ビジョンマネジメントな生き方

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ワールドカップについて(毎日新聞モニター)

2006年06月24日 | Private Matters
 ワールドカップサッカーは、少なくともわが国においては、純粋にスポーツを愛し、観戦するという対象ではなく、単なるお祭りであり、自己を奮い立たせてくれるイベントに過ぎない。それは、集まって騒ぐことが目的化している若者や、ルールを理解することなくただただ両手を合わせて祈り続けて涙する人たちを見れば分かることである。そして、こういったスタイルを作り上げてきたのが、Jリーグ発足時からの川口氏を頂点とする協会側であり、熱狂する若者たちの姿を追い求めてメディアに流し続けたマスコミである。
 サッカーは観戦するだけなら至極単純なスポーツである。野球やアメリカンフットボールなどではそうはいかない。だから彼らにも受け入れられたのである。テレビは視聴率を上げ、新聞は部数を増やした。これで良いのである。この熱狂の恩恵を、マスコミ各社は被ってきたのである。それをいまさら、監督の指導力やFWの決定力不足を云々してはいけない。そういうものを云々できるような「スポーツ」ではなく、「イベント」に育て上げてきたのはマスコミ自身なのであるから。

ブラジルに大敗を喫した翌朝(6月24日)の新聞を読んだ。
 論説委員荒木茂氏のコラム「交流こそサッカーの魅力」は、上述のような筆者の日頃の思いを代弁してくれており、荒木氏や筆者同様、純粋なスポーツの実践者の多くは溜飲を下げたことだろう。
 「サッカーの祭典を楽しむ盛り上がり方だっただろうか」と問題を提起し、「Jリーグが作り出したバブル人気が、W杯を舞台にした代表チームに移っただけではなかったか」と冷静に分析し、「W杯に向けて、私たち日本のメディアは、一喜一憂に拍車をかけた」ことを真摯に反省する。ここまでは良い。
 しかし、「本来サッカーが持つ魅力をもっと身近に感じて欲しい気がする」という件には首を傾げざるを得ない。そのための働きかけを行わず、「バブル」を煽ったのはメディアの責任ではないか。サッカーを40年続けてきている論説委員という立場の人が、他人事のように表現できるものではないと思う。
 同日付社説「こんなにも弱かったとは」の最後の部分でも「マスコミの取り上げ方も実力以上に日本選手を大きく映してしまっていたのかもしれない」と同じく反省し、「悔しい1次リーグでの敗退を機に、頭を冷やしてみることも必要だろう」と結んでいる。
 「メディアは」などという一般論ではなく、毎日新聞は、ぜひとも4年後に向けて、「サッカーの魅力を身近に感じさせる」報道を「頭を冷やして」考え直して欲しい。

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