民主共和国」って、当時小学校で習っていたっけなぁ、でした。
4.赤坂マンションが「赤坂7-5-16」にあったというキーワードを目にして、ふと、あることに思いつきました。
そもそも、この赤坂マンションは、何のために設置されたのか?
それは、仕事のために都内に用意されたオフィスということだと気づきました。わざわざ福生までくるのが大変な人のためのオフィスで、当初は常勤の人がいて、「Go!Go!Niagara」のコピー・サービスもやっていた場所。住所も、ファンに分かるように、ラジオでしゃべったり、広告を出したりしていなかったっけ?ライナーにも載っていたハズだ!
→ナイアガラCMスペシャルのライナーから、ナイアガラ・オフィスの位置を発見!
無事に赤坂7-5-16の202号室だと特定しました(^^)v
(正確には、エンタープライズ内にある"信じられる耳を持つ努力をしよう会"ファンクラブの住所を発見しました)
5.住所が「7-5-16」で、東独大使館とピッタリ一致!伊藤アキラさんがたどり着いたのと同じ結果になりましたが、同じ疑問が残ります。大使館と会社が同一住所でいいのか?という疑問です。
ここからはさらなる推測になります、先の外務省の資料には、大使館の住所が色々と掲載されています。
例えば、イエメン民主人民共和国大使館は「赤坂9-5-26 赤坂ハイツ」、ウルグァイ東方共和国大使館も「赤坂9-5-26 赤坂ハイツ403号室」。つまり、あまり大きな大使館でなければ、マンションの一室が充てられていたと考えられます。
出典:「昭和51年版わが外交の近況」外務省
同じ青書によると、西欧との貿易は「日本通関統計で輸出81億3,089万ドル(FOB),輸入43億9,541万ドル(CIF)」とのこと。日本と交流はあるものの、規模的にそれほど大きなものではなかった可能性があり、こうした大使館では、大使をはじめ数人が勤務していて、届いてきた手紙を本国に送付するくらいの事務処理が出来れば、あまり不都合がないものと思われます。ナイアガラの事務所も、そこで「音作り」をするわけではなかったので、202号室で、ファンがダベる場所があったり、電話がおいてあったりする、そういった規模感だったはずです。
ということで、自分の推理は、大滝会社事務所と同一住所だと見えない、”向かいにゃ”の向かいもマンションの1フロアー。つまり、マンションの廊下を挟んだお向かいさん、ということではないか?というものです。
1階に何部屋の貸しスペースがあったのか定かではないですが、例えば4部屋あったとして、
結論!
東独大使館は「赤坂7-5-16 赤坂マンション 2階、ナイアガラ事務所向かい201号室!」にあった。
〇たそがれ忠治を追え!
続いては、伊藤アキラさんの指摘( )に加え、2番の自分の推理を< >で書きました
今宵可霧か この室も
可愛いい 社員と 別れの門出 (→国定忠治)
名残り惜しいは お互いさ (→お花ちゃん)
あの日 ローマで ながめた月も(→東京五輪音頭)
今月今夜の この月も (→金色夜叉)
あー
月に変りは ないものを (→お座敷小唄)
右に見えるは 他人の家
向いにゃ 東独大使館 <→園歌?>
見慣れた 景色とも
おさらば アバヨ <→おさらば東京&縁があったらまた逢おう>
ニッコリ笑って無い袖振れば <→たそがれ忠治>
千切れテープが風に舞う <→憧れのハワイ航路>
あー <→港町十三番地>
月も泣いてる 稲荷坂 <→月の法善寺横丁><→あゝ田原坂>
いちおう、それぞれの歌詞の出自の推察などを書いておきます。
右に見えるは 他人の家
向いにゃ 東独大使館
自分はこの曲では、この2行が一番気に入っています。「他人(ひと)の家」って当たり前ですが、大使館との対比が印象的です。先にも書きましたが、本人は「東独」を歌うときに「届く」と捉えられるかもしれないと意識して歌っていたということ。月に思いが「届く」ということを連想することが出来るようにしていたのかもしれません。
「大使館の横」と言えば、圓歌。
珍説となりますが、落語家は900人といる中で、自宅の隣が大使館なのは圓歌だけだと歌之介がネタにしていました(*)。多分、圓歌本人も昔から話していたでしょうし、演芸好きの大滝さんの頭の中にも、大使館が隣にある(=金持ち)ことをネタにしようという考えがあったのかもしれません(珍説どまり)
*正確に言うと、三遊亭歌之介改め四代目三遊亭圓歌が三代目三遊亭圓歌のことを話していた
「右に見えるは」調査中デス。
見慣れた 景色とも
おさらば アバヨ<おさらば東京>
自分には、歌詞カードをみるクセが無いので、「おさらばぁ~ヨォ~!」と歌っているとばかり思いこんでいた箇所なのですが、さらっと「あばよ」と追加して言っていますね。
これは、もちろん三橋美智也「おさらば東京」の「思い出消えるところまで あばよ 東京 おさらばだ」の「あばよ」から来ていて、「あばよ」と「おさらば」をひっくり返した形になっています。
もしかしたら、1番の歌詞に「お花ちゃん」を使ったので、2番に「おさらば東京」を、とAB面のカップリングを狙ったかもしれません。三橋美智也は「あばよ」という曲も歌っていますが、これらのもとになるのは、三橋美智也「縁があったらまた逢おう」の「あばよさよなら 港の鴎♪」でしょう。橋幸夫「潮来笠」まで続く、マドロスものの流れの曲で、三橋美智也でも初期にヒットした大好きな曲です。
また、「名月赤坂マンション」は、イントロがクレイジー・キャッツの「たそがれ忠治」からの頂きで、アレンジがJohnny Nash 「I Can See Clearly Now」だと、大滝詠一本人がこれまでのインタビューで述べています。
たそがれ忠次
「たそがれ忠治」は、「面倒みたヨ」の恩着せがましい感がチョッと残っていますので、単に「国定忠治も落ち目だねぇ」という、自虐の意味合いが強く出てしまい、ナイアガラの終焉が重くなってしまいます。
Johnny Nash - I Can See Clearly Now
そこに「I Can See Clearly Now」のアレンジを重ねることで、「雨があがって好転へ向かう」という”思い”を込めているのかもしれません。多額の借金を背負っても、音にはその侘しさを一切出さない強さを感じます。
このやるせない悲しみをジメッとしたものにしない世界感は、クレージー以上に、先に歌詞であげた「縁があったらまた逢おう」(作詞:矢野亮、作曲:船村徹)や、「おさらば東京」(作詞:横井弘、作曲:中野忠晴)に近いのではないかなと思います。それは曲調もさることながら、三橋美智也のサッパリとした歌声に起因するところも多いと思います。
ナイアガラカレンダーでは、「月」をテーマにしたモチーフでしたが、「太陽」だったら「赤い夕陽の故郷」のような、もっと中野忠晴色が濃いスケールが大きい作品にしあがったのかもしれません。
脱線しますが、借金と歌と言えば、「熱き心に」が小林旭の借金を返すのに役立ったということも思い起こしてしまいます。大滝詠一「Pap-Pi-Doo-Bi-Doo-Ba物語」は、三橋美智也の「おさげと花と地蔵さんと」の「あれから三年 もう三月」、村田英雄「王将」の「あの手この手の 思案を胸に」、村田英雄(徳山璉かも)「侍ニッポン」の「きのう勤皇 あしたは佐幕」など、歌謡曲の歌詞がてんこ盛りで、アーティスト名は大滝詠一と「昔の名前で出て」きて、「赤坂」の仇を「信濃町」で返しています。
ニッコリ笑って無い袖振れば<→たそがれ忠治>
千切れテープが風に舞う <→憧れのハワイ航路>
あー<→港町十三番地>
美空ひばり「港町十三番地」の「涙こらえて 乾杯すれば 窓で泣いてる 三日月様よ」や、
岡晴夫の「憧れのハワイ航路」の「別れテープを 笑顔で切れば」の要素があると思います。
全般的には、先にあげたクレイジーキャッツ「たそがれ忠治」の「風のまにまに流れる雲を 見れば身にしむ胸にしむ」と同じ型なのかなと思います。
ここでウマいのは、連絡船の出港で使われる「紙テープ」と「録音テープ」を掛詞としたことでしょう。実際に録音用のテープがおいてあるのはFUSSA45スタジオなので、赤坂マンションにはテープはなかったのでしょうけれども、武士は食わねど高楊枝の精神ながらも、テープが風に舞っていく様子を印象的に描き、捲土重来を期していることもヒシヒシと伝わってきます。何度も登場する三橋美智也「縁があったらまた逢おう」の3番の歌詞は「どうせつなげぬ ちぎれたテープ 未練残さず 波間に棄てて 別れ汽笛を 思い切りよく 鳴らしておくれ」です。
また脱線しますが、「スピーチ・バルーン」は元々、「別れのコラージュ」という題名にするかもしれなかったと聞いています。この曲は「暗い海へのパッシング」が印象的ですが、「投げたテープが絡まる」別れと「千切れたテープが舞う」別れ、いずれも切ないもので、ロンバケ作成の時に松本隆に「別れの紙テープ」をモチーフに書いてくれと頼んでいたとしたら、面白いなぁと妄想しました。
「あ」から始まる曲の流れは、伊藤アキラさん作詞の「サイダー」(通称:あなジン)や、大滝詠一「Pap-Pi-Doo-Bi-Doo-Ba物語」の「アツアツふたりは恋人さ」などありますが、歌謡曲の王道は途中に「あー」が出て来る“あゝ歌謡曲”(←今名付けた)の系譜があげられることでしょう。
例えば、新川二朗「東京の灯よいつまでも」には「ああ 東京の灯よいつまでも」と使われていますし、三橋美智也「あゝ田原坂」でも 「あゝ散るが花かよ 田原(たばる)坂」と使われています。特に、美空ひばりの「港町十三番地」の「あぁ」は、「涙こらえて 乾杯すれば 窓で泣いてる 三日月様よ」のあとに「ああ 港町 十三番地」となっていることから形式としては一番近いように思います。こうした“あゝ歌謡曲”は岡晴夫の「ああ 憧れのハワイ航路」から、連綿と続いていると感じます。曲によって、影響の強弱があっても、「あー」を入れた曲作りをしたことで、重層的にいくつもの“あゝ歌謡曲”を思い浮かべることができるようになったのだと思います。
稲荷坂<→あゝ田原坂>
藤島桓夫「月の法善寺横丁」にある「月も未練な十三夜」から「月も」がきているのではないかなと思います。「月の法善寺横丁」も「ああ 若い二人の 想い出にじむ 法善寺 月も未練な 十三夜」と、“あゝ歌謡曲”です。
「名月赤坂マンション」には、元々セリフを入れることも検討したけれど、布谷さんの「アミーゴ~!」を入れることで作品がよくなった、ということを大滝さんはコメントでいっていたハズですが、まさにそのとおり。セリフが入る有名曲「月の法善寺横丁」の1フレーズ(月も)をいれて来たるべきアミーゴを予告した上で、布谷文夫の「アミーゴ~!」が爆発する、“あみ~ご歌謡曲”です。
坂のほうは、「九段の母」二葉百合子でも最後に「九段坂」が登場しますが、どちらかというと、これまた“あゝ歌謡曲”構造から、三橋美智也「あゝ田原坂」がモチーフかなと思っています。作詞:高橋掬太郎、作曲:山口俊郎の雰囲気ある作品です。山口俊郎は、「福生よいとこ」の作者でもあります。
歌謡曲には、東京を出てきて、なかなかうまくいかず、故郷を思う思いなどを「月」を題材としてとりあげる作品が色々とあります。
例えば、山中ひろし「夢ば見ていた東京さ来たが」(♪話す相手もお月様~)、三波春夫「チャンチキおけさ」(♪月がわびしい路地裏の~)、藤島桓夫「お月さん今晩は」(♪リンゴ畑の お月さん今晩は)、高田浩吉「名月佐太郎笠」(♪月も今夜はひとり旅))
こうした「月」の物語だけに縛られることなく、あれこれアイディアを思いめぐらせる(伊藤アキラさんは「大瀧さんの脳内に沈殿していた日本の芸能遺産を縦横無尽に使い倒し」たとした)作風は、布谷文夫の「深南部牛追唄」から「Pap-Pi-Doo-Bi-Doo-Ba物語」まで変わっておらず、「名月赤坂マンション」は、いかにも大滝さんらしい作品だったんだなぁと再度、思いかえすよいきっかけとなりました。
ナイアガラの作品は、星菫派ではなく、「霧に覆われた」ぐらいがちょうどよく、ピカピカの満月はあまり似合わないように思いますが、「夜来香」ではないですが、今年の中秋の名月には「つきぬ思い出」を胸にしながら、都の空を照らす月に思いを馳せてみるのも悪くないかなと思っています。