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ペーパードライバー教習の車窓から

車の運転中や、練習中の車窓からの光景と感想をとりとめなく。

ブレーキペダルを離す音は危険 フジドライビングスクール東京

2019-06-25 19:04:14 | ペーパードライバー
バスに乗ると、運転手の操作するペダルの音が聞こえます。

とくに、ブレーキペダルを離す時の音は大きいのですが、私は子どもの頃にこの音が好きで運転席の後ろに乗って「カタン」という音を楽しんだものでした。

自分が免許を取って運転するようになり、ふと、そういえば、あんなに好きだった音を自分は出しないなと思いバスに乗る際、よく観察してみたのです。

なるほど、バスのブレーキの踏みしろは深いのです。

その為に素早い操作は難しく、少し早くペダルを離すと「カタン」となってしまうのです。

では、何故、普通の乗用車は「カタン」という音がしないのかと言うと、踏みしろが浅いからなのです。

否、させている人もいなくはありません。

タクシーに乗った時に、その運転手さんは、結構「カタン」と音を出していました。

ブレーキに限らず、アクセルを離す音も「カチャ」みたいにしていました。

何故、急いでもいないし、焦ってもいないのにブレーキを離す音がするのか少し観察していたのですが、運転全体が粗く、スムーズではなくバタバタした感じなのです。

たとえば、信号が赤なのにアクセルを近くまで離さずに近くに来てからグッとブレーキをかけるのでアクセルを離す音がします。

また、青に信号が替わると急にアクセルを踏むのでブレーキを離す音がカタンとするのです。

本人は頗る調子良い感じなのですが、乗せてもらっている方は、忙しなくて落ち着かないのです。

焦る状況でもないのに、忙しく操作をすると、本当に焦る場面では危険だと思うのです。

当校の「車庫入れ完全克服コース」を受講して頂いたある男性は時々、アクセルとブレーキを間違えてしまうのですが、ペダル操作の音がよく聞こえました。

その方の操作の多くが急なのです。

多くの操作が遅れがちで急にならざるを得ないようにも見えました。

急にブレーキやアクセルを踏むので、調整が難しく強く踏む事となり、乗り心地も悪くなります。

いわゆる、準備がなく常に今に対応しているようにも見えます。

格好よく言えば「今を生きている」という感じでしょうか。

わずかに未来を予測して行動すればゆっくり操作できると思うのですが、せっかちな性格なのか癖なのか、なかなかゆっくりの操作ができなくて苦労されたのを覚えてます。

急いだり、焦っていないのにブレーキペダルを離す音がする方は、踏み間違えに注意が必要かもしれません。

通常の運転で急ぎのスタイルが身についてしまっている可能性があるからです。



静かで滑らかな操作を目指すならフジドライビングスクール東京で

車間距離が短い人は寿命も短い? フジドライビングスクール東京

2019-06-25 08:29:29 | ペーパードライバー
「風が吹けば桶屋が儲かる」という話しがありますが、何故なんだろうと思って調べた経験がある方もいらっしゃると思います。

真実味はないかもしれませんが、なかなか面白い筋道だと思った方も多いかもしれません。

可能性の低い筋道理論ではありますが、子どもの頃に聞いて面白いと思ったものです。

「車間距離を短く走る人は寿命も短い」というのも、真実味はないかもしれませんが、過去に読んだ本の知識を繋いでみると、そんな結論になったのです。

車間距離を短くして走ると、前車のブレーキに敏感でなければ追突してしまいます。

そうなると、集中している訳なので、血圧も心拍数も上がります。

昔、こんな本がありました。

「ゾウの時間、ネズミの時間」みたいなタイトルだったように記憶していますが、ネズミもゾウも生涯に心臓の打つ鼓動の数は同じだというのものでした。

哺乳類は、おおよそ15億回の鼓動を打ち、生命が終了するらしいのです。

ネズミは3年程で、ゾウは70年程で15億回を打つらしく寿命もそのくらいらしいのです。

ただ、人間はこの理論で計算すると26才くらいになり、動物と同じとはいかないようですが、15億回を打ったら寿命ではないにしても、人間の生涯鼓動の限界数はありそうです。

確かに、長寿な方のインタビューをテレビで見ていると、のんびりマイペースで過ごしている方が多いように思います。

いつも、車間距離を短くして走っていると、心拍数が上がり、早く15億回に達して早死にするかもしれないというのが、その理由なのです。

車間距離に限らず、イライラしたり、攻撃的な運転を続けていると、心拍数が上がり早く生涯心拍数に達してしまい思いもよらず早く生涯を閉じる事になるかもしれません。

そういえば、こんなデータも見た事があります。

アメリカのデータなので、そのまま日本に当てはまるかは疑問ではありますが「美人と結婚した男性の寿命は短い」というものです。

理由として心配や不安からのストレスでという事でした。

ある評論家は、エピソードの数で寿命は決まっていると話していました。

理由はわかりませんが、これもストレスと心拍数が関係するのではないかと思ったのです。

長生きをしたいなら、美人を避け、余裕ある車間距離で走り、平坦な日々を送る事が重要なのかもしれません。



長生きをしたい方の練習はフジドライビングスクール東京で

運転で見かけるマウンティング行為 フジドライビングスクール東京

2019-06-22 10:25:30 | ペーパードライバー
「マウンティング」というと最近では動物の優位性の誇示を人間関係にもあてはめて使用しているようです。

男社会ではよく見られるマウンティングですが、このところ「マウンティング女子」なんて表現も聞きます。

車社会は男性ドライバーが多いからかマウンティング行為をよく見かけます。

昨年から問題視されだした「煽り運転」も何か原因があったからという事だけではなく、その根底には、暴力的優位性からのマウンティング行為のようにも思えます。

普通、不慣れなドライバーを見かけた場合、近寄らないようにして待つというのが、理性的な態度だと思うのですが、物事を勝ち負けで判断するのが好みの人は、エンジンを唸らせて追い越したりします。

弱い人を見つけては、マウンティングをするようです。

駐車場でも見かけるマウンティングは、バックしている車の近くまで来て「早く入れろ」と言わぬばかりの態度で待つのです。

その態度からすれば、自分は駐車が上手いという風に見えます。

その後を見てみると必ずしもそうとは言えない場合もあるのですが、マウンティングしていないと心の均衡を保てない人もいるようなのです。

おそらく、マウンティングする事で自らの優位性を確認しているのかもしれません。

動物のマウンティングは相手の背中に乗る事等で力を誇示するようですが、運転中のマウンティングは、ぴったり前の車に付いて煽る形が、ひょっとしたらそれにあたるのかもと思います。

歩行者でも見かけるマウンティング行為は、赤信号や横断歩道ではない場所を堂々と渡る姿です。

仕方なく車は待ったり譲ったりするのですが、まるで自分の優位性を確認するが如く、誰も注意しないのはその為だと言わぬばかりに見えます。

動物社会は、弱肉強食ですから、強さを表現する事も必要なのでしょうが、人間社会は弱肉強食ではなくルール社会です。

ルールを破った方が負けです。

煽り運転の挙げ句、事件として逮捕された人々を見てると、勝ち誇った表情ではなく、だからといって負けたという雰囲気も感じません。

大抵の場合、無表情な人が多いように思います。

おそらく、法の枠の外で決着をつけ、勝ったのだからその後の法の裁きには関心がないと言ってるようにも見えます。

これら、マウンティングを頻りに行う輩は、最近、流行りのモラルハラスメントの逆をいってるのかもしれません。

モラルハラスメントはあらゆる法やモラルなどを用いて相手を追い詰める行為だと思うのですが、マウンティングは、動物的力学において相手を追い詰めると考えると解りやすいかもしれません。

脳で言うと、大脳新皮質で戦うか、大脳辺縁系で戦うかという事になるのでしょうか。

しかし、人間社会は複雑で動物のように肉体的優位で物事の決着はつきません。

時に、人は肉体的に弱いのに強い人に勝ったりもします。

法的な知識を用いたり、論理的思考を用いて相手を打ち負かすのは、人間社会ならではと言えるのかもしれません。

最近では、権利の剣を振り回して勝ち誇っている人々も多く見かけるのです。

これも、やはり形を変えたマウンティングと言えるのかもしれません。

肉体的に弱い人間は、知恵と助け合いで安全な社会を築き上げたのに、ひとたび安全を確保すると、その中で再び争いをはじめるのは何とも切ない話しです。

北の国から来たある外国人の女性が面白い話をしてくれました。

その国は、かつては貧しく皆んなが助け合い楽しく暮らしていたらしのですが、政変の後に自由な経済活動ができるようになり、暮らしは楽になったらしいのですが、仲良くしていた近所の人たちと微妙な関係になってしまったらしいのです。

その話しを聞いた時に、嘉門達夫さんの「女友達と上手くやるには、お互いちょっと不幸であることが大きなポイントである」という歌詞を思い出したのですが、この歌詞にある「ちょっと」は深いなと思わせました。

ひょっとしたら、ひどく不幸な人と幸せな人が周囲と仲良くできず、マウンティング行為をするのかもしれないと、ふっと思ったのでした。



ちょっとだけ運転が苦手な方の運転練習はフジドライビングスクール東京で





確認ミスと意識(切ない事故) フジドライビングスクール東京

2019-06-08 19:14:20 | ペーパードライバー
運転中の意識は、いろんなところに移動します。

信号を確認したり、歩行者や周辺の交通を確認したり、車両の位置を確認したり、誘導のイメージや操作の方法などに意識を移したりと多岐にわたります。

その他にも運転に関係ない事にも意識は移ります。

この意識の移動の不適切さによって操作や対応の遅れや間違いが起こるのではないかと思うのです。

また、意識の集中度の問題もあります。

意識の留まる時間の問題もあります。

車は動いていますので、限られた時間の中で操作や確認を意識しなければなりません。

何かの確認に手間取れば本来次に確認すべき事が抜けてしまう事になります。

確認の多くは意識的に行われていると思うのですが、操作に対する意識は慣れている人にとっては、薄いものです。

確認ミスや操作ミスは、この意識の流れがある場所で長く留まったり、強くなってしまった為にペダルへの薄い意識や、信号へ薄い意識がゼロになってしまった為に起こるのではないかと考えられます。

先日、右折の際に対向車を見落として衝突し、はずみで歩道で信号待ちをしていた保育園児をはねるという事故がありました。

目の前に迫る対向車を見落とす事は通常では考えられないのですが、普段の対向車の確認位置の場所で何かに意識がうばわれてしまったのではないかと思うのです。

報道で見たところ、あの交差点の信号は青信号の後に右矢印信号が出るタイプのようでした。

この右折の車の前にもう一台の右折車がいたそうですが、その車が右折した際に、もう一度信号を確認して青信号なのか、右折の矢印信号なのかの確認を怠ったのではないかと考えられます。

右折矢印信号が出ていれば確認は軽くでスタートしますが、青信号なら確実な確認が要求されるわけです。

これはよく見かけるタイプのミスなのですが、右折待ち2台目の車がボンヤリしていて先頭車が右折をはじめると慌てて信号と対向車を確認してスタートするのです。

その為に、このケースでは先頭右折車と2台目の車間が大きく空いてしまいます。

交通量の多い交差点では後続車が気になり慌ててスタートする姿を見かける事もあります。

この時の信号が右矢印信号であった場合は、後続車の恨みをかうために焦るのです。

今回も出遅れたと感じて慌てて右折したのかもしれません。

ただ、運転に慣れている人が対向車を見落とす事は稀で、矢印信号が出たものと思い込み、対向車は止まるはずだからと曲がり衝突したのかもしれません。

実際、この女性ドライバーは後続車が気になったと証言しているようです。

この事故の原因となるミスをした女性ドライバーは、本来ならスタートする前に信号と対向車の確認をすべきタイミングで何か意識を奪われる事があったのかもしれません。

しかし、後続車の焦りが気になり、矢印信号が出ているものと思い込み右折したのかもしれないと報道を見て思いました。

もしも、この奪われた意識が保育園児を見て可愛いなと、思った為だとしたなら何て哀しい、何て切ない事故なのだろうと思ったのです。



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ブレーキとアクセルのかかと フジドライビングスクール東京

2019-05-21 19:39:21 | ペーパードライバー
飛び出された時に、ちゃんとブレーキを踏めるかが心配だと話す初心者やペーパードライバーの方が多いようです。

素早くブレーキを踏むのは、確かに難しいと思います。

普段から素早く足が動く為の工夫をしておきたいものです。

その為には足首が柔らかくなければなりません。

踏み替えに、かかとの位置を変える方は要注意です。

素早く動く事が難しいだけではなく、正確さにも問題があります。

ましてや、かかとを浮かせてブレーキをかける習慣がある場合、焦りや急ぎから踏み外す危険さえ考えられます。

現在の車のブレーキは軽く踏むだけでよく効く為に、細やかな調整が必要で、その為に足首の動きが重要になります。

「運転は首が重要」でも書きましたが、小さな動きは、身体の先の方で行うのが常識ではないでしょうか。

ボールを遠くに投げる時に肩が堅いと、上手く投げられないものです。

正確に投げようとすると、手首や指先の動きが重要になります。

力が必要な場合は身体に近い方で、正確なコントロールが必要な場合は身体の先の方で行うのが良いのは、運動をしている方なら納得頂けると思います。

何故、ブレーキやアクセルは足首を使い、マニュアル車のクラッチは膝を使うかというのは、この理由からなのです。

クラッチは半クラッチや断続クラッチの際に、途中で止めておく必要から力が必要ですので、足首では支えられない為に膝を使うのです。

エンストやギアチェンジでガクガクする方の多くが、足首を少し利用している場合があり、時にクラッチの重さに負けて失敗しているようです。

昭和時代の教習所では、ブレーキはかかとを浮かせてと教えていましたが、それは効きの悪いブレーキで車を止めるには力が必要だったからなのです。

現在の車は、ブースター(倍力装置)とアシスト装置により軽い操作で急ブレーキをかける事ができるようになりました。

かつてのブレーキ操作は「制動距離を短くする為に強くかける」だったのですが、現在の車は空走距離を短くする為に早く踏み替える方に操作方法をシフトしなければならなくなったのです。

早く踏み替えるためには、ブレーキをかける位置にかかとを付け、そこを支点してアクセルはつま先で踏めば良いのです。

そして、アクセルを踏む必要がない時には、いつもブレーキの位置に足がきているようにしたいものです。



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