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経営者フォーラム 東京ランド株式会社

借金たっぷり真っ赤な赤字企業でも破産も倒産も夜逃げも無用です。一人で悩んでいないで私たちに相談してください。

借金コロガシ 第 9 章 日銀の3つの大罪

2018年01月13日 | 著書
日本銀行の最大の大罪は、ゼロ金利政策です。ゼロ金利政策は「円キャリー
トレード」を生み、「欧米バブル」を生成し、2007 年のサブプライムローン問
題の出現で株価の大暴落という形で世界中に大迷惑をかけ日本国内でも2008
年のリーマンショック、2010 年、ユーロ―暴落、円高、株安などの金融不安が
続いています。
2008 年のリーマンショックでは、2009 年3 月に、日経平均がバブル崩壊後
の最安値の7000 円近くまで値下がりしました。世界恐慌のドアに開くまでに
近づきました。
××ファンドというの「金の亡者」の熱狂とその崩壊で、世界中の投資家は
大損し、国民大衆は職を失い国内外に大失業時代を招いたのです。世界の金融
システムを崩壊させ、100年に一度といわれている大不況を招いたのも、実
は日本の「ゼロ金利政策」なのです。これはあまり報道されていません。マス
コミに本質を追究する能力が消失してしまっているからです。
金利を安く下げると景気は良くなるとの過去の神話が崩壊したのも、過去の
経験、知識にしか判断基準の無い「過去官僚とそれに依拠する思考能力のない
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政治家の官僚依存症」にあるのです。
<用語解説:「過去官僚」と「過去完了」>
英文法では「であればいいな~」願望を表す過去完了にペーバー野郎とし
ての官僚の合成語。自ら優秀だと錯覚している彼らに対する皮肉。
誰もがチャプターイレブン(アメリカ合衆国連邦倒産法第11 章)に追い込
まれた米国のゼネラルモーターズもクライスラーも自動車メーカーだと思っ
ています。しかしそれは事実誤認です。GM もクライスラーも実は自動車製造、
販売会社をよそおっている「金融会社」と思った方が正解に近いでしょう。
限りなくゼロに近い金利で仕入れた資金を自国の高い金利でローンを組み、
自社の自動車ローン付きで売ってその差益で大儲けしていたのです。アメリカ
はカード社会です。現金がなくても自動車が買えたのです。自動車はカネを貸
して金融差益を得るための道具だったのです。資本主義とはその名の通り、資
本の運用で利益を得る経済システムをいいます。
しかし、サブプライムローン問題の発生で金融システムの信用が急激に収縮
し、ローン付きで自動車が販売できなくなりました。システムが崩壊したので
す。
アメリカで車が売れないものですから、日本の自動車メーカーも軒並み大赤
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字経営となり、その部品メーカーも含めて、「派遣切り」「リストラ」「社内失
業」、減給、ボーナスカットなど、労働環境は最悪となりました。大学生も高
校生も就職できません。またまた大失業時代の到来です。
この100 年に一度といわれるデフレ大不況で一般国民の消費意欲は悪化し、
デパートもスーパーも売り上げは大幅減となり、国の税収も大幅減です。おか
げで、公務員の給料も大幅カットです。100 円ショップだけが大にぎわいです。
国家経済は大きな「縮みの経済」になってしまいました。「日本バブル崩壊
に次ぐデフレ経済へ逆行」です。そして、世界中が貧しくなってしまいました。
その発端は、日銀のゼロ金利政策にあることに気がついている人は、どれだけ
いるでしょう。ゼロ金利政策こそ諸悪の根源なのです。
この犯人こそ日銀であり、日銀の1 番目の大罪です。この事実を政、官、マ
スコミの3 バカトリオは誰も指摘しません。だから国民は誰一人として気が付
きません。我が国の減収にただおびえて震えているだけです。その原因を追及
しようとはしていません。
ゼロ金利の日本で資金を調達し、アメリカ、ヨーロッパで高利回りの運用を
して大儲けしていた××ファンドという金の亡者達を傲慢にさせたのは、日本
銀行だったのです。××ファンドはゼロ金利の日本で金を調達し、その金を金
利の高い欧米で運用していた。ファンドとは、実は「金(カネ)の貿易商」だ
ったのです。
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日本は戦国の時代の昔から、世界一の銀の産出国であり、この銀をヨーロッ
パに輸出していたのは、長崎の出島を拠点としていたオランダだったのです。
当時の超大国オランダの富の元泉はこの銀だったのです。オランダが銀の貿易
商であったのに対し、○○ファンドとは、金(カネ)の貿易商だったのです。
ですから領土小国オランダが、英、米に次ぐ大国に名を連ねられているのです。
カネが力の源泉だったのです。ちなみに日本が「日露戦争」で勝ったのはロ
シアでのユダヤ人迫害をニガニガしく思っていたイギリスのユダヤ人が日本
の国債を大量に買ってくれたからですとは歴史の事実です。カネが歴史を作っ
ているのです。個人の歴史もカネに振り回されてきました。カネとは一体何な
のでしょう。
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<用語解説:サブプライムローン>
地下鉄はSubway です。潜水艦は、Submarine です。Sub とは水準以下のこと
を意味します。
アメリカ人全体の25%を占めている低所得層や信用力の低い個人層はサ
ブプライムと呼ばれ、この層に対して住宅ローンや自動車ローンを貸し付けた
ローンをサブプライムローンといわれ、金融機関のリスクは高い。2006年
後半あたりから、ローンを支払えない率(延滞率)が急上昇。ローン会社は融
資したローンを証券化し、債券の形にして、世界中の金融機関に売っていたも
のですから、サブプライムローン債権の暴落は、世界中の株価の暴落を招いた。
日銀の2番目の大罪は、日本国民の金利収入をゼロにしたことです。庶民は
せっせせっせと預金し、その金利を結構楽しみにしていたものです。日銀はこ
の楽しみを取り上げてしまいました。庶民の楽しみを取り上げる権利が、日銀
にあるのでしょうか。勿論、金利を生活費の一部としていた人も大勢いたので
す。金利収入こそが国民の心を豊かにし、老後の安心感を与えていたのです。
これを財務官僚は取り上げてしまったのです。今日の社会不安の原点がここに
あります。
日本政府には、国債残高が860 兆円と報道されています。まもなく一千兆円
になろうとする、「赤字国債」という名の大借金があります。この国債の金利
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を、限りなくゼロにして、財務省(大蔵省)の負担を大幅に軽減しようという
意図のもと、ゼロ金利政策はスタートしました。国債の金利を払いたくない、
予算編成で楽をしたい、自分だけ楽をしたいとの無能な官僚の動機が国家税収
の大幅減を招いたのです。
デフレ経済に国民を叩き落として苦しめている原点はこの0金利政策にあ
るのです。でも例の3 バカトリオは何も言いません。上層部がペーパー野郎に
占拠されていたのです。約1兆円の利払いを倹約したばかりに約40 兆円もの
税収減の結果を招きました。「税収の合成の誤謬」です。バカ達はまだこの誤
謬に気が付いていませんでした。
ゼロ金利政策は、失政を重ねた日本国政府のためであり、日本国民のためで
はありません。国民に犠牲を強いる発想と政策は、戦前の軍事官僚と全く同じ
ものなのです。バカな官僚とバカな政治家のお陰で日本はまた悲惨な敗戦を迎
えました。昭和に次ぐ「平成の敗戦」です。
片道の燃料だけを積んで飛び立った若き特攻隊など、玉砕戦法を強いた軍事
官僚は大蔵官僚となり、国民を死に追い込む手法と発想は、全く変わっていな
かったのです。大蔵省は財務省と名称を変えても体質は変わっていません。ア
ホな政治家を巻き込んで、国と国民を疲弊させています。
官僚の保身と利益のためには、国民は犠牲を払ってもらいますとのDNA と役
人文化は脈々と受け継がれていたのです。国民は統治する対象であってその命
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も財産も統治する支配者である自分達に差し出せとでも思っているかのよう
です。
金利がほぼゼロになったものですから、国民は銀行に預金しに行かなくなり
ました。そして、タンス預金が膨大に増えたのです。一説によると、そのタン
ス預金の総量は1,400 兆円とも言われています。ナント国債の発行量より多い
のです。
つまり政府が発行した国債という名の借金証書よりもタンス預金は500
兆円も多いのです。今後の金融政策を考える上で、この事実は大変重要です。
他国にはマネのできないこれこそ本当の日本の埋蔵金なのです。後述しますが、
この事実は大変重要です。このタンス預金こそ日本経済復活の種銭になるので
す。
預金好きの日本人が、銀行預金が1000万円までしか補償されないペイオ
フ解禁騒動が2002年頃より、大々的に報道されるようになってから、日本
人は銀行預金よりタンス預金が好きになってしまいました。ですから、お金の
流通が止まり、日本経済はお金の貧血状態になりました。これがデフレの原点
なのです。金欠で日本中がフラフラ状態です。「貧すれば鈍す」とは良く言っ
たものです。ペーパー野郎達は誰も指摘しません。ミンナで仲良くバカになり
ました。
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<用語解説:ペイオフ>
金融機関が万一破綻したときに預金者を保護するため、金融機関が加入
している預金保険機構が、預金者に一定額の保険金を支払う仕組みのこと
です。
個人や法人など、一つの金融機関につき、一預金者1千万円までの預金
とその利息が保護されます。そして2010 年9 月かってマスコミにチヤホ
ヤされていた木村厳が会長の日本振興銀行が破綻し、ペイオフが現実のの
ものとなりました。
3 番目の「ゼロ金利の大罪」は、経済不況をコントロールできなくなったこ
とです。不況になると金利を下げ、公共投資を増やし、経済を活性化するのが
経済政策の常道でした。
金利が長年ゼロになるということは、金利政策で景気の浮揚を図れないとい
うことです。もう金利を下げられないからです。やるとすればマイナス金利政
策です。貯金でも預金でもしたら罰金を課す制度です。でもそんな事をしたら、
ますますタンス預金は増えて日本経済は破綻するでしょう。
日本では長年、公定歩合5%前後で景気の手綱を図ってきました。いまや公
定歩合という言葉も死語となり、日本バブルの崩壊いらい約20年、国民は
長々と続く不景気の中で気息延々、生と死の間を彷徨ってきたのです。
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金利と利回りについて、実例をもってお話しするのが最もわかりやすいでし
ょう。これこそが「生きた経済学」とよばれ、「ペーパー経済学」と区別され
るでしょう。生きる庶民は生きた学問を身に付けなければなりません。
仮にここに毎月の家賃が10 万円のマンションがあったとします。年間収入
は120 万円です。このマンションを年利回り5%で運用するといくらで売買す
るのが妥当でしょうか。賃料の年収が120 万円ですから、120÷0.05=2,400 で、
正解は2,400 万円です。
バブル時代のようにマンションの売買相場がどんどん値上がりしても、家賃
相場はさほど上がらず家賃収入は10 万円で変わらないとの前提で計算すると、
投資利回りがどんどん低下して半分の2.5%になったと仮定します。そうすると、
売買価格は4,800 万円に上昇します。さらに値上がりし、利回り1%仮定します。
そうすると売買価格は12,000 万円です。バブル時代のピークには、利回り更
に上昇し0.5%位が東京都心では当たり前でした。デフレの今では信じられない
でしょうが、これがつい最近の歴史的事実だったのです。
もともと、2,400 万円が相場であったマンションが、バブルの5 年間で2 億
4,000 万円まで値上がりしたのです。相場が10 倍になり、利回りは10 分の1
になったのです。この激しい上下動でバブル産業に属していた者はほぼ全人死
滅しました。そしてそれをザマーミロと喝采を叫んでいた者たちも、バブル崩
壊の副流煙の猛毒を浴びて、破産となったのです。国庫も収入が激減してしま
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いました。激減分の国民負担は増加しサービスは低下しました。
そしてその後のバブル崩壊で、不動産相場が20 分の1 の1,200 万円まで暴
落したとすると、利回りは何倍になったでしょう。0.5%の20 倍ですから、10%
です。バブル崩壊直後は利回り10%から20%の物件が多数、不動産市場に出回
ったのです。1990 年のバブル崩壊から1995 年当時迄のことです。不動産利回
りが高騰するとは、それだけ世の中が不景気になっているとの証拠です。これ
が生きた経済学なのです。
金利は資産利回りの後追いですが、日銀は低迷している日本の景気を回復さ
せるとの理由で1999 年(平成11 年)政策金利をゼロにしました。でも本当の
理由は大蔵省(明治維新から2000 年まで存在した中央官庁で、後継官庁は財
務省)や財務省の国債金利の負担をゼロにするのが目的であったのです。その
ため、国民の金利収入もゼロに近くなりました。
官僚にとって、自分の俸給と出世、自分に悪影響がない限り国民はキチンと
納税さえしていればいいのです。民草のことはどうでもいいのです。ペーパー
野郎に占拠された官僚はすっかり誇りを無くしてしまいました。サムライ文化
は消え自分の生活最優先の小人だけに役所が占拠されてしまっているからで
す。
権力者は国家経済の回復のためゼロ金利政策を導入した、と言っているが、
本当は自分たちの都合が最優先だったのです。これはお客様の都合最優先の自
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由主義市場経済の原則とは間逆の政策です。日本は最も成功した社会主義国だ
と揶揄される理由なのです。役人天国になってしまいました。
お客様のために何をするか、お客様に喜んでもらうためには、どのような付
加価値をつけたら良いのかを考えて実行することが利益を生み、経営を成功さ
せ継続させる秘訣だとこれまで何度も強調してきました。
でも日本社会主義者には利益の概念が理解出来ないようです。利益とはエゴ
イズムと同様にとらえられているようで、否定されるべき概念と考えられてい
るようです。その考えはまったく間違っています。「利益」こそ人を豊かに、
全ての人々に幸せを運んでくるものなのです。
国家権力のお客様は国民です。国民に喜ばれる政策を立案、実行することこ
そが、権力を継続させる秘訣なのです。それができなければ、当然のごとく政
治権力は転覆します。そして2009 年(平成21 年)8 月30 日、それが現実のも
のとなりました。しかし選挙の無い官僚は転覆しません。
政変の原因は国民の怒りが爆発したことに因ります。でもこの怒りのモトが
何なのが多くの人は理解してないようです。政治権力者同様自分自身がペーパ
ー教育の影響下にあるとは気付いていないからです。
政治が変っても行政権力は無傷のままです。それは国民自身が勉強とは「覚
える」ことで「考える」ことだと教えられていないのです。教育という名の洗
脳です。激変消滅お生き抜くキーワードは「変化対応」です。そして今こそそ
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の核心部分を正確に把握しておくことです。
その為には失われた国家の税収「金額」を知ることは事実把握に大変役立つ
でしょう。約90 兆円の年収が約40 兆円も減収になったのです。
国債の利払いを限りなく0にしようと長々と0金利政策を続け、支出の節約
を重ねたその結果招いた、デフレ不況で国庫収入は激減、多分節約した金利支
出の何十倍もの税収激減を招きました。経営を知らない役人と政治家が造った
大不況なのです。
今やパソコンの時代、ナンボの税金が取り損ねたか税務署の役人に計算して
もらったらどうでしょう。これこそ税収の合成の誤謬と言えるでしょう。

借金コロガシ 第8章 団結力と信用力で地獄から復活

2017年05月20日 | 著書
日本バブルが崩壊したのは、1990 年(平成2 年)4 月の2 日です。国会図書
館で4 月3 日の新聞を見てもらえば、4 月の2 日にどんな大事件が起こったの
かわかります。当日の株式欄はほぼ真っ白です。全ての株式取引所で投げ売り
に次ぐ投げ売りで、取引が成立しなかったのです。この日より日本はデフレ経
済に突入しました。
土地建物の取引も不動産業者の投げ売りに次ぐ投げ売りで、取引が成立出来
ませんでした。土地建物の取引は相対取引で、株式市場のようなマーケットが
ありませんから、新聞紙上には本日の相場の動きとして掲載されることはあり
ません。不動産業者だけが同業者の動きをキャッチし、その動向を見極めなが
ら、買うか、売るか、見送るかを決断します。この判断を間違えると身の破滅
です。ですから、中小企業の経営者のセンサー機能は極めて発達しています。
さもないと、破産、倒産、閉店、廃業となります。
1990 年3 月の総量規制は、バブル経済を造った不動産業者とそれに関連する
建築業者潰しを目的とした大蔵省の政策でした。地上げ業者と共にバブル関連
業者のすべてを潰しておかなければ、全国民が家を持てなくなる、みんな「家
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なき子」になってしまうとの危惧から、春には総量規制を発動し、秋には公定
歩合を大幅に引き上げたのです。
国民の名を前面を出していますが、本音は自身達が官舎から出られなくなっ
てしまうと危惧していたからです。バブルの生成を図ったのは、政府大蔵省、
バブルの崩壊を図ったのも、政府大蔵省でした。自分のまいた種で自分が困っ
てしまったのです。
でも政府大蔵官僚には、今日に至るまで、謝罪の言葉は全くありません。彼
らには無謬の神話があるからです。戦前の軍事官僚と同じです。日本には「神
風が吹くから敗れるハズはない」と本心から思い、国民に信じさせたのと同様
です。国民を無知のまま捨て起き、バカな政治家に代って権力を自由に操れた
からです。
この無謬の神話に取りつかれたバブル崩壊大作戦によってお取り潰しにな
った不動産業者、関連の建築業者はどれだけいるのかデータはありませんし、
見当もつきません。ほとんどは潰れたまま、20 年近く経過した今日まで、再起
できないでいます。だから不景気のままなのです。
その原因はバブル崩壊を指揮したエリート官僚たちの無謬の神話にあった
のです。ペーパー野郎たちの犯罪です。どれだけの人が貧困にあえぎ、どれだ
け多くの人が命をなくしていったのでしょう。官僚達の犯罪でデフレの悲劇は
20 年たった今もまだ続いています。
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<用語解説:無謬(むびゅう)の神話>
エリート官僚たちはけっして失敗を認めません。子供のころからペーパーテス
トでは常に満点の彼等は、自分は満点の人間だ、と思うようになってしまいまし
た。満点人間が失敗などするはずがないと信じ切っているのです
不動産バブルの崩壊で買い手のいなくなった不動産相場は、急落に次ぐ暴落
です。この暴落の最中、日本銀行は公定歩合と市中金利を急騰させたのです。
あたかも気息延々の死に体の業者の首を締めあげたのです。業者はみんな大量
死です。
不動産業者も建築業者も殆どの者は、株式投資もやっていました。バブル崩
壊で株式も大暴落しましたから、こちらでも大損害です。つまり、右、左とダ
ブルパンチを浴びたのです。バブルパンチとなりました。そして殆どの者はノ
ックアウトされました。ノックアウトされたまま死に至った者数知れず、死者
は生き還りません。この時のダメージは今日まで続き、未だ復活できておりま
せん。自殺者はウナギ登りのままです。
復活できたものは、全く別の道を歩んだ人々です。国の支援を受けたIT 産
業ぐらいでしょう。しかし、それもIT バブルの崩壊で多くの企業は消えてい
きました。どうやら全てのバブルは崩壊する運命にあるようです。
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さて、これからは、突然バブル崩壊(当時はこのフレーズはまだありません
でした)のストレートパンチを浴びた我が身と我が家族の物語です。
当初いったい何が起こっているのか、報道はありませんし、何がどうなって
いるのか、まるでわかりませんでした。新聞もテレビも全く報道がありません。
しかし、銀行からの融資はピタリと止まるし、マンションの売れ行きもピタリ
と止まりました。買い手の資金手当てができなくなったからです。銀行は、不
動産物件には誰にも全く融資しなくなったのです。
仕事はすっかり無くなりました。しかし、しばらくは今までの蓄えで食いつ
なぐことはできていました。しかし新規の収入は全くなくなっていたのです。
不安がつのり、次の一手を模索しても、なかなかアイディアが出てきません。
そんな折、私のオフィスの近くの会社が、続々とバブル崩壊の煽りを受けて、
会社規模を縮小する会社が次々と出てきたのです。テナントが次々と退却する
ものですから家賃相場が下落に次ぐ暴落です。
周辺のビルはテナント募集の広告だらけになりました。バブル景気最盛期の
頃、我がオフィスのある市ヶ谷周辺の家賃相場は、1 坪当たり4 万円から5 万
円でした。それが、バブル崩壊後1 年ぐらいで1 坪当たり2 万円台から1 万円
台に暴落してしまったのです。
この暴落現象を、私はチャンスと捕えました。ピンチはチャンスなのです。
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安くなった物件の資料を作成し、チラシを周囲に配布したのです。私のオフィ
スの周囲は賃貸ビルとマンションが林立しています。ポストが数十個とか、百
数十個とかも、まとまってありますから、チラシはすぐ品切れになってしまい
ました。そこで、このポスティング作戦に女房、子供も参加させようと考えま
した。
日曜祭日の休日の朝早く暗いうちから、リュックサックにチラシをぎっしり
詰め、両親もリュックサックと両手に紙袋姿で、一家5 人で出撃したのです。
父親と保育園児のチーム、母親と小学校低学年児童2 人の2 チームで、幹線道
路の左右に分かれ、ポスティングを開始したのです。
驚いたことに、子供たちは喜んで駆け足で、まるでゲームをやるかのように、
夢中でチラシをポストに投げ込んでいくのです。渋々やるかと思っていました
ので、これには感心しました。子供は仕事をするのが好きなのです。それが生
きる為のDNA なのでしょう。そして、お客様から反応があり、契約に結び付く
と、一家そろって回転寿司で労いました。今となっては楽しい思い出です。バ
ブル崩壊をこんなに楽しんだ一家は、そうはいないでしょう。ピンチを抜ける
一致団結作戦でした。
しかしバブル崩壊で転売業は全面停止ですし、このころの借金はまだ6 億円
ありました。なんとか稼いでこの難局を突破しなければなりません。自分には
何ができるか思慮したところ、私には大きな財産が2つあることに気がつきま
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した。それは、人脈と安い物件の仕入れルートだったのです。
大学在学当時から色々な活動をし、卒業後も商売以外に様々な活動をしてい
たものですから、人脈が大きなものになっていました。この「人脈が金脈」に
なっていたのです。意図していなかったもので、これには驚きました。
「中島さ~ん、なんか安いマンションありませんか~?」と、買い手が続々
とやってきました。皆、物件相場が暴落していると知っていたからです。私も
暴落物件の品を揃えておきました。驚いたことに、まとめ買いするお客様も現
れたのです。一部上場企業のオーナー社長です。
「水は高きより低きに流れるが、金は高きからより高きに流れる」とはよく
言い当てたもので、この時大量に仕入れたオーナー社長は元々、大資産家であ
ったのが、バブル崩壊をキッカケに、ますます資産を増やしてしまいました。
金持ちになる秘訣は物の安い時に大量に値切って仕入れることです。でも決し
て仕入れで焦ってはいけません。
なんと私はバブルが崩壊しても直ぐに立ち直って、仲介業務で大儲けしてい
たのです。今にして思うと、何がそうさせたのか思いを巡らすと、やはり「信
用」なのかと結論付けられます。
「中島さんが勧めるなら、それでいいヨ」と買ってくれるのも、信頼があれ
ばこそ、なのでしょう。この大儲けで、一家5 人と世話になった税理士夫妻、
合計7 人で海外旅行をしたのもこのころのことです。バブル崩壊後約3 年で危
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機は突破しましたが、6億円の借金はまだ時効とならず、残ったままでした。
バブル生成とその崩壊の事実を、歴史に残しておく必要があると感じた私が、
「平成の敗戦」とのタイトルで執筆していたのもこのころです。でも、出版社
は全く無名の私にこのビックタイトルを許してはくれませんでした。題名は
「逆転の借金経済学」(徳間書店1996/07/30 出版)になってしまいました。3
年程をかけた労作です。
バブル経済で大成功をおさめ、バブル崩壊で大借金を背負い、地獄の底を這
いずりながら、逆転勝利で復活できたのは、いったい何なのだろうと思うこと
があります。それは、「団結」と「信用」であると思い至るようになりました。
物心がつく頃から、母親には「人様に笑われるような人間になってはいけな
い」「人様には絶対迷惑かけてはいけない」くどいほど言われ続け、それが道
徳とか倫理なのかなと思いつつ、そのくどさには殆ど僻々としていました。し
かし母が亡くなって10 年以上経った今思うと、人様に笑われるなとか、迷惑
をかけるなというしつけは、単なる道徳でも倫理でもなく、地獄に落ちた時の
「復活のキーワード」だったのです。
私が大学卒業の際、卒業後も就職せずに独立自尊で生きていく旨を話したと
ころ、父親はたった一言「金を積むより信用を積め」とたった一言、言ったの
です。結局のところ、両親の2 言で私は地獄を脱出できました。家族の団結と
世間様の信用のおかげでピンチを生きながらえることがでたのです。

第 7 章 消えた6 億円の借金

2017年05月03日 | 著書
「勝って閉じる道もあれば、負けて開く道もある。」小大名の悲哀を何度も
経験した戦国の武将、真田幸村の一族には、こんな言い伝えがあるそうです。
この章は、私の「勝ち戦」と「負け戦」の体験談です。
日本バブルの最中、私が中古マンション問屋業で大儲けしていたことは、前
述のとおりです。大儲けしていると銀行からは大変丁寧に扱われます。ゴルフ
接待や、銀行の迎賓館での接待など、接待漬けにされます。そんな折、銀行の
支店長から、こんな依頼をされたのです。
「社長さん、ご融資したものをすぐ返済されては困るんですよ。当行は金利
を頂くのが目的ですから。」ドンドン借りても返すナと言うのです。今考える
と信じられないような事を銀行の支店長は言っていたのです。
バブルのころは、仕入れた物件をリフォームして売り出すと、1 週間もしな
いうちに売れてしまいます。回転が良いのはマンション転がし業者にとっては
大変良いのですが、すぐ貸金を返済されては金利を稼げない銀行にとっては最
悪の融資先なのです。借りた金を返してもらっては困ると言うのです。
そこで支店長と私は知恵を出し合いました。お互いに良い方法を考えたので
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す。マンションが転売できても銀行からの融資金を返済しない方法です。元金
を返さないで金利だけを断続的に払い続ける方法です。新しい時代には新しい
方法を考える。それが経営です。
銀行には「通知預金」というものがあります。通知預金には金利が付きませ
ん。それを承知で各物件の売却代金は6 ヶ月間以上、預け入れることにしたの
です。その代りに、融資を受ける際、銀行は当方の仕入れ物件であるマンショ
ンに抵当権を設定しないことにしました。日本のどの銀行も、中小企業に融資
をする際は、社長を保証人にした上、物件を担保に取ります。
支店長と私の合意はムダな経費を削減する為です。ムダを省くことは経営の
原点です。そのマンションを担保に入れる代わりに、所有権移転に必要な書類
を、銀行に差し入れることにしたのです。登記済証(権利書)はもちろんのこ
と、所有権移転のための印鑑証明書、白紙委任状、資格証明書(法人の場合は
会社謄本)、評価証明書、などです。
自社名義に「所有権移転」をしないとなると、いろんな費用が浮いてきます。
① 登記料(登録免許税) 物件の固定資産評価証明額により決まる
② 抵当権設定費用(融資金額による)
③ 司法書士の報酬(売買金額によって異なる)
④ 不動産取得税(取得の約半年後課税される)
⑤ 固定資産税・都市計画税・印紙税(所有権発生時より課税)
60
⑥ その他、保証料・事務手数料・火災保険料など
不動産は、売っても、買っても、持っていても、税金の塊なのです。所有権
移転に関わる全ての書類を銀行に預けておくと、銀行はいつでも当該不動産を
自己名義にすることができますから銀行は安心です。しかも、売却代金は通知
預金に入っていますから、もっと安心です。しかも6 カ月以上は貸付金利が入
ってきます。ですから銀行にとって融資金は全額保全した上、その金利を取れ
るから2 重に実利があります。
銀行とのこの紳士協定(上記を記した念書は銀行に差入れた)は、私の会社
にとっても実利があったのです。先ほど述べた①から⑥までの費用のほとんど
を払わなくても済んだからです。転売に関わる仕入れコストが要らないのです。
商売の要諦は仕入れにあります。コスト削減にあります。
この手法を「中間省略」といいます。業者間で転売繰り返しても同じ手法を
とっていたのです。全てのムダを省く、それが経営です。
読者の多くの方はこれを脱税ではないか、と思うでしょう。しかし、これは
脱税ではありません。経費がかからない分利益が増えますから、後からしっか
り法人税がやってくるからです。でも、法人税が掛からない手法もあります。
転売しないで賃貸物件にしておけばいいのです。賃料収入以外の転売利益は出
ません。売らないで貸しておくと転売益に対する法人税はやってきません。表
面的な利益を上げないで、資産を増やしておくこともイザという時の為の経営
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術です。
ただ、この手法も限界があります。物件を取得したとき受け取った印鑑証明
書の有効期間は3 か月間なので、期限切れの前に新しいものと差し替えなけれ
ばなりません。その更新の手法もありますが読者の皆さんが不動産屋になるわ
けではないので、書かないでおきましょう。本には書けないことがたくさんあ
るのです。
これまでのお話は、バブル景気のころ私が無茶苦茶に儲かっていて、複数の
都市銀行からチヤホヤされていたころの実話です。20 年経った今ではもう昔話
になってしまいました。
儲けてさえいれば銀行は、もっと借りろ、もっと借りろ、と言ってきます。
事業資金(弊社の場合は物件の仕入れ資金や、内装代金)は、110%融資(関連
諸費用も融資対象でした)ですから、軍資金は全く必要ありません。
でも、銀行からしつこく、もっと借りてください、と懇願されるのです。何
に使ってもいいから、と言う銀行員の隣には必ず系列の証券マンが座っていま
した。ゴルフ会員権屋もいました。天使顔した銀行員が狼をつれて来たのです。
あまりしつこくお願いされるので、都市銀行3 行から法人で1 億円ずつ、個
人で1 億円ずつ、合計6 億円の借金をしてしまったのです。バブル崩壊直前の
ことです。これが大失敗であったと気が付いたのはその翌年のことです。この
借金地獄の底で呻吟していたころ、悩みの中から新世界が生まれたのは信じら
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れない事でした。
この頃は、都心のマンションは「億ション」から「10 億ション」になってお
り、高騰に次ぐ暴騰に危機感をいだいた私は、マンション転がしを止めていま
した。と言うより買える物件が無くなってしまったのです。ですからとっても
暇だったのです。あまり暇で金があると銀行と悪魔が近寄ってきます。
私の基準では、サラリーマンから買って内装後、サラリーマンに売れる価格
帯をターゲットにしていました。売却価格をなるべく5000 万円以下に設定し
たいと思っていましたが、物件価格はどんどん値上がりし、億ション、10 億シ
ョンになってしまったのです。もう仕入れる物件はありません。つまり、仕事
がなくなってしまいました。仕事がなくなったら無理して仕事を続けないこと
です。仕事を止めることも損しない為の秘訣です。
金はたっぷりあるが、仕事は全く無い。今思えば、大変危険な状況になっ
ていたのです。朝出社して新聞を隅々まで読み、昼寝しても、暇で暇でしょ
うがない状況になりました。そのころは40 歳代前半でして、有り余る体力
の発散場所がなかったのです。
そんなとき悪魔が囁きました。「あんまり暇だから株でもやってみようか。」
もうすぐ日経平均が4 万円にとどくという頃のことです。日経平均が5 万円、
10 万円になるのもそんなに先のことではないと、マスコミも株式評論家も予
言していたころのお話です。
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もうすぐバブルが崩壊するよとか、株価が大暴落するよとか、誰も予言し
ていませんでした。誰一人として言っていませんでした。
いつの世も先のことは誰も解らないのです。この当時バブルという言葉が
ありませんでした。バブルという用語がマスコミに登場したのは、バブル崩
壊後3 年もたってからなのです。これを私は「空白の3 年間」と呼んでいま
す。この3 年の間に、凄いことが起こっていました。バブルなるフレーズが
この世に登場するまでの3 年間をマスコミは現場を知らないから報道しませ
んでした。報道しないから国民誰一人として知りませんでした。
この3 年間で銀行が大豹変したのです。
崩壊するまでのバブル時代の5 年間、ジャブジャブ融資するだけでなく、
土地持ちの資産家にはお願いしてまで借りていただいていた銀行員は、「貸
し剥がし屋」に変身してしまったのです。バブル崩壊後、地価も株価もゴル
フ会員権も大暴落しました。
担保物件が大暴落すると、銀行は融資金の回収係に変身したのです。お客
様が銀行に差し入れていた担保の価値の大暴落を招いた結果責任を全部お
客様に押し付けたのです。担保の大暴落を招いた銀行は一切我関せず責任を
取りませんでした。それどころか、銀行の言うこと(担保物件の任意売却)
に応じないお客には、「差押えだ」「競売だ」と脅し始めました。天使が悪魔
に豹変したのです。
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銀行は天使役だった支店長も担当者も転勤させ、取り立て屋に向いている
行員を前面に出したのです。狼役は私にもやってきました。「持っているマ
ンションを全部売って金返せ。」と言ってきたのです。顔つきも、態度も、
ほとんどヤクザ同然です。金を貸すときは仏面、返せというときは般若面で
す。
銀行には大きく分けて二つの業務があります。「融資と回収」です。世の
中が平常の時は、同一人物が兼務していますが、異常時には分離します。銀
行は長年の経験で、たまに異常時がやってくるのを知っていたのです。
私は貸し剥がしにあったこの時、初めて、「銀行の裏の顔」を見ました。
銀行はこういうときのために、ヤクザみたいな男も雇っているのだと知った
のです。それ以来、銀行員を「ネクタイをしたヤクザ」と言うようになった
のです。
銀行員だけでなく、この長々続く大不況で、日本中にメシが食えない男た
ちが大発生し、東京や大阪などの都会には、刺青を入れていないヤクザや詐
欺師がウヨウヨいます。法律用語を駆使するヤクザや、権力を多用するヤク
ザがウヨウヨいます。コンサルタントを名乗る詐欺師もウヨウヨいます。気
をつけなければ、この世は渡れません。この世は鬼ばかりなのです。
バブル景気で大儲けしていた5 年間は天国のようでした。バブル崩壊して
からの3 年間は地獄のようでした。私は30 歳台から40 歳台バブルの5 年と
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崩壊の3 年の合計の8 年間で「天国と地獄」を経験したのです。不動産業と
その関連業者にとって1990 年(平成2 年)はバブル崩壊で、天国から真っ
逆さまに地獄へ墜落した年でした。
自分は「勝ち組」から「負け組」に転落してしまったことを実感したのは、
銀行から、6 億の借金を返せ返せ、と言われた時です。貧乏になると銀行は
スグ冷たくなります。金持ちは大切にされ、貧乏人は虫ケラの如く扱われる
との現場を実体験で知ったのです。
マンションの担保価値は日を追って目減りしている最中、マンションを売
って、「貸した金を返せ。」と銀行はしつこく言うのです。この頃、金利だけ
でも毎月300 万円くらい銀行に返済していました。この返済だけでもキツク
なっていたのです。
私はバブル崩壊の1 年半前には、マンション転がしを止めていましたから、
仕入れ準備金としての「通知預金」は空っぽになっていました、そこに出さ
れた大蔵省の「総量規制」のおかげで銀行融資は完全ストップとなり豊富な
軍資金は底をついていたのです。商売は一切できません。早晩行きづまるこ
とは誰の目にも明らかです。
なにせ6 億円の借金があるのです。毎月300 万円の返済ができなくなる日
が、すぐそこにやってくることは明らかです。このころ悩みに悩みました。
一生分悩みました、これからどうなるのだろう。この商売はもう出来なくな
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くなるだろう、そうなったらは俺は何をすればいいのだろう?
深く考えた結果、「自分がブラックリストに載ってしまうことは仕方がな
い。本業はもうダメだから銀行から借りた借金はもう返せないのだから、返
さないことにしよう。自分には不動産の経験と金融の知識があるのだから、
それを駆使して、競売と借金の時効の合わせ技で、この難局を突破しよう。」
と決断しました。地獄で生き残る技を考えていたのです。
この決断をした頃、本を出版しました。「逆転の借金経済学」(徳間書店)
です。バブル経済とその崩壊を、そのど真ん中にいた私が、歴史の証人とし
てこの事件を書き残しておこうと思ったのです。日本中が負け戦の真っただ
中のことでした。負け戦には負け戦なりの戦法があります。生き残り戦術で
す。
この本は思いのほか売れ、全国の図書館にも配本されたようで、借金で悩
む人々が全国から相談にやってきたのです。私は相談者に対し、「親子兄弟
なるべく大勢で来てください、夫婦はもちろんのこと、なるべく保証人さん
も一緒に来てください。関係者一同心をひとつにして困難を突破しなければ
ならないからです。」と借金相談のスタート時点から言いました。身内で責
任のなすり付け合いや、仲間割れをしている場合ではないのです。
借金相談から経営相談まで、もう相談者は1 万人を超えているでしょう。
私はマンション転がし以外でも、学生の頃から約20 種類の商売をやってき
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たし、商売以外でも色々なことをやってきました。このことを書くだけで本
1 冊分になるでしょう。実は次の本のタイトルはもう決まっているのです。
「雇われない生き方と、雇わない経営」です。
高杉晋作の辞世の句が「面白き こともなき世を 面白く」と知った大学
生のころから、わが人生を面白くしようと日々実践した結果、いろいろな商
売、いろいろな活動をし、大変多くの人と巡り合いました。数えてはいない
が、約1 万人の人に出会ったことでしょう。大変面白い半生でした。ですか
ら何時死んでも悔いはありません。
その中でも、天国から地獄へ直滑行で転落したバブル崩壊の体験は、人生
最大のイベントだったのです。競売と借金の時効の合わせ技でこの6 億円の
借金を消して、その体験談を出版したところ、全国から相談者が続々とやっ
てきたのです。この章の最初に記した真田一族の言い伝え、「勝って閉じる
道もあれば、負けて開く道もある。」とは、まさにこのことを言い当ててい
るのでしょう。私に地獄からの生還する道が開けたのです。
金の猛毒である借金を消滅させる手法を相談者に伝授し、中小企業の経営
者には、銀行に依存しなくても経営を継続する手法を実務から指導する経営
コンサルタントとして生きていく道が開けたのです。
相談者から、「バブルが崩壊したのはなぜですか?」と、よく質問されま
す。「それは政府と官僚がペーパー人間で占拠されていたからです。」と言っ
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ても質問者は殆んど理解できません。政府、官僚、マスコミなど、社会の上
層部を、ペーパーテストにだけ強く、会社経営実務の経験のない空虚な人間
に占拠されていたからです。政府、官僚だけでなく、アホな3 羽ガラスも政
府の扇動隊だったのです。
新聞も政府の広報誌だと思った方が間違いないでしょう。テレビはバカ製
造マシーンテレビと言った方が正確かもしれません。これらの媒体を通じて
国民大衆を洗脳して、富を収奪する勢力が居ることは、どうやら本当かもし
れません。
日本のバブル崩壊やサブプライムローン、リーマンショックユーロ暴落な
どの経済現象を見ていると、何が洗脳する媒体で誰が収奪されているのか、
誰が加害者で誰が被害者なのか疑念は深まるばかりです。

借金コロガシ 第 6章 貸し渋りと、貸し剥がしの違い

2017年03月21日 | 著書
「貸し渋りと、貸し剥がしの違い」を明らかにしないと不良債権問題の本質
が見えてきません。貸し渋りは、誰にもわかります。貸してほしい人に金を貸
さないことです。貸倒れリスクを事前に避けて通るのは銀行のセオリーの第1
です。かつて、銀行と親密な状態のとき、銀行員が私に教えてくれました。「2
階に上がってくる人には、ご融資はできないのです。」ほとんどの銀行の融資
課は2 階にあります。ですから、お金を貸してほしい人は2 階に上がっていき
ます。
昔から、金を貸してほしい人には、銀行は融資しません。融資金が焦げ付く
恐れがあるからです。お金を借りたい人は、金を作る能力のない人が殆どだと、
銀行は知っています。ですから貸しません。借りたい人は危ない人なのです。
返済能力が十分あると確信できる人にしか、融資はしません。融資できる金
持ち、会社、個人には、銀行員から出向いていきます。ですから金回りの良い
会社の社長は、銀行に出向いたことがありません。銀行に行くのは女子事務員
だけです。借りたい人には貸せない、借りる必要のない人には貸したい。金融
業とはまことに矛盾に満ちた職業なのです。
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貸し剥がしは、金を借りた当人か家族の寝たきり老人や病人の布団を剥がし
て持っていくことから、こう言います。昔は、古着も古布団も商売の種になっ
ていました。引っ剥がし回収は、金貸しの常套手段だったのです。金貸しはヤ
クザを使って引っ剥がし回収をしていました。現在でも回収の現場では、ヤク
ザの手法が採られています。ですから、ヤクザになりたくない人は、金貸しに
ならないことです。
肝心なことは、バブルの生成もその崩壊も「自然現象ではない」ことです。
全ては愚かな権力者が自らの愚かさに気がつかず、愚かな「人為政策」を惹起
させ、多くの国民を破産、倒産に追い込んだのです。
いつの世も権力者には、謙虚さと誠実さは必要ないようです。ですから、政
府が政策を立てたならば、国民は我が身を守る対策を立てておく必要がありま
す。傲慢で無能な権力者に対抗する策、自分が生き残るための手法を考えた国
民は皆、賢くなっていったのです。従順で穏やかな性格の国民は、総決起した
のです。
そして2009 年(平成21 年)8 月末の総選挙で、考える人達になった国民は、
これまでの権力者をソックリひっくり返したのです。約50 年ぶりのことです。
生活苦の原因に気が付いたのか、権力の洗脳から目が覚めたのでしょうか。
考える人達は対極にあるペーパー人間は「覚える人々」です。覚える人は記
憶力抜群で、過去の経験知識には即対応できます。しかし歴史は常に新しい社
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会現象の中でかつてない事件を引き起こします。「バブル現象」も「バブル崩
壊」も歴史の教科書に載っていない現象なのです。過去には無い新しい社会現
象には「覚える人々」であるペーパー人間には即対応はできません。
覚える人々の代表には宮沢喜一元総理大臣と三重野元日銀総裁でしょう。彼
らは二人とも東大法学部出身です。ペーパーテストには抜群に強いのです。し
かし「未知の領域」にはまるで弱いのです。未知の領域のことは、ペーパーに
書いていないから勉強しようがないのです。バブル経済もその崩壊も本には書
いてありませんでした。
しかし歴史は常に未知の領域に挑戦しているのです。その挑戦の積み重ねが
歴史なのです。歴史とはいつも「未知との遭遇」なのです。彼等の経験、知識
には、日本がバブルになっているとか、それが崩壊したとかの認識が全く無か
ったのです。彼らはバブルに無知だったからです。本には書いてなかったから
です。
だから、バブル崩壊した半年後に公定歩合を大幅に引き上げたりしたのです。
大幅に引き下げるべきところ、間逆の政策を取ったのです。これを私は「トチ
狂った5 か月」と呼んでいます。この間逆政策のせいで、日本は「失われた20
年」を迎えることになりました。悲劇的な20 年でした。
お陰で日本人は富を失うだけでなく、命まで失ったのです。職を失うだけで
なく、夢も希望も、自信さえも失ってしまったのです。「過去の囚人」(とらわ
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れびと)の罪は誠に罪深いものがあります。過去の囚人とは、過去の経験知識
が豊富でペーパーテストに強い記憶型人間です。つまり、過去の囚人たちは「今」
に弱いのです。過去の囚人たちには、現在と未来は眼中にありません。現在と
未来はペーパーテストに出てこないからです。
これに対して、現役の企業経営者は今日の売上と売れ筋商品は何なのかが、
最大の関心事です。今日のデータをもとに、明日以降の売れる商品作りをする
のが経営者の任務です。データ+勘がそれを決定します。勘が悪ければ閉店と
なり、勘が良ければ売上と利益率を向上させるでしょう。経営者にとって、現
在のデータ分析と勘の良し悪しが、経営の良し悪しに直結します。
戦前の軍事官僚は、ペーパーテストの成績順で座る席の序列が決まっていた
ようです。軍の将官となる人物を育てる陸軍士官学校と海軍兵学校では、日本
の成功体験である日露戦争が戦術戦略の基礎知識でした。日露戦争の頃は、ま
だ飛行機は出現していませんでした。
時代はすっかり飛行機になっていたのに、巨艦大砲意識から日本軍は脱却で
きないでいたのです。時代遅れの戦艦大和は、赴いた沖縄に到着する前に米軍
の爆撃機に撃沈され、戦艦武蔵は、フィリピンのレイテ島沖で爆沈されました。
戦闘機も爆撃機もない時代の戦術、戦略の研究がメインだったのです。10
7年前の日露戦争が全ての原点であったのです。この間の世界の進歩、変化に
無頓着だったのです。ですから戦争末期、万歳突撃だとか玉砕戦法の発想しか
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できなかったのです。陸軍も海軍も参謀を育てるのではなく、全く役に立たな
いデクの俸を育てていたのです。だから日本は太平洋戦争に敗れたのです。
戦前の軍事官僚と、現在の経済官僚には共通点があります。それは、その組
織がペーパーテストに強いペーパー人間に占拠されていることです。過去の知
識に依拠している人間しかいないことです。現在と未来に対するセンサー機能
が全く無いことです。だから日本経済は崩壊してしまいました。そして20 年
経ってまだ立ち直れないでいるのです。

借金コロガシ 第 5 章 破産と破綻と倒産の違い

2017年01月22日 | 著書
破綻はハタンと読みます。ある講演で司会者がハジョウ、ハジョウと繰り返
すので、講師である私は大変困りました。銀行は不渡り倒産したのではなく「破
綻」が相次いでいましたが、多くの人は「ハタン」の意味が解らなかったので
す。日本語の漢字には、音読みと訓読みの2 種類があることは皆さんご承知の
とおりです。
「破綻」は、訓読みすると、やぶれ、ほころびる状況を表します。ですから、
「綻」は、文字通り「糸偏」に「定める」と書きます。どんな洋服や着物も布
を糸で縫い合わせます。糸が全部抜けると全ての布はバラバラになり、洋服や
着物の機能を成さなくなります。人間の身体も、神経が機能しなくなると死に
体となります。破綻とは、本来の機能を失った死体を意味するのです。
「破産」は、自己破産とか、債権者申し立て破産とか、に分けられますが、
これは自殺と他殺の違いだと理解するとわかりやすいでしょう。個人破産する
と、現金は99 万円まで、自動車なら時価20 万円以下のものは手元に残ります
が、持ち家(マイホーム)を手放すだけでなく、売掛金全額、預貯金も全額、
生命保険も解約返戻金全額、裁判所の破産財団に属します。
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生活基盤をほぼ全て、裁判所の「破産財団(裁判所指定弁護士)」に差し上
げる代わりに、免責が認められれば、借金はすべてチャラになります。しかし
法律家(弁護士)に破産の申し立てをするか自分で裁判所に直接申し立てしな
ければ、破産にはなりません。
しかし借金を実務的に解決すると破産手続きをする必要はありません。破産
しなくても問題解決する方法はすべて確立されております。学校では教えてく
れない(先生が知らない)実務的手法こそが、この世で最も知らなければばら
ない大変必要な知識なのです。実務は法律を凌駕します。
「倒産」は、正式には不渡り倒産と呼ばれます。不渡りとは、発行済みの手
形を期日に落とせない状況を6 カ月以内に2 回出すことを「不渡り倒産」と言
います。でも手形を使わない個人や法人には不渡り倒産はありません。
手形は大変危険な借用証書なのです。しかし商行為に手形を使わなければ倒
産はありません。不渡りを出すと信用情報紙に載りますから、その後の商行為
はできません。だれも取引相手にしてくれないからです。ですから、手形での
支払(支払手形)も、手形での受取(受取手形)も、しないことが経営の継続
にとって大変重要なことです。倒産したくなければ手形を使わないことです。
さて、商事留置権の話に戻ります。
銀行が売って返せ売って返せと仕掛けた担保物件の暴落で、追加融資のでき
ない銀行と、融資してもらえないデベロッパーと、工事代金が貰えないで引き
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渡しのできない建設会社、三つ巴の紛争で、更に不動産相場は暴落しました。
まだ、バブル崩壊というフレーズが、マスコミに登場する前の空白の3 年間の
ことです。ですから当事者以外デフレ不況のスタート状況をだれも知りません。
この商事留置権をめぐる三つ巴のトラブルが、その後延々と続く不良債権問
題を増大させた切っ掛けとなったのです。銀行が苦しむ原因は、銀行自らがそ
の種を撒いたからなのです。銀行は不良債権を作って、その不良債権で苦しん
でいるのです。これは悲劇でしょうか、喜劇でしょうか。
現場を知らないマスコミが報道しないものですから、誰もが今何が起こって
いるのか、わかりません。でも、破産、倒産、経営者の自殺が急増したのは、
このころからのことです。日本中が貧しくなっていったのもこの頃からなので
す。バブル崩壊以来、ナント、20 年も続いていても真の原因を誰も言いません。
新聞もテレビも銀行が恐ろしいのでしょうか。テレビに向かっては銀行オマエ
が犯人だと言えないのです。
「デフレ不況」が本格化したのも、このころです。困ったことに、学者、評
論家、マスコミの3バカトリオは、デフレの本当の姿を知らないから、「資産
デフレ」と「消費デフレ」を区別して論評したり、報道することができません。
3バカトリオ全員で消費デフレのことだけを取り上げます。消費者物価指数
が下がったとか、スーパーマーケットで値下げ合戦をしているとか、牛丼がま
た安くなって、消費者の財布の紐が固くなったとか、彼らはその現象のみを追
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いかけていました。
大事なのは現象より本質なのです。本質は資産デフレなのです。株価の暴落、
土地の暴落が、消費デフレを招いたのです。資産デフレをストップするにはど
うしたらよいのかの議論は全くありません。バブル崩壊から20 年近く経った
今でも、議論はありません。その原因は銀行にあるという人は、誰もいません。
よほど銀行が怖いのでしょう。カネの元締めだからなのでしょうか。
銀行は相変わらず、売って返さないと差し押さえするぞ、競売になるぞと、
返済に窮した元資産家や、住宅ローンの滞納をしたサラリーマンを脅迫してい
ます。資産家は株と土地の暴落で「元」資産家になってしまったのです。脅迫
されている元資産家は「いつも自殺することを考えています」と訴えています。
自殺者も急増しました。死んだ人は私のところに相談には来ません。でも、
自殺者の遺族(未亡人や遺児)は続々とやって来て、「私たちは保証人として
破産手続きしなければいけないのでしょうか」「すぐ家を出ていかなければい
けないのでしょうか」という相談者が、次々とやってまいります。全員が銀行
やサラ金に返済できなくなった人々です。金融業が商売あがったりの状態にな
ってしまったのです。
「破産も、倒産も、夜逃げも、一切する必要はありません。解決策はすべて
あります。それをお話しましょう。」と、申し上げてきました。バブル崩壊20
年も経って新しい事態が生じて来ました。金融業者が全員困ってしまったので
す。政府の応援を得て不良債権処理に全力を挙げ皆で揃って取立て屋がやって
いたのに、金貸し不信から誰も借りない貸せない状態で金融業自身がハタンの
危機に直面してきたからです。