ペーパードライバー教習の車窓から

車の運転中や、練習中の車窓からの光景と感想をとりとめなく。

右折時のバイク事故を科学する フジドライビングスクール東京

2016-05-29 22:11:00 | ペーパードライバー

右折しようとした車にバイクが衝突する事故はよく耳にします。

今日もこのタイプの事故で被害者が出たとニュースが報じていました。

原因は他の事故同様、複数のモノが考えられるのですが、中でも重要なのがバイクの速度を見誤った為にというのが、原因の大部分を占めているように思います。

何故、よく見えるはずの対向バイクの速度を見誤ってしまうのか、なのです。

車なら見誤る事が少ないのにバイクは見誤るところに、この事故の原因の多くが潜んでいるのです。

対向車の速度は、近づいてくる際の見えかたの変化により人は感じとります。

近づいてくる車は、だんだん大きく見える訳です。

しかし、バイクの場合は小さい為に、その変化がわずかで速度がつかみにくいのです。

トラックやバスは大型な為に、近づく速度を捉えやすいのですが、小型で速いバイクは速度を見誤りやすいのです。

野球で例えると、速い直球はコースは読めるが、タイミング良くバッティングするのは難しく、変化球は左右上下の変化をするために速度は読めるが、コースは読みにくいようです。

真っ直ぐに走る小さいモノは、正面から見ると速度は正確に捉えにくい事を覚えておくとミスをしにくいかもしれません。

また、緊張等の心理的な理由で速度を見誤る事もあります。

対向車を見つめてしまう、いわゆる、ズームインしてしまうのです。

見つめてしまうと、周囲の景色とのバランスで近づく変化を捉えているために見誤る事も考えられるのです。

速度を捉えるためには、小学校で習った、速度=距離÷時間な訳です。

距離と時間が把握できてなければ速度を見誤ります。

人は、距離を周囲の景色との対比の中で把握しています。

時間は、対象物の一定距離における変化により捉えています。

どちらも、見つめてしまうと周辺視野が無くなり、対象物は止まって見えるのです。

もちろん、人は距離や時間を○○キロメートル、○○時間と数値で捉えるのではなく、感覚的におおよそで判断しているのです。

多くのモノを感覚的、直感的に判断する為に、運転中はリラックスが重要です。

緊張や焦りは、視野や情報対象物の選択に影響を与えるからです。

対向車がバイクの場合、通常よりも余裕をもって判断したいものです。



運転の科学的分析に興味がある方はフジドライビングスクール東京で


運転の上達を競わない フジドライビングスクール東京

2016-05-29 00:20:00 | ペーパードライバー

ペーパードライバーの運転練習をしていると「皆さん何回くらい練習されてますか?」という質問を受けます。

費用が気になるのは、当然なのですが、どうも費用ではなくて他の人はどのくらいの練習で運転できるようになったが気になる人もいるようです。

もちろん、個人差がありますので、何回とは答えられないのですが、周囲の事が気になるのかもしれません。

これは、何故なのかと考えてみると、おそらく競争心からかもと思うのです。

平均で何回くらいなのか、苦手な人はどのくらいたくさん練習したのか、早く上達した人はどのくらい早いのかが気になるのでしょうか。

「アドラー」という精神科医は「人の悩みのほとんどは、人間関係からである」と言っています。

競争心やその結果からの劣等感等の悩みは、周囲との比較から生じる事が多いのです。

人の能力の高さや方向は、それぞれなのです。

ひとつの事柄で優劣をつけて、一喜一憂するのは如何なものでしょうか。

本来、社会というのは助け合うための集合体だったはずなのに、近年、社会は競いの場と変貌しつつあるのです。

平和を求めて助け合う為の社会を築きあげたはずなのに、平和が続くと競争心が顔を出すようになるのは人の業なのでしょうか。

ちょっと前にSMAPの「世界でひとつだけの花」という歌が大ヒットしましたが、皆さん詞の内容に感動したのだと思うのです。

しかし、感動したにも関わらず、現実の生活の場で、それを実践している人は少ないように見えます。

「ひとりひとり違う種を持つ」という歌詞は、能力やその方向の違う素質の事を表しているはずなのに、時代はまさに競争の真っ只中なのです。

世の多くの不満や悩みは、アドラーの言葉を借りる必要もなく周囲との比較の中から起こっているようです。

世界一幸せな国、と言われたブータンは、客観的な数値によってではなく、国民の意識としての幸福感で世界一だという事でした。

しかし、最近では他国の情報がテレビやインターネットを通して入って来たため、国民の幸福意識が低下していると言われているそうです。

いわゆる、他国と比較をしてしまった為に、不幸な気分になり始めたのかもしれません。

競争の末に生まれる感情は、優越感、劣等感、絶望感、負け惜しみのようなマイナスのモノが多いようです。

もし、SMAPの歌のように、ひとりひとり違うのなら比較する必要も意味も無いのではと思います。

私は不器用な方なので、精神衛生上、競争心を捨て、なるべく周囲も気にしないようにしています。

運転も人並みになるまでに他の人の3倍は練習したと思います。

最終的に目的を達成すれば良いわけで早さは、どうでもいいのではと、周囲を見渡しながら練習している方を見ると思うのです。



焦らず、マイペースで練習したい方をサポートするフジドライビングスクール東京

対向車のパッシングはヤバイ フジドライビングスクール東京

2016-05-20 18:41:00 | ペーパードライバー

右折しようと対向車の通過を待っていると、対向車がパッシング(一瞬ヘッドライトを光らせる事)をする事があります。

ほとんどは「お先にどうぞ」の意味のようですが、スピードを上げてパッシングの場合は、正反対の「お先に失礼」もしくは「先に行くな」を意味するようです。

また、地域によってもその意味が違うと言われています。

少しの意味の違いなら危険もありませんが、ひとつの合図が反対の意味では危険だと思うのです。

そう言えば「ヤバイ」も最近では正反対の二つの意味で若者は利用しているようです。

良くない事に「ヤバイ」と言ったり、凄く良い事に「ヤバイ」と言ったしているのを耳にします。

ハザードもいろんな意味合いで使用されていますが、車線変更のお礼かと思ったら、駐停車の意味だったりと勘違いする事もあります。

そう言えば、ある奥様が言ってたのですが、女性の「あなたなんか大嫌い」は必ずしも嫌いではなく「大好き」という事もあるらしいのです。

合図も言葉も、その場の雰囲気も考えて判断しないと間違えて捉えてしまう危険がありそうです。

ピースサインも手を裏返しにすると悪い意味になる国もあると聴いたことがあります。

言葉や合図等は国や地域の文化に深く根差しているために、違いがあるのは仕方ないのかもしれませんが、交通に関する合図は、そろそろ世界的にも一致させないと地域性の違いで事故になってしまった、みたいな話は聞きたくないのです。

私は譲るのは、すり抜ける自転車やバイク等の問題もあり、大変難しいので慎重に行うようにはしていますが、路が空いているのに、ちょっと格好つけてパシッとパッシングをして早く曲がって、みたいな車を見ると何のために譲ってるのか不思議に思うのです。

譲られても周囲をよく確認してから曲がらないとすり抜けてくる自転車等と衝突の危険があるので、決して格好よく曲がらないようにお願い致します。



譲られても焦らず曲がる練習はフジドライビングスクール東京で


ペーパードライバー克服? フジドライビングスクール東京

2016-05-20 15:36:00 | ペーパードライバー

ペーパードライバー、と検索すると克服というワードが一緒に付いてくる事が多いようです。

それだけ克服に悩む方が多いのかもしれません。

ペーパードライバーの状態からまったく脱け出せずに悩んでる方、少しは運転を始めたけど恐怖感や不馴れな感覚が抜けない方と、いろいろなのかもしれません。

しかし、他の事と比較してみると、運転だけが簡単に出来ると考えるのは危険な気がします。

例えば、英語を何年もの間、学校で習うのに話せる人は、ごくわずかです。

実際、話せる人の多くは、海外に住んだ事があるようです。

海外で生活すると、朝から晩まで英語を聞き、話すのですから話せるようになるのは必然かもしれません。

これは、速い遅いの差こそあれ、能力の有無は関係ないように思います。

スポーツ等も同じだと思います。

どれだけ長く、その事に触れているかではないでしょうか。

人が行う事は、すべて記憶によるものですから、たくさん触れて記憶量を増やす事が、すなわち上達となるのではないでしょうか。

運転の上達に悩む方の多くは、運転が好きではない事が多いのです。

好きではない事は、なるべく触れたくないものです。

しかし、利便性の問題で運転できるようになりたいのかもしれません。

私も出来たら便利だろうな、楽しいだろうな、と思うものがたくさんあります。

でも、どれも今一つ好きになれない為に努力する事はしないのです。

どんな事も、上手になれば楽しいものですし、いっそう好きになるのかもしれません。

好きではない事を如何にして継続し上達まで我慢できるかが、克服への鍵とも言えそうです。

過去にペーパードライバーの克服の為に練習に来て頂いた、ある女性の言葉がその意味を表していました。

「私は運転が怖いのですが、出来たら便利なのです。でも運転するのは怖いからどうしたら上達するのか書いてある本やインターネットの記事ばかり読んでいました。」という話です。

確かに好きで楽しかったら、本を読む間に、運転をしているかもしれません。

アメリカに興味がある方は、アメリカについて書かれた本を何冊も読むより実際にアメリカに行くと思います。

先にあげた女性は、実は本を読むのが大好きなのです。

ペーパードライバーの克服に悩む方のほとんどは、運転経験が不足しているだけなのです。

私は運転の理論にこだわる方ではありますが、練習が楽しくなくなる程こだわる必要はないと思っています。

まずは、楽しく練習して継続できる環境づくりから初めてみるのが良いと思います。



ペーパードライバー克服の為の環境づくりはフジドライビングスクール東京で

ペーパードライバーの恐怖の心理 フジドライビングスクール東京

2016-05-18 14:24:00 | ペーパードライバー

子供の頃は怖いと思わなかった交通の激しい道路を大人になって歩いていると、妙に怖い思いに駈られます。

子供の頃と何が変わったのかと考えてみると、知識の量なのです。

年齢と共に社会と人に対する知識の量は増えていきます。

子供の頃は大人は皆、賢くいろんな事を教えてくれ、導いてくれる頼りがいがある存在と思っていたのに、実際、自分が大人になって周囲を見渡してみると、意外と適当に生活している人々が多い事に気が付きます。

それまで意識しなかった車の流れも、1台1台にドライバーがいると考えると不安な気持ちになるのです。

ようするに、人が怖いのです。

悪い事をするのも、ミスをするのも人なのです。

こう考えると、恐怖感が強い人は、知識の量の多い人とも言えるのかもしれません。

夜道を歩いている時に、何が怖いかというと、大人になるとお化けではなく人なのです。

何故なら、お化けに会って事件や事故に巻き込まれた話は、聞いたことがないからです。

多くは、人によって起こされた事故や事件なのです。

運転に対する恐怖感が強い人は、事故のニュースや人のミスに対する知識が豊富だとも言えます。

巷で聞く「運転は怖くありません」というペーパードライバーを教える教習所等の囁きは、何も考えずに運転すれば怖くないというモノが多いようにも思います。

知識が豊富で、創造力が豊かで、思考の深い方に、何も考えないで運転してみれば怖くありませんとは、なかなか思いきった試みをしているなと感心します。

人が怖い訳ですので、人の行動予測や心理を、また出来る事には対応策を、対応出来ない事象に対しては覚悟の哲学を理解しなければ運転の恐怖感から逃れる事はできないのではないでしょうか。



運転の心理と哲学はフジドライビングスクール東京で