野老の里

奥武蔵をメインに日帰りの山歩きを中心としたブログです

奥武蔵へようこそ 平成29年1月29日 関ノ入尾根から黒尾根(訂正版)

2024年04月20日 | 奥武蔵へようこそ
(北向地蔵のある土山峠)

※平成29年9月30日に小瀬名富士と東ムカイ山について改めて踏査した結果、当記事で小瀬名富士としていたものは東ムカイ山と判明しました。訂正し、お詫び申し上げます(平成29年9月30日追記)。
※2024年4月現在、石段から薬師堂を経由して長尾根山を登るルートは立入禁止となっております(2024年4月20日追記)。

西武池袋線の武蔵横手駅を降りると国道を挟んだ山の斜面にお堂が立っているのが見える。民家の裏手にあるものの、個人で所有しているものには思われない。以前から気にはなっていたのだが、ずっと後回しになっていた。年が明けて、どこか軽いコースを歩きたいなと考えて、そのお堂の裏手の尾根を歩いてみることにした。尾根伝いに行けば北向地蔵に出られるので、やはりまだ歩いたことのない小瀬名富士付近から高麗橋へと延びる黒尾根を下る計画とした。

今日は軽めのコースなので少しゆっくりと出るつもりだったが、武蔵横手駅へ着くとまだ7時半を過ぎたばかりである。駅舎に出るとジャージ姿の女の子たちが数人いる。そういえば電車に乗っているときもジャージ姿の団体さんを随分と見かけた。何か大会でもあるのかなと駅舎内を見回すと奥むさし駅伝競走大会のポスターが張ってあり、今日が大会当日であることを知らせていた。これは帰りの電車が混みそうだなとどうでもいいことを考えつつ準備を整える。女の子たちに見送られながら国道を渡り、まずは駅からも見えるお堂を目指す。昨年からお世話になっている「奥武蔵登山詳細図」(吉備人出版)によると件のお堂は薬師堂だという。そして入口は関ノ入林道を少し入った所にあるらしい。民家裏からも登れそうだが、ここは地図にしたがって林道を進む。すると石段が組まれたしっかりとした道がある。ここから登れそうだ。

(薬師堂への入口)

石段を上がるとプラスチック製の道標があり、これから歩く尾根が関ノ入尾根と呼ばれていることを教えてくれる。傾斜が緩く、それほど労せずして薬師堂の立つ高台に出る。駅からもその姿が見えるだけのことはあり、なかなか良い眺めだ。まあ展望スポットと言うほどでは無いかもしれないが。薬師堂の裏手にはまとまった広さの墓地があり、先ほどの石段は御先祖様のお参りのために普請されているのではないかと思われる。墓地を抜けると本格的な山道となっていて、踏み跡はかなりはっきりとしている。単なる作業道ではなく、ハイキングルートとしても整備されているのではないだろうか。

(薬師堂)


(薬師堂からの眺め 中央右寄りがカマド山 眼下に見えるのは武蔵横手駅)


(薬師堂の裏手からは整備された道が延びる)

名無しの小ピークを越えると吾野線の送電鉄塔が立つ平場に出る。細かなアップダウンはあるが、傾斜の急な上り下りは少ない尾根だ。右手の谷に林道が作られているのを横目に見ながら登っていくと道はピーク手前で西から巻いていく。ぐるっと回り込んだ所に山頂への道があり、それを登りきると長尾根山(273 現地プレートには267とある)に着く。登山詳細図で計画を立てたときは尾根の名から付けられた山名かと思っていたのだが、どうやら東西に長いことから長尾根山と名付けられたようだ。ベンチなどはないが、腰を掛けるのに使えそうな小さな岩が点在しているので少し休憩を取る。焚き火の跡があったので、ハンターの人達がよく入っているのかもしれない。

(送電線の吾野線)


(谷に林道が造られている)


(長尾根山)


(山頂には焚き火の跡があった)

尾根道に戻り、次の五常山を目指す。鞍部から登り返すと送電鉄塔の立つ小ピークに出る。こちらは新所沢線のものだ。ウチの近くを通っているのだろうか?鉄塔が立っていても見晴らしの無い植林の尾根が続き、やや面白味には欠ける。小ピークから下ると鞍部には鉄塔管理用の黄色いポストが立つ。これは西の谷沿いに造られたヘバラ林道へと下る道を示している。鞍部から登り返すと五常山(305)だ。尾根の一部といった感じであまり山頂という雰囲気はない。木製の山名板がなければ、ここが五常山であることに気付くのも難しいだろう。五常山から沢山峠へ向かう尾根は地形図だと細く見えるのだが、実際に歩いてみると割と広い。市境が描かれているのでわかりにくいのだ。沢山峠から深沢山の間の尾根に合流する手前でヘバラ林道からの道と合わさる。以前歩いたときに見かけた道標があり、エスケープルートとして使われているのだろう。ここは尾根が分かれる小ピークなのだが、谷が尾根の最上部まで食い込んで半球状になっており、のんびりとしていきたい気分にさせられる。

(送電線の新所沢線)


(五常山)


(ヘバラ林道との合流点 半球状になっている 奥に見える尾根を左に行けば沢山峠方面へ出られる)

沢山峠から深沢山の間の尾根に上がると見覚えのある道標が立つ。ここを訪れたのはもう5年以上前のことだ。あまり古びた感はなく、定期的に手入れされているのかもしれない。名無しの小ピークを越えると沢山峠に着く。以前は正面の急斜面を下ってきたのだが、今日は土山の集落へと向かう。土山への道は集落をつなぐ所でよく見られる細い踏み跡だ。決して歩き良いとは言えないものの、下草や倒木はなく、よく整備されていると言ってよいだろう。民家らしき建物が見えてくると舗装路に出る。古い地形図だと破線のままなのでちょっと面食らったが、地理院地図だと実線で描かれており、違いがしっかりと表現されている。左にカーブする所までやって来ると毛呂山町が設置した道標がある。細い踏み跡があり、そのまま行けば観音ヶ岳・スカリ山方面へと出られる。今回は更に舗装路を行く。するとすぐに五常の滝へ下る踏み跡がある。中野地区にも興味があるので、この踏み跡を下ってみる。

(懐かしい道標)


(沢山峠)


(土山への道)


(道標が示す踏み跡を進むと北向地蔵へ至る 今回は下に見える車道を進んだ)

谷の詰めを横切るように付けられた山道を進むと道標のある舗装路にぶつかる。舗装路を挟んだ向かい側に登り坂があり、また舗装路のすぐ下を砂利道が下っている。向かいの登り坂は北向地蔵への近道で、砂利道は五常の滝へと向かっている。今回は舗装路を南へと進む。緩やかに登ると舗装路は北向地蔵方面と中野集落方面の二手に分かれる。あまり下ってしまうと登り返しが面倒なので、北向地蔵方面へと向かう。結構急な坂道でしかも舗装路ということもあり、あまり足には優しくない。ヘアピンカーブを二つ過ぎると東側が大きく開ける。広大な民家の庭の背後には小瀬名富士から南ムカイ山までの尾根が見渡せ、南側には横手地区の分譲地や永田山などが呼称の内にあり、先ほど歩いた五常山も見える。今日の行程で一番の展望スポットと言ってよいだろう。

(谷を横切る道 上にガードレールが見え、周囲も思ったより明るい)


五差路に出る 奥の舗装路を左に行くと土山、右に行くと中野に出る)


(中野地区の展望スポット)


(南側を拡大したもの 右にある送電鉄塔の右に見えるピークが五常山だと思われる)

そのまま舗装路を上がり、分岐を左に入ると北向地蔵に着く。こんな林道脇ではお地蔵様もあまり落ち着かないことだろう。ここはグリーンラインのほかに先ほど見かけた土山地区からの近道とユガテからの道、そして鎌北湖からの道が合流する所で土山峠とも言われている。峠に立つ小さな堂宇の中には三体の石仏が安置されている。案内板によると子授け地蔵としても名高い栃木市の岩舟地蔵の分身として祀られたもので、その岩舟地蔵と向かい合わせにしたため北向きになっているとのことである。お地蔵様の前には二基のベンチが置かれているので、長尾根山以来の休憩を取る。すると同年代の男性が一人通過していく。そういえば山中で人に会うのはこれが初めてだったな。

(北向地蔵)

北向地蔵から小瀬名富士へはお堂前の小道を行く。林道建設によって寸断されてしまった尾根であるが、古い石造りの道標が健在で、多くの人が行き交った往時の状況が偲ばれる。グリーンラインを横切ると岩を掘り割った切通しが現れる。奥武蔵には天神峠大窪峠などの見事な切通しを見ることができるが、頻繁に利用されている所はここと大窪峠くらいではないだろうか。切通しを過ぎると権現堂県営林と書かれた看板があり、その裏の踏み跡から小瀬名富士へ登ることができる。小瀬名富士はブログを始める前に訪れたきりで、今回は8年ぶりの再訪となる。以前と変わらず山頂まで緩やかな坂道が続く。一般にイメージされる尖った富士山とは大分異なった形だ。踏み跡が折れ曲がるようになると小瀬名富士東ムカイ山(406)の頂上に着く。登山詳細図によると東ムカイ山とも呼ばれているらしい。山名標があるとの記載もあるのだが、周囲を見渡しても見つけることはできなかった。(追記:登山詳細図には東ムカイ山と小瀬名富士は別物として記載されていました。このときに歩いたのは東ムカイ山です。訂正し、お詫び申し上げます。

(北向地蔵のすぐ下にある古い道標 昭和12年製とある 左 中野 右 土山)


小瀬名富士東ムカイ山へ向かって 古い街道なのかよく整備されている)


(切通し)


(看板の裏から小瀬名富士東ムカイ山へ上がる)


小瀬名富士東ムカイ山へは緩い坂が続く)


小瀬名富士東ムカイ山の頂上付近)

小瀬名富士から下り、しばらくは物見山への縦走路を歩く。天覧山から鎌北湖を結ぶ奥武蔵自然歩道の中でもこの辺りはとりわけ歩きやすい。明治・大正期の地形図を見るとユガテから土山・小瀬名・駒高そして日和田山を結ぶルートが描かれており、古くから生活道として使われていたことがわかる。そしてこれから歩く黒尾根も久保地区へ下るルートとして描かれており、現在も作業道として使われているのなら相当に歩きやすいものなのではないかと思われる。猟銃使用禁止の看板を過ぎると小ピークの手前に何と白い軽自動車が停まっている。側には無人販売所があり、この軽自動車を使って商品を運び込んだのだろう。クルマの中に人はいないようだったが、クルマを置いてどこへ行ってしまったのだろう?美しく整備された道を行くと小瀬名・駒高方面への分岐に出る。登山詳細図によるとイボ石ノ峠という名が付いているらしい。峠に立つ立派な道標には奥武蔵自然歩道にある各スポットと小瀬名・武蔵横手駅方面のみが示されている。しかし駒高・黒尾根方面にも明瞭な踏み跡が延びている。

(無人販売所 柚子くらいは買っても良かったかな)


(美しい道 とにかく歩きやすい)


(イボ石ノ峠)

道標に示されていない道へ入るとすぐに大きな石がある。イボ石というこれから名付けられたのだろうか?この石を回り込むように下っていくのが駒高への道で、やはりブログを始める前に一度下ったことがある。今回は駒高へ入らず、そのまま尾根上の踏み跡を行く。2010年度版のエアリアマップだとこのルートは破線つまり難路扱いとなっているのだが、そんなことが信じられないくらい整備された道が続く。坂下方面への分岐はわからなかったが、黒尾根を辿る道の踏み跡は明瞭なままである。古道として使われていたかどうかの違いがそんなところにも表れているのかもしれない。新所沢線の66号鉄塔を過ぎると奥武蔵でお馴染のプラスチック製の道標があり、駒高への道が分かれる。地理院地図には炭釜林道へと下る道も描かれているが、明瞭な踏み跡らしきものはなかった。炭釜林道が立入禁止となっているためであろうか。

(左は駒高へ下る 右は尾根伝いに黒尾根へ連なる)


(再び新所沢線の送電鉄塔)


(依然として明瞭な踏み跡が延びる)

一頻り下り、鞍部から登り返す辺りで雑木林となる。これまでほとんどが暗い杉檜の植林帯だったので、明るい雑木林へ出るとほっとする。右手の谷を見ると林道が延びている。炭釜林道へとつながる道で、登山詳細図を見る限りでは炭釜谷へ入らなければ歩いても問題ないようだ。再び鞍部へ下ると先ほどと似たプラスチック製の道標がある。山道と書かれているほうが久保へと下る古道なのだが、現在は更に尾根を下ることができる。踏み跡は依然として明瞭で、コブを二つ越えると道は大きく左へカーブする。右にも薄い踏み跡があり、落ちた枝で通せんぼされている。木の枝には黒尾根と書かれた小さなプレートが括り付けられており、ここが登山詳細図の示す紫線との分岐であると思われる。実は支尾根である赤破線のルートに入れるか心配だったのだが、これで間違いなく下ることができそうだ。特に藪っぽい所もなく、順調に高度を下げていくとしっかりと石段で作られた登山口に下り立つ。小瀬名・物見山と書かれたプレートも貼られており、予想よりも遥に歩きやすい道であった。住宅街の車道を西に下ると国道299号に出る。ちょうど駅伝大会が開催されている最中で、沿道は賑やかだ。警備中のお巡りさんに許可を得て国道を渡り、駅へ向かう。携帯電話で時刻表を確認すると11時12分の臨時電車に間に合いそうだ。小走りでホームへ上がるとちょうど電車がやって来るところであった。どうやら今年一年幸先の良いスタートが切れたようだ。

(最初の鞍部から登り返す辺りで雑木林となる)


(炭釜林道へと続く道が見下ろせる)


右が尾根道 左へ下るのが明治・大正期の地形図にある道


(赤破線ルートに入るとこのケルンがある)


(広い尾根を下るようになれば麓は近い)


(黒尾根登山口)


(右に見えるのが黒尾根登山口 左には道路改修記念碑が立つ)


(高麗橋 駅伝大会の最中であった)

DATA:
武蔵横手駅7:39~7:45薬師堂~8:19長尾根山~8:40五常山~8:58沢山峠~9:05土山地区~9:23中野地区~9:33北向地蔵~9:53小瀬名富士東ムカイ山(※)~10:03駒高・小瀬名分岐(イボ石ノ峠)~10:11駒高分岐~10:53道路改修記念碑(黒尾根登山口)~11:09高麗駅

※小瀬名富士は東ムカイ山の誤りでした。訂正し、お詫び申し上げます。

地形図 飯能

関ノ入尾根、黒尾根ともに踏み跡は明瞭です。踏み跡を辿れる人であれば問題なく歩けるでしょう。初心者でも大丈夫だとは思いますが、道標は少ないので奥武蔵登山詳細図か山と高原地図(エアリアマップ)をお持ちください。

参考として過去の記録
平成23年11月26日 後編 越上山からスカリ山と深沢山・愛宕山

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