オブ・ザ・ベースボール 円城 塔 文藝春秋 このアイテムの詳細を見る |
たまには小説でも読んでみようか―と思って・・・
ベースボールつながりで、芥川賞候補にもなった上の作品を読んでみた。一年におよそひとりずつ空から人が降ってくる町のはなしだ。読み始めたら「空からおたまじゃくしが降ってきた」というニュースが入ってきて、『5時に夢中』でも取り上げていた。何たるタイミングのよさ!
文中にも「せいぜいがところ蛙程度にしておいて欲しい」というくだりがある。願いが天に通じた形だ。
・・・で、どういう話かというと、
作者はベースボール、就中、バットを振るというおよそ非生産的で奇妙奇天烈な行為に着目し、その奇天烈さの定量化を試みるために、「空から人が降ってくるという事態」を対峙させる。ファウルズという名のその町ではレスキュー隊が組織されていて、降ってくる人間をバットで打ち返す役割を担っている。バットスイングはかろうじて生産的な活動であり、素振りは立派なレスキュー隊の訓練となるのだ。ベースボールのバットスイングの奇天烈さが「空から人が降ってくるという事態」の奇天烈さよって見事に中和されている。両者は奇天烈さにおいて等価なのだ。そして、誰が見ても、空から人が降ってくることの奇天烈さの方があらわなのだから、定量化の試みは成功したと言えよう。
作者は再三「レスキューの話で、ベースボールの話ではない」とことわっているが、これはやはりベースボールの話だ。ひとつの見方を教えている。バッティングを見てその精巧な技術に感嘆することはあっても、それに付随するこの奇天烈さにはなかなか思い至らないものだ。ピカソのゲルニカからメッセージを読み取るさいに、その表現の異様さを十分踏まえているのとは(同じ二十世紀の傑作でありながら)大きく違っている。
この作品を読んで、バッティングがいかにけったいなもので、それを論じることがいかにしょうもないことか?を改めて思い知らされたのだった。