tonton

tontonの日常

なんだかな~

2022-05-28 20:06:55 | 日記
今まで1升炊きの電気釜だったのを、小さくした
4合炊き…
もうその小ささ、おままごとみたい
1升炊きだと2合からしか炊けないし、だいたい大きくてじゃま
5合くらい炊いて、保温にしないでレンジでチンすると、美味しくないと、夫が言い出した

だったらいつもは2合、お弁当と朝で3合、で充分じゃないかと
で、そうしてみたら、まあ、おままごと^^

家でみんなでご飯なんてことはもうなくて1升炊きなんて必要ない
内窯を洗うだけで、もう全然手間が違う

夫は、朝いきなり小さくてびっくりしたかもしれないけど、私も夫も何にも言わない


思い立って、五行歌の歌集を5冊買ったもう1冊は遅れて到着予定
なんというか、私のは歌じゃないと、つくづく思った
いや、前から思ってはいたけど、なんだかもう、すごいと、思った

歌集にするような歌は、やっぱり、文学だった
私のはただの愚痴のような、戯言だった…情けない

これから先、歌という歌が詠めるのだろうかと
何となく、歌集を読まなかったのはこういう思いをすることがわかっていたからだったような気がする

へたっぴいで、情けなくて、恥ずかしくなる
でも、どうやって詠んだらいいのかわからない

祖父母の歌を詠んでいるのを見ると、私の祖父母はどうしようもない人たちで歌の対象になんかならない
お葬式も悲しくなかった…なんて思ってしまう

両親のことを詠んだ歌にも、私にはこんな歌にできるような両親じゃなかったと、思ってしまう
姉妹のことも、うまくいっていない、いなかった、と思うと哀しい

夫はと言えば、妻がなくなった後に思いを歌にする歌人の多い中で、私にはそんなことはない、と思ってしまう
娘は冷めているし、親のことをどう思うということもないだろう、生活費が足りなくなった時だけの母親だ

長男も、自分の家族のことを守るだけでそれでいい
次男も、今後の問題も解決を考えることもなく刹那的に私と生きている

家族のことで優しい歌なんか詠めない
なんだか感情を込めた歌など縁が無いような気がして


コンのいたときお花を飾ることができたのに、今コンがいなくなって、どこにでも飛び乗る黒白の猫たちのいるところで花を飾ることもない生活がまた戻ってきてしまった

情緒面が乏しい私自身のことを、一番知っているのは私だ
ない物ばかり欲しがるけれど、それに見合う自分ではない
それを知っているのも私だ

なんだかな~の人生だと、つくづく思う