野老の里

奥武蔵をメインに日帰りの山歩きを中心としたブログです

奥武蔵へようこそ 平成30年10月21日 旧刈場坂峠の峠道を探る 篠の坂から正丸

2018年10月25日 | 奥武蔵へようこそ
(旧刈場坂峠へ向かって 途中で見かけた広葉樹林)

注意:篠の坂から旧刈場坂峠の間は踏み跡が無い難路で一般ルートではありません。

10月も後半に入り、ようやく空気が涼しくなってきた。低山帯の奥武蔵はこれからがハイシーズン。前回の小金沢連嶺からまだ2週間しか経っていないが、奥武蔵の山が歩きたくなった。候補としては今後の目標にも掲げた横隈山と熊倉山があるのだが、今回はそれより優先度を低めにしていた旧刈場坂峠を歩くことにした。この辺りの主要な古い道(前坂峠檥峠四寸道飯盛峠など)は大体歩いており、ここは登り残しになっているルートとして気になっていたからだ。旧刈場坂峠は古い地形図を見てもときがわ町方面からの道のみが描かれていて、飯能市からは岩井沢地区から上がっていく道が途切れており、現在は車道となっている刈場坂(かばさか)が峠道として使われていたようだ。そこで今回はときがわ町から峠を目指して歩くこととした。

明覚駅から篠ノ坂へ

旧刈場坂峠の登山口は都幾川と外川との合流点近くにあり、その近くをイーグルバスのときがわ町路線竹の谷(たけのかい)行きが通っている。イーグルバスのHPで確認するとどうやら竹の谷の一つ手前である篠の坂(しののさか)バス停で降りればよさそうだ。以前浅間山を登った際と同じようにまずは明覚駅へ行き、そこからせせらぎバスセンターまで歩く。ときがわ町の市街地を歩いていると前方に平たい山頂部が草地になった山が見える。おそらく弓立山だ。明覚駅を出て20分弱でせせらぎバスセンターに着く。冬場は風を遮る所が無くて寒い所だが、今日は早朝にしてはまだ暖かいほうだろう。

(弓立山の山頂部が見える)

定刻通りにやって来たバスにはボク以外に若い女性が二人乗り込んでいたが、登山者らしき人はいなかった。その女の子たちも三波渓谷で降りていき、山奥へと向かうのはボクだけとなった。対向車も少ない道をバスは勢いよく上っていき、出発から20分ほどで篠の坂に到着する。山側の見上げる位置に民家がある以外はバス停の標識以外何もない所だ。谷側は遥か下に都幾川の流れを見ることができる。さてどうやってあそこまで下りたらいいだろうか。

(篠の坂バス停)

外川合流点から林道出合まで 色々頭を悩ませる
篠の坂バス停からひとまず車道を上へと登っていくが、どこまで行っても川へ下りられそうな所はない。3分ほど歩くと以前降り立った竹の谷バス停まで来てしまった。ということは篠の坂から下った所にあるのだろうか。道を戻り、篠の坂バス停のすぐ下のカーブミラーのある所までやって来る。するとガードレールの切れ目からはっきりとした道が下っていた。とりあえず一安心。木段で整備された道を下るとマムシ注意の看板が立っており、ハイキングコースとして使われていたであろうと推測させる。道は都幾川と外川との合流点の前で消える。ここは渡渉をしろということなのだろう。

(ここを下りる 右手奥にはバス停が見える)


(マムシ注意の看板 昔は人通りがそれなりにあったということなのだろう)


(外川との合流地点)

渡渉に適した所を色々探ってみるが、合流点は流石に水量が多い。そこで都幾川を少し登り、水量の少ない所に入って都幾川を渡る。都幾川と外川との間の河原に上がれば外川を渡るのはそれほど難しくない。無事外川を渡ると明瞭な踏み跡が上へと延びている。これは浅間山に登ったときと同じくそれほど難しい道ではないなと勝手に思ってしまった。ところがこれが大きな間違いであることを後に思い知らされることになる。

(都幾川 上流側を見ると濡れずに渡渉できそうな所もありそうだ)


(外川 こちらは都幾川より流れが少ない)


(明瞭な踏み跡)

明瞭な踏み跡は掘割の道に変わり、小枝が堆積して歩き難くなる。掘割から横へ上がってみると周囲は広い緩斜面になっている。上から見ると掘割は道ではなく、水流の跡のような気がしなくもない。迷いつつも掘割沿いに進むと谷地形を横切るような踏み跡らしきものがある。そちらへ一旦踏み込んでみるが、トラバースした末に急斜面の壁に突き当たってしまった。こちらは間違いだろう。再び掘割沿いに進むと細くなり傾斜も増した尾根に薄い踏み跡がある。踏み跡を行くと涸れた沢に三本の丸太が渡してある。明らかに人為的に置かれたものだ。丸太を渡るのは怖いので、涸れ沢を渡って更に薄くなった踏み跡を辿る。

(右下に見えるのは掘割の道)


(丸太橋がある どう考えても渡れと言っているようにしか思えないのだが)

踏み跡はトラバースしながら続いていたが、次の谷地形に差し掛かった所で消えてしまう。涸れた水流跡らしきものを進むべきなのか、それとももう少しトラバースを続けて432m峰に通ずる尾根を目指すべきか見当が付かない。色々迷ったが、一度道を戻り、谷地形手前の尾根を上がってみることにした。結局上へと進めばよいので、比較的安全そうな尾根を強引に上がることにしたのだ。尾根はかなりの急傾斜だが、小枝も下草も煩くなく、何とか這い上がっていける。尾根上を忠実に辿っていると左手から上がってくる広葉樹林の尾根に出た。やや傾斜も緩くなり、ようやく一息つける。

(迷った末に急な尾根を登っていった)


(広葉樹林が結構多い)

広葉樹林を抜けると杉林に覆われた急傾斜の谷地形の中にやって来る。おそらく左手(つまり東側)に見える尾根が432m峰へと延びる尾根だと思うのだが、傾斜は更に急になる。一方西側へトラバースする踏み跡らしきものもある。なんとなく作業道のような気もするのだが、一応踏み跡らしきものは確認してみるのがボクのバリエーションルートにおける登山スタイルでもある。しばらくトラバース道を進むと不意に広い平場に出る。全く予期していなかったので、動揺してしまった。それにしてもどこにいるのか。やむを得ずスマホの地図ロイドを開き、現在地を確認する。すると林道から北に位置する平場まで来ているようだ。ということはトラバース道を戻って、尾根へ上がるのが本来のルートなのだろう。しかしここまで来れば林道は近い。そこで平場の南に聳える壁のような急斜面を登ることにする。広葉樹の急斜面を文字通り這い上がると檜の植えられた尾根に出る。そして白いガードレールが見えた。尾根をそのまま進むと林道を出た所に旧刈場坂峠の古道を示すピンクテープのマーキングがあった。迷いに迷ったが、無事峠道に復帰することができた。

(広葉樹林を抜けると谷地形にぶつかる ここを右に行くと件の平場に出る)


(こんな感じのトラバース道 まあ作業道という感じがしないでもない)


(広い平場 家一軒は余裕で建てられそう)


(平場からこの急坂を登った ここはきつかったなぁ…)


(写真には写っていないが右手にガードレールが見えた)


(マーキング これ以外にもないわけではなかったが、他のバリエーションよりはわかりにくい)

旧刈場坂峠頂上に至る
マーキングの向かいは擁壁となっているので、林道終点へ向かって回り込むと尾根を行く踏み跡がある。最初こそ急傾斜だが、すぐに広葉樹林の緩やかで伸びやかな尾根に変わる。見晴らしの良い所があるわけでもなく、踏み跡も薄い峠道の中では心落ち着く所といっていい。しかし道が良いのはここまで。西寄りの細い尾根を登っていくと標高差70mの急斜面の登りが待ち受ける。直登するにはかなり厳しい登りだが、道は特に九十九折などにはなっておらず、踏み跡の無い尾根をひたすら行くしかない。滑り落ちそうなほどの登りなので、ここが本当に峠道として使われていたのか疑問に思ったのだが、古い地形図を見てもやはりこの辺りを通っているようだ。20分ほどかけて登りきったが、こんな所を重い荷物を背負って本当に歩けたのだろうか。

(擁壁を回り込むと登りやすい所がある)


(急坂の手前にあるフラットな尾根上は広葉樹林が広がる)




(次第に傾斜がきつくなる 特に下の写真の辺りは滑り落ちそうだった)

急斜面を過ぎれば峠までは緩やかな尾根道が続く。檜の多い所だが、峠手前は奥武蔵では珍しくなりつつあるスズタケの下草が生えた広葉樹林が広がる。一層細くなる尾根を進むと見覚えのある黄色いテープのマーキングを見つける。何とも呆気無く旧刈場坂峠の頂上に出た。奥武蔵登山詳細図(吉備人出版 以下詳細図)によるとアラザクとも呼ばれているらしい。檜が植えられた所以外はスズタケが煩く人通りのあった峠という雰囲気には程遠い。峠道としてもこれまで歩いてきたルートに比べると歩き難い箇所が多く、ハイキングルートとして残らなかったのは致し方なかったともいえる。

(急斜面を過ぎると比較的緩やかな道が続く)


(スズタケが自生する広葉樹林 ここまで来れば峠は近い)


(旧刈場坂峠 ここを踏むだけならグリーンラインから簡単に上がることができる)

ツツジ山と刈場坂峠
旧刈場坂峠に到達したことで今日のメインテーマは達成してしまった。当初はしばらく訪れていない関八州見晴台でも寄って行こうかと思っていたのだが、気分が下山モードに入ってしまったので、刈場坂峠から正丸尾根を下ることにした。登山計画書にはエスケープルートに入れていなかったのだが、何度も歩いているルートだし、人通りもあるだろうから何とかなるだろう。スズタケの藪に引っ掻かれながらグリーンラインへ下り、その先のツツジ山に寄って行く。吾野地区まちづくり推進委員会が整備に入ってからこの山もだいぶ歩きやすくなった。山頂へ行く途中、今日初めて登山者とすれ違う。西武線に乗っているときは登山者姿の人を多く見かけたから一般ルートはかなり人が入っているようだ。山頂(879.1 詳細図によると刈場坂山)は整備によって明るくなり、東側の展望も維持されていた。ベンチがあるのでようやく腰を下ろして休憩できる。

(グリーンライン 結構広葉樹が多く、紅葉も期待できそう)


(ツツジ山直下)


(ツツジ山頂上)


(ツツジ山から東側の眺め 肉眼だとセンズイの鉄塔の右隣にスカイツリーを眺めることもできた)

ツツジ山の北側斜面は広葉樹が多く、寒くなるこれからの時期は紅葉が期待できそうだ。整備された九十九折を下り、車道が交錯する刈場坂峠へ下り立つ。かつて茶屋が立っていた広場にはグリーンラインを上がってきたクルマやバイクが多い。爆音と排気ガスが充満する峠というのは俗化が進んだ奥武蔵でもなかなか珍しい存在ではある。峠からの眺めは樹が大きくなってだいぶ遮られるようになってしまった。初めて訪れたのは10年以上前だから印象が変わってしまったとしても不思議ではない。それでも天文台のある堂平山の右背後に日光連山が見えただけでもラッキーだった。

(刈場坂峠 恒例の移動カフェも来ていた)


(左から川木沢ノ頭、白石峠、剣ヶ峯、堂平山 白石峠の手前には浅間山 堂平山から右一段下に金岳(編集の関係で山頂が二つになってしまっている))


(堂平山の右奥には日光連山らしきものも見えた 画面中央下側に見えるのはメガソーラー)


(別アングルでの峠の様子)

牛立久保から旧正丸峠 そして正丸駅
騒がしい峠から別荘が立ち並ぶ尾根に入る。気候の良い時期ということもあってか多くの建物で人の気配がする。バイクの爆音に晒されなければ良い所なんだろうけどね…。刈場坂峠の西はなだらかな小ピーク(詳細図によると横見山)と牛立久保と呼ばれる緩斜面の窪地が広がっている。一帯は広葉樹林でこれからの時期は紅葉狩りも良さそうだ。牛立久保下部の湿地帯を抜けると867m峰を巻いていく。台風の影響なのかかなり小枝が散乱するものの、道自体は歩きやすい。緩やかに小ピークを越えるとブナの木(ケヤキではないかという指摘がありました 平成30年10月30日追記)が立つジャンクションピークに出る。といっても横瀬側へ下る道はバリエーションでボクもこの辺りは全くの手つかずだ。

(別荘地から続く緩やかな尾根道)


(横見山辺りは広葉樹林が広がる)


(牛立久保の道標)


(牛立久保の緩斜面)


(下部は湿地帯のようになっている)


(ジャンクションピークに立つブナケヤキの木 木の同定に自信はないが、肌が白くザラついていたのでおそらく)

舗装路となった刈場坂道へ下り、再び山道へ入る所が虚空蔵峠だ。現在峠道は消失しているが、古い地形図を見ると横瀬側は先ほどのジャンクションピークから派生したルートへとつながっていて、この峠を越えて刈場坂へと通じていたようだ。横瀬側の斜面は伐採等が入った関係で沢地形を下って666m峰辺りに出られそうな感じもするのだがどうだろうか。峠からはやや急な登り。でもこの辺りは横瀬側がみな広葉樹林となっていて明るく気持ちが良い。二子山から武川岳あるいはウノタワから横倉山辺りの広葉樹林には負けるが、標高が比較的低いので少々遅めの紅葉狩りでも間に合うだろう。急斜面を登りきると少しの間笹の生えるフラットな尾根を行く。地味な印象の尾根の割にはすれ違う人も結構いる。

(刈場坂 虚空蔵峠付近は広葉樹が多い)


(虚空蔵峠)


(奥武蔵でも倒木が目立つ)


(横瀬側は広葉樹が多い)




(熊笹生えるフラットな尾根)

詳細図だと長久保と呼ばれるピークはトラバース下降しながら巻いていく。小枝や檜の葉の散乱が酷く、踏み跡のほとんどが覆い隠されてしまっている。あまりの酷さに苛々してそれらを横に退けながら進んでいく。737m峰を東から巻いていくとサッキョ峠があった鞍部に出る。古い地形図を見ても道形はなく、どのように使われていたのか詳細は不明である。ただ横瀬側は峠の手前は比較的緩い傾斜となっているので、虚空蔵峠のような形で道を付けることは可能だったのかもしれない。



(長久保と呼ばれる辺りは小枝や葉っぱの散乱が酷かった)


(サッキョ峠へ近づくとスズタケが広がる所がある)


(ヤマナシ 食用には適さないが齧った跡がある タヌキ辺りだろうか)


(手前に大高山、奥に天覚山が見える)


(サッキョ峠と書かれた道標 鞍部の南端にある)

サッキョ峠から木段を上がり、(詳細図によると)親不知と呼ばれるピークを越える。すると尾根は次第に細くなり、危なっかしい感じの岩尾根になる。疲れてくるとちょっと危険だが、岩尾根は植林が難しいので一帯は自然林が形成されている。地形図には表れない小ピークを越え、(詳細図によると)大グミと呼ばれるピークに着く。706m峰へ寄り道するとプレートが木に括り付けられていて、松茸山への道を示していた。しかし松茸山へ行くのであれば旧正丸峠道を飯能側から上がったほうが楽だろう。

(木段を上がる 何度か木段を上り下りする所があるが、ここが一番きつかった記憶がある)


(親不知の山頂)




(岩尾根は広葉樹が多い 自然にできた二次林だろうか)


(地形図には表れない小ピーク でも地形図を見ると尾根が膨らんでいるのでなんとなくピークとわかる)


(正丸尾根は広葉樹が多いほうだと思う)


(大グミの山頂)


(706m峰)

大グミから5分ほどで暗い旧正丸峠に下り立つ。南側が成長した檜の林なので、何時来てもここは暗い。飯能側の峠道は緩い傾斜が続き、危険に思うような所はほとんどない。峠ノ沢も歩きやすく、エスケープには良いルートだ。一旦車道に出て、峠ノ沢へ入る。左岸に付けられた九十九折の急斜面を下りると緩やかな沢沿いの道が延びている。正丸尾根では台風の影響で小枝が散乱している所も多かったが、峠ノ沢は思ったよりも荒れていない。以前歩いたときは広い河原に付けられた道を行く印象があったが、実際は高巻く所が多い。高巻くからこそ前回の焼山沢のように道が不明瞭になることもないのだ。苔生したお地蔵様を過ぎると坂元の集落に出る。国道へ出た後結構歩かされた記憶があったのだが、実際にはさほど時間もかからずに正丸駅に着いた。売店横の水道でストックを洗っていると飯能駅行きの電車がやって来るとのアナウンスが聞こえてくる。のんびり顔を洗う暇もなく、ホームへ駆け上がり、なんとか電車に乗ることができたのだった。

(旧正丸峠 何時来ても暗い所だ)


(峠道は緩やかで歩きやすい 登りに採っても楽な道だ)


(一旦市道に出る 走り屋が多いので要注意)


(下のほうに峠ノ沢が見える)


(峠ノ沢 比較的傾斜は緩い)


(一旦高巻いて隣の沢へ行く)


(こんな感じで橋が多い沢だ)


(沢へ下りる所はそれほど多くない)


(峠ノ沢を代表する景色である大岩と大木)


(大岩の上には木が生える)


(この大木は逆から撮ったほうが良かったな…)


(大岩 こう見ると結構高い)


(石積みで補強された沢沿いの道)


(苔生したお地蔵様が現れれば集落は近い)


(坂元地区の集落)


(坂元地区内にある八坂神社)

DATA:
明覚駅7:17→7:35せせらぎバスセンター→(イーグルバス)→8:18篠の坂8:26→8:30外川合流点→9:28林道出合→10:12旧刈場坂峠(アラザク)→10:32ツツジ山(刈場坂山)→10:47刈場坂峠11:01→11:09牛立久保→11:30虚空蔵峠→12:03サッキョ峠→12:09親不知→12:24大グミ→12:32旧正丸峠→12:44市道→12:46峠ノ沢→12:53八坂神社→13:23正丸駅

地形図 正丸峠

トイレ 刈場坂峠

交通機関 
西武池袋線 小手指~東飯能 237円
JR八高線 東飯能~明覚 324円
イーグルバス せせらぎバスセンター~篠の坂 360円
西武秩父・池袋線 正丸~小手指 401円

上記のとおり篠の坂~旧刈場坂峠間は明瞭な踏み跡がありません。グリーンラインへ達する古道の中でも難しい部類に入るかと思います。特に下りに使う場合は要注意です。それ以外は全て一般ルートで、木段が多い以外は歩きやすいルートです。

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