言葉には、裏と表がある
1つの言葉も取り方、とらえ方で、良いことが良くないことになったりする
だから、怖くて、だから面白い
次男が難病と宣告されたとき、同じ病気の人と話をする中で
私がどんな悪いことをしたの?・・・という人がいたり
子どもが難病という人のお友だちの家であまり良くないことが起きたとき
私が何をしたって言うの?悪いことなんかしてないのに…
と言うことを聞いた人が
それじゃあ、この友だちは、私の子どもが難病になったのは、私とか家族とかが何か悪いことをしたからそうなったと思っていたの?
と思ってびっくり、がっかりしたそうだ
そんなふうに思っていたのかと
これだって、何か大変なことが起きたときに口走ってしまったことがその人の本心と言うことでもないだろうし
よくよく話をすれば、なんということもなくわかりあえることなのかもしれない
そういう言葉の裏返しみたいなことはどうしてもある…
私は、どんなに失言でも、暴言でも、そう言ってしまったこと、そう聞いてしまったこと
ちょっと待って、それってどういうこと?
と、聞きなおしたい
人間は言葉があるのに、その言葉を使わない人が多い
昔むかしの、目を見ればわかるとか、そんなこと言わなくてもわかってることじゃない、と言うのも
わからない、見ただけじゃわからない、顔も目も
私はこう思うと言うことを、ちゃんと口にしなくちゃ、もしも反論があるなら、そんなつもりの言葉じゃない、それは使い方を間違えたかもしれない、と謝るなり、訂正するなり、黙って終わりたくない
でもね、ケンカをするというのは、この人とまだ付き合っていかなくちゃいけない人だとか
この人に誤解されたくないとか、この人が大事な大好きな人だからと、いうときに反論する、ケンカもする
もうその人と話をしたくないとか、会うこともないとか、つくづくイヤになったとか、そういうときは、もうよけいなことを言わなくなる、そんなものだろうと思う
そう、だから、私がいろいろ夫に言った時、夫は私と話をしたくないから、つくづくイヤだから言ったのだろう
何か言うことないの?と言った私に、だったら離婚するしかないだろう…
この人と話はできないと、私も思い知った
私の亡くなった長姉は本当に変人と言われる人だった
おかしな行動もあったと思う、本人はいたってまじめで
20年来の友だちと、話が合わなかったと言うことが、たった1回という訳ではないと思うけど
行ったこともない自宅に、住所1つで、駅からタクシーに乗って、その人が家にいるかどうかの確認もしないまま
出掛けたという、たぶん姉の家から2時間とかかけて
タクシーに待っていてもらって
ちょうど出掛けるために家の外に出てきた友だちに
もう電話も、会うこともしませんからと、わざわざ言いに行ったという
そんなふうに言われた相手の気持ちなんか知らずに、言いたいこと言って絶交してくる、そんな人がいるだろうか
その人があと5分も早く家を出ていたら会うことも出来ないのに
その人が気の毒にと思いながら、そんなことをするものじゃないと、妹の私が言えば、きっと私とも縁を切る
私は、この姉がひとりぼっちだから、怒らせないように、嫌にならないように付き合ってきた
それでも、私が新聞や本を読まない事に怒って、ネットばかりしている人大嫌いと言って、もう電話もしないで、家にも来ないでと、亡くなる2,3年前に言われてしまったのだけれど
結婚したばかりの時、実家から2時間かけてアパートに来たのに、何が気に入らなかったのか、5分で帰ってしまったことがあって
帰られた私の気持ちなど思うことはない、なぜという理由も言わずに、時間がたっても何も言わなかった
そういう姉が、友だちに絶交を言い渡しに行ったと言っても、不思議なことじゃなかったのかもしれないけど
大嫌いだった母が83まで生きてくれたから、嫌いなままじゃなく、晩年は母を理解したと、私に言っていた姉だった
そういうこともあるのだけれど
変人と言われてきた姉のことは、本当に何を思うのか予測がつかなくて
だから怒らせないように気を遣って言いたいことの半分も言わずに付き合ってきたのに
言葉は使わなくちゃ、役に立たない
言わなくてもわかるなんて、人口の少ない大昔のこと、メディアも発達していない原始の時代のこと
嫌われたって痛くもかゆくもないのかもしれないけど、つまらないじゃない
理解し合わないこと、寂しいじゃない
そう思うけど、私も嫌いに思う人がいっぱいいた、いつからかなあ、ちょっと変わったのは
ピアサポートをはじめたころからかもしれない
人間の裏と表、いろいろあるから面白い
わかりあうために文字や言葉がある、そう思いたい
1つの言葉も取り方、とらえ方で、良いことが良くないことになったりする
だから、怖くて、だから面白い
次男が難病と宣告されたとき、同じ病気の人と話をする中で
私がどんな悪いことをしたの?・・・という人がいたり
子どもが難病という人のお友だちの家であまり良くないことが起きたとき
私が何をしたって言うの?悪いことなんかしてないのに…
と言うことを聞いた人が
それじゃあ、この友だちは、私の子どもが難病になったのは、私とか家族とかが何か悪いことをしたからそうなったと思っていたの?
と思ってびっくり、がっかりしたそうだ
そんなふうに思っていたのかと
これだって、何か大変なことが起きたときに口走ってしまったことがその人の本心と言うことでもないだろうし
よくよく話をすれば、なんということもなくわかりあえることなのかもしれない
そういう言葉の裏返しみたいなことはどうしてもある…
私は、どんなに失言でも、暴言でも、そう言ってしまったこと、そう聞いてしまったこと
ちょっと待って、それってどういうこと?
と、聞きなおしたい
人間は言葉があるのに、その言葉を使わない人が多い
昔むかしの、目を見ればわかるとか、そんなこと言わなくてもわかってることじゃない、と言うのも
わからない、見ただけじゃわからない、顔も目も
私はこう思うと言うことを、ちゃんと口にしなくちゃ、もしも反論があるなら、そんなつもりの言葉じゃない、それは使い方を間違えたかもしれない、と謝るなり、訂正するなり、黙って終わりたくない
でもね、ケンカをするというのは、この人とまだ付き合っていかなくちゃいけない人だとか
この人に誤解されたくないとか、この人が大事な大好きな人だからと、いうときに反論する、ケンカもする
もうその人と話をしたくないとか、会うこともないとか、つくづくイヤになったとか、そういうときは、もうよけいなことを言わなくなる、そんなものだろうと思う
そう、だから、私がいろいろ夫に言った時、夫は私と話をしたくないから、つくづくイヤだから言ったのだろう
何か言うことないの?と言った私に、だったら離婚するしかないだろう…
この人と話はできないと、私も思い知った
私の亡くなった長姉は本当に変人と言われる人だった
おかしな行動もあったと思う、本人はいたってまじめで
20年来の友だちと、話が合わなかったと言うことが、たった1回という訳ではないと思うけど
行ったこともない自宅に、住所1つで、駅からタクシーに乗って、その人が家にいるかどうかの確認もしないまま
出掛けたという、たぶん姉の家から2時間とかかけて
タクシーに待っていてもらって
ちょうど出掛けるために家の外に出てきた友だちに
もう電話も、会うこともしませんからと、わざわざ言いに行ったという
そんなふうに言われた相手の気持ちなんか知らずに、言いたいこと言って絶交してくる、そんな人がいるだろうか
その人があと5分も早く家を出ていたら会うことも出来ないのに
その人が気の毒にと思いながら、そんなことをするものじゃないと、妹の私が言えば、きっと私とも縁を切る
私は、この姉がひとりぼっちだから、怒らせないように、嫌にならないように付き合ってきた
それでも、私が新聞や本を読まない事に怒って、ネットばかりしている人大嫌いと言って、もう電話もしないで、家にも来ないでと、亡くなる2,3年前に言われてしまったのだけれど
結婚したばかりの時、実家から2時間かけてアパートに来たのに、何が気に入らなかったのか、5分で帰ってしまったことがあって
帰られた私の気持ちなど思うことはない、なぜという理由も言わずに、時間がたっても何も言わなかった
そういう姉が、友だちに絶交を言い渡しに行ったと言っても、不思議なことじゃなかったのかもしれないけど
大嫌いだった母が83まで生きてくれたから、嫌いなままじゃなく、晩年は母を理解したと、私に言っていた姉だった
そういうこともあるのだけれど
変人と言われてきた姉のことは、本当に何を思うのか予測がつかなくて
だから怒らせないように気を遣って言いたいことの半分も言わずに付き合ってきたのに
言葉は使わなくちゃ、役に立たない
言わなくてもわかるなんて、人口の少ない大昔のこと、メディアも発達していない原始の時代のこと
嫌われたって痛くもかゆくもないのかもしれないけど、つまらないじゃない
理解し合わないこと、寂しいじゃない
そう思うけど、私も嫌いに思う人がいっぱいいた、いつからかなあ、ちょっと変わったのは
ピアサポートをはじめたころからかもしれない
人間の裏と表、いろいろあるから面白い
わかりあうために文字や言葉がある、そう思いたい