表紙を見て、おぉきれいどころさんやないの…と思って購入したけれどね
中身はムサクルシー?「男の人」が多かったです。こんなこともあるさぁ…。
「小沢健志」氏といえば、写真史のプロ。日本の「写真」の黎明期のことから、たいへん詳しい方です。
なのでこの本、表紙に「写真」とあるように「写真集」ではありません。
日本の国に「写真というものが入ってきて、どう育っていったか」の歴史のお話です。
なので中身は「字」ばーっかしです。
まぁ写真の歴史についてはこっちへ置いといて、写真の中身、武士の写真が多くあります。
安政元年…なんて写真もありますが、とにかく「日本人って小さかったんだなー」と思います。
江戸時代の平均身長、男性は155くらい、女性は145くらいといわれています。
今のように、身体検査だとか、そういう統計はありませんから、発掘された遺骨などから割り出したもの。
まぁ「平均」というものは、あくまで「全体をならして」…の数字ですから、
全部がそうだったわけでは、もちろんありません。
でも、今の男性よりははるかに小さい人が多かったのは事実。
だからポニー系のおんまさんで、戦もできたんですねぇ。
この本の写真に出てくる男性は、座っている人が多いのですが、それでものっぽさんは少ないです。
そしてこういう写真を見るといつも思うのは「時代劇のウソ」…。
あんなに髪ふさふさのちょんまげって、いないんですよ。みんなちょこんと乗っている感じです。
この本には「イスに座っている坂本竜馬」の写真もあります。
衿元はだらしなーく広がっていますが、それでもカッコよく見えるのは、やはりにじみ出るもの、でしょうかねぇ。
さて、惑わされた表紙の「美人」。これは有名な写真…と思っているのですが「洗い髪お妻」という題。
芸者さんですが、切れ長の目、高い鼻、美人ですね。眉は、当時も細かったと思うのですが、
この人は、形整えているけれど、太め、ですね。アップで…。
この人が有名なのは、この「結っていない髪」です。
浅草に「陵雲閣」という、12階建て、日本で初めてエレベーターつきのタワービルができたのが、
明治23年のこと。今のスカイツリーに大騒ぎするのと変わらなかった…というより、
それまで高い建物(展望台のような)は、なかったわけですから、そりゃタイヘンな賑わいだったことでしょう。
ところがこのエレベーターがあまりに故障するので「使ってはならん」とお達しがでてしまった…。
呼び物のエレベーターが使えないんじゃ、12階まで上がるのはたいへん…、で、客足が低迷。
そこで起死回生の策として開催されたのが「東京百美人」という企画でした。
今の「ミス・コン」ですが、いわゆる「世界でのミス・コン」は、もっとあとのこと。
このときの百美人は、全て当時の花柳界の女性。つまり芸者さんたちですね。
同じ写真館で、同じ状況で、同じ条件、つまり日本髪、着物、帯アタリから上、という写真を撮り、
それを並べて、お客さんに投票してもらう…というもの。
何しろ100人ですし、みんな売れっ妓芸者だし、今のように交通網も発達していないし、
だいたい写真一枚撮るのに、はいわらってぇパチリ…じゃありませんからねぇ。
こまかく「あなたは何日の何時から…」と、スケジュールを決めてやったらしいです。
そのとき、このお妻さん、自分の撮影日に髪を洗って「髪結い」さんを待っていたけれど、ちっともこない…。
そこでお妻さんは洗い髪のまま人力車に乗り、とりあえず規定の写真館に駆け込んだのだそうです。
結局、着いてから髪を結って写真を撮って、ちゃんと規定どおりにできたわけなんですが、
ではなんでそんなに有名になったかと言いますと、
当時女性が髪を結わないまま外を出歩くことは、たいへん恥ずかしいこと、とされていました。
今なら大きなカーラーいくつも巻いたアタマで銀座を歩くようなもの??
いえいえ、もっとメンタルな領分での「恥」の概念だとは思いますが…。
ともあれ、お妻さんはしっかり日本髪で写真に納まったのですが、このときの「洗い髪」が、
「洗い髪お妻」と、世間で大評判になったのだそうです。
いつの時代もそうですが、一世を風靡すると「恥ずかしいこと」もそうでなくなる…。
お妻さんは、この「名前が売れたこと」で、時にわざわざ洗い髪でお座敷に呼ばれることもあったとか。
更には、当時出てきた「洗髪料」製造元が、今で言うところの「イメ・キャラ」として彼女を使ったりして、
尚のこと有名になったのですと。
なんかやってることって、今もかわりませんねぇ。
さて、そんなわけで、この本「中身」は、あまり読んでいないのですが、日本の「写真の歴史」、
それはそれでおもしろいものがあります。
かの時代の人が、今のデジカメやフォトショを見たら、なんというでしょう。
私みたいなオバサンが、こんないたずらもしちゃえる時代なんですから。
あ…キモチわるくなったかた、ごめんなさいです。
しりませんでした。
いつの時代も窮地に追い込まれると
色んな事を考えるものですね。
表紙の方、きれいですねえ~
現代人とは違う品を感じます。
凌雲閣の名前は聞いたことがありましたが明治にエレベーターがあったのですか!
びっくりです。
だんだん「粋」になっていって、細くなったんだとか。
このへん、杉浦日向子さんの受け売りです。
浅草十二階、関東大震災で崩れたんでしたっけ。
お寺の塔なんかはあったから、それなりに高いものはあったんでしょうが、「上まで登れる」っていうのは初めてですから珍しかったでしょうね。
今の日本最古のエレベーターは、京都四条大橋脇の中華料理店(おいしいです)、5階建ての洋館で、今も現役です。
扉の開け閉めが人力です。
浮世絵とか歌舞伎調な感じを受けます。
写真・・・。明治生まれの祖父は
写真機(笑)で色んなものをとってましたし
わかかりし明治~大正時代にとられたのも
ありました。
中には水泳で褌一丁の写真もありました(笑)
確かに昔の人は小さいですよね(笑)
明治生まれの祖母は150cm後半で
大女と言われてたとか・・・。
今時なら平均的なんでしょうけど(笑)
孫の方が小さくてアンティークの着物が
ピッタリという(^^;
祖母の兄弟は明治~大正生まれですが
皆、170cm前後との事。
はまっこは大きいのでしょうか!?
最後の座敷わらし可愛いですね(笑)
でわ
写真ではよく見るのですが、灯台みたいな建物です。
関東大震災で倒壊しましたが、
関東人って高いもの、すきなんですかねぇ。
窮地に陥ると、アイデアって、ポンっとでるものなんですかね。
いまどき、ミイコンなんて珍しくもありませんが、
写真のおかげで、こんなものが始まったんですねぇ。
「お妻さん」は、日本髪を結うには、少し顔が大きめかなと
そんなきもしますが、顔立ちは「品」を感じますね。
着物の色柄もわかればいいのに~です。
エレベーターなんて、当時の人はどれほど驚いたことでしょうね。
それにしても「止まったらただの箱」ってのは、これまた古今東西かわりまへん。
カタチとしての細さではなくて「髪が薄くて短い」のです。
写っている人たちが比較的、当時の中年くらいなので、
おそらく長いこと髪を引っ張って結い続けて、
量も減り、長さも足りなくなったんでしょうね。
女のようにカモジなどつかいませんから、
まんま「小さくて細い」んです。
おでこも当然必要以上に「広い」です。
入ったことはありませんが、市場大橋「東華菜館」ですね。
大正時代のものですから、現存では一番古くなりますね。
この話しを知ったとき「オーチス・エレベータ」って古いんだーと驚きました。
昔、ザキの野澤屋のエレベータが、あの時計の針みたいなフロアインジケータで、
扉がドアと、フェンスみたいなのの二重でした。懐かしいです。
あのころはクーラーもなく、天井扇と氷柱があって、毎年母が夏休みに連れて行ってくれると、
氷柱の中の花を、あきずに眺めていました。もう見ませんねぇ。
明治どころか「昭和は遠くなりにけり」です。
私の父も、カメラが好きで、アマチュアでコンクールなど、欲出していました。
若いころは、もっぱら撮ってもらうほうだったようですが、セピア色の写真って、
なんかいいですよね。雰囲気があって…。
父方の祖父も背の高い人でした。父は165くらいかなあ。
はまっこは大きい…だとしたら、母の京都の血が入った私は「だからチビなのかぁ」。
いやいや、母も私より高かった…そーだ、母方の祖母も、父方の祖母もチビだった。
隔世遺伝ってか…うぅっ。
あはは、なるほど。
友人には「白髪にしたら樹希木林」と言われました。
私は弥生さんほど、おしゃべりに特徴ないですねぇ。
リボンだけ?似せてみました?