今次男が寝ている
頭が痛いと言って仕事を休んだ
次男は今、週に3回、月水金の出勤としてもらった
今日休むと明日も休みだから4連休になる
でも、そんなことより頭が痛い
夫は結婚した時、頭が痛いと連発していた
私はお腹が痛いのはよくわかるけど、そのころ頭痛なんて知らなかった
娘を出産するとき陣痛があって入院したけど、その後頭痛で、陣痛より痛いと思った
頭が痛いというのはこういう事かと思った
私は若い時からめったに薬を飲まなかったからか、頭痛がしても、痛み止めを飲めばすぐに効く
その薬を飲んで頭が痛いの治るなんてすごいねと、次男が不思議そうに言った
子どもを育てていた時、なんというか、すごい言い方だけど
人の痛みのわかる人になりなさい
なんて言ってきた
だけど、傍にいる父親は自分も頭痛持ちだったのに、次男の痛みを理解していない
子どもの時も大人になっても
言ったってわからないから、次男も父親にそんなことを言ったりしない
こんなことを書いている私だって、病院に行くこと、合計7回の手術を終えれば
もう何もしてやることも出来ない
合計7回の手術の時、手術室前で待っていたのは最初の時だけだった夫
仕事が仕事がというけれど、次男の手術にも傍にいないというのが…
患者会に属していた時
自分の次男よりも、問い合わせしてくる知らない人にばかり気が行っていて
すぐ傍にいる次男のことをちゃんと理解はしていなかった
子どもの頃、爪を噛んでいたけど
爪を噛むのがみっともないとは言ったけど、左手で爪を切るのは右手だけだったわけで
結局両方の爪を噛んでた
なんという親か…私
カップに入っているアイスクリームを食べることも出来ないのに
患者会に来ていた3歳ぐらいの女の子が巨峰の皮を剥いて食べることができなくて右手が大丈夫な子どもさんだったけど、左手が不自由だったら結局ブドウひとつ皮がむけないと、目の前で見ていたりした
なんという親か…私
菓子パンの袋を開けることも出来ない
はさみを使ったり、私に開けてと言ったり、歯を使って袋を破いたり、こんなささいなことができない
右手の脳梗塞の後遺症
利き手交換などという前に、次男は10歳のその倒れた後から自分で利き手交換していた
リハビリで利き手交換するようにと言われたわけでもなく
この次男を置いて、私は患者会活動に動いていて
1年に50日以上の会合だったり
電話相談は1年290回という数の年もあった
学校が終わった時ほっとしたけど、もう先生やクラスの人との関係がなくなったことが嬉しくて
それでも次男を夫の職場に置くようになっても、結局いろいろなことはあって
ただ、今日のように頭痛で休んで私のそばで寝息を立てている次男をちゃんと見てやっていなかったと思う
そんな親なのに、次男は優しい子になった
足の悪い人と歩調を合わせて歩けることにせっかちの私はすごいと思った
猫たちの面倒を見ることも…
私の電話相談の内容が自分に合っていた時、お母さんはわかっていると思ってくれたみたいだけれど
他人の話ではなく、次男の話だけで思い遣るべきだったのに
父親のことを好きでないことは悲しいけれど
それを父親に言わないでいることも次男の優しさでもある
自分の血族なのに自分の妹の病気の遺伝なのにどうして次男自身に優しくできないのかということが、次男の思いなのだ
私が夫とうまくいかないことを知ってから、何度も言う
どうしてその時離婚しなかったのかと
どうして僕を産む前に離婚しなかったのかと
悲しいことだけれど、私は笑っているしかない
そんなことは笑ってごまかす以外になんと言えばいいのか
頭が痛いと言って仕事を休んだ
次男は今、週に3回、月水金の出勤としてもらった
今日休むと明日も休みだから4連休になる
でも、そんなことより頭が痛い
夫は結婚した時、頭が痛いと連発していた
私はお腹が痛いのはよくわかるけど、そのころ頭痛なんて知らなかった
娘を出産するとき陣痛があって入院したけど、その後頭痛で、陣痛より痛いと思った
頭が痛いというのはこういう事かと思った
私は若い時からめったに薬を飲まなかったからか、頭痛がしても、痛み止めを飲めばすぐに効く
その薬を飲んで頭が痛いの治るなんてすごいねと、次男が不思議そうに言った
子どもを育てていた時、なんというか、すごい言い方だけど
人の痛みのわかる人になりなさい
なんて言ってきた
だけど、傍にいる父親は自分も頭痛持ちだったのに、次男の痛みを理解していない
子どもの時も大人になっても
言ったってわからないから、次男も父親にそんなことを言ったりしない
こんなことを書いている私だって、病院に行くこと、合計7回の手術を終えれば
もう何もしてやることも出来ない
合計7回の手術の時、手術室前で待っていたのは最初の時だけだった夫
仕事が仕事がというけれど、次男の手術にも傍にいないというのが…
患者会に属していた時
自分の次男よりも、問い合わせしてくる知らない人にばかり気が行っていて
すぐ傍にいる次男のことをちゃんと理解はしていなかった
子どもの頃、爪を噛んでいたけど
爪を噛むのがみっともないとは言ったけど、左手で爪を切るのは右手だけだったわけで
結局両方の爪を噛んでた
なんという親か…私
カップに入っているアイスクリームを食べることも出来ないのに
患者会に来ていた3歳ぐらいの女の子が巨峰の皮を剥いて食べることができなくて右手が大丈夫な子どもさんだったけど、左手が不自由だったら結局ブドウひとつ皮がむけないと、目の前で見ていたりした
なんという親か…私
菓子パンの袋を開けることも出来ない
はさみを使ったり、私に開けてと言ったり、歯を使って袋を破いたり、こんなささいなことができない
右手の脳梗塞の後遺症
利き手交換などという前に、次男は10歳のその倒れた後から自分で利き手交換していた
リハビリで利き手交換するようにと言われたわけでもなく
この次男を置いて、私は患者会活動に動いていて
1年に50日以上の会合だったり
電話相談は1年290回という数の年もあった
学校が終わった時ほっとしたけど、もう先生やクラスの人との関係がなくなったことが嬉しくて
それでも次男を夫の職場に置くようになっても、結局いろいろなことはあって
ただ、今日のように頭痛で休んで私のそばで寝息を立てている次男をちゃんと見てやっていなかったと思う
そんな親なのに、次男は優しい子になった
足の悪い人と歩調を合わせて歩けることにせっかちの私はすごいと思った
猫たちの面倒を見ることも…
私の電話相談の内容が自分に合っていた時、お母さんはわかっていると思ってくれたみたいだけれど
他人の話ではなく、次男の話だけで思い遣るべきだったのに
父親のことを好きでないことは悲しいけれど
それを父親に言わないでいることも次男の優しさでもある
自分の血族なのに自分の妹の病気の遺伝なのにどうして次男自身に優しくできないのかということが、次男の思いなのだ
私が夫とうまくいかないことを知ってから、何度も言う
どうしてその時離婚しなかったのかと
どうして僕を産む前に離婚しなかったのかと
悲しいことだけれど、私は笑っているしかない
そんなことは笑ってごまかす以外になんと言えばいいのか