tonton

tontonの日常

元気がない

2022-04-30 14:13:44 | 日記
昨日から2階の自分の納戸のようになっている部屋をかたづけはじめた
古い服をプラケースの中に入れたまま、何年もそのままになっていた
着られっこない服が置いてあって場所をふさいでいるなんて
断捨離という言葉以前の問題だ

あれをこっちに動かして、動かしたものをカラにして
それをどこに置こう…

時々座って休みながら、暑い日だったら汗だくだなと、涼しい日で良かったと思いながら
ずいぶんと太ってしまって情けない、捨てるものがいっぱいある

今日もまた、次男を送って、次男の職場は棚卸で、いつも休んでいる土曜日も出ていくしかない
送って帰ってきてからまた重い腰を運んで2階に
まだまだ片付かない

前はこの部屋にベッドを入れて寝ていたのに
ベッドを下にしたものだからどんどん物が増えてしまって

長い連休、家で腐っていても仕方がない、片付けものをしていたほうがましなのだ

何となく、つまんないなあ…元気がないなあと、自分で思う

そういえばこの頃何も書いてなかった
私は書くことがおしゃべりしたことのように、気持ちが何とかなるのに
それをしていなかったからだ…と気が付いた

書く内容なんて特にない、だけどカチャカチャしないと元気になれない

もうお友達にメールと言うのもなくなってしまったし
カチャカチャ日記を書くしかない

次男の患者会にかかわっていた時
会費のうちから、50万円ぐらいの活動費が出た
一番初めは、役員になった人の交通費ぐらいは出したいというところから始まったと聞いた

会報、先生をお呼びしての講演会、会場費、通信費
そういう費用の中に、時々勘違いする話が出てくることがある

会のニュースを発行するから、そのためのパソコンを買ってほしい
というようなことだ

患者会の会費は、1年にいくらと会員から出していただくけど
その会員が1年に使うだけのことを本当は使い切るのが好ましい
もちろん翌年に絡むこともあって全部使いきったなんてことはないと思うけれど
その中に、何年も使うようなパソコンとかを買うこと、会の備品を増やすことは望ましくない
同じ会員でも翌年には辞めてしまうことだってある、その年内に使うべきものの会費であって、備品とか財産とかとして残すことはおかしい

こういう会はボランティアであって、家にあるものを使い、極端なことを言えば、広報担当にパソコンがないのなら、手書きのものでも良いのだから
パソコンを持っている人が、内容を打ち直すだけの係りの人がいたって良い

そんなことを会の中で何回か口にしながら
人から預かったお金の使い方は慎重にしなくてはいけない
これは会からは出せないと思うようなものを買ったとしてもそれは自分の身銭を切るということだ

小さな会でも勘違いするのかもしれないけど
もっともっと大きな、日本という国の税金を、総理も、役人も、トップに立つと、国の税金を自分のお金と思うのだろうか
会食をするような仲の良い人に仕事を回して、普通ではありえないような金額で手を打つというのを何回されてきたことか
よその国に行って、必要以上のお金をばらまいてくるという事
国民はみんな困っているのに

テレビや報道は
力のない人をとっちめるのが好きだ
もちろん大変な問題を起こした人にあれやこれや問いただすことは必要なことなのだと思う

けれど、その方法をどうして国の権力を持った人に突っ込んで行かないんだろう

いつもいつも何となく自分たちより弱そうな立場の人にしか偉そうにできない気がする
犯罪を起こしてしまった人、問題を起こした人
自分は正義だと言わんばかりの問い詰め方を見るのが何よりイヤだ

国会に元総理という人がいるのが不思議だ
その総理の時に、思い切りの仕事をしたのなら
後は次の人に任せて自分は辞めていくというのが道理じゃないのか
元総理の力を借りるようなことは何もない、役人がいるのだから

いつまでも昔の人にお給料を払うことも腹立たしい
みんなみんな税金だ…

と、こんなことを書いても、なんなんだこの人?と思われるだけかもしれないのに

あ~~自由に、どこにでも行って、元気におしゃべりしたいなあ
もう、歩けなくなって出掛けられなくなっちゃいそうな私
そんなに時間がないんじゃないかなあ

あれこれ

2022-04-25 13:37:08 | 日記
書かないでいると、あっという間に日にちが過ぎる
先週、火曜日はピアサポートのお当番で
水曜日は、あっという間に終わりそうな花に、待って待ってと、植物園に出かけてきた
冬の間、木を見上げて鳥を探していたけれど、この日はもう花だけ、早くしないと終わっちゃう、なんて思いながら


大好きな猫の手のように丸っこいウワミズザクラ、間に合った^^コンちゃんのことを思い出す、のどをゴロゴロ鳴らして、10キロという大きな体でも抱っこされるのが好きだったなあ

シュンランも咲いてる、シュンランの葉は、手で触ってみると葉のわきがざらざらしていると、高校の時先輩に教わった

ヤマブキも咲いていて、シロヤマブキがなくなっているのにガッカリ、小さな木はあったけど
姉の庭には大きなシロヤマブキの木があったのに
ヤマブキというと、山吹鉄砲を思い出す、子どもの頃、ヤマブキの軸とは知らなかったけれど、小さく折って舌で舐めて2つ細い竹の中に押し込んでパンと鳴らすおもちゃ、今はもうそんなの売ってないのかなあ…

ハヤチネウスユキソウ
山草を大事に植えているところがあって、日本のエーデルワイスといわれる、ハヤチネウスユキソウが1輪だけ咲いてた
コマクサと同じように、高い山まで頑張って歩いた人の特権かもしれない花を地上にいて見られる


クロユリも咲いてた、何年前かな、沖縄と北海道を交互に行っていたようなとき、ツアーで行ったバスから降りて、花の少ない季節の原生花園に行った時、クロユリが咲いていて嬉しかった


クマガイソウも今年も見られた、アツモリソウはもう何十年も見ていない
クマガイソウとアツモリソウはペアみたいな花なのに

イタドリ

ドイツの素敵な人のブログにイタドリを採ってきて料理して食べているという文章を見たとき
母が子どもの頃学校帰りに採って食べたのと違う食べ方があるんだと知ったらおもしろかった、母はイタドリなんて名前じゃなくて、スカンポって言っていたけど
高知県では普通にお料理して食べるらしい、酸っぱさを取るのに、皮を剥いて熱湯にくぐらせて、すぐに冷水に、半日から1日つけておくと酸味が取れるって、長期保存は塩漬けか冷凍、油で炒めて食べるとか


サクラソウが咲く場所は知っている、可愛い日本桜草が大好き
我が国は草も桜を咲きにけり 一茶


こんもりと茂っているクサソテツ、この新芽が出たばかりのが、コゴミと言う山菜になる
高くて食べられないと思ったら、今日、産直のお店で売ってた^^茹でてカツオ節をかけてお醤油で食べる
このコゴミも採取するときは指で茎をしごいてポキッと折れるところが取りどころ


菜花を採る時も同じように下からしごいて折れるところで折る

ニリンソウも、エビネも、黄エビネも、みんなきれいに咲いてる
花はきれいに咲くよね、汚く咲いたりしない


ネモフィラも、笑っているように咲くんだね、今年初めてそう思って見た^^


植物園では、今、日本桜草の展示がしてあって、桜草を保存して行けるようにと言う人たちが綺麗に花を咲かせていた

金曜日は車の定期点検、いつもきれいにしていないから、車屋さんに行くのが恥ずかしい、じゃあきれいにしとけよってことだけど、申し訳ない走る時だけで車の面倒見ていないから

土日はぐうたらして
月曜の今日は、次男の難病患者福祉金の手続き、1ヶ月当たり3千円、半期で1万8千円頂ける

帰りに遠回りして産直のお店に行った
筍の小さめのを2袋買ってきた4本、300円と450円、筍ご飯にしよう

そうそう、金曜と日曜、お友だちが送ってくれた北海道のウニで2回もウニ丼食べた
めちゃくちゃ美味しい
長男のところにも渡して、去年は、ウニパスタを作ったという画像が届いたけど
ウニをなにかいじくって美味しくなくなったらもったいないから、とにかくそのまま食べるのが私流
美味しかった~~^^友達に感謝


明日はピアサポートのお当番、がんばらんば!

4月20日頃

2022-04-20 20:41:52 | 日記
月日が経つのは早い
2020年4月20日頃…この日が長姉の命日になった、72歳だった
コロナ禍だったから、時間をかけて手続きが終わったのはずいぶん経ってからだった

長男が車を出してくれて、手続きも一緒にしてくれたけど
姉が父の亡くなった後この手続きを一人でしたことを思うと、大変だったなあと思った

姉の望み通りの孤独死
何かで間に合ってしまって私が駆けつけて救急車を呼ぶようなことになったらベッドで生かされてしまうかもしれない
そういう最後にはなりたくないというのが姉の望みだった

ただ一つの気がかりが遺された猫のこと、その時には2匹になっていたけれど、最多は6匹いたのだから

何歳かわからないけれど、老猫と思えたクロは、姉のあと1年半経った10月3日に、時間をかけずに死んだ
コンのような懐き方ではなかったので、年寄りは寝てばかりいるのかと思いながら静かにいて、時々ウンチハイとかでコンと走り回ったりもしていたから

そしてその半年近い3月31日、突然、コンが死んだ
朝起きてこないので見たら死んでいたという死に方はまるで姉のように…

姉の時には警察とか、解剖とか、なんだか涙も出なかったけれど
夜になって友達と電話で話をしたときにやっと泣けた

コンの可愛さは特別だったので、前の日も普通にしていて突然朝死んでいたという別れ方が悲しかった
10キロの肥満猫だったけれど、とにかく可愛かった、抱っこするのも大変だったけれど抱っこした時の顔も可愛かった
抱っこした本人は見れなくて、次男が抱っこすると私が顔を見て、私が抱っこすると次男が可愛いね~~と

クロの葬儀社に頼んだ時、体重別の料金表を見て、クロは小さかったけれど
コンは体重で行くと犬の中型犬のようだったから、ありゃりゃ大変、なんて思って笑ったけど

コンの葬儀社の電話を調べたらもうクロの時の会社がなくて
初めてのところに頼んだら、猫と言うだけで体重のことなど何もなかった
段ボールの箱に入れて待っていたら、桐の棺桶を持ってきてくれて上下の布団のようなものも用意してあった

合同だったから翌日にはお参りできますと言う事だったけど…

猫のことばかりになってしまった
姉が亡くなったというその日が、だいたいこの日20日頃と言うことで
姉の電話の明細が届いた時、横浜に、4月16日に電話したことが乗っていて
その時に通っていた横浜の整形の病院に予約したけど行けないという連絡をしたのだと想像した
16日までは生きていたけど、その後どんなふうに亡くなったのか、きちんと寝た形で、布団の中で動いたというか苦しがったという感じではなかったようだった・・・コンも同じだ

どうしたらそんなにあっぱれな逝き方ができるのかと思うけれど
ちょっと寝るからと、私が帰った後に6時に起こしてと言って眠った母が6時半になって起こしても起きなかったという、そのあっぱれな逝き方を、姉にも伝授したのかもしれない

もう何年も前のことのような気もするし、2年なんてあっという間だ

コンがいなくなって、それを姿を見て確認もしないのに、4匹の猫のうち、ピンを除いた3匹は何も無かったように、居間にいるのが当たり前になった

ピンは、ポポ母さんのいきなりの転嫁攻撃にあってから
いまだにポポがピンを嫌い威嚇するという関係のまま、ピンはずっと2階だけにいる

これでまた、花を飾ることもなくなってしまった
ポポもパンも、高い所も台所も、どこでも飛んで歩く
花瓶を倒されないように間に合ったけれど、スイセンの花を挿していたのが最後になってしまった

花より猫が普通だったのに、花も猫もというコンとの生活が良かったのになあ…

3キロあるかないかというパンとポポ、あまりの軽さに驚いたけど、もう慣れてしまった

あの世と言うのがあるのかないのか知らないけれど
クロとコンを迎えた姉は、こんなに早く来なくても良かったのにと言っているだろうか

4月18日

2022-04-18 22:21:59 | 日記
今日は夫の妹の命日
生きていれば70歳・・・21歳で亡くなった
痩せていて、遺影を準備することも出来なかったから
元気だった5歳の時の写真と、母親の写真を参考にして、絵をかいてもらっていて
その絵を遺影にしたのだった

妹の病気と、次男の病気が遺伝によるものだと知ったはずの夫は、どうして次男をもっと優しくかわいがることができなかったのだろうと、私のこと以上に思う
それだけ次男が軽くすんだということかもしれないけれど、次男にとっては毎日の頭痛がどうしてもどうにもならないのに軽いと言われたくないような…

朝起きて、今日が18日と知った時、妹の命日だと思った
こうやって、命日とお誕生日のことばかりが頭に入っていて
ほんとうはほかに覚えるべきものが抜けていっているような…なんじゃらほい

昨日、沖縄に行った友だちと高橋真梨子さんのコンサートに行った
埼玉の川口リリア

私が行くときとしては珍しく前から3列目、真梨子さんの顔が生で見ることができる近さ
コロナで休止中の時のこともあって、真梨子さんも確実に年を取ったんだなと、思った

歌声は今までと変わりなく、素敵にうまい
最初のロングドレスは初めて見たような深い緑の上着は花柄の
2回目は、スパンコールのキラキラした赤いパンツ姿
アンコールは、クリーム色のお姫様みたいなロングドレスだった

ついこの前、真梨子さんの40周年だったと思ったのに、来年は50周年だという
50年歌い続けるってすごいなあ…

出かけてる私は、ぐうたら生活のせいで、腰が痛いし、臀部が痛い…

明日は、ピアサポートで、また埼玉行き
何とか がんばらんば!

5泊6日

2022-04-15 22:50:21 | 日記
コロナが今後どのようになるのかわからないのに昨年12月の後、4月10日から5泊で沖縄に行って来た
ほんとうは、1月にも予定していたのだけれど、友だちの手術が決まって沖縄はキャンセルに
私としても、12月に続いて1月にも沖縄に行くとはちょっと言いにくい所もあって、延期と言うことに
友だちの手術も無事に終わって、その間コロナの患者数も多くて、このまま患者数が減らないのに行っても良いものかと思いながら、やっと4月に行くことができた

でも、次男の仕事を月水金にしたことから、私は次男の送りのない時に朝寝坊をして、ゴロゴロ暮らしていたもので
まあ、歩けないというか、朝起きられないというか・・・ほら見たことかとお友達に言われそうだけれど
普段歩かないから、こうなるのは自分でもわかっていたけど^^;

とにかく、もう数えきれないほど行った沖縄、観光はもういいかって感じで

それでもドライブして海を見に行ったけれど^^
途中、12月には花が咲いていた、トックリキワタが、今は実になっていて、木によるのがどうしてかわからないけど、ワタになっているのも走りながら見かけたけど、写真は撮れなかった

沖縄は面白い、くちなしの花もたくさん咲いていた、花壇には、コスモスも咲いていて、街路樹にブラシの木も、琉球朝顔が咲いているし、あとなんだったかなあ~~とにかくいろいろな花がいっぺんに咲いている

毎回楽しみにしていた東南植物楽園も、夜のイルミネーションに力を入れているようで、カートに乗って花の説明をしてくれるというのがなくなってしまって

琉球村も土日だけの開園
知らずに来てしまったから、月曜日からの平日に来る人には見に行くところがない

ということで
ひたすら夜の島唄ライブ居酒屋ちょんちょん、へと出かける
ちょんちょんと言う名前の意味は、来る来るという意味だって^^






日月火とお店に通って火曜日には、このお店に行くきっかけになった石川陽子さんとちょんちょんでお会いして
5年前のあの時、国際通りで、三線を持った陽子さんに、会わなかったら、ここに楽しみに来るなんてこと無かったからって^^

水曜日も、同じちょんちょんに、そして木曜日はお店の定休日、さてどうしようと思ったら、ちょんちょんの彩香ちゃんに教わって
島唄ライブ居酒屋結花へ 石嶺愛莉さんの歌を聞きに行く

夜は全部島唄の時間と言うことで買い物をする暇もない^^;
今回は何も買うことなく帰ってきてしまった
今日の飛行機は、11時25分発だったので、9時20分にホテルを出てレンタカーを返して、ガラガラ引いて電車に乗るのがイヤだから、飛行機に乗る時に宅配便で送るようにするのだけれど、それが混んでいて、30分も待っていた
何も買うことも出来ずに飛行機の時間

沖縄を出る時にはとてもいいお天気だったけれど、羽田は雨で気温も11度とか
夏のような沖縄から寒い所に帰ってきた