ペーパードライバー教習の車窓から

車の運転中や、練習中の車窓からの光景と感想をとりとめなく。

運転は反射神経か フジドライビングスクール東京

2023-06-14 17:07:00 | ペーパードライバー
「運転で大切なのは反射神経ですか?」という話しが練習中によくでます。

https://youtu.be/V3zb4u800Yk

これは、とっさの時に対応する能力の事を言っているのだと思うのですが「運動神経」といい言葉は必ずしも正確に使われていなく、イメージ化されているようです。

運動神経という神経には個人差はないようで、運動を記憶する能力に個人差があるのだそうですが、反射神経という神経も生理学的には無い言葉のようです。

反射とは、言葉のイメージからすると素早い反応を指すように感じます。

パブロフの犬で有名なパブロフは、人の行動をすべて反射として説明したそうで、いわゆる生後の記憶は条件反射であると考えたようです。

反射は、素早い反応と思われがちですが、パブロフは速い遅いではなく、ある条件に対して反応する事をすべて反射(記憶)と称して解説したらしいのです。

生理学に詳しくないので正確な事は解りませんが、そんな風に考えると確かに、運転の記憶は解りやすいのは事実です。

少し前に、運転の反応速度の実験の結果について書かれた本を読んだのですが、反応速度が速い人の方が間違いが多かったらしいのです。

この実験の方法には、少し問題があるように思ったのですが、反応速度と結果の正誤に関しては興味深いデータを示していました。

早く反応をしようとするあまり判断を誤る人も多いという事が判ったのです。

この手の実験の良くないところは、数値化する為に単純な判断にしている事なのです。

赤ランプが付いたらブレーキをとか、青が付いたらアクセルペダルをみたいに普段やらない判断をさせる事は、単純な反応速度は判ると思いますが、危険か否かの判断をする速度については分からないからです。

私のまったく個人的な感想ですが、おそらく危険と感じてからブレーキを踏むまでの速度には人による違いはほとんど無く、あってもごくわずかな違いのような気がします。

個人差は、その状況に対して危険と感じるか否かの判断までの時間や、その結果に違いが出るのだと思うのです。

運転練習中に、よくあるのですが、小路から車が見えただけで、強くブレーキを踏み後続車を驚かしてしまうのです。

この場合、反応が速すぎる訳で、あと0.数秒待って、車が飛び出して来るかどうかキチンと判断していれば不必要なブレーキをかけなくても良かった事になります。

運転は、ただ判断後の操作の速さだけではなく、また判断の結論を出す早さだけでもなく、適切な時期に適切な判断が求められる作業と言えます。

練習中に出る「運転は反射神経ですか?」の答えはこれらの事から「いいえ」という事になります。

運転は、与えられた状況にどう対応するかを記憶する事なのです。

パブロフ風に言えば「条件反射」を身に付けるという事になるのでしょうか。

運転の能力、得意や苦手というのは、単に操作や判断の記憶力だという事かもしれません。



運転の記憶に悩む方の練習はフジドライビングスクール東京で

ブレーキをかける時は後方確認? フジドライビングスクール東京

2020-08-16 23:15:00 | ペーパードライバー
先日、練習をしていると「ブレーキをかける時に後方確認が上手くできなくて」と話されるので「危ないから見なくていいですよ」と言ったら「えっ」となったのです。

このケースはよくある話しなのですが、多くの方が免許を取得する時に教習所で教わった気がすると話されます。

では、何故後方確認が必要と思いますか?と問うと「後続車に迷惑をかけないようにと教わりました」とかえってきます。

「不必要にブレーキをかける事がありますか?」と聞くと「いいえ」となります。

必要なブレーキをかけるのに後方確認をする意味はなんなのでしょうか?

かけ方なのでしょうか。

後続車がいてもいなくても、常にブレーキは丁寧に必要に応じてかけているはずです。

後続車がいるかいないか、くっついているから等の理由でブレーキのかけ方に違いがあったり、かけるのをやめるという選択は存在しないはずです。

前方に飛び出しを発見したが、後続車がいたのでブレーキをかけるのをやめたりはしないと思います。

後方確認よりも大切な事は、その状況の中で一番丁寧なブレーキ操作を常に行う事ではないでしょうか。

前方の状況に応じて必要なブレーキをかけているわけですので、後ろの事は後ろの車に任せる方が安全だと思います。

これは、免許取得時の坂道発進でも同じ光景に出会います。

坂道発進をする時に後方を確認する方がいるのです。

しなくていい事を告げると、多くの方が、もし車が後ろにいたら下がると危ないからと言われます。

後続車がいるかいないかで、下がっていいとかダメとかの問題ではなく、絶対に下がってはダメなのです。

絶対なんてないという声が聞こえそうですが、もちろんです。

なので時に失敗して事故となる方もいる訳ですが、後方確認して後続車がいないから下がってもいいという気持ちで発進していたら、後続車がピッタリくっついて止まった時に緊張して失敗しかねないのです。

現在、坂道で下がるのはマニュアル車だけと言われますが、このところマニュアル車にも防止装置が付きはじめ、坂道で下がる車を見かける事はほとんどなくなりましたが。

本当に確認したいのは、スタート時の後続車ではなく斜め後方からのバイクや自転車なのですが、この確認を完璧に行うのは難しく、スタート時の速度の上げ方等で防衛する他ないのです。

確認が多くなると目標からの視線移動が多くなり、正確な車両誘導ができなくなります。

ふらつきの多い方の運転する車に乗ると、本当に必要なのかな、と思われる確認の姿に出会うのです。


確認作業の断捨離はフジドライビングスクール東京で

カーブを巧く曲りたい   フジドライビングスクール東京

2020-08-08 19:08:00 | ペーパードライバー
カーブを走っているとセンターラインをはみ出して走行している車に出会します。

ゆっくり走っている車なら慣れてないんだな、と理解できますが、スピードが意外と出ているのにです。

まあ、どんな性格の方々はご想像通りなのですが、何故、慣れているのにラインをはみ出して走っているのかは、そうなりたくない方にとっては重要だと思います。

ゆっくり走れば慣れているのですから、はみ出す事はないはずなのです。

しかし、速さ優先のスタイルで生活をしている人にとっては、はみ出さずにゆっくり走るという選択はないのでしょう。

では、ゆっくり走るとはみ出さないのに速く走ると何故、はみ出してしまうのかなのですが、フィードバックと調整の数なのです。

仮に、ゆっくり走っていれば、10回調整できるのに速く走ると速度に反比例して少なくなり5回くらいになったりするのです。

また、その調整幅にも気をつけなければなりません。

はみ出してしまう方の調整幅は大きいのです。

調整回数が少なく、調整幅が大きければはみ出す可能性は高くなります。

調整回数を増やすのは、集中力です。

速度が上がれば、その分、集中力を上げなければなりません。

いきなりは、難しいので、最初はゆっくり走って小さな調整でふらつかないようにカーブを曲がる練習を重ねたいものです。

慣れてくると、調整方法が記憶されます。

それから徐々に速度を上げていくのですが、速度を上げるとふらつきや調整幅が大きくなりやすいので、そうなったら、速度を落とし、やり直して頂ければ必ずやスムーズにカーブをはみ出す事なく華麗に曲がれるようになると思います。

ただ、地味な努力は苦手という方にはおすすめできないので、始める前によく考えてからにしてください。




カーブの地味な練習をしたくなったらフジドライビングスクール東京で

煽り運転はマウンティング フジドライビングスクール東京

2020-07-30 08:17:00 | ペーパードライバー
煽り運転の話題は尽きませんが、これだけ問題になっているのに収まる傾向は見られません。

私も運転していると、意味もなく煽り気味でピッタリ後方に付いて来る車に度々出会います。

遅い車に対して煽るのは、やっては駄目ですが心理くらいは理解できます。

しかし、前にも車がいて、それ以上速く走れない状況にも関わらず煽る車もいるのです。

その心理を考えてみると、動物としての人間が見えてきて面白いものです。

動物の世界は、常に闘いの日々です。

負けると集団から追い出されます。

周囲に対して優位性を誇示しなければなりません。

ただ、人の社会は複雑で腕力だけで、その優位性は確保できません。

知性や言語能力的優位性、社会的地位による優位性、など複雑な優位性誇示の道具が存在します。

初めて会った人に「です」や「ます」を使わず会話して、その場の優位性を確立しようとする人もいます。

もっと簡単に何の落ち度のないお店の店員さんに対して無礼な態度で優位性を誇示し、満足している人も見かけます。

そんな人を見かける度に、あ〜こんな人が煽り運転をするのかもしれないなと思うのです。

勝負事が好きなのでしょうか、それとも、まだ人が人になる前の記憶が残っている記憶力の素晴らしい人なのでしょうか、優位性を周囲に示さなければ安心できないのかもしれません。

私は年齢が増す事にインドア化の傾向が強くなってきたのは、外に出る度にこれらの光景に触れた為だとこのところ思います。

赤信号を堂々と渡るのも、誰も自分には注意ができないだろうという周囲への優位性からの行動と思われます。

道路の真ん中を走る自転車も同じ心理からかもしれません。

このところ報道で見かける煽り運転は、このマウンティング行為に対して注意をしたり、抵抗した時にトラブルが起こるように思います。

交通の場でマウンティング行為をしなければならないという事は、他の事でマウンティングに失敗しているのかもしれません。

それどころか、むしろマウンティングされている事さえ想像されます。

「情けは人の為ならず」ということわざは情けは人の為ではなく自分に帰ってくるという意味らしいのですが、逆に「マウンティングは自分の為ならず」なのかもしれません。

得意な事でマウンティングをすると、他の事でマウンティングされてしまうのかもしれないので、気をつけたいと思った煽り運転のニュースでした。




心理的考察を交えた練習はフジドライビングスクール東京で




無法猿と無法運転 フジドライビングスクール東京

2019-09-28 10:41:49 | ペーパードライバー
先日、朝のニュースを見ていたら、無法猿が住宅地を暴れ回っているというのをやっていました。

?「無法猿」って何と思ったのです。

法を守っている猿は見た事がないからです。

猿は人間の法律なんて知らないし、人から見たら無法なのは当たり前で、ご飯を求めて街を歩きまわっただけではないでしょうか。

もし、猿が法律を知っていて守らなかったら無法と言えるのかもしれません。

もちろん、ニュースの注目度を高めるために作られた言葉だと思うので、目くじらをたてる必要はないのですが、ふと思ったのは、そういえば無法人と言わないのは何故なんだろうという事です。

朝夕の通勤、通学時間の人々の行動を見ると法律を知っていながら破っている人が結構いるのです。

車の微妙な信号無視や、自転車による逆走、歩行者の信号無視など枚挙に暇がありません。

確かに、猿による被害を受けたり、受けそうな方々は大変だと思いますが、もっと危険なのは無法に走る車や自転車などなのです。

人は、猿による珍しい危険には敏感なのですが、朝夕、毎日見かける危険行為には無関心なのです。

悲しいかな、人の関心は危険度には比例せず、珍しさに比例するようです。

犬が人を噛んでもニュースになりませんが、もし人が犬を噛むとニュースになるという例え話がありますが、珍しい事に人は関心があるのです。

自転車による歩行者をはねる事故は珍しいために報道されますが、車による自転車をはねる事故は珍しいケースでない限り報道される事はないのです。

それは、日常的だからかもしれません。

まあ、ニュースの意味を考えると「新しい事、珍しい事」のようですので、それでいいのかもしれませんが、見る側はそこで現実を見失わないようにしなければなりません。

毎日、ニュースばかりを見ていると、交通事故は高齢者がアクセルとブレーキを間違えたものや、自転車が人を跳ねる事故が多い気がしてきます。

しかし、交通事故のデータを見ると、実際は、正面衝突や横断中の重大事故が多いのです。

練習に来て頂いたある男性は、自転車の時は赤信号でも行きますけど、と自慢気に話していたのですが、ファーストフードは何が入っているかわからないから食べないという事でした。

ファーストフードは危険だけど赤信号を渡るのは危険ではないと感じられているようでしたが、これも毎日している信号無視は大丈夫と感じ、時々食べるファーストフードは健康的ではない感じがするのかもしれません。

毎日の行為は、客観的に危険と感じられても毎日やっていて何もなかったのだから大丈夫と思うのでしょうか。

キャビンアテンダントをしているという女性が練習に来て頂いた時に仕事とはいえ、頻繁に飛行機に乗っているのは怖くないですかと聞いてみたところ、何故かわからないけど、絶対に落ちないと思ってるんですよ、という答えでした。

高層ビルなとの高い所で作業をしているという男性にも怖くないか聞いてみたところ、最初は怖かったけど、だんだん慣れて感じなくなったというか、考えなくなったと話されていました。

人は日々の危険には鈍感になるようですが、時々、見聞きする危険には敏感なのかもしれません。

人の危険に対する感受性とは不思議なもので、毎日、PM2.5に怯えてマスクを着用して生活してる人もいますし、地震に備えてあらゆる防災用品を買い揃えている人もいます。

しかし、マスクをしてウィルスやPM2.5などに備えているのに、ごどもを前後に乗せた自転車で生活道路ならまだしも、トラックの多い産業道路の車道を走っている人もいるのです。

10年以上前に練習に来て頂いたある女性が、こんな話をしてくれました。

その女性のお祖母さんは、交通量の多い近所の路を渡る時に、横断歩道も信号もないところをいつも渡っていたらしいのです。

家族はみんな、危ないから少し遠回りでも横断歩道を渡るようにと話してたらしいのですが、数年後に自宅前で横断中に事故で亡くなったという事でした。

猿は人のルールがわからないので仕方ないと思うのですが、人はわかる訳ですからおおよそ守る姿勢がなければ社会は成り立たないのではと思ったニュースでした。



動物好きの方の運転練習はフジドライビングスクール東京で