Tomatopiaの日記帳

クラシック、短歌、旅、思い出、政治

これからのコンサート(改題)

2017-01-28 22:41:41 | 音楽

 今回から表題を変えた。内容が表題と必ずしもそぐわなくなったからだ。

それにしても前回からずいぶん空いてしまった。また日次のスケジュールは今回遅れたため殆ど間に合うものがなかった--実はぶらあぼで一番面白いのはこれなのだが・・・

例の東京音コンでの〇国人の跋扈や「或る晴れた日に」の相も変わらぬ流行ぶりがつくづくいやになり、もうやめようかとも思った(思っている)のだが、もうしばらく 「こんな聴衆もいる」 ということを公表し続けるのも意味があるかなと思い直し今回また記事を書いた。

私は音楽は好き、いやそれ以上で、毎日の生活は音楽漬けなのだが、東京音コンや現地妻 オペラなどのこともあって「鳥になって東京を脱出したい」ような感じが続いている。これを言いだすと大論文を書かねばならないのだが、またそのうちに、ということにしよう。


日本の音楽家の方々については無条件ですべて応援する、というのが変わらぬ私の大原則だ。演奏も曲もみなわれわれの感性そのものと感じるからである。これは他の分野とも共通して感じることである。
昔から「ベートーベンを聴けば聴くほど、分かれば分かるほど,『あ、これは我々とは相容れない音楽だ』という感じが強くなる」のを不思議に思ってきたのだが、最近それがなぜなのか、やっと確信を得たように思う。

それは我々が日本人であり、その独特の感性を持つからである。その感性はこれまでの縄文時代から今に伝えられ洗練されて来、親から、祖父母たちから、はるかな先祖たちから受け継いできたものである。
たとえば桂離宮に代表される白木作りの簡素な家や、どこにでもある森の中の社を見てみよう。すがすがしく余分なものがない。さわやかな風がいつも吹きわたっている。それがわれわれの音楽の感性である。

「おっ、やるじゃない! こんなの、これまでになかったぞ」と思わず目をそばだたせる演奏がある--はったりである。ただの見栄えのはったりだったり、「感動」のはったりだったりする。クラシック音楽の歴史が浅い国や儒教の国ではみなそうである。あの人、この人と思い出してみるとよい。なるほど、と思えるはずだ。

コンクールの審査員もそんなものしか見えない人がいたりすればコンクールはつまらない人しか出さない。これまでの世界的あるいは有名コンクールの入賞者のリストを見てみればよい、「名も知らない」落ちぶれた人が殆どのはずだ。

われわれの課題は--自らに自信を持つことだ。日本では江戸文化までですばらしい邦楽ができあがっていた。明治から取り入れられた西欧のクラシックは、これもすでに完成した形と言えるのだろうが、この対決はまだ決着していない。「和魂洋才」から真に日本の音楽創造を行わねばならない。
シュトックハウゼンやジョンケージをいくら真似しても無駄である。

一方、音楽には政治的側面がある。政治の主体は国家であり民族である。だから音楽による国の侵略、他民族の洗脳、他国民の支配、などというものがあり得る。国の防衛と同様「音楽の防衛」も差し迫った課題である。
その失敗、いや敗北は無惨である--テレビの芸能番組、そして着飾った少年少女の身振り付きの騒音の流行はわれわれの音楽的感性、精神を日々破壊し、別なものに作り替えている。テレビはスイッチを切れ! スマホを捨てよ!

 

 応援あるのみ。
「在外研修」も、そろそろ寿命ではないかという気がする。いい先生は国内にも沢山いらっしゃる。別に外国の先生が素晴らしい訳ではない--その例証はいくらでもある。
終戦直後芸大で教えた世界的ピアニスト、レオニードクロイツァーは、卒業生の高いレベルを認め、当時の慣習であった卒業後外国への留学は無意味として、すぐに国内で演奏家として活動するよう強く勧めた。(http://midi-stereo.music.coocan.jp/iroha/iroha.htm)今に至ってもなお「留学必須」の魔法の呪文が教師と学生を捉えている。

文化庁はそのような「外国の先生について習わねば一人前にならない」という50年前、60年前の固定観念は捨てて、若い音楽家を「どのようにして勇気付け、後押しするか」 それを考え実践した方がいい。
しかし東京や仙台みたいに国内コンクールで隣国人を一位にするようなことではだめだ。わが青年たちががっかりするだろう。審査員には「なぜ自分の学校の生徒たちを一位にできなかったのか? あんたたちはそんな力量しかないのか?」、小池都知事には「都民の税金を使って反日国の音楽家を応援するつもりか?」 と詰問すべきだ。

 

 あちらこちらと世界中のコンクールに挑戦を重ね、いまやっと帰宅! 十分気が済みましたか? 日本で落ち着いてください! Youtubeには沢山の足跡が残された。
https://www.youtube.com/watch?v=FLQ3MR09wDE

 

この人、PTNA のステージではじめて見た。ともかく男性ピアニストは女性ヴァイオリニストなどに比べ地味に見えて損している。
リストを興味深く聴かせるのは大変に難しい技だと思う。 

 

過去のショパンコンクールのYoutubeを見ていたらこの方が出てきた。他国の人たちと比べ、演奏は「やはり日本人だな」という親しみを 感じて嬉しかった。わが日本人の演奏は余分なものがなく真っ直ぐで澄んでいる。
https://www.youtube.com/watch?v=kGJsmkVW96k (51分あたりから)

 

 存じ上げない方だ。日本の古典や民俗、そして旧約聖書にも造詣の深い方のようだ。

 

 すべて最近の日本人の曲、ついにこのようなコンサートが成り立つようになったことに感慨を覚える。

 

 ケルトの神話的伝承を能で表現--すばらしい試み。アイルランドの人と会って話したこともあるが、話題がストーンヘンジやケルト語のことに及ぶと少し悲しそうな顔をした。
ついでにケルトの人々の「スコットランド・アイルランド民謡」をいくつか・・・・
https://www.youtube.com/watch?v=cGiXTkiY12k

 

思い切った 選曲。知らない曲が多い。好きになれたらいいが・・・

 

 PTNA で優勝、そしてもうオーケストラと! PTNAは新人の登竜門としてますますその地位を高めている。

 

 マーラーは独特な人、ユダヤ人の「悲しみ」を自分のものとして感じられる人はいるか? それに耐えられる人はいるか?

 

 エレクトーンはついに21世紀の成功した新楽器としての地歩を占めた? スタンディングオーベーションだったそうだ、めでたい! 

 

 

 美しい日本の歌は外せない! 一番ホッとするのはこのような曲を聴く時である。

 

昨年のショパンコンクールのステージでお目にかかったような記憶。コメントも「コンテスタントのうち最上級」などというほめ言葉もあった。輩出したPTNAの進歩にも敬服 (もう外国から講師の先生を招んでくる必要なんかない!)

 

この楽器をやる人は いつも選曲、レパートリーで苦労されているようだ。

 

これは 恥ずかしながら初めて知った。クラシック、邦楽、日本民俗芸能まで、総合舞台音楽の紹介である。子供のためのプログラムまである。貴重かつ敬服すべきイベント。

 

 

 

 

 

 

 

 

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