goo blog サービス終了のお知らせ 

ペーパードライバー教習の車窓から

車の運転中や、練習中の車窓からの光景と感想をとりとめなく。

親切、丁寧、優しい指導の真実 フジドライビングスクール東京

2019-08-13 08:18:37 | ペーパードライバー
数十年前の教習所の教え方は影を潜め、現在ではどんなスクールでも親切、丁寧、優しい指導が行われています。

もちろん、中には嫌味を言われたとか、無礼な態度だったという話は聞きますが、現在では、ごく僅かなようです。

数年前の話ですが、車庫入れや車線変更が上手くできないからという理由で練習に来て頂いた方が「別のスクールで練習したのに上手くできなくて」と話されていました。

そのスクールでは、とても熱心にしかも親切、丁寧に教えてくれ、なのに上手くできなくて申し訳ない気持ちになってスクールを替えたという事てした。

しかし、教えてもらったという方法で車庫入れをして頂いたのですが、とても複雑な方法で初心者には向かないのです。

本人は、覚えられなかった自分に能力がないと感じられているようでしたが、私が見るに初心者には難しい方法というか、その方法で駐車をしている人がいるのか知りたいくらいなのです。

この方法は難しいので、もっと簡単な方法をと、教えてできるようになっても、理解力のない自分が悪かったと言われてたのがとても不思議でした。

何故、その人が教え方が良くないと思えなかったのかと、考えてみると、おそらく「親切、丁寧、優しく」教えられた為かもと思いました。

昔、金の架空取引で騙されたという老人が、テレビのインタビューで営業の人がとても親切で今でも騙されたとは思えないと話していたのを思い出しました。

確かに、あまり美味しくないレストランでも丁寧な接客だと許せてしまいます。

ひどく不味くなければ、また行ったりもするのです。

感じの良い店員から勧められて買った服が似合わなくても、まあ許せたりもします。

逆にどんなに美味しくても、安くても、商品が良くても感じの悪い接客態度の店には二度と行きたくないものです。

この事実に、多くの店やサービス業、そして教習所も不景気の経験から気がつきました。

その為に、買い物や習い事などで嫌な思いをする事は少なくなりましたが、お陰で商品やサービスの中身が見え難くなったのは悲しい事です。

昔は、感じの悪い教官の言う事は、大抵において適当であった訳ですが、このところは適当な、もしくは間違った情報を優しく丁寧に教えてくれたりもするのです。

私は、ひょっとしてこの女性が求めていたのは、スムーズな車庫入れだけではなく「親切、丁寧、優しさ」なのかもしれないと思ったのです。

それは、練習してすぐに、スムーズとはいかなくても、まあ問題なく車庫入れができるようになった時に「もう一度前のスクールに行ってみます」と言われたので、「もうできるから行かなくてもいいんじゃないですか」と応えたら「あまりにできなかったので、できるようになった私を見てもらいたいから」と言われたのです。

ひょっとして、その指導者に恋をしてしまったのなら話しは別ですが、なんとも不思議な5年くらい前の出来事でした。



シンプルな車庫入れを身につけて周囲に見せたい人はフジドライビングスクール東京で

「愛車」に愛はあるのか フジドライビングスクール東京

2019-07-29 20:05:23 | ペーパードライバー
テレビのCMで「そこに愛はあるんか」と問うものがありますが、そう言われると確かに「愛」があるんかと問いたくなる場面に出会します。

私は車を愛する気持ちになった事がないので、自分の車を愛車と呼んだ事はありませんが、世間では「愛車」と呼んでいる方もいるようです。

車を買い替える以上は愛するというのは違うと思うからなのですが、愛車と呼ぶ人は少なくはないようです。

ただ、ちょっと変だな、と思う使い方を見聞きすると私はへそ曲がりのせいか「?」となるのです。

「愛車の手入れ方法」はわかりますが「愛車の買い替え時」は変だなと思うのです。

買い替えを考えた時点で愛してはいないはずだからです。

愛車遍歴なんて言葉を聞くと、なんかふしだらな感じさえしてしまうものです。

まぁ、車ですし、人じゃないので、遍歴があってもいいんでしょうが、ならば愛車と呼ばない方が良い気がします。

「愛車を手放す時期」という記事を見た事がありましたが、愛しているのに手放す時期を考えてるなんて、車からしたら、ひどい話だと思います。

しかも、手放す時期を計算しているなんて車は、ひどい人だと思っているに違いありません。

「愛車を売るなら」というCMを見ると愛車を手放そうとしてる人に「そこに愛はあるんか?」とテレビCMみたいに聞いてみたい気持ちになります。

まあ、そのCMも消費者金融のもので、そこに愛があるとも思えないのですが。

この世には「愛」という言葉は溢れているのですが、「愛」という行為や事実は溢れてはいないようにも思えます。

映画やドラマで数日前に出会ったばかりの2人が「愛してる」なんてセリフを吐くとがっかりします。

数日でひとりの人間の事をわかったりしないと思うのです。

せめて「今は好き」くらいにして欲しいものです。

そういえば、昔「今はバラ色が好き」というテレビドラマがありました。

数々の名作を世に出した、山田太一さんの作品ですが、実に人の心のはかなさを表現した素晴らしい作品でした。

とても素敵な、女性と婚約したのですが、たまたま知り合った女性に恋し、出世も仕事も捨ててしまうという昭和らしいドラマでした。

しかし、そのドラマのヒロインであった松坂慶子さんが、後に歌った「愛の水中花」の歌詞で「これも愛 あれも愛 たぶん愛 きっと愛」と歌ったのを聴いて愛を安売りしてると思い、がっかりしたものでした。

誰だったか忘れたのですが「一生で慌てても良いのは、親の死に目に会えるかという時だけだ」と書いていましたが「愛」も安売りせずに一生に一度でいいのかもとテレビCMを見て思ったのでした。



本物の運転が知りたくなったらフジドライビングスクール東京で



踏み間違えやすい時と場所 フジドライビングスクール東京

2019-07-15 15:05:19 | ペーパードライバー
このところ、高齢者のブレーキの踏み間違いによると思われる事故をよく耳にします。

https://youtu.be/MMu5oTMUM9o

ペーパードライバーや初心者の練習中も間違えてしまう方がいます。

どんな時に間違いが多いかとなると、圧倒的に駐車時なのですが、特に段差や傾斜のある駐車場で切り返しをしている時に間違えてしまうようです。

理由は、アクセルとブレーキを頻繁に踏み替える必要に迫られる事と、誘導に気を取られるからと言えます。

また、走行中も間違える事があります。

それは、驚いた時なのです。

周囲の人や車が、意外な動きをして驚くと、たまたまその時にアクセルに足があるとそのまま踏んでしまうようです。

先日の池袋の暴走事故も、ガードレールに接触した事に驚き、ペダルを間違えたように思います。

福岡の暴走事故も、車と接触した後に暴走しているところからして、驚いた後に踏み間違えて暴走し、今度は暴走した事に驚き思考停止状態になって大きな事故となってしまったのかもしれません。

この事実は、普段からアクセルとブレーキの踏み替え頻度を低くくする工夫の必要性を語っています。

また、間違えやすい人の運転スタイルがあり、それは逆に踏み替え頻度は多いのに、アクセルやブレーキの調整頻度が低い方なのです。

踏み替え頻度が高いと調整頻度は低くなります。

いわゆる、ペダルをスイッチのごとく操作している方は注意が必要です。

驚いた時にアクセルを踏み込むのは、このタイプの方に多い気がします。

急いでもいないのにアクセルの踏み方が強かったり、普段からブレーキのかけ方が強めで、カックンブレーキ気味な方は要注意なのです。

アクセルやブレーキの調整時間が少ないと、速度調整のストーリー性を欠いてしまいかねません。

ブレーキペダルを強く踏み込むのは、危険を感じた突然の状況変化の場合のみです。

アクセルを急に、ましてや強く踏み込む事は通常の運転ではありません。

アクセルとブレーキは独立していますが、心理的には連続した装置と言えます。

あらゆる分野でデジタル化が進む現在ですが、間違いの可能性を抑える為に、ペダル操作だけはスイッチのようにデジタル化しないで連続的にアナログで操作したいものです。



運転もストーリーを考えて走ってみたいと思ったらフジドライビングスクール東京で

安全運転の為の監視カメラ フジドライビングスクール東京

2019-07-15 13:52:26 | ペーパードライバー
中国の北京では、昔に比べ交通マナーが良くなったと聞きます。

その理由について練習に来て頂いた中国人に聞くと、監視カメラが街中に設置されたからと言います。

欧米では監視カメラがない街でもマナーの良いところもあるようですが、何故かある欧米人に聞いてみたところカメラは見てないが、神様が見ているからだと言っていました。

なるほど、中国はカメラが見ていて、欧米では神様が見ているとなると、日本は誰が見ているのかと考えみると、近所の人のようです。

近所では、すこぶる礼儀正しい人が旅先ではマナーが悪くなる話はよく聞きます。

なんと言っても日本人が怖いのは近所の目なのです。

今朝も、石垣島にあるラーメン屋さんが「日本人客お断り」と張り紙をして話題になっていましたが、まさに旅先でマナーの悪くなる日本人の話だと思ったのです。

このラーメン屋さんの話によると外国からのお客の方がマナーがいいということでした。

注意書きを見て守ってくれるのは、外国人だと言う事で、日本人は何故守らなければならないのかと、文句を言う人がいるという話でした。

このところ、何でも個人の自由になるという妄想が日本中を覆ってきているようにも思えます。

社会的な責任や義務は考えずに、個人の欲望の拡大をマスコミから得た薄い理屈に基づき行動しはじめているようにも思えます。

カメラが必要なのも、神様が必要なのも、人は放っておくと欲望だけに従って行動しかねないからだと思うのです。

都市化が進むに連れ、近所の目はなくなり欲望の拡大が都市では急速に進んでいます。

そうなると、近所の目という常識の物差しは陰を潜め、法で人の行動を抑制しなければならなくなってきたのかもしれません。

そういえば、東京を車で走っていると、他府県ナンバーの車のマナーが悪いのを見かけますし、他府県に行くと、東京ナンバーの車のマナーが悪いと言う話を聞きます。

要するに、近所の目のないところでは日本人はマナーが悪いのかもしれません。

私は早朝に犬に連れられて散歩をするのですが、結構、ウンチが道にそのまま残っている事があります。

戸建ての家の前には、ウンチの処理をしてくださいという意味の張り紙をよく見ます。

確かに、自宅前に置かれたら嫌な思いをするはずです。

しかし、散歩していると、ほとんどの飼い主さんは処理をする為の袋を持っています。

そうなのです、明るい時間に散歩をしている人はちゃんと処理しているのですが、夜間の他から見えない時に放っていく人がいるのです。

これから日本も、至る所にカメラを取り付けた方がいい時代になってきたのかもしれません。

何故なら、みんなテレビの前では良い人を演じているようだからです。



理性と長期的な感情に基づき行動する方の運転練習はフジドライビングスクール東京で

運転恐怖と恋愛感情 フジドライビングスクール東京

2019-07-11 20:21:07 | ペーパードライバー
数年前に、恋愛ホルモンがあるというのを何かの本で見ました。

残念な事に恋愛ホルモンの賞味期限は3ヶ月から、長くても4年程らしいのです。

運転も免許を取得した頃は、とても怖かったと話していたのに、4年も経つと、そんな事を言ってたかな、というくらいにスイスイと走っている方が多いようです。

恋愛ホルモンはワクワクの緊張状態らしいのですが、運転の恐怖もワクワクではありませんが、緊張状態である事は同じと言えそうです。

人は、良い方にも悪い方にもある程度の時間が経つと慣れてしまうようです。

綾小路きみまろさんのギャグにも、新婚の頃は帰って来た旦那さんに「待ってたわ」と言ってたのに、あれから40年「あら、もう帰って来たの」に変わるというようなのがあります。

まさに、ホルモンが完全に消失した様子を現した名作と言えそうですが、運転も歩行者が近くに来ると「怖い」と言ってた方が、まぁ40年は必要ありませんが、5年も経つと自分の気持ちではなく相手の気持ちを考えるようになり「何を考えて、こんなところを歩いてるの」となるようです。

恐怖心からのホルモンとなれば、アドレナリンなのでしょうか、これも長い時間は分泌されないのかもしれません。

ただ、時々、何年もの間、運転する恐怖が消えないと悩んでいる方もいらっしゃいます。

話を聞いてみると、恐怖心を長い期間にわたって保つマイナスの状況がそこに見られるのです。

それは、頻繁に運転をしないので、常に運転が新鮮なのです。

恋愛も会う頻度を上手に間隔を空ければ新鮮で長続きするのかもしれません。

4年ではなく長い間、ドキドキを保てる事が想像できます。

そういえば、美味しいものも続けて食べていると飽きてしまうので、時々食べた方が感動は長続きするようです。

私は、若い頃に好きになった音楽を我慢して1日、一回しか聴かないようにしていた時期がありますが、これも毎日、聴く度に新鮮な気分で楽しめたからなのです。

ただ、その為に歌詞を覚える事はほとんどなかったのですが、何事も接する機会が多いと慣れてはきますが、その分、感動や感情が薄れていくのでしょうか。

ドキドキを無くしたい運転は頻繁に、ドキドキや感動を続けたい恋愛や美味しいものは時々の方が新鮮さを保てて、いいのかもしれません。



新鮮で熟成された運転理論で練習をしてみたい方はフジドライビングスクール東京で