ゴールデンウィークですね。
みなさまいかがお過ごしでしょうか
本日は久しぶりに
少しスピリチュアル!?なお話を
してみたいと思います。
わたくしの知り合いに
霊感の強い人が何人かおりまして、
そのうちの一人
みなちゃんという子がおります。
みなちゃんはいわゆる
霊の声が聞こえるタイプの
能力者ですが、先日、
次のような話をしてきました。
みなちゃんは、
女の子であるにもかかわらず、
正義感が強く、
知っていることは
はっきりと相手に伝えなくては
気が済まない!という性格の持ち主です。
みなちゃんのお友達の中に、
口が悪いと言いますか、
一言多くて、
相手に気が障るようなことを
平気で言ってしまう子がいるそうです
そこで、
みなちゃんは、
そのお友達A子に対して、
「A子は人を傷つける
言葉を吐くからやめなさい。
それは、相手を傷つける
ばかりでなく、
自分自身の魂も汚す行為
であり、やがては
自らを不幸にさせるものであるから
やめたほうがいい」
というようなことを
言おうとしたらしいのです。
そう思っていた矢先のできごとです。
神社の境内地の中を
歩いていた二人でしたが、
みなちゃんに突然、
神さまの言葉が降り、
『言ってはならない』という
言葉が聞こえてきたそうです。
以下、神さまとのやりとり。。。
みなちゃん:「え?言ってはならない?」
神さま:『一言多いって言おうとしている』
みなちゃん:「え?なぜ言ってはならないんですか?」
神さま:『A子がさまざまな人づきあいの中で、
逆に言葉で傷つけられ、
心底苦しんだ後に
やがて、本人自ら悟っていくのである。
人間はすべからく
経験を通さねばならないのだ。
その経験をおまえが邪魔だて
することは決して許されない。
そのままにしてやれ』
みなちゃん:「経験する前に
注意を促してもいいのでは?」
神さま:『魂が進歩できないからダメじゃ』
などというやりとりがあったそうです。
以来、みなちゃんは、
浮気をしてはならないとか、
盗んではならないとか、
殺してはならない(虫とか)、
言わないようにしているそうです
ということらしいのですが・・・
うーん、
すこーし、
匂いますね。
時によって、言わない方がいい場合
これはあると思いますが。。。
ですが、
とにかくということなら、
おかしい
ですね。
とにかく言ってはならないということですと、
イエス様も釈尊も間違えていることになります。
仏教もキリスト教も
戒めを説いておりますから。
お二方ともそういう教えを説いておられますからね。。。
また、
やってはいけないことを
いけない!と言ってはならないならばですね、
世界中にある道徳や諸聖賢の教え
全部ダメになります。
言ってもいいんです。
言われて従うか従わないかは本人の自由です。
言われたからって従わない方もいるでしょう。
それは仕方のないことです。
地獄へ落ちることを止めるのも愛です。
例えば、
不良少年が少年院に入って、
更生することがありますが、
だからと言って、
必ず少年院からの更生という道を
採らなければならないわけではありません。
わからず屋は(最悪は)そこまで
行かなければわからないというだけです。
経験しないととにかくわからない!
というのは最悪のケースです。
「君、そういうことしちゃいけないよ!
相手がかわいそうだろう」
と言われて
「そうかもな!」と思うのは、
うまく言ったケースとして称賛されます。
それならそれのほうがよいのです。
これもブッダが言われた“智慧”なんですね
智慧がない人はコロっと騙されます。
神社で言われたから神さまの言葉と思うのは、
あまりにも早計です。
お寺でも教会でも同じです。
そういった神聖な場所においても、
地獄霊はたくさんおります。
みなさんは、
神社の狛犬か、
お寺の仁王像の前で、
地獄霊は退散するものと想像する
かもしれませんが、
参拝に来た本人に
憑依したまま
一緒に境内地に入ってきます。
みなちゃんが聞いた
神さまの言葉は、
はっきり言えばA子さんについていた
憑依霊の言葉です。
A子さんに教えを説いてもらったら
困るわけです。
憑依霊の本心と言えば、
「ばらさないでください」ということです。
ばらされるとA子が改心しちゃって、
心清まっちゃうから
僕は憑いていられない
地獄へ戻らなければならない
そういうことです。
必死です。
神さまのふりをして
つぶやいただけです。
通り道の先に、
マンホールのふたが開いていて、
落ちたら危険なんだけど、
『言ってはならない!
経験させないとダメ』
ということはなくてですね。
言ったらいいんです。
「危ないよ。
気をつけて」って。
それが人情ってものです。
危ないよ!って言われたけど、
本当かなと思って、
念のため注意して
歩いた結果、
難を逃れることができた上に、
「あ!本当に
マンホールのふた
開いてる
危ない
あぶない」
と気づいたってよいのです。
それでも、
①落ちたら危なかっただろうなということと
②親切な人がいるものだ!
という悟りを得ることができるのです
いろんな注意を一切しないでくれたら、
多くの地獄霊が手を叩いて喜んでいます。
人間に憑依しやすくなるからです。
地獄から一時的に脱出できるからです。
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みなさまいかがお過ごしでしょうか
本日は久しぶりに
少しスピリチュアル!?なお話を
してみたいと思います。
わたくしの知り合いに
霊感の強い人が何人かおりまして、
そのうちの一人
みなちゃんという子がおります。
みなちゃんはいわゆる
霊の声が聞こえるタイプの
能力者ですが、先日、
次のような話をしてきました。
みなちゃんは、
女の子であるにもかかわらず、
正義感が強く、
知っていることは
はっきりと相手に伝えなくては
気が済まない!という性格の持ち主です。
みなちゃんのお友達の中に、
口が悪いと言いますか、
一言多くて、
相手に気が障るようなことを
平気で言ってしまう子がいるそうです
そこで、
みなちゃんは、
そのお友達A子に対して、
「A子は人を傷つける
言葉を吐くからやめなさい。
それは、相手を傷つける
ばかりでなく、
自分自身の魂も汚す行為
であり、やがては
自らを不幸にさせるものであるから
やめたほうがいい」
というようなことを
言おうとしたらしいのです。
そう思っていた矢先のできごとです。
神社の境内地の中を
歩いていた二人でしたが、
みなちゃんに突然、
神さまの言葉が降り、
『言ってはならない』という
言葉が聞こえてきたそうです。
以下、神さまとのやりとり。。。
みなちゃん:「え?言ってはならない?」
神さま:『一言多いって言おうとしている』
みなちゃん:「え?なぜ言ってはならないんですか?」
神さま:『A子がさまざまな人づきあいの中で、
逆に言葉で傷つけられ、
心底苦しんだ後に
やがて、本人自ら悟っていくのである。
人間はすべからく
経験を通さねばならないのだ。
その経験をおまえが邪魔だて
することは決して許されない。
そのままにしてやれ』
みなちゃん:「経験する前に
注意を促してもいいのでは?」
神さま:『魂が進歩できないからダメじゃ』
などというやりとりがあったそうです。
以来、みなちゃんは、
浮気をしてはならないとか、
盗んではならないとか、
殺してはならない(虫とか)、
言わないようにしているそうです
ということらしいのですが・・・
うーん、
すこーし、
匂いますね。
時によって、言わない方がいい場合
これはあると思いますが。。。
ですが、
とにかくということなら、
おかしい
ですね。
とにかく言ってはならないということですと、
イエス様も釈尊も間違えていることになります。
仏教もキリスト教も
戒めを説いておりますから。
お二方ともそういう教えを説いておられますからね。。。
また、
やってはいけないことを
いけない!と言ってはならないならばですね、
世界中にある道徳や諸聖賢の教え
全部ダメになります。
言ってもいいんです。
言われて従うか従わないかは本人の自由です。
言われたからって従わない方もいるでしょう。
それは仕方のないことです。
地獄へ落ちることを止めるのも愛です。
例えば、
不良少年が少年院に入って、
更生することがありますが、
だからと言って、
必ず少年院からの更生という道を
採らなければならないわけではありません。
わからず屋は(最悪は)そこまで
行かなければわからないというだけです。
経験しないととにかくわからない!
というのは最悪のケースです。
「君、そういうことしちゃいけないよ!
相手がかわいそうだろう」
と言われて
「そうかもな!」と思うのは、
うまく言ったケースとして称賛されます。
それならそれのほうがよいのです。
これもブッダが言われた“智慧”なんですね
智慧がない人はコロっと騙されます。
神社で言われたから神さまの言葉と思うのは、
あまりにも早計です。
お寺でも教会でも同じです。
そういった神聖な場所においても、
地獄霊はたくさんおります。
みなさんは、
神社の狛犬か、
お寺の仁王像の前で、
地獄霊は退散するものと想像する
かもしれませんが、
参拝に来た本人に
憑依したまま
一緒に境内地に入ってきます。
みなちゃんが聞いた
神さまの言葉は、
はっきり言えばA子さんについていた
憑依霊の言葉です。
A子さんに教えを説いてもらったら
困るわけです。
憑依霊の本心と言えば、
「ばらさないでください」ということです。
ばらされるとA子が改心しちゃって、
心清まっちゃうから
僕は憑いていられない
地獄へ戻らなければならない
そういうことです。
必死です。
神さまのふりをして
つぶやいただけです。
通り道の先に、
マンホールのふたが開いていて、
落ちたら危険なんだけど、
『言ってはならない!
経験させないとダメ』
ということはなくてですね。
言ったらいいんです。
「危ないよ。
気をつけて」って。
それが人情ってものです。
危ないよ!って言われたけど、
本当かなと思って、
念のため注意して
歩いた結果、
難を逃れることができた上に、
「あ!本当に
マンホールのふた
開いてる
危ない
あぶない」
と気づいたってよいのです。
それでも、
①落ちたら危なかっただろうなということと
②親切な人がいるものだ!
という悟りを得ることができるのです
いろんな注意を一切しないでくれたら、
多くの地獄霊が手を叩いて喜んでいます。
人間に憑依しやすくなるからです。
地獄から一時的に脱出できるからです。
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