昨日の午後、ちょっとうとうととしていた。はるか遠くから聞こえてきた美しい歌で覚醒の世界に引き戻された。モツアルトのLaudate Dominumだったーー
https://www.youtube.com/watch?v=yLdQvMDnL0o
Laudate dominum omnes gentes omnes populi
Quoniam confirmata est
Super nos misericordia ejus
et veritas Domini manet in aeternam.
Gloria Patri et Filio et Spiritu sancto
Sicut erat in principio
et nunc et semper et in saecla saeclorum,
Amen.
(実際の歌詞は繰り返しがあったりしてこの通りに歌われてはいない)
ラテン語なので響きは日本語に近く違和感なしに耳に入ってきた。
そして思ったーー この頃、モツアルトの頃、西洋音楽は全世界だれにも通ずる普遍を得たのではなかろうか、だから異教徒の私にもこんなにまで心に染みるーー
その後、多分バルトークあたりでその伝統は滅びてしまい、「現代音楽」という砂のように索漠としたものに変わってしまったーー
その美しい音楽はいまも西洋の人々にとっては祖先から伝えられ自分たちの血肉となっている伝統なのだろう。だがそれは記憶にのみ生きており、二度と生み出すことはできない。すでに西洋は亡くなり、ムスリムやシナ人らに蹂躙されその文化は滅びつつあるーー
それを思うととても残念でたまらない。取り戻すことのできない大切なものの喪失、それはこの上なく悲しい。
我々はどうだろうか? そのような音楽があるだろうか?
ある! 確かにある! ただ明治の初めにちょっとした断絶があるのだがーー
いまでも品川の裏通りなどを歩いていると三味線の音が聞こえてきたりする。南西諸島では島唄がいまなお活きている。
https://www.youtube.com/watch?v=mAj8_3RdMIs
島唄がこのように歌われていると知ったときには感動した。
去年行った二本松では子供たちが戊辰の少年隊を歌った剣舞を披露してくれた。亡き父がいつもSPレコードで聴いていた浪曲もなつかしい(いつかゆっくりと聴いてみたい)。先導役の唄う馬子唄・長持唄に率いられて歩んでゆく母や祖母たちの嫁入り道中もユーチューブでは見つかる。古典なら私の好きな義太夫、平家琵琶、端唄などもみなみつかる。
古い由来を持つこれらの邦楽が今なお活きており、古典などは平安時代にまで遡り、島唄などはおそらく島の生活が始まった時に由来し、そして今もなお我々が享受している、というのは嬉しくまた誇らしい。
明治の断絶というのは西洋音楽の受容ということだが、それによって邦楽が滅んだわけではない。ほかの新しい文明資産と同様それに追加されたのだ。西洋音楽の手法で「小学唱歌」や「軍歌」が作られ国民すべてに教えられた。その詞を書いたのは北原白秋など当時の一流の詩人たちであり、曲を整えたのも信時潔、諸井三郎など当時の一流の音楽家であった。選ばれた曲は西洋の民謡が多く、みな優れたものであり今日もなお我々に親しい。(だがこの素晴らしい伝統が教科書から削除され低質の商業音楽に取り替えられつつあるというのは残念だ。)
もう一つ、忘れてはならないものに気がついたーー 歌とともに、我々が今なお享受しまた「新たに作り出している」古い遺産、「詩」、つまり短歌と俳句である。釋超空の頃(戦後まもなく)までは歌人は短歌に節を付けて歌っていたようである。(その後この習慣は失われ今では宮中の和歌行事にのみ名残が残る)。今日我々はだれでも本屋で万葉集を手に入れ、収められた天皇、公家や庶民や武士、防人たちの歌を読み、先祖たちから伝えられた歌の心に接することができる。芭蕉の俳句に接しその場所を訪れて「わび、さび」を実感することができる。さらにかれらの手法に従って我々の心を歌うこともできる。先祖たちの作法はまっすぐに我々に伝わっている! なんという幸せ、なんと恵まれていることだろう!
Laudate Dominumの別の演奏、その曲のバッハ版、いまなお心に残る小学唱歌の数々、義太夫「俊寛」、平家琵琶「敦盛」、馬子唄と嫁入り道中など、あれこれとリンク先を紹介しようと思ったが、もう晩くなったのでまたの機会ということに。