Tomatopiaの日記帳

クラシック、短歌、旅、思い出、政治

思い出の曲

2019-04-14 23:42:17 | 音楽

 

最近たまたま YouTubeでこの曲 ↓ に出会い、あれこれの演奏を探しながら聴いている。

https://www.youtube.com/watch?v=r9ZV6uZWXzk


これが原曲。歌手の声は美しく伴奏のピアニストもすばらしい。リストはピアノ用に編曲していて、Youtubeでは原曲よりリスト編曲のものの方が圧倒的に多い。名曲だけあって、バックハウス、ルビンシュタインのような歴史的ピアニストから最近の中学生、若い女性ピアニストに至るまで、さまざまな演奏家がさまざまな編曲で数えきれない程の演奏をYouTubeに掲載している。

 

https://www.youtube.com/watch?v=H_xu9Fq4DNw

この演奏は最も若い少年のものだ。まずベーゼンドルファーの音色の美しさが群を抜いていて目をひいた。また多くのピアニストは持てる力の何分の一を発揮して弾くが、この少年は体力のすべてを費やして弾いている。(リストは遠慮会釈することなく自分の巨大な手のために書いている。)ちなみにリストはこの編曲でソプラノ、テノール、アルトの3声を3色の花のように弾き分けていることに気がついた。
私がこの曲(リストではなくシューマンの方、シューマンのピアノ伴奏は中学生にも弾けた)に触れたのはこの少年の頃であったこともあり、映像を見ているうちに懐かしさでいっぱいになる・・・・ 自分もこのように弾いていたのだ、と当時の自分と二重写しになって迫ってくる。

 

ヴァイオリン独奏によるこんな清新さに溢れた演奏も見つかった。フィッシャディスカウなどの伝統的演奏からは遠くかけはなれている。これはシューマンが新婚の妻クララのために書いたのだった。私は他のどんな演奏よりもこの演奏に心を奪われる・・・力にあふれたこの若い演奏を聴いていると、あの頃からもうほぼ一生分の年月が過ぎたのだ、と深い感慨にとらわれる。

https://www.youtube.com/watch?v=X1fzzM3vEYw

 若い人ならこの曲の詩(リュッケルト作)を一目見て、印象に訴えるのはむしろこのような音楽かもしれない。この人の演奏はとりわけヴァイオリンならではの音程の美しさが心にしみる。

 

「君に捧げる愛の歌」

あなたは私の魂、私の心、
あなたは私のこの上ない喜び、私の苦しみ、
あなたは私の世界、その中で私は生きている
あなたは私の空、その中へ私は浮かんでいく
あぁ あなたは私の墓、その下へ
私は永遠に私の悲しみを置いた!
あなたは私の安らぎ、私の和み、
あなたは天から私に授けられたもの。
あなたが私を愛することは、私を高めてくれる
あなたの眼差しは私を輝かせる。
あなたが愛することで私は高められる、
私の善良な守護神よ、私のより良い私よ!
(フリードリヒ・リュッケルト作、和訳MusicaClassicahttps://tsvocalschool.com/classic/widmung/より転載)
 
 

私が中学生の頃、どこからか探し出してきたこの曲の譜面を自分の本棚に飾っていた。それを姉が目ざとく見つけ、「私の本がなぜこんなところにあるのか」とイチャモンをつけてきた。口撃はじとじとと長く続いたが私は黙ってひたすら耐えた。幼い頃から苛められッ子であった私はそのようにして身を守るのが習い性となっていた。いつ終わるともしれない口撃に姉も疲れたのだろう、「じゃその楽譜はあげるから」といって去って行き、やっと私は解放され譜面も私のものになった。
姉は当時高校生かその少し上の年代で、合唱団に入っていた。学校の音楽の先生の口添えのおかげで私だけはピアノを習うという特権を得ていた。私も姉も全く同様に音楽が好きだったのに・・・ 私が音楽の先生にピアノを習うよう勧められた時はとても喜んでくれ、初めてピアノの先生の家に挨拶に行く時には付き添ってくれた。


しかし当時ピアノを習うということは我が家庭とはかけ離れた上流家庭だけに許された贅沢であった。そのことはよく分かりながらも、弟と同じくらい才能がある自分には「なぜピアノを習わせて貰えないのか」という親への不満は、いつものようにくすぶっていたことだろう。

そんな姉の気持ちが今やっと分かるようになった。それを思うたび、今更ながら姉の気持ちを慰める一端にでもならないかと思い、時にはCDなどを届けたりもしている。いま何をしたって過去を取り戻すことができるはずはないのだが。

 

 

 

 

 

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ベトナム点景(2)

2019-04-12 08:52:16 | 旅行

 

ずいぶん長い間ご無沙汰していた。前回--といってももう1年以上前になるが--の記事の追加である。

サイゴンからミトへ向かう途中の準工業地域。建設機械はみな日本製中古のようだったが どれもよく手入れされていた。

 

 

ミトの仏教寺院。巡礼の途中らしい僧が訪れていた。尼僧もいた。

 

 

仏教だけでなく道教の神々もいくつも祀られている。「人々は寛容だから」と案内人は言う。

 

 

ミトの川中島の伝統音楽家。左の女性は1弦琴を側に置いて胡弓を弾いている。

 

 

クルーズへ。たいへん混んでいる。両側の木「ウォーターココナッツ」には食用の実がなる。

 

 

広い空。澄んでいれば時にはヒマラヤも見えるだろうか?

 

 

サイゴンに戻る。ここは川向こうの新開地の2区の大通りで、旧市街のように混んでおらず道は広くバイクの奔流もない。騒々しい繁華街もない。人口密度は極めて疎である。これからも田園都市として静かに広がって行くのだろうか・・・・

 

 

 

瀟洒な家が立ち並ぶ。いったいどんな人たちが住んでいるのだろう・・・

 

 

サイゴン河畔のカフェ、静かな時間がゆっくりと流れる。川上からの舟運が音も立てずにひっきりなしにある。

 

 

旧市内のレストランバーで軽食をとる。昔のアヘン製造所を改造して使っているそうだ。芥子の焼酎漬けが歴史を誇るように飾ってあった。出される甘み勝ちの料理はサイゴン料理の見本だそうである。夕方からは客が屋外のテーブルにまで溢れるという。

 

 

 

ジャックフルーツの実が道沿いになっていた。独特の芳香を持つこの実は現地の人々がとても好んでいるようだ。

 

 

ベトナム伝統医学の博物館に案内されて行った。これは土中に埋めて製造中の薬。
これほどの立派な博物館は東京でもあるのを知らない。ベトナムは誇り高い民族だ。

 

 

古い文献。数百年、あるいはそれ以上だろう。

 

 

ベトナム伝統医学はインド医学の流れも受け継いでいるのだろうか。案内人は「アユルヴェーダ」という言葉も口にしていた。下の解説図にははっきりそれとは示していないが・・・ 

 

 

しかし紀元前2800年代から、というのは素晴らしい伝統だ。最初に掲げられた「Viet Folk」とは「われらの祖先」という誇りが込められている。

 

 

抽出液を入れる石の容器のようだ。石は貴石、もしかしたら翡翠のようにも見える。(品川の翡翠博物館でこれに似た翡翠の風呂をみたことがある。)

 

 

多くの薬草の図鑑。ここ亜熱帯ではさぞかし多くの種類が知られていたことだろう。薬草、鍼灸、指圧が用いられた、と案内人は言っていた。

 

 

今も保存されている薬草類。液の色の濃さは古さを物語る。

 

 

数多くの伝統薬品もいまなお販売されている。

 

 

 

 

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