Tomatopiaの日記帳

クラシック、短歌、旅、思い出、政治

ふじの花、くずの花

2020-09-13 17:36:22 | 短歌

アララギなど写実派の歌というものは単なる描写であってあんまり面白くない、というのがこれまでの私の印象だった。だが最近はそれが誤解であったと感じている。


正岡子規にこんな歌がある。

瓶にさすふじの花房みじかければ 畳の上に届かざりけり

この歌は写実の典型ではないかという程の感慨しか覚えなかったのだが、最近になってやっと詠み手の気持ちが分かるような気がするーー
これは当時脊椎カリエスに苦しみ癒す手段もなく、ただ仰向けに寝たきりで毎日をすごし、部屋の中のその花くらいしか見ることができなかった詠み手が精一杯生きる願望を込めた歌だ、と感得したのである。「届かざりけり」には普通の生涯を生きることが叶わなかった無念さが吐露されている。

 

これに似た歌を子規は他にもいくつか歌っている。

鶏頭の十四、五本もありぬべし

これは鶏頭が咲く季節に、もはや見ることができなくなったその花、昔出あったその美しい群落を思い出し、また再びそんな花に出会いたい、しかしもう叶うことはないだろう、との諦めを込めた願望を歌ったのである。

 

 

また、こんな歌もある。

いちはつの花咲き出でてわが目には 今年ばかりの春行かむとす


これは幸にも寝たきりでありながら庭に咲いたその花を見ることができたのだろう。だが体調が分かる詠み手は、この花を見るのもこの春が最後だろう、という悲痛さが「今年ばかりの」の一句にある。また自分の不幸の嘆きが「わが目には」の一句から感じられる。それらが「いちはつの花」、「春」と対照されて詠み手の無念と悲痛さを訴える。

 

 

 

もう一人、釋迢空の一群の歌にも私は深い印象を受ける。

葛の花ふみしだかれて色あたらし。この山道をゆきし人あり。

 

 

多くの近代短歌の選集には必ずと言っていいほど釈超空の歌として真っ先にこの歌があげられる。この詠み手もアララギの系統だそうだが、それにしてもなぜこの歌がそんなに素晴らしいのか、不思議であった。そもそも花を踏みしだいて、というのが無粋に聞こえる。そんな風にして山道を歩くのがなぜ歌になるのだろう、と疑問であった。

釈迢空はその名前からしてわかるように浄土真宗の門徒であった。そして生涯を旅に過ごしたと言えるほど、とりわけ国内の辺鄙な田舎を歩いて昔ながらの人々や部落集落を訪れ山河を跋渉した。その旅はわれわれの旅のように物見遊山ではなく、そこで釈迢空ならではの何かしらを感得したのである。そのように得たものが作品すべてで明かされており、作品はすべてそのような旅の空でつくられたものだ。

ーー「感得した何かしら」、それは歌によってのみ表現されえたのであろう。あるいは伝承や物語として語られ、無形の何かしらを示唆し、あるいは民俗学的な洞察を導いたのかもしれない。そんな何かと出会うこと、それがこの人にとって何よりも大切な旅の目的であった。
この歌はこれからいよいよその旅に入ってゆく、目指す部落はこの山道の向こうだ、と自分に言い聞かせている歌なのだ。

葛の花というものを都会の人は知らないだろう。かつて福島にしばらく住んだときに知ったのだが、葛の根は食用として重用されるものの、赤黒いその花はむしろまがまがしく見えるほどでとても鑑賞にたえるものではない。葛は繁殖力の強い蔓草であって植木や作物におおい被さり枯らしてしまう。踏みしだいて歩くのは当たり前なのである。)

 

 

をとめ子の心さびしも。清き瀬に身はながれつつ 人恋ひにけむ。

 

 

注記によれば、実はここに至る山道には古い言い伝えがあり、城が敗れて落ちのびてきた飛弾の上﨟が行き倒れてここで命を落としたという。歌われた乙女子はその上﨟だったのかも知れない。それならばこの歌はその乙女への挽歌である。


(「小梨沢」という表題にまとめられた連作の一つなのだが、小梨沢がどこかは不明である。仙台の近くに一つみつかるが、飛弾から落ち延びるには遠すぎる。上﨟とは御台所に仕える奥女中のことだが、仕えたに違いない城が飛弾だとすれば、城はみな戦国時代の山城で、その城址だけがいくつか残っている。当時、嫁入りや奉公で家を出る女性はみな十代の若さだったので上﨟は二十才位だったのだろう。別の歌に「きさらぎの雪のごと清きうなじ」との形容がある。いずれにせよ迢空自身による注記集を見てみたい。)

 

しかしこの歌はそのような由来を持つ挽歌を超えて訴えてくる--深い山奥、人知れない異境を流れる川、その川原に寂しげにたたずむ一人の乙女子・・・この乙女子も恋を知っているはずだ、自分と同じように・・・だが乙女は幻のように流れとともに姿をけす・・・
この歌は夢かうつつか分からない不思議な世界を感じさせる。

 

ながき夜の眠りの後もなほ夜なる。月おし照れり。河原菅原。

水底にうつそみの面わ沈透き見ゆ。来む世も我のさびしくあらむ。
(みなそこに うつそみのおもわ しづきみゆ こむよもわれの さびしくあらむ)

 

 

これらの歌に接するたびに異界への扉がひらき、そこに連れてゆかれるような胸苦しさを覚える。
釋迢空の歌はみな仏教的、神道的、あるいは他になんと形容すべきか、不思議な魔術的な力で迫ってくる。われわれの生と死の狭間を垣間見せてくれる。

 

 

 

 

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北海道を守らねば

2020-09-06 07:41:01 | 政治


以前こんな地図を掲載した。北海道の中で在日シナ人・シナ企業が買い取った要所要所を示した地図である。

これにこんなデータを合わせてみよう。

 


在日外国人の推移


図の中で赤マダラの部分が1990年頃から急増しているシナ人の固まりである。2016年以降もなお急カーブを描いて増勢が続いている。

急増した在日シナ人人口はどこに住んで居るのであろうか?



今日、上の2つの図を結びつける重要な情報を見つけた---

 

『シナは北海道を「32番目の省になる」と発信している。

日本に住んでいる中国人150万人以上、中国人と結婚した日本女性12万人、中国人と日本人の間に生まれた子供は13万人。中国は日本を狙っている。特に北海道には関心が集まり進出計画を進めている。中国の一部メディアは北海道は10年後に中国の32番目の省になると予想している。(宮本雅史著「爆買いされる日本の領土」)

その手口は侵略する国にシナ人を大量に送り込むことから始まる。
そしてシナ人は現地の土地を買い漁り、買った土地は二度と手放さない。

中国人居住者が多くなると地域社会で発言力を強めてくる。北海道で自治基本条例を制定しているのが51市町村、常設型住民投票条例を制定しているのが芦別市、北広島市、増毛町の3市町。

 常設型住民投票条例が制定されると外国人が投票出来るようになり、外国人が自治体の首長のリコールも出来るようになり、行政を牛耳ることが出来る。中国人居住者が増えれば中国共産党の指示で選挙に立候補する在日中国人が増える--

 釧路の隣・白糠町では平成22年から小中学校で中国人講師による中国の歴史や文化を教え中国語教育も取り入れていた。
 白糠高校では白糠町の「ふるさと教育生涯学習」の一環として毎週月曜日に中国人講師による中国文化の勉強会を行い、平成26年からは中国語を科目に指定し、平成28年から2年生は基礎中国語、3年生は応用中国語を選択科目に指定している」(前掲書)』
(以上、9月5日付「さくらの花びら」ブログより転載)

 

シナ人の移民が急ピッチを描いて増大しつつある。国土が切り取られてこれらシナ人の手に移り、北海道の資源が収奪され、美しい自然が汚され、政治も教育も彼らに奪われ、わが国土のシナ化が進行しつつある。
小学校や中学校でシナの文化や歴史を教える必要はない。教えるべきは我が日本の文化と歴史である。
このようなシナ化を推し進めているのはわが国民自身であると聞くが、どういうことなのだろうか?

人口減だからといって移民、特に反日的なシナ人移民をひたすら増大させてはならない。それは「走出去」という超限戦によりあの国の伝統である「生存圏拡大」を狙うかれらに迎合し、人口による日本国土の内部侵略を我々が自ら招き寄せることである。
人口が減ったなら減ったまま、美しい自然のままで残し、或いはそこで観光業や農林業を推進すればよいではないか。

 

シナが大洪水、蝗害、賄賂の横行、経済失速、国際的孤立、米国による制裁によって社会崩壊に瀕し、まさに今その国の周りに竹のカーテンが下ろされようとしている。それはわが国への人口侵略を遮る絶好の、あるいは最後の機会である。

 

「鳴霞の月刊中国」(リンク先)という記事を見て状態がますます悪化しつつあることを知り、まるで事件の犯人にあてて「止めろ」というようなものだ、という敗北感で一杯になりながら下記のメールを首相官邸のご意見箱あてに送った。もし効果がないなら、あとは選挙に勝利したトランプ大統領がシナを崩壊させ、ファイブアイズ、ジーセブン、クワッド連合、EUなどが圧力をかけてくれることに期待し、われわれの真の代表となってくれる見込みがある国内の政党に望みを託すだけである。

 

北海道の土地が大々的に中国人・中国企業によって買い占められています。以前から原野の売買という形で他人による買い占めが進んでいるとは聞いていましたが、買い主が中国人でありすでに静岡県ほどの面積が買い占められていると知り驚いています。さらに驚いたのは売却を進めているのが菅氏、二階氏、道知事、公明党などという関係者のトップであるらしいということでした。すでに北海道の一部学校では中国語が第2外語として教えられ、中国の文化・歴史も正規教科となっていると聴きました。また中国政府は北海道を「北海道自治区」にする計画だとも聞きました。これでは我々日本国民は北海道を失ってしまいます。究極の売国、侵略が進んでいます。ぜひこの試みを停止させ、もとの北海道を取り戻してください。この宛先にこのメールを送るのはとても辛いのですが、あえて最後の希望を託してお送りいたします。

 

 

 

 

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