東京リサーチ日記

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「阿藤快さん」

2021-04-25 00:00:00 | 日記
 2021年4月25日、2015年11月14日に大動脈瘤(りゅう)破裂胸腔内出血のため69歳で急死した俳優、阿藤快さんの葬儀・告別式が2015年11月21日、故郷の神奈川・小田原市の湘和会堂小田原で営まれ、約200人が参列した。出棺の際には、毎年5月の「小田原北條五代祭り」の武者行列に北条早雲役の阿藤さんと参加していた「小田原北條手作り甲冑隊」の約10人が登場。甲冑隊の1人が「ホラを打て!! ホラを吹け!!」と合図すると、クラクションの変わりに「ブォー!!」とホラ貝の音が響き渡った。沿道に集まった150人からは「公ちゃ~ん」と本名「公一」の愛称を呼ぶ声が上がった。位牌(いはい)は長男の基さん、遺影は妹の大川潤子さん(当時66)が持った。参列したタレント、板尾創路(当時52)は自身が監督・脚本・主演した2010年の映画「板尾創路の脱獄王」で阿藤さんと共演。「スタッフに迷惑をかけたくない人で、自分でメークしてきていた。機会があればまた映画に出ていただきたかった」と悔やんだ。NHK「着信御礼!ケータイ大喜利」(第1~3土曜深夜放送)で数カ月前に会ったのが最後になった。元プロ野球選手のタレント、パンチ佐藤(当時50)は19歳のときに、渋谷・宮下公園で撮影中だった阿藤さんに写真を撮ってもらい、それが人生で初めて芸能人と撮った写真だったという。涙ながらに「グルメリポートはちゃんと取材しないと、(店などから)悪口を言われたりするけれど、阿藤さんを悪くいう人はいなかった。大きい人ですけれど、細やかでやさしい人だった」と故人をしのんだ。2014年の舞台「幽霊」で阿藤さんと共演した女優、松岡茉優(当時20)も参列したのである。2021年現在、阿藤快さんは芸能界の歴史に名前が刻まれている ・・・(井森隆)