Tomatopiaの日記帳

クラシック、短歌、旅、思い出、政治

8月6日、原爆の日

2016-08-06 18:14:42 | 日記

(昨年この日に投稿した記事を再掲)

 

今日は8月6日、広島が原爆を被災した日である。あと3日すれば長崎の日がくる。

私はそれに被災したのではないが、広島近郊の呉で育ったからそのことは知っているし、家族や親戚・知人にも被災者はいる。

この経験について語ることは大変なことである。その時のこと、その町やその人たちのことを思っただけで頭の中が、そして胸がかきむしられるような気持ちになる。とてもそれを言葉やその他どんな手段にしろ表現することはできない。一生かかっても表現しきれないだろう・・・ これまでその経験を一度たりとも私は人に告げたことがない。例外は、かつてこのブログに、福島の微量の放射能さわぎが悪意によってゆがめられている、という趣旨の記事で広島・長崎を引用したことがあるだけだ。

あの悲惨な原爆によって終わった先の大戦は日本の「悲劇」であった。「わが国が悪であった」などと単純に決めつけてはいけない。この悲劇も含め、過去のわれわれの歴史を忘れない、いやそれどころか、我が先祖たちの精神と振る舞いを再確認して我々の由来=アイデンティティを探ることは、いま生きて行くために必須のことである。

最近、先の大戦や戦後、あるいはもっと古く明治頃からの古い写真が発掘され再刊され、本屋やインターネットでもよく見かけるようになっている。今朝こんな写真や動画が見つかった――広島、長崎のどちらか知らないが、その日現地調査した米人が密かに撮影し何十年もの間隠していたもののようだ。その種のソースの一つらしいデータがこちらにある。

 

亡くなった弟を背負って焼き場に連れてきた少年。だれに着せてもらったのだろうか、真夏にも関わらず弟はおそらく手近にあった一番いい着物を装っている。

 

被災直後、ともに負傷したまま赤ん坊に乳をやる若い母親。

 

焼け野原で弟妹の面倒をみる子供。

 

これらに接して私は言葉を失う。何も言えない。言っても言っても言いつくせない。ただただ涙が溢れて流れる。

――間違いのない聞き書きとして付け加えれば、日本が核攻撃を受けたのは日本が核爆弾を持っていなかったからである。これは今でも同じである。核攻撃あるいは一般に戦争の脅威を受けるのは核を持たない国である。これまでの戦争を振り返ってみれば一目瞭然である。核や戦争の脅威から国を守るためには核を持つしかない。

非核三原則、絶対的な平和主義、非武装中立、無抵抗主義などという一見美しそうなスローガンは、間違いなく日本の再度の敗戦、外国からの侵略、亡国を招く。現に、丸裸のわが国は周りの諸国から 「いまそこで侵略されつつある」 のだ

私は原爆の被災者の一人である。しかしそれを「持たなければ必ず再びその惨禍に逢うだろう」と固く信じている。

 

 

 

 

 

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