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フロリダ半島日記―フロリダとキューバの“海”

2012-08-29 17:46:13 | 日記

昨日、キューバから泳いで逃げてきたという青年に会いました。キューバからフロリダ半島までの距離は、約150キロです。この青年は数年前のある日、一人でキューバの海岸から泳ぎだして、3日間泳ぎ続けたそうです。3日目に疲れ果てて溺れ始めたところ、誰かに髪の毛を引っ張られて助け出されたそうです。アメリカの沿岸警備員です。そして病院に入り、その後、アメリカ入国を許されたのだそうです。キューバはアメリカにとっては“喉に刺さったトゲ”とか“カリブ海に浮かぶ赤い島”とも言われて長く敵対関係にあったのです。1959年にカストロやチェ。ゲバラの主導するキューバ革命が成功し、1961年にアメリカは国交を断絶。その後キューバはソ連や東欧諸国との結束を固めます。そしてソ連製の核ミサイルの基地が建設されて第三次世界大戦の危機が訪れます。ケネディー大統領はキューバ周辺を航行するミサイルを積んだソ連船への海上封鎖を英断。フルシチョフ首相はミサイル基地を撤去。このように危機を逃れることができました。それにつれて反カストロのキューバ人は1973年までに26万人がフロリダなどに亡命。その後も、舟やイカダで亡命する人々が多くでました。1991年にソ連が崩壊するとソ連経済に頼ってきたキューバは大きな打撃を受けます。またもや多くのキューバ人がフロリダを目指して脱出。その亡命者たちはイカダ(バルサ)に乗って逃れたのでバルセーロスと呼ばれるようになります。イカダばかりではなく泳いでフロリダに向かう人々も多くいたのです。2008年になり、カストロは引退し、弟のラウル氏が引き継いでから規制緩和や少し自由が戻ってきたようです。国連もアメリカに経済制裁の緩和を求め、キューバも一部、市場経済を導入してきたようです。キューバとフロリダの海にも少し自由と平和がやってきたようです。先日、オーストラリアの62歳の女性がキューバとフロリダ間の遊泳にチャレンジしました。この海峡にはサメも多くいるのです。彼女は約60時間泳いで断念。サメではなくクラゲによって顔中が膨れ上がり、また雷の危険性があったのです。この海は作家ヘミングェイが愛したところでもあります。ヘミングェイが自身の最高作品と言う“老人と海”もこのフロリダとキューバの海を舞台にしたものでした。キューバとアメリカの緊張した政治の合間にもヘミングウェイは22年間に渡ってキューバのハバナから14キロのフィンカ・ビヒアに住んだのです。この家は2008年にアメリカの修復グループによって改造されています。いまひとつのヘミングェイの家はフロリダのキーウェストにあります。この屋敷にはヘミングェイが飼っていたネコの子孫が沢山いるのです。近親結婚のネコによって指が6本あるものもいます。このキーウエストの家はいわば観光のメッカです。しかしキューバの家はあまり知られていないのです。多くの謎があるようです。実はそれはキューバとアメリカの間の緊迫した政治情勢にヘミングェイも翻弄されたからでもあるようです。2002年、ヘミングェイ文学研究家たちに思わぬ衝撃が襲いました。キューバとアメリカの政治的雪解けに伴って、訪れた世界の研究者たちがここを訪れました。そのキューバのヘミングウェイの屋敷の地下室で大量の未公開の原稿、下書き、写真、手紙、ノートなど数千ページに及ぶものを発見したのです。これらによってヘミングェイの空白のキューバ時代そしてヘミングェイの政治的立場が明らかになると言うのです。