静かな生活  微睡の 私記

 
さりげなく 簡素に生きたい。傍らに コーヒーがあって
とっておきの本たちがあれば それだけでいい
 

墓地のお掃除

2008-07-11 12:09:54 | 日常

11日(金)

 “季節を感じながら暮らそう”  テレビコマーシャルのいいフレームに惹かれて ブログを書きたくなった今朝。

  すっかり夏本番 七月は私の季節 殿の季節 です。 一瞬の冷気はキチンに立つ身体に心地いい。 そよ風はなし。外気温25℃弱。 しのぎいい一日になりそうな気配だ。

 今朝のカフェはドトール EUROPEAN 丁寧に丁寧に淹れる大好きな 平凡なひととき。小鳥たちはベランダで穏やかに囀っている。

 薫りに誘われて眼を閉じると 想いだすのは  昨日の霊園風景。

 墓前の雑草を抜き取っていると、黒い気配がして、隣の墓石に大きな嘴ぼそカラスが一羽、跳んできてデンと停まって、ふてぶてしく此方の様子を伺っている。お供えを待っているか。 “きっとあのバッグの中だな、美味しいものか?” 舌なめずりしながら詮索している目つきだ。君・・・大きいね、といっても少しも動じない。お節介は要らない、はやく飾るなり荷をほどくなり しろよ、とでも言うしぐさだ。こんなことをしたらとんでもない騒ぎになるから しないよ、と手を休めずに静かに作業を続けている私の心中を察してか、間もなくもったもった低空で飛んでいった。その間一声もガアといわなかった。 ・・・じわと 怖ろしくなった。あの巨体でつつかれたら 堪らない・・・。
 
 R2でお墓詣りをしたのは今回が初めて。落ちついて、ゆったりドライブを楽しもう。お墓の前では、小鳥たちのさえずりを楽しもう。
ウイクデーの午前だし、車道も墓地も空いてるわ。今朝はぐっすりと寝たから運転も大丈夫でしょう。ゆったりと、只ゆったりとね、R2よ頼む。こう自己暗示をかけながらひたすら安全運転を目指した昨日の朝。

 茜橋から東八へ左折。試験場手前で右折。ここは裏門バス通り。何も心配することはなかった。走行距離40キロ。自分には長い距離だ。

 今年もお盆のお墓詣りは無事に終えた。これを期に、せっせと前向きに日常の一環としてお墓まいりをしたい。 

 お墓の雑草を奇麗に整え、椿と楓の選定をし、墓石を奇麗に洗って、水気を拭き取って・・ステキなお花を墓前に飾って・・・心もすっきり。

 “南無阿弥陀仏” もう一度、もう一度・・・

  後ろ髪を引かれながら “じゃあね、アトゥタレール・・・”


生き甲斐と気分転換 

2008-01-25 20:03:25 | 日常

 とても寒い一日も 部屋に引きこもったまま すでに夕方です。 これから暖かな湯船に浸かって リラックス・タイムの予定です。つい先ほど検索して得た知識は、暖かなお風呂効果によって副交感神経が活発化、免疫力のアップとも。持病の喘息の予防・・・・お風呂に浸かりながら深呼吸をくり返そう、そう考えているうちに、心ははや暖かな、ゆるやかな思いに満ちてくるから不思議です。 さいわい、風の強かった昨日、立川芋窪街道から小川町をすぎて府中街道を横切り、小平の喜平橋まで、予定の三十キロのドライビング。一昨日は 青梅街道を箱根ヶ崎、岩蔵温泉界隈まで・・・・一昨々日は 多摩大橋の新しいきれいな姿を眺めながら、嘗ての渋滞もなく八王子へ。 大和田界隈を後に 日野坂上あたりで少し道に迷い、ようやく本来の路に到達。迷子のドライブって、わくわくしてくる。右手に高幡不動へこちら の道路標識を羨望の目で追いながらいずれね、と日野橋へ。あの長く整然とした日野橋は何度わたっても すーっと心は洗われます。 こうして天気予報の雪、強風、寒気、などで出来なくなりそうなR2ライフを巧く先取り、堪能した週端でした。 この気分転換法は わたしにとって 生き甲斐を感じながら生き抜くコツ、と言えます。 ドライブは最高の気分転換です。それにしても、ミス・デイジー、幸せな老女です。あてどなくなる彼女を、暖かく見守る家族があって・・・・この世で独りぼっちは寂しすぎます。

 いいじゃありませんか、晴耕雨読、こうして外出しない日はブログ日和と名づけましょう。傍らに重ねた本は「どんぐり民話館、これからの出来事、夜明けあと」。星新一さんの掌編は大好きで、ずいぶん前に買い置いたまま、いつかきっと胸のうちを書いてみたい、こんな時が来るものと 静かに待っていました。ブログでなんてとは知らずにも。


この寒空でなにを思う? 

2008-01-01 00:03:55 | 日常

 アメリカのお友達から来た、早めの年賀状(クリスマスカードに、新年おめでとう、と記したグリーティング)をながめながら、ひとりではないことの豊かさに包まれて、年越しそばも、無事終え、あとはただ近在のお寺の鐘を待ちます。テレビの除夜の鐘は手っ取り早いけれど、あまりテレビを好まないわたしは、ガラス戸を少しだけ開いたまま、夜中の12時を待ちましょう。ただ今の外気温は5℃、室内は21℃。お風呂あがりの火照りを冷ますために外に出てみる。ここは東京多摩。濃紺の夜空には満天の星・・・・けれど不憫です、新潟やら、北海道、北の地方の人たちは大雪でとても困っています。それから、南の地方のわたしの郷を思います。羽田から飛行機に乗って・・・・、里帰りは難しそう・・・昨日の昼、運転中のフロントガラスに一瞬だけみぞれが降りました。今夜あたりの、多摩川の河川敷に留まる家なき人たちの凍える寒さを忍び、哀れに思い、ただ出来ることは、祈るのみ。風が吹きませんように・・・・温い場所が見つかりますように。

 今夜が過ぎると、あした。 目ざめるあさは一日の始まり。それは一年の初まり。日常、なのに不思議に新鮮な響き こうしてひとは 日常の果てに老い、永い休みにはいるのでしょう 。好きな詩は ロバート・フロストの森の詩です。 森は暗く深く優しくそして遠い。けれども私達は行かなくてはいけないのです。・・・・人生の森・・・・かつて昔々高校生のときの英語の教科書にあったその詩に、わけもなく心惹かれて、以来ずっと森が好きで、す。雪も、みぞれも、霜も、好きで、す。霰は別。


カフェタイム 

2007-12-28 16:18:30 | 日常

 一杯のコーヒーさえ有ればこの部屋は、世界でいちばん穏やかな空間にかわります。淹れたての、たった一杯の、わたしだけのコーヒー。熱々の、キリマンジャロブレンドの得も言えぬ薫りに酔いながら、久々にブログを書いている、ごくごく平凡なわたしの暮らし向き。ちっとも高価でないコーヒーと、読みたい本と、ガスストーブさえあれば、ほかに何もいらない、そんな気分です。・・・・あらら、すっかり忘れてしまっててごめんなさい・・・・愛車スバルR2“わたしのアネモネカラー”と五羽の元気なセキセイインコたち。これぞわが人生の最良の伴侶ですもの。 

  日々、分相応な暮らしを楽しむこの苫屋は、時たま訪れる宅配さんのほかは、外部と遮断されて、とても静かです。ベランダに撒いた粟だまを、お馴染みの雀のカップルがちゅんちゅんと、啄んでいます。自分で啄めばいいものを、甘えて彼にねだります。しばらく物干し竿で羽繕いしたあと、揃ってどこかへ帰ってゆきます。

 昨日はお散歩のあと、買いそびれた品々を買いに出かけました。もうすっかりお節やお正月商品が店頭に並べられていて、いつものダイエ-、ジャスコも、よそよそしく感じる年の暮れです。最小限のもの、年越しそばと、お雑煮用の切り餅と、少々の鶏ガラで、お澄ましはきれいに澄んだスープにしたいな・・・・三つ葉はもすこしあとに、それとも鉢植えのイタリアンパセリを摘もか・・・・、お茶は正月だから少し奮発して・・・・などと店内の通路を歩きながら、いつしか新年を待ち望む心が芽生えている自分です。ひとり暮らしの“分相応”な日常を楽しんでいる自分を見つけて、嬉しくなりました。何年振りかしら・・・・久しぶりの年末気分を味わった昨日の午後でした。

 さて、ひと啜りしよか。一段落して傍らを見ると、すっかりカップは空っぽです。

 もう一杯淹れますか。やはりキリマンが大好き。だって第一これしかストックはないから・・・・わたしの習慣の、毎度一杯ずつ抽出するのは、これっきり、という明るい悲壮感と、淹れたての灼熱の味と薫りを満喫できるからなのです。ひとりであることの持つたっぷりの時間と、行動の選択の自由に感謝する瞬間。この後、どれだけ生き続けられるか、誰にも見とられずに消えてゆくのか、その時傍らに淹れ残しのカフェがあるとき、絵になるかしらん・・・・悪くないね・・・・静かで、のびやかで、生きたままの死にようかしらん。