reverse*rebirth

4年ぶりに稼働しました。日々の糧にlogをつける-。韓ドラは相変わらずいろいろ見ております。

『グッバイ、レーニン!』を観て。

2005-06-01 03:59:53 | 映画
最近はなかなか映画を見る時間が作れない。
というよりは、ネットでいろいろ見過ぎなせいで(苦笑)目を酷使しているから、なのですが。

そんな中、『グッバイ、レーニン!』を見た。
最近は、結構ドイツ映画を見る機会が多いような気がする。最近といってもここ数年のレベルでの話なのだけれど。気のせいかな?そういえば、今春から2006年3月までは「日本におけるドイツ年」ですなぁ。『グッバイ、レーニン!』もこれに関連した行事『ドイツ映画祭』(6月4日~12日)の中で上映されます。チケットぴあで調べてみたところ、一部の作品を除いてチケットには余裕があるみたいで、都合がつけば色んな映画を見に行きたいなぁ、と思うのではありますが。

さて、映画の感想。
特別な派手さはないけれど、ドイツの現代史とそこに生活する親子(母と子供<姉・弟>と彼らの恋人、子供、そして亡命した父親)を主軸に関わる人間関係(小市民的生活)をうまく描いてるなぁ、と思う。

東ドイツの崩壊(ドイツの再統一ともいう)を、倒れた愛国家の母にショックを与えまいとする息子のアレックス。その徹底振りに、姉や恋人は協力するもののついていけない。母の時間は停止したまま、しかし時間は流れ行く。変化に任せて流れて生きているおおかたの人間にとっては大したことがなくても、留まっている人間にとって同じ時間を形成させるにはとんでもない努力が必要とされる。

そんな事実が、映画の中で滑稽に描かれてる。例えば、それはピクルスであったり、コーヒーであったり。ちなみに1番笑えたのは、統一して職場の(西ドイツ)友人が編集+アナウンサーに扮して捏造した東ドイツのニュース。デスクで読んでる映像が流れてるけど、その舞台は即席というか、スーツも上だけで、下は履いてない(笑)でも、この捏造ニュースを、母親は本物だと思って、嘘の政府宣言のメッセージに従って行動しようとしてみたりする。

このへんは、ちょっとメディアリテラシーというか、こうして映画で見ると笑えるけど、この笑えるけど笑えない事態が同じ地球の某所ではあることなんだよなぁ、なんて思ってしまう。

そしてまた思ったのは、なんて世の中の社会基盤は、割りに脆弱であるということ。
強いときもあるけど、本質的にはやっぱり脆い。
ま、諸行無常とでもいいますか。

ある日の英雄が突然に、その地位が狂ってしまう現実。
なんて世の中ははかないんだろう。
脆弱な中に、厳然と成立している社会。
その中でのアイデンティティーとは、まさになんたるや。

つまり、この映画は、現代史を絡めつつも、彼らを取り巻く社会そのものを舞台にしつつも、一番描きたかったのは個々人のアイデンティティーじゃなかったのかな。登場人物はそれぞれの社会観をもって生きてる中で、ある時過ぎ去った時間の形成に自発的/半強制的に強いられる。その中で、覗き見たものは…?といった具合に。

ちなみに、私的に好きな場面は、「サッカー(ワールドカップ)が職場で微妙に存在していた東西の隔たりをなくした」というところ。こういうこと、実際に自分が生活してる中でもあるある、と思ってしまった。意外と、壁をぶち壊すヒントは身近なものの共有/連帯感にあるよなぁ、って。

あと、やっぱりこの映画をもっと面白く感じるには、ドイツの現代史を知ってた方がいいよなぁって思う。自明な事実ですが!そんなわけで、まだGAGAの公式サイトがあったので。サイトの中の「東ドイツのトリビア」をちょっと読んだら、理解が増して来た。やっぱりその世界を実感してない人間と、その状況を経験OR認知/把握している人間が見るのとでは当然感想も理解も違ってくるよなぁ、って思う。

ちなみに、東西ドイツの状況を描いた映画だと、『トンネル』とビリー・ワイルダーの『One Two Three ラブ・ハント作戦』を私は思い浮かべるのだけれど、どちらも傑作です、全くもってジャンルは違うのだけれど。前者は実話に基づいたドラマ、後者はコメディ。


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