いつものように聞いていて話している言葉なのに、
昨日耳にした日本語が耳について離れない。
https://www.youtube.com/watch?v=z1Ux7mi078U&list=PLHgvwJIkCs1rfjp4t0mOrsSaTsjLY5j7M
(ふけゆく秋の夜)
ひとつ一つの日本語の言葉の発音がこの上なく美しいのである。宝石のように。
また一つ一つの音程も全く狂いがなく美しい。
ちなみにこの歌は幼い頃から「あの歌を歌うてちょうだい!」と母親にせがんで歌ってもらった歌であった。「赤い靴」もそうだった。
歌い手のこの方のことは知らなかった。
探してみると他にもいくつかの録音が見つかった。
https://www.youtube.com/watch?v=VMWbXEtjz0Q&list=PLHgvwJIkCs1rfjp4t0mOrsSaTsjLY5j7M&index=3
(ロンドンデリーの歌)
https://www.youtube.com/watch?v=5I31jJF_UXo&list=PLHgvwJIkCs1rfjp4t0mOrsSaTsjLY5j7M&index=19
(冬の星座)
いまとなっては童謡の古典とも言うべきものだろうが、今の子供たちはこのような歌を歌っているのだろうか、知っているのだろうか?
またこれとは別だが、こんな歌も見つかった。
https://www.youtube.com/watch?v=JRtwNqlV4X4
(千の風になって)
台湾の合唱団が歌ってくれている。きれいな日本語である。編曲もすばらしくまたピアノの音色も美しい。
またこの歌は新井満という無名の人の作詩(訳詩)作曲で、原詩も米国の無名の婦人の手になるもので著作権も放棄されていると聞いた。つまり「読み人知らず」である。これもまた感動する話だ。
「千の風になって」も「ロンドンデリーの歌」も、別離、を歌っている。やはり人の一生を貫いて心に響くのはそのような歌であろうか。歌だけでなく音楽すべてそうかも知れない。よくクラシックの大作曲家について言われる「後期作品らしさ」とはそれを指している、と言っていいと思う。
また「ロンドンデリーの歌」が原作者不祥、歌詞もいろいろと沢山ある事実上の民謡だが、「北アイルランドの国歌」扱いをされているとは初めて知った。上に歌われている日本語訳詩も格調高いりっぱなものだと思う。特に「わが子とこの母をまぼろしになってでも再会させてほしい」と黄泉の神に祈る、という言葉は謡曲「隅田川」で歌われているものであり、われわれの古来からの感性に親しい。