ペーパードライバー教習の車窓から

車の運転中や、練習中の車窓からの光景と感想をとりとめなく。

運転の手段と目的 フジドライビングスクール東京

2016-07-21 19:00:00 | ペーパードライバー

運転は安全かつスムーズに目的地まで走る事が目的です。

ハンドルの回し方や、アクセル、ブレーキの操作は安全かつスムーズに走る為の手段となります。

運転指導者が陥りやすいのが、うっかり目的を見失った手段に拘る事です。

ちゃんと曲がれているのに、ハンドルの操作方法が悪いとか、そこでアクセルを踏むのはダメだとか、ブレーキが違うと指導したりするのです。

本来、もし安全かつスムーズに曲がれたのなら、その方法は目的を達成している訳ですので、間違いとは言えないのではないでしょうか。

少なくとも、与えられた条件を充たす為の方法であった事は間違いありません。

別の事に例えてみると解りやすいのですが、野球はヒットやホームランを打つことが目的ですが、もし、ある選手が変で個性的な打法でホームランを打てば、目的を達成したのですから、手段は変に見えても正しかったという事になります。

ただ、問題は一年を通していろんな投手に対してもホームランを打ち続ければという事になります。

でなければ、たんなるまぐれとなります。

運転で言うなら、どんなシチュエーションでも対応できるのであれば、その方法は手段として間違いないとなるのです。

しかし、教習所やペーパードライバーのスクールで見かける練習では、目的を見失って手段について論じる姿なのです。

目的を達成できなかった理由として手段が論じられるべきなのに、手段の形式が独り歩きしているのです。

よく見かける、きれいなハンドル操作でふらつく方なのですが、私は、きれいに回そうとするからですよ、とアドバイスしています。

目的は、ハンドルをきれいに回す事ではなく、きれいなライン取りで車が曲がる事なのですから。

免許を取得するときの教習所の練習は、まさに形式的な手段の集合体だった訳なのです。

これを、目的を意識した手段にしないと、本来の運転とはならないのです。

日本には、古来からの形式美というものが存在しますが、それは目的が達成された後の話なのです。

車が安全かつスムーズに動くための操作が確立されても、それに満足することなく形式的な美しさまで求める事にその意味があるのではないでしょうか。



形式美の前に合理的な操作方法を身に付けたい時にはフジドライビングスクール東京で

スピードマニアと激辛マニア フジドライビングスクール東京

2016-07-03 13:47:00 | ペーパードライバー

急いでいる訳でもないのに、スピードを出す人がいます。

聞いてみると、スピードを出す事、そのものが好きらしいのです。

多くの人は、免許取り立ての頃は怖くてスピードが出なかったのではないでしょうか。

運転にも馴れてくると、確かにスピードに対する感受性は鈍くなります。

しかし、だからといってスピードを出すのが好きとか、楽しいというところまでいくと何か異質な印象を持ってしまいます。

これに似た話で、数年前、テレビで味覚の事を分析していて、面白いなと見入ったのを思い出しました。

生物は基本的に甘いものを好むらしいのです。

なのに、人間だけが辛いものや苦いものを好むという話でした。

生物は、苦味や辛味は毒が入っている可能性がある事から避けて食べるのが普通のようです。

人も子どもの頃は、甘いものを好みます。

コーヒーもビールも、キムチや辛いラーメンも大人にならないと美味しさは解らないのです。

「パブロフの犬」で有名な脳科学者のパブロフは、生まれつきの記憶を無条件反射、生後身に付けた記憶を条件反射と位置付けました。

人は、おそらく生まれつきの記憶(無条件反射)では苦いもの辛いもの、そしてスピードも苦手なのかもしれません。

それが、大人になると不思議な事に「美味しい」「楽しい」と変化していくようです。

ただ、すべての人々がそうなる訳でもないのです。

ビールやコーヒーは嫌いな人もいますし、スピードは怖い人もいます。

好きにまでなるには、ある程度の努力や訓練が必要なのかもしれません。

パブロフ風に言うなら、苦味や辛味やスピード感を条件反射として身に付けたと言えるのかもしれません。

この、苦味や辛味やスピードを何故、そこまでして克服したいと思うのか、また、そのモチベーションは何処からくるのかは大変興味深いのです。

克服して得られるのは、他者との差別化された感情ではないでしょうか。

そのモチベーションも、やはり似たような感覚かもしれません。

これらの克服をした人々を昔から「大人」と表しました。

本来、生物が嫌うモノを「大人」と呼ばれる人々が好むのは、おそらく知性としての最高位を獲得したかのような気分になれるのかもしれません。

私も、ご多分に漏れず、若き日にタバコを覚えて「大人」になった気分を味わった覚えがあります。

こどもから抜け、大人になった感じで、少し偉くなれた気分だったのかもしれません。

間もなく世は、禁煙ムードが広がり、私は気が弱く意思も弱いので、すぐに禁煙をしたのですが、その時の感想は、せっかく覚えたタバコをやめる残念さと、やっとやめられるという複雑な気分だったように思います。

やめた後に感じたのは、禁断症状的なものではなく、手持ち無沙汰と子ども返りした気分だったのです。

その頃は、女性の喫煙者が少なかった事から、男性的な気分も薄まったように思えました。

今、考えてみると、自分に自信がなかったから形にこだわり大人風に装おう必要があったのかもしれません。

スピードも怖い時は必死に周りについて走ってたのですが、タバコ同様に覚えてしまうと、急いでない時は必要以上のスピードは控えるようになりました。

ビールもコーヒーもキムチも、最近では、やっと大人の自信が付き、頑張らずに程々にしています。

中学生の頃に、コーヒーを飲む時に砂糖を4杯入れていた事を思い出し、あの頃は素直だったんだな、と思うのです。

私は、タバコもスピードも克服してみて思うのは、頑張らなくても良かったのかな、という事なのです。



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