あの3・11震災後、桂島へ初めて上陸できました。
この島では、地震後にすぐ消防団がガレキをかたずけて車が通れるようにして、死亡者無しでした。
在宅していた方々を素早く異動した対応を行なったそうです。(すごい、島の消防団・・・)
漁港をみると、以外にも多くの船が災害からまぬがれて生き残っていました。(先ずは一安心です)
港の公園では、山形の大学生さんがボランティアで食器類を島へ運び配布してくれていました。
(他県からお手伝い、有難うございます)
しかし、島の坂を登って海水浴場方面へ向かうと状況は一転、最悪の悲惨な状況へとかわりました。
さて、島の人たちはどうしているのですか?
携帯で電話すると、車で迎えに来てくれましたのは、いつもお世話頂いていた牡蠣養殖の「内海さん」です。
仮説住宅は高台(海から約40m位の高さの所?)の廃校になっている小学校校庭にプレハブが並んで作られていました。
こちらは、プレハブの中の一室で、「浦戸海恵信」と書かれた色紙が貼られてのが印象的でした。
内海さんに「今なにが不足していますか?何が必要ですか?」と質問してみると
欲しいのは「妻の愛情です」ですって(冗談なそうですが?)
皆さん元気でしたよ!
追伸:11月13日(日)に「桂島カキ祭り」を実施するそうです。
と言うことは、なんと、島のカキはあの大津波を免れた所もあり、今年もカキが採れると言うことなんだそうです。
これからも、定期的の訪問して少しレポートして見ようと思っていますので
どうぞ、これからもプログをご覧下さい。・・・・・
この島では、地震後にすぐ消防団がガレキをかたずけて車が通れるようにして、死亡者無しでした。
在宅していた方々を素早く異動した対応を行なったそうです。(すごい、島の消防団・・・)
漁港をみると、以外にも多くの船が災害からまぬがれて生き残っていました。(先ずは一安心です)
港の公園では、山形の大学生さんがボランティアで食器類を島へ運び配布してくれていました。
(他県からお手伝い、有難うございます)
しかし、島の坂を登って海水浴場方面へ向かうと状況は一転、最悪の悲惨な状況へとかわりました。
さて、島の人たちはどうしているのですか?
携帯で電話すると、車で迎えに来てくれましたのは、いつもお世話頂いていた牡蠣養殖の「内海さん」です。
仮説住宅は高台(海から約40m位の高さの所?)の廃校になっている小学校校庭にプレハブが並んで作られていました。
こちらは、プレハブの中の一室で、「浦戸海恵信」と書かれた色紙が貼られてのが印象的でした。
内海さんに「今なにが不足していますか?何が必要ですか?」と質問してみると
欲しいのは「妻の愛情です」ですって(冗談なそうですが?)
皆さん元気でしたよ!
追伸:11月13日(日)に「桂島カキ祭り」を実施するそうです。
と言うことは、なんと、島のカキはあの大津波を免れた所もあり、今年もカキが採れると言うことなんだそうです。
これからも、定期的の訪問して少しレポートして見ようと思っていますので
どうぞ、これからもプログをご覧下さい。・・・・・