首都高速や幹線道路で合流をしようとすると、譲らない車がいます。
5台に1台くらいでしょうか、前の車にピッタリくっついて間に入れないようにしてる車を見かけます。
渋滞時には、よく見かけます。
並んでるところに割り込んで来る車をブロックしたいとか、意味もなく車線変更を繰り返す車を入れたくないのなら、まぁわからないでもないのですが、何の理由もなく、ただ合流してきた車や車線変更をする車を入らせないようにするのは何故か理解に苦しみます。
合流を妨害するのは、このところ問題になっている、煽り運転のきっかけにもなるようです。
ペーパードライバーの練習中に、そんな事をする人はいないと思われるのですが、本当に稀ではありますが、いらっしゃいます。
昨年の話ですが、練習中に、こちらが譲る側だったので「1台だけ入れてあげてください」と言ったところ「嫌です」とその女性が言われたのです。
否、「嫌だぁ」だったかもしれません、正確には覚えてないのですが。
「何故ですか?」と聞いたら「損した気分になるし〜」みたいな返事でした。
その時に、なるほど譲れない人の理由は、損した気分になるからなんだ、と思ったのです。
もちろん「こちらも譲ってもらうことがあるから駄目ですよ」と言って収めたのですが、損した気分になるというのは、面白いと思ったのです。
一番酷いなと思うのは、二車線の道路を走っている時に駐車車両を避ける為に車線変更をしようとする車に対して前を詰めて入れないようにする車なのですが、入れてくれないと止まってしまう訳です。
工事や駐車車両があるところが先頭で起こる渋滞は、そうした車が時々いる為なのです。
前に自転車のマナーの事でも書いたのですが、匿名性の高い行為に関して人は、正しく行動しない人が、幾らかの割合でいるようです。
ある中国人の男性から聞いたのですが、北京でオリンピックが開催された際に街中にカメラが設置されて、北京では運転マナーが一気に良くなったそうです。
合流を阻止するというのは、いわゆる意地悪をする訳ですが、最近読んだ本によると、意地悪もイジメも生き物として考えると当たり前というか、生まれ持った心理であり行動のようです。
生存競争が激しかった大昔の古い記憶が脳の奥に残っているのかもしれません。
もともと人がコミュニティを形成するきっかけは、お互いが助け合う事で、コミュニティの仲間を守ろうというものだったと思うのです。
現在は、国が個人を守ってくれるから、お互い助け合う必要を感じなくなり個人主義的思考が、脳の奥の古い意地悪やイジメの心理を呼び起こしていると考えると不思議ではありません。
社会性は残念ながら高度な記憶と知性の中で養われるようです。
現在、国という安全なコミュニティの中で、他を敵とみなし、攻撃的な態度で行動する人々が存在し続けているようですので、気をつけて運転をしたいものです。
ルールやマナーを否定した先にあるものは、暴力的解決しかないからなのです。

高度な知性で社会を生きたいと考える方の運転練習はフジドライビングスクール東京で
5台に1台くらいでしょうか、前の車にピッタリくっついて間に入れないようにしてる車を見かけます。
渋滞時には、よく見かけます。
並んでるところに割り込んで来る車をブロックしたいとか、意味もなく車線変更を繰り返す車を入れたくないのなら、まぁわからないでもないのですが、何の理由もなく、ただ合流してきた車や車線変更をする車を入らせないようにするのは何故か理解に苦しみます。
合流を妨害するのは、このところ問題になっている、煽り運転のきっかけにもなるようです。
ペーパードライバーの練習中に、そんな事をする人はいないと思われるのですが、本当に稀ではありますが、いらっしゃいます。
昨年の話ですが、練習中に、こちらが譲る側だったので「1台だけ入れてあげてください」と言ったところ「嫌です」とその女性が言われたのです。
否、「嫌だぁ」だったかもしれません、正確には覚えてないのですが。
「何故ですか?」と聞いたら「損した気分になるし〜」みたいな返事でした。
その時に、なるほど譲れない人の理由は、損した気分になるからなんだ、と思ったのです。
もちろん「こちらも譲ってもらうことがあるから駄目ですよ」と言って収めたのですが、損した気分になるというのは、面白いと思ったのです。
一番酷いなと思うのは、二車線の道路を走っている時に駐車車両を避ける為に車線変更をしようとする車に対して前を詰めて入れないようにする車なのですが、入れてくれないと止まってしまう訳です。
工事や駐車車両があるところが先頭で起こる渋滞は、そうした車が時々いる為なのです。
前に自転車のマナーの事でも書いたのですが、匿名性の高い行為に関して人は、正しく行動しない人が、幾らかの割合でいるようです。
ある中国人の男性から聞いたのですが、北京でオリンピックが開催された際に街中にカメラが設置されて、北京では運転マナーが一気に良くなったそうです。
合流を阻止するというのは、いわゆる意地悪をする訳ですが、最近読んだ本によると、意地悪もイジメも生き物として考えると当たり前というか、生まれ持った心理であり行動のようです。
生存競争が激しかった大昔の古い記憶が脳の奥に残っているのかもしれません。
もともと人がコミュニティを形成するきっかけは、お互いが助け合う事で、コミュニティの仲間を守ろうというものだったと思うのです。
現在は、国が個人を守ってくれるから、お互い助け合う必要を感じなくなり個人主義的思考が、脳の奥の古い意地悪やイジメの心理を呼び起こしていると考えると不思議ではありません。
社会性は残念ながら高度な記憶と知性の中で養われるようです。
現在、国という安全なコミュニティの中で、他を敵とみなし、攻撃的な態度で行動する人々が存在し続けているようですので、気をつけて運転をしたいものです。
ルールやマナーを否定した先にあるものは、暴力的解決しかないからなのです。

高度な知性で社会を生きたいと考える方の運転練習はフジドライビングスクール東京で
順番を守る大切さを教えてもらっても思いやりはないんですね。
割り込みありきの考え方は確かにダメですが、私はこのブログを読んで割り込みありきなどとは思いませんでした。
お互い様、思いやりを持って運転しよう。ブログの筆者はそういうことを言いたいのではないのでしょうか。
あなたの思いやりのレベルで周りが動いているわけじゃない。
譲る義務がない以上、合流側がスムーズに合流しないと。
譲られて当然みたいなドライバーが増えた結果が、お祈り合流みたいなバカな思考で走るドライバーの増加につながってる。
正直、適正がないやつに免許ばらまいてる国と教習所が1番の害悪だと思うよ。
ドライビングスクールを名乗られていますが、本当に教育者ですか?教育者であるなら、「自分の思い」だけでなく、ルールもしっかり考えた上で投稿しましょう。