えー、前回は、
引き寄せの法則に基づいて、
人間が絶対に起きないと思い込んでいる
事柄にたいしては、それが現象化しにくい。
ということで、
神なんて絶対に居ないから奇跡なんて絶対に起きない!
とそう信じ込んでいる場合には、
なおいっそう奇跡は起きにくくなる
というお話を致しました。
そこで、今日は、二つあると言った観点の中の、
もうひとつの観点をお話したいのですが、
これは、このブログ内に今のところ掲載されております
『多次元世界にあるライフシアター』という物語にヒントがあると。。。
言うことでしたが、ではそれは何であるか?ですね。
あの物語の中に、
この世は、学びの場だとか、
試練の場だとか、
そういう面があるということが語られていました。
この世は
苦難・困難が無い世界である天上界の
対局として用意されている世界であって、
あえて、
苦難・困難がときどき訪れてくる世界である。
それが人間世界だと。
お釈迦さまは、
この人間世界を
忍土と呼ばれました。
耐え忍びの世界ですね。
最初からそういう世界として作られているのです。
そして、そういう世界であることを知っていて、
あるいは、求めて、
苦難を体験するために、
あえて、この地上世界に人は出てきているわけです。
そこで、
実際にいざ、要望どおり
と言いますか、予定通りと言いますか、
苦難を体験している
その真っ最中に
神さまが、それを止める(救う)わけにはいかないわけです。
理由は、救うことが約束違反だからです。
神さまは、
本当は、痛ましくて、手を貸してあげたいのだけれども、
どうしても手を貸すわけにはいかない!
そういう忍従のおももちで見ています。
ですから、
よく言われる
「信じる者しか救わない神さまなんか
おかしいだろ!」
というのは、
それを言っている人が、
なーんにも知らないだけなんですね。
だから、
神さまはケチで?
自分を信じている者だけしか救わないと?
そういうことではなくて、
前回言いました
法則性の問題がひとつあるということと、
もうひとつは、
生まれる前の約束ごとがあって、
それを破れない!
とうい事情がちゃんとあるんですね。
ですから、
「俺が、苦しかったときに
神は何もしなかっただろ?
居ないんだよそんなものは!」
なんて言う人がおりますが、
それは、少し違うんですね。
『信じよ!
さすれば与えられん!』
これは、
聖書の中にある言葉ですが、
この言葉が発端でね、
「信じる者しか救わないせこい神様」うんぬんという
発言をしている者が出てくるわけですが、
ちゃんと意味があって、
この聖なる句があるんだと思いますね。
深い意味があります。
まあ、
あまり、聖書を冒涜しないように
気をつけたいものです。。。
結局ですが、
これは、信じている者も同時に、
そう簡単には救ってもらえない
ということではあるんですね。
ただ、
生まれる前の計画で、予定されていない苦難であって、
かつ、
その信仰的な思いが、
引き寄せの法則に適っていれば、
何か起きる可能性はある。あるいは、
普通の信仰心のまったく無い人よりは、
起きやすい!
という面があります。
以上です。
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引き寄せの法則に基づいて、
人間が絶対に起きないと思い込んでいる
事柄にたいしては、それが現象化しにくい。
ということで、
神なんて絶対に居ないから奇跡なんて絶対に起きない!
とそう信じ込んでいる場合には、
なおいっそう奇跡は起きにくくなる
というお話を致しました。
そこで、今日は、二つあると言った観点の中の、
もうひとつの観点をお話したいのですが、
これは、このブログ内に今のところ掲載されております
『多次元世界にあるライフシアター』という物語にヒントがあると。。。
言うことでしたが、ではそれは何であるか?ですね。
あの物語の中に、
この世は、学びの場だとか、
試練の場だとか、
そういう面があるということが語られていました。
この世は
苦難・困難が無い世界である天上界の
対局として用意されている世界であって、
あえて、
苦難・困難がときどき訪れてくる世界である。
それが人間世界だと。
お釈迦さまは、
この人間世界を
忍土と呼ばれました。
耐え忍びの世界ですね。
最初からそういう世界として作られているのです。
そして、そういう世界であることを知っていて、
あるいは、求めて、
苦難を体験するために、
あえて、この地上世界に人は出てきているわけです。
そこで、
実際にいざ、要望どおり
と言いますか、予定通りと言いますか、
苦難を体験している
その真っ最中に
神さまが、それを止める(救う)わけにはいかないわけです。
理由は、救うことが約束違反だからです。
神さまは、
本当は、痛ましくて、手を貸してあげたいのだけれども、
どうしても手を貸すわけにはいかない!
そういう忍従のおももちで見ています。
ですから、
よく言われる
「信じる者しか救わない神さまなんか
おかしいだろ!」
というのは、
それを言っている人が、
なーんにも知らないだけなんですね。
だから、
神さまはケチで?
自分を信じている者だけしか救わないと?
そういうことではなくて、
前回言いました
法則性の問題がひとつあるということと、
もうひとつは、
生まれる前の約束ごとがあって、
それを破れない!
とうい事情がちゃんとあるんですね。
ですから、
「俺が、苦しかったときに
神は何もしなかっただろ?
居ないんだよそんなものは!」
なんて言う人がおりますが、
それは、少し違うんですね。
『信じよ!
さすれば与えられん!』
これは、
聖書の中にある言葉ですが、
この言葉が発端でね、
「信じる者しか救わないせこい神様」うんぬんという
発言をしている者が出てくるわけですが、
ちゃんと意味があって、
この聖なる句があるんだと思いますね。
深い意味があります。
まあ、
あまり、聖書を冒涜しないように
気をつけたいものです。。。
結局ですが、
これは、信じている者も同時に、
そう簡単には救ってもらえない
ということではあるんですね。
ただ、
生まれる前の計画で、予定されていない苦難であって、
かつ、
その信仰的な思いが、
引き寄せの法則に適っていれば、
何か起きる可能性はある。あるいは、
普通の信仰心のまったく無い人よりは、
起きやすい!
という面があります。
以上です。
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