ビジョンマネジメントな生き方

経営学(理論)と経営(実践)の
2つの現場を奔走するビジネス・メンターの独り言

バレンタインデーには花を買って

2009年02月14日 | Private Matters
昔は貰えた。こんな私にも、その昔なら、くれる人はいた。最近では、皆無である。酒席も減ったので、義理チョコをゲットする機会も激減した。
この悲しい現状に対して、開き直れるきっかけを得たのが、10年前の在外研究中に目にしたひとつの情報。当時、ネットで配信していた滞在記を、以下にそのまま引くことにします。

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女性が男性に、チョコレートを贈って愛の告白をする。バレンタインデーというのは、そういう日だと思っていたのですが、どうもそうではなさそうです(20数年前のミシガンでは、確かに女性がハート型のチョコを男性に贈っていました。当時高校生の私も、もらいました。ただし、ホストファミリーのお母さんから)。

女性の家にバラの花束が届けられ、彼女は満面の笑みでその花束を手にする。バックに「あなたの大切な人へ、時間通りにお届けします」というメッセージ。2月に入ると、こんなTVコマーシャルが頻繁に流れるようになりました。「あれ、男が贈るんだったっけ??」今や、家内が作ってくれるチョコレートケーキが唯一のものとなってしまった私でも気になるところです。

私の住むアパートの住民向け情報誌が、商務省、全米フローリスト協会、チョコレート生産者協会のデータをもとに、「バレンタイン・ファクト」という記事を載せていましたので、これを紹介しましょう。

・毎年全米で10億通のバレンタイン・カードが配達されている。
・この日は「母の日」に次ぐ、二番目に花が売れる日。
・この日は「クリスマス」「母の日」に次ぐ、三番目に物が売れる日。
・この日は「クリスマス」に次ぐ、二番目にギフト・ラッピングの注文が多い日。
・1996年のバレンタイン・デーには、1億4千6百万本のバラの花が売れた。
・男性の73%が花を買う。
・女性の23%が花を買う。
・1995年に、ハート型の箱に入ったチョコレートが3,500万個売れた。
・1996年2月の1ヶ月間で、12億ドルの宝石が売れた。
・1995年2月の1ヶ月間で、1100万ドルのダイヤモンドが売れた。
 
どうやらまだ、チョコレートというのもあるようです。女性から男性にチョコレートが贈られ、男性からはバラと宝石が贈られる。ニューヨークのティファニーなんかが、ハート型のネックレス売るために考え出したパターンなのかと思ってしまいます。

ティファニーで思い出しましたが、そういえば、誰が考え出したのか、ホワイトデーなんてのがある。日本の男性諸氏は、バレンタインデーに高々数百円~数千円のチョコをもらったが為に、1ヶ月後にティファニーかどこかで多額の出費を強いられる。

あ、そうか。アメリカの最近のバレンタインデーは、これが合理化されて、一日に集中しただけなのか。

(1999年2月19日)
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こんなことを書いたなぁって、帰宅途中に思い出した私は「アマダ」バラを3本買って帰りました。もちろん、私から1本、長男から1本、次男から1本の計3本。我家の野郎どもから我家唯一の女性に対するバレンタインデーギフトということで。


「かんぽの宿」について

2009年02月12日 | 経営、経営学、経営指導
2千数百億円もの資金を投じた全国の「かんぽの宿」が、たった100億円そこそこでオリックス不動産という一私企業に売却されるというのはいかがなものか。これでは、国民が納得しないのではないか。
鳩山という総務大臣が問題提起をし、沈没寸前の自民党丸でひとり点数稼ぎに躍起である。調子に乗ったこの大臣の矛先は、オリックス・グループの最高経営責任者宮内義彦氏に向けられる。小泉行政改革の中で、当時の総合規制改革会議議長であった宮内氏と日本郵政との癒着疑惑に言及し、果ては、(アメリカ金融資本主義の崩壊で諸悪の根源はマネーゲーム化した金融経済であるとの巷の屁理屈を味方につけたかったわけでもあるまいに)オリックス・グループそのものへの批判へと展開する。
一部の客観的事実だけを編集して短時間の報道番組で見せられた人にとっては、「鳩山、よくやった!」となるのであろう。しかし我々は、ことの本質の、もっと根源的な部分に目をやる必要がある。
そもそも、二束三文の価値しかないものを、多額の税金を使って作り続けたのは誰なのか。そういう省庁の大臣を排出し続けたのはどこの政党なのか。この件について、いったい、誰が責任を負ったのか。
「デキレース」というのなら、その当事者である西川という人を民営化初の社長に抜擢したのは誰なのか。都銀の経営者として評価に値する業績を残していない人を、あえて民営化初の社長に登用したことの責任は問われないのか。他にもっとマトモな経営者がいたにもかかわらず、よりにもよってこの方を登用した見識のなさと了見の狭さは批判の対象にならないのか(M銀のM氏を登用しなかっただけマシっていうのはエクスキューズにならない)。
公明正大な入札で決定された取引を反故にして、再度適切な売却処理を行ってから日本郵政の経営者の進退決断を迫るらしいが、その前に、鼎の軽重を問われるべき人がたくさん居るのではないか。せめてマトモなメディアはこういう点に切り込んで欲しいと思う。