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tontonの日常

またテレビでもやもや病

2024-05-19 17:37:00 | 日記
昨日の夜、テレビを見ていたら 花咲舞は黙ってない という銀行系のドラマで
もやもや病と言うことがとり上げられた

27歳の女性がもやもや病がわかって薬学科に進学して、製薬会社で社長の恋人になり、もやもや病の特効薬を作ろうとしていたけれど、ある日倒れて亡くなったという設定だった

昔、有名な脳外科医を講師としてお願いした時、昔はもやもや病は手術をしていたんですねと、言う時代がきっとくる
とお話しされていたけれど…

今もやもや病の登録者数は平成25年度で16086人ということだった
もともと難病と言うか、特定疾病は希少性と言うことが一つの条件になっている
希少性と言うのは、5万人ということが目途になっている

製薬会社で、その特効薬が作られたとしても、2万人という患者に薬が使われたとしても経営が成り立つかどうかという話だ

テレビでもやもや病がとり上げられるとき、有名な人が病気になったり、何か社会で話題になったりすることがあるけれど、患者会を離れてしまってからはそういうことも私は疎くなったから
ユニークな名前というだけで、作家の目にとまることもあるのかもしれない

ただテレビを見ていてその中で、この病名が出てくると、びっくりしてしまう


ドラマの中でもやもや病

2024-05-14 20:33:03 | 日記
アンメット という脳外科医が記憶をなくした女医のテレビドラマがある
記憶が寝た次の日はもう昨日のことがわからないという、ドラマ
ずいぶん前に、ガチ☆ボーイという映画があった 佐藤隆太 という人の主演だった
その話も、1日寝てしまうと、翌日は昨日の記憶がないと言うことだった、だから、好きな女性に何度もプロポーズしたという内容もあったりして

そのアンメットというドラマのなかに
もやもや病が出てきた 住職さんが読経の最中に倒れたというので検査したら、もやもや病だったと

今まで何度もテレビドラマの中で、もやもや病の患者さんが出てきたが、昨日のドラマは見ていて好感が持てた
患者さんに説明するときも、もやもや病という病名の説明から、手術をしたとしても、過換気につながる読経は難しいこととか

手術の内容が、STA-MCA吻合術ということで
普通の血管じゃなくて細くてもろいから手術も難しいと言うこと
そして、その手術のための練習を鳥の手羽先で練習していたけれど
そうやって、脳外科の先生方は顕微鏡の下で、両方の手をまるで両方利き手のように、細い糸で縫うのだという練習

講演の時には、先生がマウスの尻尾の血管を使って練習するという先生もいらした
とにかく、先生方はそうやって訓練して、練習して、手術をしてくださる

有名な歌手が、もやもや病と報じられた後からたぶんその影響と思うのと、病名のことで、テレビを作る人が使いたくなったのかもしれないけど

頭蓋骨に穴をあけるだけとか、間接手術とかある中で、直接バイパス手術としてSTA-MCA吻合術と説明が出てきたことが、なんか嬉しかった

私の次男は、間接手術だけで、直接吻合を受けていないけれど、患者会の中では多くの人が直接手術を望んで病院を動いた

ただただ、手術がうまくいって、普通の生活ができていた人が10年とか、20年とかが過ぎて、大きな出血を起こす人が何人もいて、完治する病気じゃないから、難病だからと言うことが大きく重いのだけれど

脳外科の病気は、しんどい、難病と言われるものはしんどい…

沖縄に行っていた次男が帰ってきた
帰ってきてくれると嬉しい^^

鳴門秘帖

2024-05-12 21:12:18 | 日記
6時からBSで大河ドラマ光る君へを観ている
その後の時間で、時代劇をやっているのは知っていたけど、偶然見た5回目からしか観ていないけど、鳴門秘帖をやっている
吉川英治の1961年の作とググって知った

懐かしくて、うろ覚えだから、間違ったこと書くかもしれないけど
1961年だと、私は9歳かそこらで
その頃、家にはテレビはなかった、テレビは12才の時に買ったから
それまでは、ラジオだった

そのラジオドラマで、鳴門秘帖をやっていたのではないかと
何よりそのラジオドラマ(だと思う)を楽しみにしていたのは、母だった

5回目から見ても、名前を憶えていて、 法月源之丞とかお十夜孫兵衛とか・・・
とにかく懐かしくて
テレビドラマだったかラジオドラマだったか、わからないけど
この話の他に、緑のコタンとか、夢中になって聞いた

ラジオは色々なことを自分で空想して聞くから良いのだと、誰かが言っていたけど
お十夜孫兵衛の頭巾をかぶっているのは、おでこにキリシタンの十字架が焼き付けてあったからだというのが、最後の方でわかった時のことも、なんと言うか子ども心に思うことがあった

子どもの時の話は、何十年も経った今でも、役名に聞き覚えがあっておもしろい

テレビが家に来た時にもチャンバラはよく見ていたから、時代劇が好きというのは有ったのかもしれない

テレビを買うのは子どもの時でも、遅かった
歩いて5分の所にジジババが住んでいて、金物屋をしていて
そのババに、母がイヤミを言われるから、欲しいと思うものは、先にババに買ってからでないと買えなかった
あんたんとこは良いもんだね、とババが言うから、いきなり二つ買うこともなかったし
うちはずっと見られなかったのにと、言われたりするのがイヤで我慢したらしい

緑のコタンも大人?になってから、答え合わせのように確認することができたような気がする
でもそのことはもう忘れてしまって書けないけど、何かはめ込むと、アイヌの秘密のものがわかるとかいうことだったかな…違うかな

鳴門秘帖をググったら、かったるいとか、まだるっこしいとか、書いてあったみたいだけど、なんでもいいなあ、ただ懐かしい^^

もう5月11日だ

2024-05-11 16:14:46 | 日記
FBで思い出という昔の日記を見ると、こんなに書いていたんだなと、我ながら可笑しい
なんでこんなに書きたかったのか、時間があればカチャカチャとキーを叩いていた

ノートに書く日記は三日坊主なのに、ネットの日記が続けられてきたのは、誰かに読んでもらえると言うことしか思いつかない
良いとか悪いとか何も反応がないのに、ずっと書いてきた^^;

それだけ年をとったと言うことかなと、書かなくなったこと思ってみたりして

なんてごちゃごちゃ言っていても仕方がないから
いや、これから書くことだってきっと仕方がないことばかりなんだ^^;

あっという間に古希を過ぎてしまった
子どもに何も期待などしないと思っているのに
古希さえ祝ってもらえなかったという思いもあったりして
いや?娘にバッグを買ってもらったのは、あれは古希だったのか?1月に、娘の新居に、全員で行った時あれは何の誕生日と言って貰ったんだったか

夫婦仲の悪い親と付き合うのはどうしたら良いのかと、子どもたちに言われそうだ
だから何も言ったりしないけど

命がけで産んだ子ども3人だけれど、勝手に産んだのに子どもに命懸けでと言われても困るというのはあるだろう
なんにせよ40年も前のことだ

あぁ、やっぱりろくでもないことを書いている

コロナ禍で、私の生活も変わった
昔の日記に、ピアサポートのことが書いてあるのがもう遠い昔のことのようだ

マスクをしている間に、ほとんどお化粧をしなくなった
どこに出かけても、何もしていない、一応出かけるときのポーチを探したりするけど、探さなくちゃ見つからないところにあるのがお化粧品というのもなんだかな…
まあ、お化粧は、若い時もしていなかったし、うまくないから恥ずかしいこともあるし
お嫁さんのA子ちゃんに、びっくり顔された経験もある…

今年の1月から、白髪を染めるのをやめた
美容室の人にどのくらいかかるかと聞いてみたら、半年我慢すれば、大丈夫だと言われた
短い髪だから半年って、でも、カットしてもらった4月の時、後ろの方はまだまだ黒いから、もう少しかかりそうな感じで…

次男と沖縄に行かなくなったのは、だいたい1年前からか
10月の誕生日に行かなかったとすると、半年しか経っていないのかな
夫と別居したのが8月末だから
10月からの沖縄にも、猫の世話があるから、行かないに決まってる

つい数日前、夫がおかあさんはどうして沖縄に行かないのか、猫の世話なら俺がするのにと、次男に言ったらしい
いまさら、居ない時に夫に家の中に入って欲しくない、冗談じゃない
5年通った沖縄の居酒屋さんも、若い人のお店になって、年寄りがいると疲れる
私より上の年のお客さんがいないのも、納得できる
私も、この5年で完全な年寄りになったと言うことだ

心配ばっかりして、しょうもない私だけれど
次男を一人で羽田まで行くようにして、羽田で友と合流して、私がいないのに息子を連れて行ってもらっている友がありがたい

羽田行の高速バスが、朝6時発である、5時前に起きて5時20分に家を出て、つくばのバス乗り場まで送ると、キャリーバッグをゴロゴロして歩かなくてすむ

朝が暗い時は、走るのが怖くて、7時半ごろの電車に乗せて、1度はこんなに心配するならと、一緒に羽田まで行ったりして

5泊して帰りの時は、那覇でキャリーバッグを宅配に頼む
1050円で家まで翌日届くのは価値ある1000円だと思う
モノレールに乗って、浜松町から、秋葉原まで、それからつくばエクスプレスに乗って、私は、電車の時刻のわかるネットで、LINEを送りながら駅で待つ

心配ばかりしてきたけど、心配しても仕方がないのに
LINEが既読にならなくて2時間心配したけど、バスにスマホを忘れて、でも羽田からつくばに行くバスの人と連絡してもらって、無事に手元に帰ってきたと言う経験もしてしまった

空港の人に声をかけることができただけで上出来だ

そんなこんなで、私はひとりの5泊を過ごしている
前回の時は、5泊、1度も家から出なかった、買い物にも行かずに
家にこもって…

前なら日記ぐらい書いたのに、時間があるんだから書けるのに、それもしなかった
今回は久しぶりに、ひとりで家に居てカチャカチャ

行きたいと思うこともなく、外に出るのも億劫で、年取ったってことだなと…やれやれ


3月生まれ

2024-03-20 15:28:46 | 日記
日記を書かなくなって、あっという間に時が過ぎる
3月もあと10日あまり
3月12日の朋の13才のお誕生日に、朋に電話をするのを忘れてしまった…
3月24日の尚の誕生日に電話をしたら、朋が何とか思うかな…まあ、もうババの電話はなくても良いかと
めったに会うことがなくなって、会った時のお小遣いで何とかしてもらおうか

3月13日は、吉永小百合の誕生日というのは覚えていたけど、サユリストと、コマキストと言われた
栗原小巻はいつだったかと何年か前に調べたら、3月14日だった
同じ年の1日違い、へぇ~~なんてびっくり

芸能人で、お誕生日に3がついている人は、人並みじゃなく人のできないことができる人と言うので、3月とか、3日、13日、23日というお誕生日の人が多い

私の姉のように、3月23日などと言うと、普通に一般人としては、変わっているねでかたずけられることも多いけど

もう小百合さんも、小巻さんも79才だという…いつまでも若々しいことに驚くけれど
小百合さんのコマーシャルに関係したわけじゃないけど
この年で初めて、JR東日本のジパング俱楽部というのに入会した
新幹線の料金が最初の20回まで2割引きになるというので、21回からは3割引きだって
そこまで行くわけがないけど、1回でも大阪あたりまで往復すれば、入会金の元は取れそうだから

私が大阪まで年に数回行っていた時はその年齢ではなかったし、患者会に関係する交通費は、患者会の会費で出してもらっていたから
今はそれがなくなって、大阪に行く用事もなくなったけれど
今年の五行歌の全国歌会は大阪だというので、「のぞみ」には乗れないのだけれど、「ひかり」に乗って出かけようと思っている

大昔になってしまったアマチュア無線という趣味の他、次男の患者会の関わり、これは趣味ではないけど
それを辞めてから何もないはずの私に患者会活動と入れ替わりに、五行歌というものを知って
よくしたものだ…ただただ、良い歌が詠めないという情けない思いはあるけれど
私が詠む歌、なんということのない歌で充分かもしれないから

趣味の集まりというのは、地域も、出身校も、職業も、年齢も、家族構成も何も関係ない所にいる人が集うので、しがらみのない自由な世界だ
人間の生きていく時間の中で、こういう関係はとても大切なことなのかもしれないと思う

自由で、なんの束縛もなく、上下関係もなく
あるのは尊敬するという思いかもしれない
年に関係なく、好きな歌だなあと思える歌を詠む人を見ている関係・・・これが素敵でありがたい

この五行歌を作ってくださった、草壁焔太先生と同じ時代に生きていることが嬉しいし、いつまでもお元気でいてくださるようにと願っている

草壁主宰が吉永小百合と同じ日のお誕生日と知って、もちろん年齢は違うけど
3月の日記がこんな内容の日記になった