尼崎JR脱線 鈴木さん重体から回復 左手で文字
2005年4月25日の事故で重体であった人がこの程、病院を退院したと言う。
退院おめでとうございます。
>「脳挫傷や脾(ひ)臓(ぞう)損傷など」
を負いながら、その後回復。リハビリを続けながら、文字を書いたりも出来るようになったと言う。本人も家族もうれしいでしょう。ゆっくり、体を治してください。
そして、こういう事故が二度と起こりませんように。
YAHOO NEWS 『JR福知山線脱線事故』(一覧) 2005.4.25~
―――― 記事がリンク切れになると、内容が分からなくなるから、記事の全文を引用します。
[神戸新聞]
尼崎JR脱線 鈴木さん重体から回復 左手で文字
2006/03/30
尼崎JR脱線事故で重体となり、生死のふちをさまよった西宮市の鈴木順子さん(30)がこのほど退院、二十九日、自宅で家族とともにマスコミの取材に応じた。退院後も順調に回復。ペンを握り、「ありがとう」と初めて文字を書いた。プリンをスプーンですくい、自分で口に運んだ。「頑張るの」と、前向きな言葉を口にする。家族は「百点満点以上。パーッと前が開け、春が来たみたい」とうれしさをかみしめている。(中島摩子)
文字を書いたのは二十四日夜のこと。紙とペンを渡された順子さんは、左手で「ありがとう」と書いた。
母親のもも子さん(58)は「初めて書いた言葉が『ありがとう』。親としては一番うれしかった。何よりのプレゼント」と涙を流した。
翌二十五日には、誕生日の姪(めい)に向けて、「おたん生日おめでとう」とつづった。
昨年四月二十五日、順子さんは二両目で事故に遭い、脳挫傷や脾(ひ)臓(ぞう)損傷などの診断を受けた。集中治療室で意識不明が続き、ベッドの上でまったく動かなかった。
当初、「99%助からない」とされたが、五月中旬になって体を動かし、目を開いた。その後、リハビリに取り組み、九月には「お母さん」と言葉を発した。
今月中旬、神戸市の兵庫県総合リハビリテーションセンターを退院。
これまでは、チューブを使って栄養剤を胃に流し込んでいたが、二十三日、家族が「お茶飲む?」とたずねると「うん飲む」と返事し、口を開け、飲み込んだ。ヨーグルトや蒸し穴子も食べることができた。「やったー」、家族は驚き、喜びを弾けさせた。
会話もぐんと増えた。「二両目の後ろに座ってた。怖かったの」と脱線事故のことを話したり、「パソコンするねん」「歩くねん」と言ったり。自分で歯を磨き、髪をとくようになった。「イエーイ」とピースサインをすることも。
姉の川畑敦子さん(33)は「回復が早くて、私たちがついていけないくらい」と目を細める。
もうすぐ桜の季節。もも子さんが「花見に連れていってあげるね」と声をかけると、順子さんは「早くお外、行けたらいいな」と笑顔を返した。
――――――― 神戸新聞から引用
こころから、少しでも多く回復して欲しいと思う。
2005年4月25日の事故で重体であった人がこの程、病院を退院したと言う。
退院おめでとうございます。
>「脳挫傷や脾(ひ)臓(ぞう)損傷など」
を負いながら、その後回復。リハビリを続けながら、文字を書いたりも出来るようになったと言う。本人も家族もうれしいでしょう。ゆっくり、体を治してください。
そして、こういう事故が二度と起こりませんように。
YAHOO NEWS 『JR福知山線脱線事故』(一覧) 2005.4.25~
―――― 記事がリンク切れになると、内容が分からなくなるから、記事の全文を引用します。
[神戸新聞]
尼崎JR脱線 鈴木さん重体から回復 左手で文字
2006/03/30
尼崎JR脱線事故で重体となり、生死のふちをさまよった西宮市の鈴木順子さん(30)がこのほど退院、二十九日、自宅で家族とともにマスコミの取材に応じた。退院後も順調に回復。ペンを握り、「ありがとう」と初めて文字を書いた。プリンをスプーンですくい、自分で口に運んだ。「頑張るの」と、前向きな言葉を口にする。家族は「百点満点以上。パーッと前が開け、春が来たみたい」とうれしさをかみしめている。(中島摩子)
文字を書いたのは二十四日夜のこと。紙とペンを渡された順子さんは、左手で「ありがとう」と書いた。
母親のもも子さん(58)は「初めて書いた言葉が『ありがとう』。親としては一番うれしかった。何よりのプレゼント」と涙を流した。
翌二十五日には、誕生日の姪(めい)に向けて、「おたん生日おめでとう」とつづった。
昨年四月二十五日、順子さんは二両目で事故に遭い、脳挫傷や脾(ひ)臓(ぞう)損傷などの診断を受けた。集中治療室で意識不明が続き、ベッドの上でまったく動かなかった。
当初、「99%助からない」とされたが、五月中旬になって体を動かし、目を開いた。その後、リハビリに取り組み、九月には「お母さん」と言葉を発した。
今月中旬、神戸市の兵庫県総合リハビリテーションセンターを退院。
これまでは、チューブを使って栄養剤を胃に流し込んでいたが、二十三日、家族が「お茶飲む?」とたずねると「うん飲む」と返事し、口を開け、飲み込んだ。ヨーグルトや蒸し穴子も食べることができた。「やったー」、家族は驚き、喜びを弾けさせた。
会話もぐんと増えた。「二両目の後ろに座ってた。怖かったの」と脱線事故のことを話したり、「パソコンするねん」「歩くねん」と言ったり。自分で歯を磨き、髪をとくようになった。「イエーイ」とピースサインをすることも。
姉の川畑敦子さん(33)は「回復が早くて、私たちがついていけないくらい」と目を細める。
もうすぐ桜の季節。もも子さんが「花見に連れていってあげるね」と声をかけると、順子さんは「早くお外、行けたらいいな」と笑顔を返した。
――――――― 神戸新聞から引用
こころから、少しでも多く回復して欲しいと思う。