tonton

tontonの日常

言葉を使う

2022-05-30 20:51:34 | 日記
言葉には、裏と表がある
1つの言葉も取り方、とらえ方で、良いことが良くないことになったりする
だから、怖くて、だから面白い

次男が難病と宣告されたとき、同じ病気の人と話をする中で
私がどんな悪いことをしたの?・・・という人がいたり

子どもが難病という人のお友だちの家であまり良くないことが起きたとき
私が何をしたって言うの?悪いことなんかしてないのに…

と言うことを聞いた人が
それじゃあ、この友だちは、私の子どもが難病になったのは、私とか家族とかが何か悪いことをしたからそうなったと思っていたの?
と思ってびっくり、がっかりしたそうだ
そんなふうに思っていたのかと

これだって、何か大変なことが起きたときに口走ってしまったことがその人の本心と言うことでもないだろうし
よくよく話をすれば、なんということもなくわかりあえることなのかもしれない

そういう言葉の裏返しみたいなことはどうしてもある…

私は、どんなに失言でも、暴言でも、そう言ってしまったこと、そう聞いてしまったこと
ちょっと待って、それってどういうこと?
と、聞きなおしたい

人間は言葉があるのに、その言葉を使わない人が多い
昔むかしの、目を見ればわかるとか、そんなこと言わなくてもわかってることじゃない、と言うのも
わからない、見ただけじゃわからない、顔も目も

私はこう思うと言うことを、ちゃんと口にしなくちゃ、もしも反論があるなら、そんなつもりの言葉じゃない、それは使い方を間違えたかもしれない、と謝るなり、訂正するなり、黙って終わりたくない

でもね、ケンカをするというのは、この人とまだ付き合っていかなくちゃいけない人だとか
この人に誤解されたくないとか、この人が大事な大好きな人だからと、いうときに反論する、ケンカもする

もうその人と話をしたくないとか、会うこともないとか、つくづくイヤになったとか、そういうときは、もうよけいなことを言わなくなる、そんなものだろうと思う

そう、だから、私がいろいろ夫に言った時、夫は私と話をしたくないから、つくづくイヤだから言ったのだろう
何か言うことないの?と言った私に、だったら離婚するしかないだろう…

この人と話はできないと、私も思い知った

私の亡くなった長姉は本当に変人と言われる人だった
おかしな行動もあったと思う、本人はいたってまじめで

20年来の友だちと、話が合わなかったと言うことが、たった1回という訳ではないと思うけど
行ったこともない自宅に、住所1つで、駅からタクシーに乗って、その人が家にいるかどうかの確認もしないまま
出掛けたという、たぶん姉の家から2時間とかかけて
タクシーに待っていてもらって
ちょうど出掛けるために家の外に出てきた友だちに
もう電話も、会うこともしませんからと、わざわざ言いに行ったという

そんなふうに言われた相手の気持ちなんか知らずに、言いたいこと言って絶交してくる、そんな人がいるだろうか
その人があと5分も早く家を出ていたら会うことも出来ないのに

その人が気の毒にと思いながら、そんなことをするものじゃないと、妹の私が言えば、きっと私とも縁を切る
私は、この姉がひとりぼっちだから、怒らせないように、嫌にならないように付き合ってきた

それでも、私が新聞や本を読まない事に怒って、ネットばかりしている人大嫌いと言って、もう電話もしないで、家にも来ないでと、亡くなる2,3年前に言われてしまったのだけれど

結婚したばかりの時、実家から2時間かけてアパートに来たのに、何が気に入らなかったのか、5分で帰ってしまったことがあって
帰られた私の気持ちなど思うことはない、なぜという理由も言わずに、時間がたっても何も言わなかった

そういう姉が、友だちに絶交を言い渡しに行ったと言っても、不思議なことじゃなかったのかもしれないけど

大嫌いだった母が83まで生きてくれたから、嫌いなままじゃなく、晩年は母を理解したと、私に言っていた姉だった
そういうこともあるのだけれど
変人と言われてきた姉のことは、本当に何を思うのか予測がつかなくて

だから怒らせないように気を遣って言いたいことの半分も言わずに付き合ってきたのに

言葉は使わなくちゃ、役に立たない
言わなくてもわかるなんて、人口の少ない大昔のこと、メディアも発達していない原始の時代のこと

嫌われたって痛くもかゆくもないのかもしれないけど、つまらないじゃない
理解し合わないこと、寂しいじゃない

そう思うけど、私も嫌いに思う人がいっぱいいた、いつからかなあ、ちょっと変わったのは
ピアサポートをはじめたころからかもしれない

人間の裏と表、いろいろあるから面白い
わかりあうために文字や言葉がある、そう思いたい

美味しかった

2022-05-29 21:26:52 | 日記
子どもが小さい時からずっと
お父さんがいない日の夕飯はいつも簡単な粗末なものだった
お父さんがいないと、美味しいもの食べられるとか、いないと良いねとか
そういうことがないように
お父さんいないと寂しいねと、そういう夕飯であるようにと言う思いと
もちろん手抜きの簡単な夕飯でラクをするという思いもあった…どっちかと言えばこの方が本当の理由みたいだけれど
でも、このほかの理由ももちろんちゃんと思っていたから

今はもう、そういう私ではなくなったから

今日は、夫が、友だちと1泊で出かけた、4人か5人の爺さんたちの旅がどんなものか知らない、聞かなくても良い^^

それで、今日は、次男と美味しいものを食べようというので6時にレストランの予約をして、食べに行った
ふたりだけなので、食べるのも早いこと…それでも車に乗ったのは7時20分だったから…

それなりのところで食べれば美味しい^^

飲み物は、ベリーベリーカシスの、ノンアルコール

オードブル

愛媛産の真鯛のスープ掛け

口直しのソルベ

牛のハラミのステーキ

デザート
珈琲


お魚料理がめちゃくちゃ美味しかった^^

なんだかな~

2022-05-28 20:06:55 | 日記
今まで1升炊きの電気釜だったのを、小さくした
4合炊き…
もうその小ささ、おままごとみたい
1升炊きだと2合からしか炊けないし、だいたい大きくてじゃま
5合くらい炊いて、保温にしないでレンジでチンすると、美味しくないと、夫が言い出した

だったらいつもは2合、お弁当と朝で3合、で充分じゃないかと
で、そうしてみたら、まあ、おままごと^^

家でみんなでご飯なんてことはもうなくて1升炊きなんて必要ない
内窯を洗うだけで、もう全然手間が違う

夫は、朝いきなり小さくてびっくりしたかもしれないけど、私も夫も何にも言わない


思い立って、五行歌の歌集を5冊買ったもう1冊は遅れて到着予定
なんというか、私のは歌じゃないと、つくづく思った
いや、前から思ってはいたけど、なんだかもう、すごいと、思った

歌集にするような歌は、やっぱり、文学だった
私のはただの愚痴のような、戯言だった…情けない

これから先、歌という歌が詠めるのだろうかと
何となく、歌集を読まなかったのはこういう思いをすることがわかっていたからだったような気がする

へたっぴいで、情けなくて、恥ずかしくなる
でも、どうやって詠んだらいいのかわからない

祖父母の歌を詠んでいるのを見ると、私の祖父母はどうしようもない人たちで歌の対象になんかならない
お葬式も悲しくなかった…なんて思ってしまう

両親のことを詠んだ歌にも、私にはこんな歌にできるような両親じゃなかったと、思ってしまう
姉妹のことも、うまくいっていない、いなかった、と思うと哀しい

夫はと言えば、妻がなくなった後に思いを歌にする歌人の多い中で、私にはそんなことはない、と思ってしまう
娘は冷めているし、親のことをどう思うということもないだろう、生活費が足りなくなった時だけの母親だ

長男も、自分の家族のことを守るだけでそれでいい
次男も、今後の問題も解決を考えることもなく刹那的に私と生きている

家族のことで優しい歌なんか詠めない
なんだか感情を込めた歌など縁が無いような気がして


コンのいたときお花を飾ることができたのに、今コンがいなくなって、どこにでも飛び乗る黒白の猫たちのいるところで花を飾ることもない生活がまた戻ってきてしまった

情緒面が乏しい私自身のことを、一番知っているのは私だ
ない物ばかり欲しがるけれど、それに見合う自分ではない
それを知っているのも私だ

なんだかな~の人生だと、つくづく思う


植物園

2022-05-25 19:59:26 | 日記
昨日は、今月2回目のピアサポートのお当番
2週連続にしたのは、6月に沖縄に行くのでその前に出歩かないようにしていたりして

病院の中のボランティアショップのパンが、美味しくて、ここに行く楽しみの1つ
昨日は3つ買って1つ持って帰ってきて、ご飯食べたのに食べてしまった

こういうパンを作っている人たちが少しでもやりがいとか、お給料とか良くなると良いなあと思うけど…

電車の中でスマホに五行歌をポチポチ
外に出ると、家の中にいたら詠めないことが詠めたりする
と言ったって、良い歌が詠めるわけじゃない、でも、へたでも続けていようと思うから

家に帰って夕飯が終わった後は、生協の注文
ネットの注文だけど、カタログを見るのに目が見えにくくてしんどい

だんだんできないことが増えていく気がする…年ってそういうことだね…

今日は、久しぶりに次男が職場へ
送った帰りに、つくば植物園に行って来た

今日、きれいだな~と思ったのは木に付けてある着生ランのセッコク、ああ、咲いてる咲いてるって、嬉しくなっちゃった
園芸高校で初めて知った日本のラン、白くて清楚だ

いっぱい咲いていたけど、こうして咲くのも1年1度…何日くらい咲いているかわからないけど
人間社会で、例えば何かの大きな大会とか試合とか、1年に1度の試験とか、そう言うのを年に1度の機会なのにと、言うことが多いけど
植物の世界だって、ほとんどが1年に1度花を咲かせるんだから…なんて思ってしまった
サルスベリみたいに長い期間咲く花もあるけどね^^

セッコクが咲いていたの嬉しかった^^

それから、ハコネウツギがいっぱい咲いていて、こんなに綺麗と思ったことなかったかもしれない

ほんとうに花の好きな人は、自分のお家で花を作っているのに、私は何もしないで植物園の写真でごまかしてる…お恥ずかしいこってす

次男を迎えに行ったあとは大きなスーパーに買い物
なんだか疲れちゃった
明日は次男の休みの日、朝からぐうたらだなぁ~^^

次男の頭痛

2022-05-23 13:10:56 | 日記
今次男が寝ている
頭が痛いと言って仕事を休んだ
次男は今、週に3回、月水金の出勤としてもらった
今日休むと明日も休みだから4連休になる
でも、そんなことより頭が痛い

夫は結婚した時、頭が痛いと連発していた
私はお腹が痛いのはよくわかるけど、そのころ頭痛なんて知らなかった

娘を出産するとき陣痛があって入院したけど、その後頭痛で、陣痛より痛いと思った
頭が痛いというのはこういう事かと思った

私は若い時からめったに薬を飲まなかったからか、頭痛がしても、痛み止めを飲めばすぐに効く
その薬を飲んで頭が痛いの治るなんてすごいねと、次男が不思議そうに言った

子どもを育てていた時、なんというか、すごい言い方だけど
人の痛みのわかる人になりなさい
なんて言ってきた

だけど、傍にいる父親は自分も頭痛持ちだったのに、次男の痛みを理解していない
子どもの時も大人になっても
言ったってわからないから、次男も父親にそんなことを言ったりしない

こんなことを書いている私だって、病院に行くこと、合計7回の手術を終えれば
もう何もしてやることも出来ない

合計7回の手術の時、手術室前で待っていたのは最初の時だけだった夫
仕事が仕事がというけれど、次男の手術にも傍にいないというのが…

患者会に属していた時
自分の次男よりも、問い合わせしてくる知らない人にばかり気が行っていて
すぐ傍にいる次男のことをちゃんと理解はしていなかった

子どもの頃、爪を噛んでいたけど
爪を噛むのがみっともないとは言ったけど、左手で爪を切るのは右手だけだったわけで
結局両方の爪を噛んでた

なんという親か…私

カップに入っているアイスクリームを食べることも出来ないのに
患者会に来ていた3歳ぐらいの女の子が巨峰の皮を剥いて食べることができなくて右手が大丈夫な子どもさんだったけど、左手が不自由だったら結局ブドウひとつ皮がむけないと、目の前で見ていたりした

なんという親か…私

菓子パンの袋を開けることも出来ない
はさみを使ったり、私に開けてと言ったり、歯を使って袋を破いたり、こんなささいなことができない

右手の脳梗塞の後遺症
利き手交換などという前に、次男は10歳のその倒れた後から自分で利き手交換していた
リハビリで利き手交換するようにと言われたわけでもなく

この次男を置いて、私は患者会活動に動いていて
1年に50日以上の会合だったり
電話相談は1年290回という数の年もあった

学校が終わった時ほっとしたけど、もう先生やクラスの人との関係がなくなったことが嬉しくて
それでも次男を夫の職場に置くようになっても、結局いろいろなことはあって

ただ、今日のように頭痛で休んで私のそばで寝息を立てている次男をちゃんと見てやっていなかったと思う

そんな親なのに、次男は優しい子になった
足の悪い人と歩調を合わせて歩けることにせっかちの私はすごいと思った
猫たちの面倒を見ることも…

私の電話相談の内容が自分に合っていた時、お母さんはわかっていると思ってくれたみたいだけれど
他人の話ではなく、次男の話だけで思い遣るべきだったのに

父親のことを好きでないことは悲しいけれど
それを父親に言わないでいることも次男の優しさでもある

自分の血族なのに自分の妹の病気の遺伝なのにどうして次男自身に優しくできないのかということが、次男の思いなのだ

私が夫とうまくいかないことを知ってから、何度も言う
どうしてその時離婚しなかったのかと
どうして僕を産む前に離婚しなかったのかと

悲しいことだけれど、私は笑っているしかない
そんなことは笑ってごまかす以外になんと言えばいいのか