アンティーク青葉2021

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春はぬかるみ

2022-02-08 16:35:33 | 日記

ウクライナ国境にはロシア軍部隊がいくらか集結しているらしい。

独ソ戦をみると春以降のロシア平原はぬかるみがもっともこわいらしい。

とするとロシアは、戦争による手段をとらずに威嚇を始終続けるという手段になるのではないか。

ともかくロシアは資源大国なので、そっちのほうで戦略を採り続けるだろう。

冬から春になってきた。

冬は神経が緊張でハイになるのにたいし、春は、体調もこころもぬかるんでくる。

だから、どうも調子がでないとか、緊張がとれないということが冬の惰性ででてくる。

こういうときは、思うに痛み止めがいい。

適当に神経がぬかるんでくる。

コロナのせいもあるが、閉じ込められた状態がもう少し続きそうだ。

私の場合、仕事でコンクリートの建物に閉じ込められている。

家もコンクリートの建物なので、監獄にいるようだ。

痛み止めでいこう。


死の家の記録

2022-02-04 20:54:54 | 日記

バブル時代あたり、OLは昼はPCと向かい合いはじめ、夜はディスコに通った、と思う。

肩パッドのはいった服をきて、ショムニのようにさっそうとしていた。

それと現在を比較すると、まず、現在は賃金が落ちて、残業代も薄くなり、仕事も合理化で、退職する人も多く、また非正規雇用の増大で、ますます賃金は下がり、ディスコのお立ち台にいた女性は、現在どうしているのだろう。

私の場合は、遊びに行く暇がまずない。

以前からそうだったが、最近は、もう休日には疲れ果てて、部屋からでる気力もない。

故に、金がないので遊びに行かないという方程式どおりの生活をおくっている。

おまけにコロナで嫌いな職場の宴会もなく、いい気分だ。

しかし、それにしても仕事が次々にある。

このように、金がないし、仕事が多いし、時間がなくなっていく現象が日本の津々浦々にまで及んでいると思う。

内閣は、分配をというが、分配は増えない。

円安で原料の値段が上がっているのに、製品価格がわずかしかあげられないとすると、人件費を圧縮して価格上昇を抑えるしかない。

そうでなければ、ハイテク産業で遅れをとりつづけているなか、いつ巨大な設備投資が必要になるかわからない。

終身雇用はおわりつつあれども、正社員の雇用は守らないといけないとなると、ハイテク開発の中心となる若者の数が少なくなり、その少ない社員で開発をすすめなければならない。

おまけに少子化が激化していて、優秀な若者の絶対数が大幅に減少していっている。

私の出身大学も、18歳の若者争奪戦だそうだ。

しかし、そういう激戦をくぐり抜けた若者が、安い給料で、夢を描けない現在の日本社会は、ますます少子化を加速させていくだろう。

といろいろ最近思うことを書き連ねたが、腹が減って、カップ麺を食べてしまった。

この辺が私の幸福だろうか。

エンゲル係数のことが、日経新聞に書いてあったが、自分のエンゲル係数は、食べ過ぎで危機的だ。

しかし、何もないときは、睡眠と食だ。

死の家の記録の世界を自分はどうもひとりで展開させているようだ。

ひとり死の家の記録だろう。

ドストエフスキーの時代と違って、今は、対話のないPC・スマホ世界。

こうして私は、ブログをつけている。

ある意味、スマホ・PC付きの独房なのかもしれない。

なんか、低賃金で、これはもう飼われている、といった感じ。

部屋のハムスターみたいだ。

あまりに給料が低いと、もう暴力性が完全に去勢されて、従順になってしまうような気がする。

というより仕事が次々とコンベアーにのってくるので、なんか自分が工作機械のマジックハンドのようだ。


死の家の記録

2022-02-04 15:16:04 | 日記

平凡社新書の『塀の中の事情』清田浩司著は、ともかくも塀の中の事情を知るにはよくわかる本で、メルカリの出品が全部売り切れているところからもその評判がわかる。

私もこれを読んでしばらくはまってしまい、本の全文を覚えているほどだ。

しかし、最近、ドストエフスキー生誕何百周年ということで、ドストエフスキーの『家の家の記録』新訳光文社古典文庫を読んでみたら、すごい本だということに気づいた。

これは、懲上場での話ではなく、日本では一般社会の話である。

どうしてああいう人間がいるのだろう、何回もだましては全然反省しない人間、自己を主張しまくるが、権威にはひれ伏す人間、そんな人間がどうしようもないと思いつつも眼前に現れるときに、手にとってほしい。

前書きもほとんどないので、読みやすいし、ある意味どこから読んでもわかる。

私は、これを読んでいて、日本はバブルで崩壊した、と思ったことを思い出した。

たんに、遊んだ人間だけでなく、教育にかかわったものなど、もう無私などという日本の思想の特徴は忘れてしまったもののようだ。

こういってぶつぶついっているが、どうもこの直接の根源は、出張のときの200円ほどの日当とよべるものの廃止が報告されたためらしい。

同じ市町村のなかでは、交通費がでないので、日当をガソリン代にあてていたのに。

しかも、交通費のでるところに行っても、ガソリン代は交通費よりはるかに高く手出しの状態だ。

出張の多い部署は、いそがしいし、手出しは多いし、これはここだけの特徴だろうか。

なんか、こういう状態が悪化する状況をあと6年間も続けるのは、というか年金でないので、死の家の記録のような気がする。

昔、ドストエフスキーについては小説ばかり読んでいて、こういう手記のようなものは興味がわかなかったが、晩節というか、今の高齢化社会日本では60歳成人を迎えてあった、数少ないいいことのひとつである。

 


骨董屋への夢

2022-02-02 21:11:03 | 日記

骨董は今の時代、時代をつくることができない、という記事を読んだ。

時流とはなにか、と思いながら。

ブログの記事でもなんでも、現在の時流を意識していないものは、ないと思う。

人気記事とか読んでもはて、おもしろくない。

写真がいっぱい、食べ物の写真をみても、自分のような階層には、カップヌードルをながめているばかりだ。

貧困とかそういうものがタブーとされている現在。

お金がなくても安くていい料理がありますよ、とかいわれても、いい料理は大概高価である。

お金がなくても、から、お金がないからへの転換。

まず、お金がないことを直視すべきだ。

お金がないと、まず元気がでない、はじめは、自分のちんまりした世界で、仕事をきちんとし、さらには、きちんとさせ、と、まずきちんとの世界が日本人には生まれる。

するときちんとしていない他人をさげすんで、その循環におちいる。

しかし、すべての仕事を自分でするわけにもいくまい。

そういった下降循環のはてには、お金がないというところにいきつく。

思うに、無理して元気をださずにいれば、出費もなくなっていき、よいのではないだろうか。

それを、高級料理を矮小化するなどして、ミニベルサイユ宮殿を意識していることこそ、最終的な革命前の瓦解状況におちいる。

聖書をみよう、野に咲く花のごとく、みずからは意識してなくても、意識してないがゆえに美しいものもある。