異視点

世の中のなぜ?人生のなぜ?宇宙のなぜ?を垣間見ましょう!

神々の里巡礼日記(宮崎県中部編2)

2015-11-29 22:41:32 | 日記
つづき




御池(禊ぎが池)のお隣といいますか、

境内地の中にといいますか、

江田神社というのがあります。



主祭神は、

伊邪那岐尊 (いざなぎのみこと)

配祀神として、

伊邪那美尊 (いざなみのみこと)

ということです。

つまりは、

天照大神や

須佐之男命(スサノオのみこと)

のご両親に当たる方々です。



この神社は、

精気に満ち満ち、

清らかさと

静けさに満ちており、

まさにパワースポット。。。


写真からも伝わりませんか?



ちょっと尋常じゃない

清冽な波動です。

前回の記事に書きました

わたくしの身体の具合も

益々良くなっていく感じがします。




こちらが本殿

この「神々の里巡礼日記」は、

まだ続きますが、

このたびの旅で、

最も凄かったのは、

この江田神社と御池ではなかったか?

と思うしだいです。

(高千穂も別な意味で凄いので、

 何とも言えない面もありますが・・・)

また、身体の具合がよくなったのも、

はっきりと申せば、

みそぎ池のせいか、

江田神社のおかげか、

はっきり言えない面もあります。

とにかく、

こういう聖地を有する

宮崎に住む方々は

有り難いとの感謝の心を

忘れてはならないと思います。

それにしても、

参拝客とほとんどすれ違いませんでした。

多くの人が軽視しているのでしょう。

わからないのでしょうね?

はっきり言ってすごい所です。。。






続きまして、

夜になってしまいましたが、


八紘一宇の塔

宮崎県宮崎市の中心部北西の高台、

平和台公園にある塔です。

国家主義を連想させるなどとして、

否定的な見解もありますが、

これは、神武天皇に縁のある言葉でして、

世界は一つ!というような

道徳的な意味です。



今風に言うならば、

「人類みな兄弟」とか

こういう言葉はみなさん賛同されるでしょう?

だから、

本来は、平和を基調とする

高い精神を現した言葉であったのではないかと

思いますね。。。



まあ、すごい塔ですよ





で、しめは、遅くなってしまいましたが、

宮崎神宮です。

ご祭神は、

神武天皇

鸕鷀草葺不合尊と母神玉依姫命でございます。

神武天皇は初代天皇でございまして、

天照大御神からは五代目の御孫にあたります。

鵜 草葺不合尊(鵜戸神宮ご祭神)の第四皇子で、

母は玉依姫命(たまよりひめ)と申します。

日向の国から

大和の国へと東遷された神さまであられます。



夕飯は、

日本一の宮崎牛をごちそうになりました。



絶品・美味でございました。

みなさまもお越しの際はぜひ!



つづく



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神々の里巡礼日記(宮崎県中部編)

2015-11-27 13:40:00 | 日記
つづき





続きまして、

しだいに宮崎市内のほうへ入ってまいりますが、

青島というところへ行かせていただきました。

青島は、宮崎市の南東部・海岸付近に

ございますが、対岸は青島海岸と呼ばれ、

青島海水浴場などがございます。



海岸沿いには、規則的に重なった地層が

緩やかな傾斜をなしているため

階段状に侵食され、

巨大な洗濯板のように見える

「鬼の洗濯板(岩)」というのがあります。


天然記念物に指定されているそうです。



島の中には、

青島神社がございますが、

これまた少し距離がありまして、

私たちはまたしても、

カートのようなものに乗せていただき、

神社のほうへ向かいました。

青島神社は彦火火出見命が

海積宮からご還幸された

御宮居の跡といたしまして

彦火火出見命

豊玉姫命

塩筒大神の三神をおまつりいたしております。




御社殿です。

ここの右手奥には元宮がございます。

島の中に存在することから、

そもそも、外界のガヤガヤとしたものから

遮断されておりますし・・・

そうですね。

非常に神聖な空気がながれております。

名残惜しいですが、スケジュールが

つまっていますので、次の場所へ。






宮崎市内阿波岐原町(あわぎがはらちょう)へ。

あたりはシーガイアなどと言われる場所もあります。

ここ

みそぎが池です。




伊邪那岐尊 (いざなぎのみこと)

ご存知でしょうか?

あの天照大神のお父君です。



この池に連れてきていただいてですね、

ここが、

その伊邪那岐尊 (いざなぎのみこと)が、

禊払いを行って、

その後に、

天照大神が生まれになったと

されている場所なんだそうです。

写真は夕暮れ時で、なんだかさみしげ

に映っているかもしれませんが、



わたくしは最初はですね、

恥ずかしながら、

特に何も感じなかったんですね。

しかし、

しかし、

みなさん、

ここは凄い所だと思います。

とてつもない静寂の中。。。

強い禊の力と霊力が。。。

今になって思いますに、

もしかしたら、

行きの機内で撮影したあの

クロスの雲の禊払いは、

ここへ通じていたのではないか?

とさへ思うようになりました。



実は、わたくし

ここだけの話ですよ(笑)

9月の半ばからずっと、

おへその少し上あたりが痛くてですね、

これが、1、2週間くらいならまだ

耐えられますが、もう2カ月を超えてますからねぇ

本当に何をしても治らなくて、

しかも、

病院に行っても、

「どこも悪くない」と言われますし、

内心、困っていたのですが、

この御池を立ち去ろうとする時に、

『あ!

 治ってる』

そういうことに気付きました。



なぜ治ったかはわかりません。

どうして治してくださったのかもわかりません。

しかし、この地で何か起きた!

という確信だけはあります。。。



不浄なものが祓われた

それ以上の

何か大きくて慈悲のある力が

働いたのではないかと思います。



何か、

後ろ髪ひかれるような

立ち去り難い思いを胸に、

この地を去りました。



つづく



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神々の里巡礼日記(宮崎県日南編2)

2015-11-26 11:30:00 | 日記
つづき




鵜戸神宮(うどじんぐう)から、お次は、

サンメッセ日南という

観光ガイドなどで有名な場所に行きました。




ここは、南国情緒あふれ、

非常に癒し!のある場所でした。

サンメッセ日南の見どころの一つは、

7体のモアイ像です。



園内は広いので、

私たちは、軽自動車ほどもある

カートを借りて移動しました。

かわいらしいお馬ちゃんも居て、

エサをあげると大喜びしていました。




で、なぜ、この地にモアイ像が?

ということなのですが、

それは、

イースター島では、

昔の部族抗争と1960年のチリ大地震によって、

モアイ像は倒壊したままになっていました。

しかし、

修復するには、日本とイースター島の考古学者、

それに古石を扱う専門業者が必要だったところ、

その日本チームが修復に大いに貢献したんだそうです。

そこで、

イースター島を司っている長老会は、

日本の修復チームの功績に感謝する証として、

モアイを日本で復元することを許可しました。

モアイの復元場所としては、

日南海岸の風景が最適と判断し、

かつ、

修復チームの了解も得た後、

この日南メッセにモアイ像が

立つことになったのだそうです。


海を背にして建っています。。。
どうです?いいところでしょう?


7体あるモアイ象にはそれぞれジンクスがあるようで、

左から、

仕事運・健康運・恋愛運・旅行運・結婚運・金運・学力アップ

だそうです。

わたくしは、とりあえず、一番左の

モアイ像(仕事運)の周りを一周し、

ペタペタと手で触れてまいりました。



お天気にも恵まれ、

とても気持ちのよいエナジーが流れていましたが、

これは、

この日南の海の影響と、

古代文明の流れによるものかもしれませんね。。。



だいたいこのモアイ像というものは、

そうとう高度な技術がなければ制作

できないとされており、

ということは、

その古代において、

かなりの文明を持っていたということにつながります。

その辺が謎多きことなのですが・・・



まあ、これね、

普通は時代が下るにつれて、

文明がしだいに開けてきて、

技術力もアップしていくと

考えますよね?

だけど、なぜかこれが逆に、

時代を遡ると逆に文明が高度化している

場所が世界には存在するんですね。

考えると不思議ですが・・・



んー、だからこれは、失われた文明ですね。。。

失われた超古代の文明に存在していた

技術の流れが、イースター島に受け継がれ、

さらに、イースター島を経由して、

ここ宮崎の地につながってきている!

非常にスピリチュアルな場所だと。



そして、この宮崎が、

超古代文明との古(いにしえ)の縁(えにし)

に導かれていると。そのような認識ができて初めて

このサンメッセの謎解きが可能となる!

そういうことかもしれませんよ・・・





旅は次第に北上して行きます。

つづく



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神々の里巡礼日記(宮崎県日南編)

2015-11-24 15:00:00 | 日記
みなさま

ごきげんよういかがお過ごしでしょうか

先週から宮崎県の方へ出張に行っておりまして、

今までは宮崎を詳しく存じ上げなかったもので、

いやはや、

すごい所なんだ!と

認識を新たにしてまいった次第です。

ここは、本当に古事記・日本書紀でいう

神話の世界のまさに舞台だったところでして、

わたくしはてっきり、

それは高千穂の方に集中しているのかと

勘違いしていました(ほんとお恥ずかしい限りです)。

本当に、

宮崎は特別な場所だと

思いましたですね。。。





これは往きの機内から撮った空撮ですが、

下方の分厚い雲がまるで

北国の冬(白銀の世界)を彷彿とさせる

ような感じで、それを撮りました。

が、

・・・

後から見なおすと、

羽の上側に

十字(クロス)の雲が

見事に浮かんでいますね。

このクロスは、降魔の際に用いることが

ありますし、神道的な言葉を用いるならば、

禊払いでしょうか。。。

とにかく、これから神話の地へ向かうに際し、

不浄なものを払われることを暗示しているのではないでしょうか。。。



初日はお天気に恵まれ、Tシャツでも

いけるほどの陽気でした。

で、まずは腹ごしらえということで、

日南海岸を見下ろす絶景の場所で、





海老!のフライをいただきました。

右側はカニ汁です。とにかく産地直送で

新鮮なものはおいしいです。



で、お腹がいっぱいになったところで、

日南市の

日向灘に面した断崖の中腹にある

鵜戸神宮(うどじんぐう)に参拝致しました。



参拝するには崖にそって作られた石段を降りる必要があります

すごいところを降りて行きます。

高さ8.5mの岩窟(海食洞)内に本殿が鎮座

よくまあ、このような所に!!!



ご祭神は、

日子波瀲武鸕鷀草葺不合尊(ひこなぎさたけうがやふきあえずのみこと)

大日孁貴(おおひるめのむち)(天照大御神)

天忍穂耳尊(あめのおしほみみのみこと)

彦火瓊々杵尊(ひこほのににぎのみこと)

彦火々出見尊(ひこほほでみのみこと)

神日本磐余彦尊(かむやまといわれひこのみこと)(神武天皇)

であられるということで、

日子波瀲武鸕鷀草葺不合尊を主祭神とし、

主祭神降誕の地とされ、縁結び・夫婦和合・子授け・安産などの

ご利益があるそうです。

社伝によれば、

本殿の鎮座する岩窟は

豊玉姫が主祭神を産むための

産屋を建てた場所であるとのこと。



海をのぞむ断崖に面しておりますし、

修験道のにおいもするんですよね。

ということは、非常に厳しいご性格の

神さまなのかな?と思いましたが、

なぜか、温かくお迎えいただきました。。。

竜宮界の一面が一方で

顔を覗かせてくださったかしら・・・



本殿から断崖の方へ出てまいりますと、

亀石と呼ばれる霊石があります。


形が亀にそっくりです。

しめ縄のようなもので囲んだ円が見えますでしょうか?

そこに男性は左手、女性は右手で願いを込めた

「運玉」という1cmくらいのサイコロサイズの

粘土を投げ入れることで

願いが適うんだそうです!!!

観光客のみなさんが、

しきりにその円に向かって、

運玉を投げ込んでいましたが、

円内に当たっても跳ね返ってしまって、

円の中に納めることができません。



そこで、

「あなたもおひとつどうぞ」ということで、

わたくし、運玉を1個だけ譲り受けまして、

左手で投げ込みましたら、

その一投が、不思議と円の中に

納まりました。

観光客の方が、

「あ!

 入ったぁぁぁぁぁ!!!

 一発で入ったぞ」

と驚いています。






『神さま

 受け取ってくださいまして

 ありがとうございます』







あなたさまの願いに適うわたくしとなることが

わたくしの願いではございますが。。。




つづく


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水をぶどう酒に

2015-11-19 00:00:01 | 物語:『愛の人よ』
物語のつづき    物語11.





イエスのもとに

彼をメシヤ(救い主)と信じる者たちが

一人、また一人と

集まってまいりました。



ヤコブ、

フィリポ、

そして・・・





フィリポの友人であるナタナエルが、

イエスを見ると、

イエスもこちらの方をじっと見ています。

イエスはこう申されました。

『あなたは、

 いちじくの木の下に

 座って神のことを

 考えてえていたであろう?

 わたしはそれを見ていたのだ』と。

イエスに自分の心の内を

はっきりと見透かされたナタナエルは、

この方こそ

永い間自分たちが待っていた

イスラエルの王に違いないと知ります。



こうして

弟子が6人になったころ、

イエスは、友人の婚礼のために、

故郷に戻られました。



この頃の婚礼の慣習では、

招待客を十分にもてなすことができなかった

場合には、社会的に大きな失態になり、

場合によっては、金銭的な補償さへ

求められることもありましたが、

このとき実は

婚礼の最中に、

ぶどう酒を切らしてしまったのです。



なんとかしてほしいと相談されたイエスは、

6つある石瓶の中身を水で満たしなさいと命じます。

いったい水など入れてどうなるというのでしょう?

みんなはそう思いました。

そこでイエスは、

『さあ、

 その水瓶から汲んだものを

 宴会の世話役のところへ

 持って行きなさい』

と言いました。



招待客がその水に口をつけると

「な、なんと

 上等なぶどう酒なんだ」と

驚嘆の声をあげました。



そうです。

イエスは、水をぶどう酒に変えたのです。

これが人々が目の当たりにする

奇跡の最初の始まりでした。



つづく




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