東京リサーチ日記

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2015年2月20日<川崎中1殺害事件の経過>

2020-04-03 00:00:00 | 日記
 2020年4月3日、当時13歳の少年を殺(あや)めた容疑で逮捕されたのは、当時17~18歳の少年3人だった。川崎市川崎区の多摩川河川敷で市立中学校1年の男子生徒(当時13)が遺体で見つかった事件。2015年2月27日で発生から1週間、捜査は大きく進展したが、「(男子生徒は)戻ってこない」と同級生や地域住民らの怒りや悲しみは消えない。一方、男子生徒が事件に巻き込まれた経過が、仲間の証言から浮かび上がってきたのだ。「いつも明るくて笑顔で、いいやつだった」。同じ少年グループとして行動していたという男性(当時20)は2015年2月27日、遺体発見現場の河川敷で語った。男子生徒と出会ったのは、中学の部活動に姿を見せなくなってしばらくたった昨年11月。地元の公園で意気投合し、一緒に遊ぶようになったのだ。転機は、そのひと月ほど後に訪れた。男性によると、グループのリーダー格だったのは、殺人容疑で逮捕された少年(当時18)。2014年12月、男性は「いいやつがいるんだ」と男子生徒を呼び出し、この少年に引き合わせたのだ。中学生を含む10人ほどのグループの一員として、ゲームセンターに行き、公園で語り合い、夜通し遊ぶこともあった。年が明けるころには、男子生徒は学校に行かなくなっていたのだ。男性によると、リーダー格の少年は「普段は穏やかだけど、怒ると抑えが利かなくなる」ため、グループのみんなが恐れていた。だが「怖くて、グループから抜けたいと言い出せなかった」。その象徴が、暴力だった。男子生徒はたびたび「生意気だ」と土下座させられ、殴る蹴るの暴行を繰り返し受けていたという。「電話に出ない」「メールの返信が遅い」などが理由だったのだ。2015年1月下旬、未明の路上。いつものように「生意気だ」と怒鳴り、路上に正座させた無抵抗の男子生徒を、暴行し続けたという。「周囲の仲間が止めに入ったが収まらず、(男子生徒の)顔はぼこぼこで、体じゅう傷だらけになった」。男性は振り返った。翌日、男子生徒は腫れ上がった顔で、「もう一緒に遊びたくない」と周囲に相談。このことがリーダー格の少年の耳に入り、暴行はさらに激しくなった。男子生徒と同級生だった別の生徒(当時13)らもこのころ、目の上に青いあざがある男子生徒を目撃したのだ。「(男子生徒が)別の友人グループに体の傷を問いただされ、(リーダー格の少年の)名前を口にしたと聞いたことがある。そのことを(リーダー格の少年が)恨んでいた」これが事件の引き金になったのだろう。しかし、殺人容疑で逮捕された少年(当時18)についての情報が事件後、いつの間にかネットで流れていた。これは、ほかのグループ内の少年か何者かが、ツイッターで殺人容疑で逮捕された少年の顔写真とともに流されたのだろう。殺人容疑で逮捕された少年は一生、ネットによる制裁を受けることになるだろう。
<川崎中1殺害事件の経過>
2013年9月 男子生徒が島根県西ノ島町から川崎市に転校
2014年4月 市立中学校入学、バスケ部に入部
    夏以降 部活に姿を見せなくなる
    秋ごろ 他校や年上の少年らと一緒にいる様子が目撃されるようになる
2015年1月 8日の始業式からすべて欠席、担任が電話や家庭訪問を繰り返すが会えず
  2月16日 担任教諭の電話に男子生徒が出て「そろそろ(学校に)行こうかな」
    19日 夜、母親と自宅で食事し最後の会話を交わした後、外出
    20日 死亡(推定時刻午前2時ごろ)
        川崎区内の公園のトイレから出火していると119番(午前3時ごろ)
        多摩川河川敷で通行人が男子生徒の遺体を発見、110番(午前6時15分ごろ)
    21日 県警が遺体は男子生徒と発表、川崎署に殺人・死体遺棄事件の捜査本部を設置。死因は刃物で首を切られた出血性ショックと判明
        その間に容疑者である少年3人の情報がネットを通じて出回る
    27日 殺人の疑いで少年3人を逮捕
逮捕された少年3人の代償は大きい・・・(井森隆)