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経営者フォーラム 東京ランド株式会社

借金たっぷり真っ赤な赤字企業でも破産も倒産も夜逃げも無用です。一人で悩んでいないで私たちに相談してください。

実務家通信11号

2017年12月24日 | 復活
2016年8月吉日
周囲の事象は全てが我が心の反映である
「心」が経営に大きな影響を及ぼします。
経営者としての心構え、精神状態がどうあるべきか、ということが経営の要諦
なのです。

権謀術策を弄さない
相手が権謀術策を弄する悪い人であっても、それに同調したり、対抗してはならない。
害を及ぼさないためにも無防備であってはなりませんから、此方も色々な作戦を立てようとします。
しかし、そのこと自体がもう自分の心を汚くするのだそうです。では対策は・・・

常に反省のある人生を
人格の相当な部分を占めるのが潜在意識だそうです。
その潜在意識が、くり返しの反省によって変わってくるのだそうです。
※袁(えん)了(りょう)凡(ぼん)「陰騭録(いんしつろく)」を読んでみては・・・

人は皆利他の心を持っている
人間の心は利己的な心と他利的な心、自分だけよければよいという心と、みんなのために何かしてあげようという心、この二つに分かれます。
他利とは他人に対する思いやりの心です。
その思いやりの心、優しい心、美しい心、この様な心は強く意識しなければ育ちません。
美しくて、優しくて、思いやりのある心。
これが、我々大和民族の本質なのです。 

老化物質をためないために
AGEと呼ばれる体内の余剰な糖分とタンパク質が結び付き出来る物質で、日常的に体内で少しずつ生成され排出されにくいと言われています。AGEが血管に蓄積し動脈硬化や糖尿病、骨粗しょう症、アルツハイマーなどのリスク要因になるようです。AGEを多く含む食品「とんかつ、唐揚げ、ステーキ(脂肪多)、高温で料理食品、人工甘味料はブドウ糖の10倍の速さでAGEを生成するそうです。対策として、ワイン、レモン、お酢などの抗酸化成分を摂取し老化を押さえることが、医療費負担削減となり国家負担を抑える自助努力になります。
国家に期待するのではなく、「自身が国家に何が出来るか」安岡正篤翁から

実務家通信10号

2017年12月23日 | 復活
2016年7月吉日
積小為大
兎角俗人は小事を嫌って大事を望むけれども、大事は小事の積もった結果です。
ですから、小を積んで大をなすほかに方法はないのです。
茶碗一杯のごはんも、一粒の飯粒の集まりです。人間の体も一つの細胞の集ま
りです。
会社の経営や個人の生活に必要なお金も小さな労働や収支管理の積み重ねの結
果、叶うのですが、懸命に労することは実行していますが管理は怠っている方
が多く拝見できます。
遣っているつもりで結果が出ていないのは、やっていないのと同じということ
を理解してください。
ですから、結果が出るまでやり続けてください。
先んじて節倹する

一千万円の利益が900万円の利益に減ったら、俗人経営者は借り入れを行う
から翌年も利益が900万円で返済を続けた結果、仮に返済が100万円だ
とすると使える利益は、800万円になりまた借り入れに頼る、この繰り返し
で殆どの企業は荷重債務に苦しみ破綻することになるのである。
しからば、どうするか900万円に減ったなら800万円の経営に切り替えれ
ば良いのである。
難しいなどとは言っていられません。
例えば、片足が壊疽した時は切断して命を取り留めますね。
切断しなければ、命が絶えてしまうと思います。
この理由と同じ、経営を続け関係者の生活を続けたければ小さくする決断と実
行しなければ、破綻の自動運転の道に乗ることになるのです。

※健康維持(肥満解消)
人間の体は糖質が血液に入るとインシュリンが出てエネルギーとなるブドウ糖
に変えて消費しますが、余ると脂肪として蓄えます、これが肥満の原因です。
また糖質と同時に脂肪などを取るとインシュリンが余ったブドウ糖と共に高カ
ロリーの脂肪を伴って蓄えるそうです。ですから糖質制限ダイエットが成り立
つのだそうです。殆どの食材食品には糖質が含まれていますから自ら摂取しな
くても健康でいられます。

実務家通信9号

2017年12月22日 | 復活
2016年6月吉日
貧富の原因は明白
貧となり富となるのは偶然ではない。富にもよってきたる原因があり、貧にも
よってきたる原因がある。ひとはみんな、財貨は富者のところに集まると思っ
ているがそうではない、節倹なところと、勉励するところに集まるのだ。百円
の身代の者が百円で暮らすときは、富の来ることもなく貧の来ることもない。
百円の身代を八十円で暮らし、七十円で暮らすときは、富がそこに来、財がそ
こに集まる。百円の身代を百二十円で暮らし百三十円で暮らすときは、貧がそ
こに来、財がそこを去る。ただ分外に進むか、分内に退くかの違いだけだ。
ある歌(道元禅師作といわれるが、一休禅師の歌)に、「ありといえばありとや人
の思うらん よべば答うる山彦の声」と言
うように、世人は今あってもそのある原因を知らず、「なしといえばなしとや人
の思うらん よべば答うる山彦の声」で、世人は今ないときにそのないものを
知らない。およそ今あるものは今になくなり、今ないものは今にあるようにな
る。たとえば今あった銭がなくなったのは物を買ったからだ。今しがたなかっ
た銭があるのは働いたからだ。なわ一房なえば五里手にはいり、一日働けば十
銭手にはいるのだ。今手にはいる十銭も、酒をのめばすぐになくなる。明白な
疑いはない世の中だ。中庸に「誠なればすなわち明らかなり。明らかなればす
なわち誠なり。」とあるように、なわ一房なえば五里となり、五里やればなわ一
房来る、青天白日の世の中なのだ。
二宮翁夜話より抜粋

生活 経営にも言え気を引き締めて何ごとにも挑めば、散財しなければ富が残
る。創意工夫を施し倹約を実行し散財をなくす。必要な出費は散財と言わない。
百円の塩むすびは生きる上で必要、百二十円の焼き鮭むすびは散財に匹敵する。
が・・・言うは易し行うは難し 肝に銘じ残りの人生を精進しませう!

実務家通信8号

2017年12月21日 | 復活
2016年5月吉日
蓮の花
蓮は泥池のなかから清らかな花を咲かせます。煩悩即菩提(ぼんのうそくぼだい)という言葉がありますが、煩悩を泥池にたとえ、菩提を花にたとえて、煩悩の中に菩提〈仏〉の要素はあると考えるのです。泥池の中に花を咲かせる養分が含まれているのですから、煩悩を菩提を求める活力とせよということです。
 また、仏教では、私たちのいる世界を娑婆(しゃば)、あるいは堪忍土(かんにんど)といいますが娑婆とは堪え忍ぶという意味ですから、この世は堪え忍ばなければ生きることはできないのです。つまり、思い通りにいかないのがこの世のさだめです。でも、私たちは何とか思い通りにならないものかと、ついつい思ってしまいます。そこに「苦」が生じるのです。その「苦」をいかに超克したらよいかと思い立たれたのが、釈尊が出家された動機だといわれています。
 釈尊は、娑婆といわれるこの世界でも菩提を目指すことができると説かれました。そうした意味からも蓮を尊ぶのです。
※良く読み込むと経営苦を乗り越えるヒントが見えると感じました。
 経営も苦難から糧を得て花開くのだと確信しておりますので、諦めずに邁進と努力を重ね目標を成就させましょう。
方法は常に考えていれば何か見えて来ます・・・辛くても諦めず常に考えることです。
新しい部門を始めるに当たり考える時も、今までの経験を基に何か関連した部門をスタートする方が成功の確立が上がると考えます。
管理(実行) 努力(積み重ね) 継続(一歩一歩)

しくじらない経営塾5号

2017年12月19日 | 復活
2017年12月吉日

『尊徳翁報徳記より抜粋』
天地開闢の上古に思いをいたし、金銭の力に期待せず、荒廃の地を開くのに一鍬から始め、水田一反歩を起こしてその産米が一石あるとき、その半額は耕作の費用にあて半額を来年の開田料とし、連年このようにすれば荒れ地を起こすに荒地をもってするわけで、年月を重ね力を尽くすときは幾万町の荒地も耕田となり、諸民撫育の用財もこのうちから生ずることである。
二宮先生は、この偉大な理法を発明し、そのはじめ小田原候に言上して候の出財を止め、宇津家の分度を調べて十年豊凶平均の分度千五俵(これは実は文政四年度の実績)をもって再興途上の分限と定め、生家の田畑家財を残らず売り払って若干の金子を得、これを種として東沼・物井・横田の三村旧復の道を行い、寸時も自ら安んぜず、はかり知れぬ苦労を積んで、一途に小田原候の命令を成し遂げ、下衆民困難を除き、永続の道を開こうとした。
その誠意のほどは、すべて凡慮の及ぶところではなかった。
たとえば民戸を増加するために移住民を招き、これを撫育することはなはだ厚かった。
ある人がたずねた。「移住民を保護するにはわが子を育てるようにするのですか。」
二宮先生は言った。「わが子は骨肉を分けた親しみがあるが、移住民は自然の親しみがあるわけではない。ただ意義の厚薄によって進退するのである。ことに生国を去って他国に来るものは、往々無頼の民が多い。これをこの土地に永住させるためには、わが子を育てるより倍も手厚く世話をしなければ、居つかないのだ。」
貧困に迫って一家を失おうとする者には、あるいは田を開き租税を免除してこれを作らせ、あるいは負債を償って(つぐなって)やり、あるいは家を作ってやり、農具を与え衣類を与え、一家を保ち生計を立てさせるために、ありとあらゆる手段を尽くした。
ところが、恵を加えること厚ければ厚いほど、彼らの困難はいよいよ増し、目をかければかけるほど、彼らに災害が来て、救おうとすればかえって倒れる結果となった。
二宮先生は大いにこれを憂い、その理由を考えた。・・・
「枯れた木に幾度肥やしをかけても茂らせることはできない。生きた若い木に肥やしをやれば、すくすくと成長する。無頼の民は積悪すでにはなはだしく、まさに滅びようとする時機が来ているのだ。それなのに恩沢を与えるならば、いよいよ恩のために滅亡を促すわけになろう。助けようとしてかえって滅亡を促すことは、仁のようでも実は不仁に当たる。
してみれば、改心して農業に出精する道が立つようになってから恩恵を施すようにすれば、ちょうど若い木を培養するように、災害を免がれ(めんがれ)、永続の道に達するであろう。
もしまた、教えを重ねても彼らが改心することができず、いよいよ無頼に流れ道にそむいてゆくならば、救助の道を施す余地はない。それが亡びるのを待って、その親族中実直な者を選んでその家を継がせれば、これまた若い木に肥やしをやるように、積悪の報いが尽きて再盛するであろうこと、疑いない。ああ、今まで恵んだのは姑息な手段であったわい。」
このように深く考慮した上、大いに教化指導を下し、改心の実があったことを見とどければ、厚くこれを恵み、改めない者は困窮が極まって他国に逃げ出すようになっても恵を与えなかった。

☆彡 浮かんだ言葉 ☆彡
金融・生活保護・甘え・過保護・怠慢・苦労・葛藤・心がけ・自分次第・貧困

常に『苦労を心がけ、金融に甘えず、自分次第の心がけにより貧困は避けられる』