異視点

世の中のなぜ?人生のなぜ?宇宙のなぜ?を垣間見ましょう!

黄金の美女像

2014-11-27 10:30:00 | 物語:『ブッダ~比類なき大聖の軌跡~』

物語のつづき    物語39.




イエス・キリストには、

十二使徒、

ブッダには、

十大弟子と言いまして、

実力のある高弟がいたことが、

史実の上から認められております。



前回に登場いたしました

舎利弗(しゃりほつ)、目蓮(もくれん)ともに、

その十大弟子の一人になりますが、

この二人は、

ほとんどNo2、No3という位置づけに近かった

ことと推察されます。

経典にも舎利弗(しゃりほつ)よ!と

呼びかけになられる話がたくさんでてまいります。

弥勒菩薩という方を別格としますと、

これらと同等以上の存在でほかに、

摩訶迦葉(まかかしょう)という方がおられます。

当時の教団には、カショウという者が複数おりました。

既に登場しております。カショウ三兄弟のほかに、

十力迦葉(じゅうりきかしょう)という方も有名ですので、

それらのカショウさん達と区別するために、

摩訶(マカ、梵語のマハー。偉大なという意味)という

形容を冠せられた. 摩訶迦葉(まかかしょう)も

この時期にブッダのお弟子になっております。



摩訶迦葉(まかかしょう)という人も

これまた幼少期から信仰心篤く、

宗教的素質にも恵まれた方でありました。

摩訶迦葉(まかかしょう)もまた、

本当の道(究極の真理)を探し求め、

将来は出家したい!とその心に誓って

いるような方だったのです。

そういうことですから、

出家の妨げとなる結婚については、

きわめて消極的だったわけでありまして、

彼は、たいへんな大富豪の子息でありましたが、

両親の結婚のススメもなんとか思い留まらせ

られないか!?と考えていて、

一計を案じました。



なんと彼は、

絶対にあり得ないような

この世のものとは思えないような

美女の像を職人に作らせて、

「もし、このような人が

 おりましたら、わたくし、

 結婚することにいたしましょう!」

と言い出したのです。



ところが、

摩訶迦葉(まかかしょう)の両親のほうも

なかなか諦めない方でして、

どんなことをしても後継ぎをとの思いから

一つのすごいアイデアを実施しました。

すなわち、

この美女像を掲げて、

諸国を巡り回らせ、

この像に祈りを捧げると、

願いが叶う!という

ふうに触れ回って、

なるべくすべての若い女性を

確認できるよう旅に回らせたのでした。



これは、

予想どおりと言いますか、

予想をはるかに凌ぐほど、

若い女性に人気となり、

我先にとばかりに、

この像を一目見たいと集まってくるのでした。



こうして、

驚くことに、

そのあり得ないと思っていた

その美女像にそっくりな

女性がこの像の前に

現れてきたのでした。


つづく


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二大弟子

2014-11-24 15:55:55 | 物語:『ブッダ~比類なき大聖の軌跡~』
物語のつづき      物語38.





舎利弗(シャリホツ)は、

偶然出会ったブッダの弟子である馬勝比丘から、

ブッダのことを少しだけ伝え聞くと、

足元にふれひし、

丁寧に礼拝してから、彼の後を立ちました。



一方、

目連(モクレン)は修行者の園におりましたが、

舎利弗が遠くから来るのが見えると、

“ああ、彼はついに、

 不死の道(究極の真理)を

 見つけ出したに違いない!”

と直感しました。

舎利弗から事の次第を聞きますと、

そのとおりでしたので、

さっそくブッダのもとをおたずねしたいと

考えました。



この舎利弗と目蓮は、師匠を大切にする人だったので、

師匠であるサンジャヤにもブッダのことを教えて差し上げて、

一緒にブッダをお参りしょうと考えました。




サンジャヤのもとへ行き、

ブッダのことをお伝えすると、

サンジャヤは、

現在の地位と名声のことを考え、

今さら他人の弟子となるわけにはいかない。

と言って、断るのでした。

むしろ、

舎利弗と目連にも

思いとどまるよう説得をしてくる始末です。



二人は、サンジャヤを説得することを諦めました。

しかし、

二人の弟子であった500人のうち、

250人は二人とともに

ブッダの説法を聞きに行くことになりました。



こうして、252人がそろって、ブッダのもとへ

馳せ参じることになりました。

その頃、

ブッダはと言いますと、

マガダ国・王舎城にある

竹林精舎に滞在されていて、

ちょうど、説法の最中でしたが、

彼らが来るのを遠くから認めて、

弟子たちに次のように仰せられました。

『比丘たちよ。

 二人の友達が

 連れだってくる。

 舎利弗と目蓮との二人は、

 わたしの二大弟子となるであろう』



さらに、

彼らがお側まで近付いてまいりますと、

ブッダは、

『来たれ、

 比丘たちよ』

と言って手を差し伸べになられました。



舎利弗と目連が大弟子になることを

すぐさまに述べられたことから推察いたしますと、

ブッダは、この二人に初めて会う前から

知っていたことになります。

実は、

この二人に処遇については、

先にブッダの弟子になった者たちから

少し不満が漏れ聞こえるようなことがありました。

しかし、

ブッダは、

舎利弗(しゃりほつ)と目連(もくれん)について、

先のようなご発言をされた理由について、

仏伝によりますと、

『過去世の因縁と誓願によるものである』

とはっきり語られております。

つまり、

今世においては、先にブッダの弟子になったとしても、

長い輪廻転生の過程における

修行の積み重ね具合と、

生まれてくる前に、

娑婆世界(地上のこと)でどのような

生き方をするかという

仏への誓いの強さ・重さによるものである。

と、そういうことだったのです。



舎利弗はそののち、

教団中、智慧第一となりますし、

目連は、

神通第一と称せられるようになります。



さて、

王舎城に到着された時にカショウ三兄弟と

その弟子たち一千人をひきいておられた

ブッダは、またここに

サンジャヤの弟子250人を加えました。

さらに、

町の上流階級の息子たちも

ブッダのもとで出家するものが

次第に多くなりました。

このニュースも、

王舎城の市民にとっては衝撃的なものとなりました。



つづく


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親友の固い約束

2014-11-16 16:15:00 | 物語:『ブッダ~比類なき大聖の軌跡~』
物語のつづき     物語37.







ブッダが最初の説法をしたとき、

弟子になったのが、五比丘でした。

次がヤサで、

ヤサの友人・知人が50人ほど弟子入りしたところで、

みなそれぞれ手分けをして別々の道に伝道に向かいました。



ブッダはマガダ国に向かい、

カショウ三兄弟をはじめとする

千人を教化し、

そのまま、

ビンビサーラ王までが、

帰依致しました。



その頃のお話です。

王舎城(ラージャグリハともいい、マガダ国の首都)の都から、

それほど遠くない場所に、

とある村がありました。

そこには、

舎利弗(シャリホツ)と目連(モクレン)という

親友がいたのですが、

彼らは、若いころから、

信仰心が篤く、

その地方の名高い師匠である。

サンジャヤという者の弟子となり、

それぞれ250人ずつの門下生を持つ身と

なっておりました。



しかし、彼らは、

サンジャヤの教えに満足しておらず、

きっと、

もっと上の最高の悟りがあるはず

と考え、

二人で相談し、

“もし、

 絶対の境地を説く師を

 探し求めたならば、

 必ずすぐに

 知らせ合おう!”

という固い約束をしていたのでした。



ときに、

ブッダは、

王舎城の郊外にある竹林精舎に

滞在されておられました。

初転法輪のときに、

はじめての説法を聞いて悟りを得た、

五比丘のうちの一人である、

馬勝(めしょう)比丘が、

伝道の旅から戻ってきたばかりの頃です。



舎利弗(しゃりほつ)が、王舎城の町を歩いておりますと、

前から、非常に健やかなお顔をされた

比丘(修行僧)が歩いてまいりました。

彼こそ馬勝(めしょう)比丘でありましたが、

直感的に“これは!”と思った舎利弗(しゃりほつ)は、

彼に声をかけてみました。

「お見かけしたところ、

 たいへん清らかなお顔をされておりますが、

 いったいあなたは、

 どのような教えを修行されておられるのですか?

 また、

 どのような方を師として学んでおられるのでしょう?」



馬勝(めしょう)は、謙虚な姿勢で、

静かにこう答えました。

「わたくしは、

 まだ、師の弟子となって

 日浅いので、

 確かなことは答えにくいのですが、

 師の説くところは、

 すべての物事は、

 因と縁とが化合して

 生じる仮の姿である

 ということでございます。

 師は、釈迦牟尼(ブッダ)と呼ばれる聖者です」




ここまで聞いた舎利弗(しゃりほつ)は、

その釈迦牟尼(ブッダ)と呼ばれる方こそが、

不死(絶対の境地)を体得した方に違いないと

確信いたしました。

「ところで、

 そのお方は、

 今、どちらにおいでになれれる

 のでしょうか?」

と舎利沸が聞きますと、

馬勝は、

「王舎城郊外の竹林精舎におられます」

と答えましたので、

舎利沸は、馬勝に丁寧に

礼を言って

走って行きました。


もちろん、

舎利沸の走った先は、

親友である目連(コリータ)のところでした。


つづく


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Haneda

2014-11-14 20:47:48 | 日記
いや、

先日、

航空会社に

お邪魔しましてね。


航空ドッグ写真削除しました。



不撓不屈の精神

経営にもそういうものが

大切であるそうです。


航空エンジン写真削除いたしました。



非常に勉強になります。

あらゆる経営に通じる要諦というものは

一見無いようで、

実はあるようです。





で、本日は、

銀座にて。

高価な

コース料理を

いただいてきました。

創意工夫

不断の努力

顧客の喜ぶ姿を目指して、

料理にも愛

そんなことを感じました。


これは、最後のデザート。





今日はこれにて。。。


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竹林精舎

2014-11-13 11:00:00 | 物語:『ブッダ~比類なき大聖の軌跡~』

物語のつづき      物語36.




さて、

マガダ国・国王ビンビサーラとの

約束を果たしにマガダ国城下街に

滞在されていたブッダでしたが、

※ブッダは王から、「仏の悟りを得たあかつきには、わたしを教化しに来てほしい」と頼まれていた。



街中はやはり、ブッダの噂で騒然となっておりました。

城下町は、

ブッダを一目見たいと、

大勢の町人でにぎわっていたのです。

ブッダを礼拝する者

挨拶の言葉を交わす者

合掌する者

自分の名前を名乗る者

黙って座る者

さまざまありましたが、

多くの者は高齢のウルヴィンラ・カショウ

のことは知っていても、

若いブッダのことは知らなかったので、

中には、

「この偉大な沙門(ブッダのこと)と

カショウといったいどちらが

師匠で、とちらが弟子なのであろうか?」

という疑問を持つ者もありました。



カショウはそれを察しましたので、

みんなの前でひとつ説明をする

必要があるだろうと考えました。

「みなさん、お聞きください。

私は、

バラモンの祭式が感覚的な喜び

のみを目的とすることに不満を感じ、

あらゆる執着を離れた

ブッダの道に満足を見出したのです」と述べ、

立ち上がって、

衣を袈裟がけににして(右の肩をあらわにして)、

頭をつけてブッダのみ足を礼拝し、

「世尊こそ我が師にてまします。

わたしは世尊の弟子、

 世尊はわたしの師匠」と申しました。

そのような一幕があったために、一同は

はじめて合点がいったのでありました。





ところで、ブッダの説法を聞いたビンビサーラ王はというと、

大変に感動いたし、

生涯忠実な在家信者となりました。

王は、

“ここはひとつ、

ブッダにおかれては、

長くこの地に滞在していただくには、

ご住居を用意させていただくのがいいだろう”

と考えてブッダのための住居を選びました。

それは町から遠すぎず、

近すぎず、

往来に便利で、

昼も夜も静かで、

俗世を離れて静かに瞑想できる場所でなければならない。

こう考えた王は、竹林を選び、

これをブッダおよび弟子たちに寄進しました。

これが仏教における最初の精舎になり、

日本に伝わってきている竹林精舎というのがそれです。

ここ、マガダ国は、

ブッダも好んでこの地に滞在され、

多くの有名なお経が説かれることになる一大聖地

の一つになっていきます。


つづく


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