tonton

tontonの日常

なんじゃこりゃ

2022-08-31 20:21:40 | 日記
私は数少ない経験しかないけど、たとえ患者会と言う関係しか知らないかもしれないけど
何か行事をするのに、普通、予算立てをして行う
ほとんどが1年の予定を年度の終わりに考え、年度の初めに会員に承認してもらって、動き出す

例えば、ブロック集会を行います、その費用は、会場費と講演の先生の講演料は、両方で5万円として
その予算を立てて承認を得るけれど

それについては、各ブロックからお客様をお呼びしようと思うので、その旅費、宿泊費、それから参加者が全員参加した時のことを考え、大きな会場を用意するかもしれないけれど、それは当日になってみないとわからない
その時の費用は後日明らかにするのでその時には承認してほしい

なんてことが通るわけがない

患者会だって会費で賄っているけれど、他にどこにお金がわいてくるわけもない
最初は5万でするつもりだったけど、実は蓋を開けてみたら50万かかったと言ったら、その費用はどうするのか、そんなもの企画した人の自腹を切ってもらおうじゃないかってことになりかねない

患者会じゃなく、企業だってこんなことが成り立つんだろうか、株主が許さないだろうに

オリンピックのときだってあとになってかなりの金額になったんだったと思う、胸糞が悪いからちゃんと記憶していないけど

税金を湯水のように使える議員の頭はどういう構造になってるんだろう
総理それはまずいですよと言う人もいないし、失策だったら、次は自分が総理になりたいと思っている人たちの集まりなんだろうか

国民が反対している人がいるというのに、2億5千万と言う予算だと言ってしまうこと
その他の部分は今後どうなるかわからないみたいな曖昧さ…


今日、市からのお知らせが届いた
私の名前だったので、なんじゃこりゃと思ったら
敬老の日の会をコロナのことで開くことができないから
古希 傘寿 卒寿 百寿 の人に写真館で写真を撮ってもらってその費用を市が出すという
自分が古希になるというのもピンときていないけど、敬老に日と言うのでたまげてしまった
なんじゃい、お葬式の写真を準備させてくれるというのだろうか、なんて

こんなわざわざ写真館に行くとか言わずに現金くれたらいいのに、なんちゃって

百寿と書いてあったけど、100歳の人に百寿なんて言うんだ、99歳の人の白寿しか知らなかった
とにかく70,80,90,100の年の人に写真館に行って写真を撮ってくるようにだって

行かない行かない^^

なんか無駄と言うかずれてる気がする


話したい

2022-08-30 21:04:18 | 日記
あぁこんなに書きたいと
思うのは
人と会っていないからだ
おしゃべりすることが
私の原動力なのに


小中とおとなしかった私だけど
高校は、よくしゃべった
私はしゃべらないと私の思いを伝えられない、この目の前の人が何を考えてるかわからない、話をしないとって思いながらきた
生徒会とか何かの会議とか、黙っているのがイヤで、言いたくてうずうずする
でも、どうしてうずうずするかと言えば、今ここで言っても大丈夫か?他の人の言うことを聞かないといけないのにとか
自分の言うことがこの場にそぐわないことではないかとか、いろいろ心配するから、だからうずうずする

でもとにかく、まあ良いかって言ってしまう
私は開き直る癖があるみたい…

40からの患者会活動で話をしないなんて信じられない
患者団体で、国会議員会館に行くときも、何か言わないでいられない^^;
国会議員の人は数人しかいなくて、あとはみんな秘書だけれど
ここで言わずにどうするって思ってしまう
でも、過激なことを言う訳じゃない、穏やかにおとなしく^^

議員の部屋に陳情に行くときも、2、3人で行くけれど、必ず話してくる
私は患者会の代表の立場で行くのだからと

大きな会場の時も、小さな部屋での時も、一緒にいた人が、いやあいい話をしてもらって良かったよと、お世辞でも言ってもらえるから…
そういう活動も嫌いじゃなかった^^…どういう性格か?って

小学校のPTAで、越してきたばかりの時、夫は、この辺の人はみんな思っても言わないんだからおとなしくしているようにと、私に言ったけど、それは、○○のお嫁さんが…とか、○○のお母さんがとか、近所の人はみんな筒抜けになるのを嫌がって言わないんだから、お前も余計なことは言うなって

私はこの地域には関係ないんだから、あそこの嫁さんがこんなこと言ったと言われる立場じゃないからと思いながら、はいはいって感じでいたけど、実際はしゃべってきた
必要なことしか言わないけど…

人は言葉があるのにそれを使わないでどうするって…こんなの昔のおとなしい私にはなかったこと、いつからそうなったんだろう^^;

当然のように、次男の患者会でもいろいろ思うことを言ってきた
本部には煙たい存在になったかもしれないけど、でも、変なことは言ってないはずって思ってきた

看護大学の先生の好意で患者会の人の話を聞く時間を作ってくださって、90分の時間、短くても良いからと、看護学生の前でお話しした時
チャイムが鳴ってびっくり^^と言うこともあった
ピアサポートのことを勉強会として、製薬会社の人が時間を作ってくださったときも、泊りだったから、1つの部屋でお話しした時、7,8人いたかなあ、その時も話をしたから、良い時間だったって言ってもらえて、めちゃくちゃ嬉しかった

東京都の主催で、ピアサポートの勉強をしたときにもなんだかちょっとずれた感じの講義のあと、お昼時間にお話しして、その時にいた若いお母さんに、講義の内容より今の時間の方が有意義だったと言ってもらえたりした

そういうことの一つ一つが嬉しかった
話がうまい訳はない、でも開き直って言えば、私は高卒のただの主婦だった、大学で勉強したわけでもない、社会でもまれたわけでもない、19から家にこもってきたのだから
そんなただの40過ぎのおばさんに誰も良い話を期待しないし、何にも上手に言えなくたってしかたがない

そんなこと思いながら、なんか気楽な身分で言ってきたかな^^

次男の患者会だけの厚労省交渉も、本部の人に任せておけばいいかと思いながら、今日は金魚のフンで良いのだと思いながら
言わずにいられない、これはどうしてですか?と聞きたい
何も言わないつもりがいっぱい言ってしまうこともあった

役人とだって、誰とだって話をしなくちゃ分かり合えない

だから私は話がしたい、それができないこの頃、しゃべることができなくて、書きたい
でも、難しいこと書いて突っ込まれるのはイヤだから、こんな自分の周りのことだけ書いてるけど^^

ブログをはじめたばかりの頃、私を知ってほしいと思うとき、ブログを読んでいる人だったら私のことわかってもらえるのに、なんて思ってきた
説明するのはめちゃくちゃ時間がかかりそうだから…
でも、そんなに面白いこと書いてるわけじゃないのにね…

おかしいよね~書きたいって…

 

贈り物

2022-08-29 19:48:47 | 日記
昨日の夜、薬を飲んだら、あららんこれで最後だったと…
今日次男を職場に送った後、クリニックに行って来た
代診の先生の日で、待合室はガラガラ…私も薬だけだったので…

帰り10時まで待って10時開店のスーパーに寄って今晩の夕飯用に買い物してきた
今日はずいぶんと涼しくなった
こんなに8月のうちから涼しくなったのかなあ?なんだか天候が昔と違う気がする

季節の果物はちゃんと季節になると実ってくるのか
今は、梨がスーパーに並んでいるけど、まだ手が出ない
少し前まで、梨ってこんなに高かったかなあ?
そんなこと言うと、1年に1度しか収穫できない果物のこと、農家の方のご苦労を思うと…と言う気持ちもあるけど

園芸高校には、少し離れたところに果樹園があって、桃の時にも書いているけど
多摩川は梨の産地でもあって、園芸高校の果樹園も梨が一番多かったか

歴史のある学校と言うのは、いろいろおもしろい話が残っている
園芸高校で人気の梨は、菊水 と言う品種だった
大きな球で、皮は青梨の感じ、みずみずしくて、かじると果汁がこぼれ落ちそうな甘い梨

これは、菊池先生と言う方が、見つけた品種で、先生の名前の1文字が入っていて、菊水と言う

園芸高校以外では食べることができなかったから聞くと
皮に傷がつきやすいので、出荷することが大変だという

それで、ときどき、梨のもぎ取りの農園で、菊水を聞くことがある
その場でとって食べるのに適していると言うことのようだ

果物が、梨に限らず、何年か前より高価になった気がする
子どもの時のように、一山いくらなんて売り方ではなくなったような
もちろんザルに乗らないだけでビニル袋に、数個入れて売っている果物もあるけど

1個いくら、2個いくらという感じの売り方になって来たのか、たくさん食べなくても高級感のある果物を1個2個買えば良いということか、家族が少なくなって、2個も買えば良いということか

何でも値上がりしているのに、果物だけ安いわけがない…でも、果物大好きな私としては、手が出ないのは哀しい

だからこそ、きっともう少ししたら夫の知り合いが送ってくれる梨が嬉しい

お友だちが、桃や、さくらんぼを友だちの農家に注文して送ってくれる
その時にはいつも、長男家族の分もと2箱が届く
果物だけでも大変なのに、お中元お歳暮といつも2つずつ送ってくれる
こんなに申し訳ないから、うちの分だけで良いから^^って言っても…

もう何年もそうしてもらっているのに、この前、もったいないから良いのにどうしてそんなに2軒分も送ってくれるの?と聞いたら

それはね、長男君もA子ちゃんも、君に優しくしてくれるようにと思ってねって…

そんなふうに思ってくれたことはじめて聞いて…嬉しかった
私は、親にだって、あんたが婚家でお母さんたちによくしてもらえるようにとお中元やお歳暮を贈るから…みたいなことを言われたことはただの1度もない

親にも言われないことを、お友だちに言ってもらって幸せな気持ちになった

このお友だちは、自分の家での頂き物を食べるかどうか聞いてくれたりして、海苔とか、梅干しとか、そうめんとか、珈琲とか箱に詰めておくってくれる時、隙間があると、タオルとか、箱入りの小さな珈琲とか、ミニタオルとか
とにかくパンパンに詰めて送ってくれる
この宅配便をはじめて開けた時も、実家から届く宅配便ってきっとこんな感じなのだろうなと思って、もらったことない贈り物に胸がじんわりした

心がこもるって、こういうことなんだなって…

じゃあ、私は娘にそうして送るかって…うちにそんなに送るようなものはない
娘は、諭吉さんが良いという、もうすぐ、諭吉さんじゃなくて、栄一さんになるんだろうか
そんなに余るほど娘に回すほどはないんだけどなあ…

茨城弁

2022-08-20 15:19:26 | 日記
もう30年も前になるけど、アマチュア無線をしていて開局した大田区から茨城県土浦市に越して
越してきたところに大田区で受験した2級アマチュア無線技士の合格通知が届いて
めちゃくちゃ嬉しかった、訳の分からないまま、落成検査も無事に通って
この少し後で落成検査はなくなったとか…
2アマの試験も筆記じゃなくなったと聞いたような、違うかな?

それから今のところに越してきて、近所の人とアイボールもして
アイボールと言うのは、普段無線のマイクを通して話をするけど、目と目で会うときのことをアイボールという^^

茨城に越してきて、ちょっと思ったのが
茨城の人は、みんな標準語を使おうとして交信する
で、近所の人に声を掛けられて、周波数を変えて話しをしたりするときは、もうしっかり茨城弁で話をする

私はよそ者だけれど、なんだかちょっとがっかりして

京都や大阪の人は、どこでも誰が相手でも、京都弁、大阪弁で話をするのに
イントネーションが微妙に違う標準語を一所懸命話すけど、私は思ってたんだ、なんで最初から茨城弁で話さないんだろうって
お国訛りの飛びかう交信だったら楽しいのにって
え?って聞かれたとしても、何回も説明すればいいのにって

私はその後、無線を辞めてしまったけれど
それは近所の家にTVI、テレビに電波障害が出てしまったから
夫が見に行ってくれたけど、あんなに古いテレビじゃどうしようもないけど、テレビが古いとは言えないしなって

そんなこんなで、子どもたちもまだ小学生だし、辞めてしまった
1度ならず2度まで転居すると、今まで集めた交信した記録のQSLカードもまた一からとなってしまうし

夏場、6月ごろから、見ていたテレビが乱れると、6エリア、沖縄と九州が6エリアと言うのだけれど、沖縄が聞こえるかもしれないと、アンテナを南に振って、周波数をぐるっと回して
CQ6エリア、CQ6エリア、沖縄聞こえませんか?と声を掛けてマイクをはずして様子を見る、電波の状態では、近所の人のようにガツンと大きな声でJA6〇〇〇と聞こえる時とか、静かにJA6△△△と聞こえた時とか、自分のコールサインを繰り返す
YLさんどうぞ、というとき、たとえ私以外にYL(女性)がいたとしても、もう一度コールサインを言ってみる
そこで確認が取れると、そりゃあもう嬉しくて

私の出ていたのは、2m(ツーメーター)144MHzのSSBというところだったから、関東からつながるのは、せいぜいが愛知県とか、聞こえる所で京都とか岐阜とかだったから、沖縄が聞こえるのはスポラジックE層という、なんと言うか突然のおまけみたいにつながる時だけだったから
こちらからCQを出していても、関東に人がたくさんいたら、他の人たちに周波数を譲って私はほかに移るという感じだったけど

そのころは、YL と言うのはヤングレデイの略みたいな言い方だけど、結婚はしていても29から33ぐらいの私、今よりはるかに若かった
だから、YL がいるからと、何かの時にパイルというみんなからたくさん呼ばれることがたまにあって
その時に、自分で一人をピックアップできないと、もたもたしてるまに誰もいなくなると言うことになるらしいけど、そのパイルアップをうまくさばくのに自信があった私
必ずマイクを返した後には1局は呼ぶというのが、YLさんいますか?でもJH1の方どうぞでも、JA1 と言うのは、プリフィックスと言うので、あとの3文字はサフィックスと言うのだけれど、サフィックスAの方いますか?と言うような感じで、何かしらを聞いて呼ぶと、何とかつながる

それが下手だと、何回も声を掛けながらつながることができなくなってしまって、聞いてる方はいらいらするみたいな
こんなことに自信があるというのも随分だけど、とにかく楽しかった

短い年数で唯一の趣味をなくしたけど、この経験があったから
患者会で知らない人と電話をするのも、苦にならなかったし
ガサツな私なのに敬語を覚えて、だから、病院の先生方と話をするのもちゃんと敬語使えたし
電話級と2アマの本を丸ごと1冊暗記したから、自動車運転免許の試験もなんちゃなかったと思えたし

そして何より、こうしてパソコンでカチャカチャ知らない人とつながることができたから
みんなアマチュア無線の経験からかなあと、自分だけで思ってる

次男が3ヶ月の時に1冊丸暗記して、大田区の、当時の電子工学院に国試を受けに行ったこと懐かしい^^
子育て中の育児ノイローゼにならないようにハムをしています、なんて言ったりして

方言のこと書こうとしたら、こんな話になっちゃった^^


年寄り子ども

2022-08-20 12:47:18 | 日記
生協のお知らせでホームヘルパー2級の講習会とかなんとか、よく覚えていないけど、そんなチラシを見た
今から職業に就くとしたら、こういう仕事が良いかと…ちょっと思ったけど
そうそう、私は年寄りが嫌いだった…そう思いなおしてやめた
もう10年も前のことだ

私は、子どもが苦手だ…幼稚園の先生とか、こういう仕事に就く人えらいなあ…とか思ってきた
子どもが苦手な女性と言ったら、人間的に否定されそうだけれど、誰でもみんな子どもが好きな訳じゃないと思う

私は子どもの時から超真面目人間でやってきた
お掃除の時間もさぼったことはない
だからと言ってさぼっている人に注意するという訳でもない
私は自分のするべきことをするだけだ

園芸高校の野菜の時間は、ひとり一畝ずつ並んで、1時間の授業時間にいかにきれいにいかに早く除草をする、という実習も何回もあった
とにかく、この畑1枚分の草取りをしなくちゃいけないのだ

隣同士の女の子がその時間中おしゃべりしていれば、前に進む訳がない
自分の畝の分を終えたら、私は反対側から、遅い畝の草取りをする
恩着せがましくするのではない、手伝いに来たよって感じだ

いつもクラスの仲は良かった
私もぐずぐず草取りをしたって良い、でも私の性格が許さなかった
だからと言って、そのおしゃべりしている人の分を私たちがやらされているという感覚はなかったし
おしゃべりしないで動けばいいのにと思ったこともない
人には得手不得手がある…みんな一緒、みんな同じは気持ちが悪い

子どもの頃にいた、好きじゃなかったジジババに母がいじめられないようにと気を遣ったし、行っても楽しくないのにせっせと通った
小さい台所に、お茶碗の1つでも置いてあったら洗ってくる
小さいテーブルの前に座っているババがよっこらしょと立ち上がる前に、お客様に対応する
いつだってやるだけのことはやってきた

結婚して、夫の母のお手伝いさんのように通った日も
1度8時15分に家を出たら、それより早くは帰れなかった、8時15分で、10時40分の最終バスに間に合うと自分自身でわかっていたら、早く帰ってしまおうなんてできない 母は帰りの時間は大丈夫なのかい?と聞いてくれても、まだ大丈夫と言って、2時間もかけて晩酌とご飯とを食べる父の最後のお茶碗を洗い終わって帰ってきた

卵の卸の会社に勤めた時も、農水省の研究室でパートしたときも、大きな花屋さんで働いた時も
手を抜くと言うことができないから、誰よりも働いたと思っている
時には、他の人が働いていないように見えるから迷惑だと言われたこともあった

夫の母が旅先で、糖尿病からくる心不全で棺に入って帰宅した
夫の父は3年後、私の家に来てもらったのに1週間で帰されることになって、帰宅した翌日、義長兄が用意した老人病院に入れられて45日で亡くなった

私の母は入院していた病院を退院して2週間目に、ちょっと寝るから夕飯には起こしてと言ったまま、眠ったまま目を覚まさなかった
94の父はボケもせず、男性だからと診断が遅れた膠原病で入院して20日ぐらいで亡くなった

私は4人の親の誰一人として、看病とか、下の世話とかをしないで済んでしまった
嫁孝行、子ども孝行をしてもらったようだけれど、4人の親が亡くなった後ではあったけど年寄りは嫌いと言ってしまう私には世話にならずに逝くというあっぱれな逝き方だったかもしれない

子どもは苦手でも、自分の子どもはシャカリキ頑張って育てた、それは苦手だの嫌いだの言ってる場合じゃない
長男が生まれてベッドに来た時、この子の為に弟妹を産まなくちゃと思った
2ヶ月もつわりで入院したというのに、もう2番目のことを考えてた

こういう親には、手のかからない子どもを運んできてくれるのか、近所のママたちが、昼寝をしないで困るというのに、長男は、3時間も4時間もまとまって昼寝してくれたから、夕飯の支度も掃除も洗濯ものをたたんでも、まだ起きなくて、ちゃんと息しているんだろうかと、お腹が上下に動くのを見て確認したりしてた

2人と思った子どもは3人になって…それでも他所さんの子どもは苦手だった
ピアサポートの時に、私は子どもが苦手だからと言ったら、数人の人が、あら私もと言うのを聞いて、あら私だけじゃなかったかとなんだか安心したりして

子どものそばで働く人たちの問題な事件が起きる時、子どもが可愛くなくなったらその仕事を辞めればいいのにと思うし
老人施設で体罰とか、死なせるというような特殊な事件がテレビに出ると、そういう仕事についちゃいけないと思う

私は自分が年寄りになって、もう年寄りは嫌いと言うことはないけど
ほんの少し10年位前、年寄りの傍にいる仕事に着いたら自分がどれほど消耗するまで働くかわからないと、何となく思っていたからそういう仕事をしなかったのだと思っている

年寄りは嫌いだからと、その言葉だけで、私をそう判断した人もいるかもしれないけど
私は今、多くの友達が私より年上で、私はその友人たちが大好きだから
友達以上恋人未満の一番大切な友だちも75歳、ほんとは立派な年寄りだけど、大好きだから^^