教育基本条例下の辻谷処分を撤回させるネットワーク

憲法に反する「君が代」条例ならびに公教育の理念に反する大阪の新自由主義的教育諸条例の廃止を求めます。

高作正博さん講演レジュメ掲載

2016-10-06 15:41:15 | Tネット総会
遅ればせながら、本年2月27日Tネット総会における高作正博さんの講演レジュメを掲載します。なお、講演録は、10月7日完成予定です。レジュメを含め講演を文字起こししたものです。ご希望の方はメッセージをお寄せください。

教育における「不服従」の意義と裁判の行方
- 運動論と法律論との「共振」 -
高作正博(関西大学)
2016年2月27日(土)

序――「起立」「斉唱」強制の理由 
                        
(1)「ルール」と「人権」の区別――「ルールに従うのは当然」なのか?
 ①橋下大阪市長の発言(2012年3月14日記者会見。『朝日新聞』同月30日朝刊)
  ・「一教員がルールを無視して座るなんて言ったら民主国家は成り立たない。不起立教員は公務員を
やめなきゃ」
  ・「教育で一番重要なことはルールを守ること。自分の考えと違っても社会のルールに従う。これを
教員が子どもに教えられないでどうするのか」
 ②判例における同旨の傾向
  ・最高裁昭56年7月21日判決における伊藤正己裁判官の補足意見
  ・「憲法47条は、国会議員の選挙に関する事項は法律で定めることとしているが、これは、選挙運動
   のルールについて国会の立法の裁量の余地は広いという趣旨を含んでいる」(それ故、選挙運動の規
   制[戸別訪問の禁止]は違憲ではない)

(2)「儀式」と「人権」の区別 ―― 「単なる儀礼的な所作」なのか?
 ①起立斉唱拒否事件における判例の立場
  ・本件職務命令当時、公立学校における卒業式等の式典では、「日の丸」の掲揚と「君が代」の斉唱が   広く行われていたことは「周知の事実」である
  ・学校の卒業式等の式典における国歌斉唱の際の起立斉唱行為は、「一般的、客観的に見て、これらの
   式典における慣例上の儀礼的な所作としての性質を有するものであり、かつ、そのような所作として
   外部からも認識されるものというべきである」
 ②「人権侵害はなかった」!?
  ・「起立斉唱行為は、その性質の点から見て、上告人の有する歴史観ないし世界観を否定することと不   可分に結び付くものとはいえず、上告人に対して上記の起立斉唱行為を求める本件職務命令は、上記
   の歴史観ないし世界観それ自体を否定するものということはできない」

1 不服従の意義と批判精神

(1)服従の傾向と同調圧力
 ①組織内部での自発的服従と同調圧力
 ・「独裁」の可能性(映画『THE WAVE ウェイブ』)
 ・良心に反する命令にも服従するのか?(「アイヒマン実験」)
 「各個人は、大なり小なり他人への破壊的な衝動の無制限な流れを抑えるための良心を持っている。だが  その人が自分自身を組織構造に埋め込むと、自律的な人物にとってかわる新しい生物が生まれ、それは  個人の道徳性という制約にはとらわれず、人道的な抑制から解放され、権威からの懲罰しか気にかけな
  くなる。」【ミルグラム・後掲276頁】
 ②外部に対する「他者」の排除
  ・嘘・誤報道を信じてしまう傾向(『オルレアンのうわさ』)             
  ・嘘・誤報道でパニックに陥る傾向(関東大震災の際のジェノサイド)
 ③情報操作による選択の誤り
  ・「ナイラの証言」(15歳のクウェート人女性が米連邦議会下院の公聴会で証言)
  「私は病院でボランティアとして働いていましたが、銃を持ったイラクの兵隊たちが病室に入ってきま
   した。そこには保育器の中に入った赤ん坊たちがいましたが、兵士たちは赤ん坊を保育器の中から取
   り出し、保育器を奪って行きました。保育器の中にいた赤ん坊たちは、冷たいフロアに置き去りにさ
   れ、死んで行きました」(1990年10月10日)。
  ・「湾岸戦争のトラウマ」
   戦費支援として支出された「90億ドル支援(当時のお金で約1兆2000億円)のうち、クウェートに
   支払われたのはたった6億ドルだったという事実を知らない人が多い。1兆円以上のお金は米国のた
   めに支出されたのだ」。【伊勢崎・後掲51頁】

(2)権力への服従の構造
 ①承認不安:「私」の価値への不安
  ・3つの承認;親和的承認、集団的承認、一般的承認
  ・現代における承認不安・承認要求
    *家族の変容、居場所の喪失、一般的価値基準の喪失
    *周囲の承認を維持するために過剰な配慮・同調を繰り返す
     A) 人間関係において空気を読もうと必死になる → 「自発的隷属」
     B) 承認を求めるに値しない「他者」とは一線を引く → 「他者」の排除
    *場の空気を読む能力、相手の意図を瞬時に察知する能力が重視される
 ②分断統治;「引き下げ民主主義」(丸山・後掲106、107頁)
  ・他者が自分よりも得をしているのではないか、という雰囲気を利用
  ・特徴(「既得権」「特権」批判・攻撃、公共サービスの切り下げに利用)
  ・市民の「分断」、民意の調達、権力の正統化

(3)不服従の価値を伝える必要性
  ・「民主主義と独裁・・・・の間の親近性」。大衆社会がもたらしたのは、「徹底した自己喪失という全く   意外なこの現象であり、自分自身の死や他人の個人的破滅に対して大衆が示したこのシニカルな、あ   るいは退屈しきった無関心さであり、そしてさらに、抽象的観念に対する彼らの意外な嗜好であり、   何よりも軽蔑する常識と日常性から逃れるためだけに自分の人生を馬鹿げた概念の教える型にはめよ   うとまでする彼らのこの情熱的な傾倒であった」【以上、アーレント・後掲20、21頁】
  ・「若者をシティズンシップ教育と批判的思考によって現代世界に立ち向かえるよう教育しないのは、   彼らを『サメがうようよしている海へ準備なしで』放り込むようなものだ」
   【クリック・後掲10頁】。
 ①2つの教育モデル
  ・経済成長のための教育モデル
    *「短期的な利益の追求を国家が優先する状況」;実学優先の傾向、「人材」育成
  ・民主的な市民精神のためのモデル
   *「想像力や創造性に関わる側面、厳密な批判的思考に関わる側面」の危機
    *デモクラシーの存続と維持に必要なこと;「鋭い批判的精神、大胆な想像力、多種多様な人間の
   経験に対する共感的理解、そして私たちが生きる世界の複雑さの理解」【ヌスバウム・後掲10頁】
 ②市民養成のための学校の役割
  ・警戒すべき「病理」
    *過度の競争 → 勝ち負けが価値基準、「強さ」の強要、「自己責任」の受容
    *過度の潔癖さ・純粋性 → 異物の排除、「バイキン」狩り、いじめ
    *「嫌悪感」 → 「『純粋』なものと『不純な』ものに世界を二分すること」
  ・学校による有効な対策
    *病理を生む感情の除去 → 思いやり、感情移入、「立場を変えた思考」能力
    *病理を生む構造の除去 → 個人の説明責任(匿名性の排除)、他者を一人の個人として扱うこ
    と(「動物」「モノ」「数字」として扱わないこと)、積極的に批判的な声を上げること
    (反「イエスマン文化」)
  ①他者、特に劣っているあるいは「単なるモノ」と社会が見なしている人々の観点から、世界を捉える  能力を生徒に養うこと。②人間の弱さや無力さに対する態度を教え、弱さは恥ずべきことではなく、他  人を必要とすることは女々しくないと示唆すること、欲求や不完全さを恥じるのではなく、協力と互恵  性を築く機会と捉えるように子どもに教えること。③近くの、または遠くの他者に対して、真の関心を  持てる能力を養うこと。④さまざまなマイノリティの人々を「劣ってい」て「けがらわしい」と見なし  て嫌悪し、避ける傾向を和らげること。⑤他の集団(人種的・宗教的・性的マイノリティ・身体障がい
  者)の現状や真実を教え、ステレオタイプとそれに付随しがちな嫌悪感に対抗すること。⑥一人ひとり
  のこどもを責任ある主体として扱うことで、説明責任を養うこと。⑦批判的思考、および異議を唱える
  のに必要な能力と勇気を強く奨励すること。【以上、ヌスバウム・後掲58、59頁】

2 「後退」する判例と「前進」の可能性
(1)最高裁判決の論理と現状
 ①人権論の現状;思想・良心の自由の保障内容(①)、制約(②③)、制約の合憲性(④)
 ①「歴史観ないし世界観から生ずる社会生活上ないし教育上の信念等」といいうる。
 ②「個人の思想及び良心の自由を直ちに制約するものと認めることはできない」。
 ③起立斉唱行為は、「一般的、客観的に見ても、国旗及び国歌に対する敬意の表明の要素を含む行為であ
  る」。これを求められることは、「個人の歴史観ないし世界観に由来する行動(敬意の表明の拒否)と
  異なる外部的行為(敬意の表明の要素を含む行為)を求められることになり、その限りにおいて、その
  者の思想及び良心の自由についての間接的な制約となる」。間接的制約が許容されるか否かは、「職務
  命令の目的及び内容」並びに「制約の態様等を総合的に較量して、当該職務命令に上記の制約を許容し  得る程度の必要性及び合理性が認められるか否かという観点から判断するのが相当」。
 ④本件命令は、「慣例上の儀礼的な所作として国歌斉唱の際の起立斉唱行為を求めることを内容とするも
  のであって、・・・・生徒等への配慮を含め、教育上の行事にふさわしい秩序の確保とともに当該式典の円  滑な進行を図るものであるということができる」。「制約を許容し得る程度の必要性及び合理性が認め  られるというべきである」。                              
 ②裁量権の現状(最高裁2012年1月16日判決);減給処分、裁量権の逸脱・濫用
 ①「懲戒権者は、戒告事由に該当すると認められる行為の原因、動機、性質、態様、結果、影響等のほ
  か、当該公務員の上記行為の前後における態度、懲戒処分等の処分歴、選択する処分が他の公務員及び
  社会に与える影響等、諸般の事情を考慮して、懲戒処分をすべきかどうか、また、懲戒処分をする場合
  にいかなる処分を選択するべきかを決定する裁量権を有しており、その判断は、それが社会観念上著し
  く妥当を欠いて裁量権の範囲を逸脱し、又はこれを濫用したと認められる場合に、違法となるものと解
  される」。
②「戒告を超えて減給の処分を選択することが許容されるのは、過去の非違行為による懲戒処分等の処分歴  や不起立行為等の前後における態様等・・・・に鑑み、学校の規律や秩序の保持等の必要性と処分による不
  利益の内容との権衡の観点から当該処分を選択することの相当性を基礎付ける具体的な事情が認められ
  る場合であることを要すると解すべき」。「例えば過去の1回の卒業式等における不起立行為等による
  懲戒処分の処分歴がある場合に、これのみをもって直ちにその相当性を基礎付けるには足りず、上記の
  場合に比べて過去の処分歴に係る非違行為がその内容や頻度において規律や秩序を害する程度の相応に  大きいものであるなど・・・・を要する」。
③「過去の入学式の際の服装等に係る職務命令違反による戒告1回の処分歴があることのみを理由に同第1  審原告に対する懲戒処分として減給処分を選択した都教委の判断は、減給の期間の長短及び割合の多寡
  にかかわらず、処分の選択が重きに失するものとして・・・・違法の評価を免れないと解するのが相当であ
  る」。

 (2)「内藤判決」(大阪地裁2015年12月21日)の問題性――判例の水準からの批判
  ①思想・良心の自由について → 基本的には最高裁判例を踏襲
  ・「憲法94条に違反する旨の府国旗国歌条例に関する原告の主張は理由がない」
    *法律と同じ目的で条例を定めより厳しい処分を適用することが「法律の範囲内」?
    *公務員に対する不利益処分は、「全国的に一律に同一内容の規制を施す趣旨」(最高裁1975年  9月10日大法廷判決)ではないか
  ②児童・生徒の思想・良心の自由・教育を受ける権利について
  ・「本件通達及び職務命令は・・・・生徒に宛てて発出されたものではな」い
    *教師に対する規制が自由な思想の流通を妨げ、児童・生徒の権利に影響を与える
    *書籍の自動販売業者(売り手)に対する規制について、青少年・成人(読み手)の表現の自由と     の関係から審査した判例(岐阜県青少年保護育成条例事件・最高裁1989年9月19日判決)との     整合性?
  ・「誤った知識や一方的な観念を子どもに受け付けるような内容の教育を強制的に施すことを目的とす    るものではない」(「植えつける」が正しい。旭川学テ事件・最高裁1976年5月21日大法廷判
    決)
    *公権力が思想の自由市場に与える「ゆがみ」(「給付」における言論規制)
    *特定の空間に閉じ込め「一方的な観念」を強制する「効果」(「囚われの聴衆」)
  ③減給処分の違法性について → 原告の主張をことごとく退ける
  ・「職務命令違反行為は、その結果、学校の儀式的行事としての式典の秩序や雰囲気を一定程度損なう
   作用をもたらすものであって、それにより式典に参列する生徒への影響も伴うことは否定し難い」
   *「原告の不起立行為により、平成24年度卒業式の進行が妨げられるなどといった現実的な支障は生
   じていない」とする認定(判決文31頁)との不整合
   ・「卒業式という重要な学校行事の秩序や雰囲気を損なうような行為に積極的に及んだものと評価で
   きる」  
   *「積極的に式典の進行を妨害したものではない」、「過去の非違行為における処分歴は、本件減給
   処分を選択することの相当性を基礎付ける具体的な事情とは認め難い」、「不起立行為等は積極的、
   物理的に式典の進行を妨害するものではなく、具体的に平成24年度卒業式が混乱した事実も認められ
   ない」等とする認定(判決文40頁)との整合性

(3)判例の批判的検討――判例の水準に対する批判
 ①「思想」と「慣例上の儀礼的な所作」との距離;他者の立場への「共感」の不在
  ・「宗教」の事例;愛媛玉串料訴訟判決(最高裁1997年4月2日大法廷判決)
   玉串料等の奉納は、「時代の推移によって既にその宗教的意義が希薄化し、慣習化した社会的儀礼に
   すぎないものになっているとまでは到底いうことができ」ない
  ・思想・良心のあり方は、個人によって多様であるはず
  ・思想・良心の自由という内心にかかわる人権について、「一般的」「客観的」な標識を持ち出してそ
   の合憲性を判断することには問題がある
 ②「思想」と「外部的行為」との距離;制約の直接性・間接性
  ・「宗教」の事例;剣道受講拒否訴訟判決(最高裁1996年3月8日判決)
   剣道実技の参加拒否の理由は、「被上告人の信仰の核心部分と密接に関連する真しなものであっ
   た」。本件処分は、「信教の自由を直接的に制約するものとはいえないが」、「重大な不利益を避け
   るためには剣道実技の履修という自己の信仰上の教義に反する行動を採ることを余儀なくさせられる
   という性質を有するものであったことは明白」。
  ・最高裁2011年6月6日判決に於ける宮川光治裁判官の反対意見
   「本件通知は,式典の円滑な進行を図るという価値中立的な意図で発せられたものではなく,前記歴
   史観ないし世界観及び教育上の信念を有する教職員を念頭に置き,その歴史観等に対する強い否定的
   評価を背景に,不利益処分をもってその歴史観等に反する行為を強制することにあるとみることがで
   きると思われる」。
  *強制する側の意図・目的も重視すべき
  ・直接的制約・強制ではないのか?
①思想良心    →    ②外部的行為     ←    ③②に反する行為の強制
【歴史観・世界観】     【敬意の表明の拒否】       【敬意の表明の要素を含む行為】
    *①と②が密接不可分である場合、②に対する規制は直接的制約
 ③「必要性及び合理性」判断への違和感
  ・最高裁2011年5月30日判決における須藤正彦裁判官の補足意見
①「職務命令において,高校生徒に対していわば率先垂範的立場にある教員に日常の意識の中で自国のことに注意を向ける契機を与える行為を行わしめることは当然」。
②「国民は,日常の意識の中で自国のことに注意を向ける契機を与える教育について,その提供を受ける権
  利を有するということができ,国はこれに対応してそのような教育の提供をする義務があるともいえる
  のであるから,教育関係者がその実践に及ぶことはその観点からしても当然」。      
  ・「秩序の確保」「円滑な進行」(最高裁判決)、「自国のことに注意を向ける」こと(須藤補足意
   見)は、規制目的として合憲か? → 制約を正当化しうるほどの利益?
  ・規制目的のために日の丸・君が代への「忠誠」を強制することの問題性
    *公務員である以上、憲法への「忠誠」は可能(第99条)
    *しかし、日の丸・君が代への「忠誠」と憲法への「忠誠」とは異なる
  ・「秩序」「進行」を妨げていないのに処分をすることの必要性・合理性?
    *「秩序」「進行」「注意を向ける」(目的)のためであれば、処分は必要性なし
    *それでも処分というのであれば、手段が目的化している(強制のための強制)
  ・「自国のことに注意を向ける」(須藤補足意見)と強制との関連性?
   *日の丸・君が代の「負の歴史」を通じて「目を向ける」ことも可能で必要

結――教育と「政治的中立性」――政治的な問題の扱い方
(1)「中立性」の誤解
 ①「触れない」ことは「中立」か? → No!
 ②表面的にのみ「触れる」ことは「中立」か? → Yes,But

(2)あるべき「中立」とは
 ①基本的な方向性
   ・概念を教える(概念は他の人と共有している)
   ・相違点に光を当てる(考えはそれそれ異なる)
   ・無理に結論を強要しない;コンセンサスの強要、教師の「権威」利用に注意
 ②応用問題;批判を許さないようなやり方で自分の主義主張を述べることはやらない
   ・但し、「先生はどう考えるのですか?」と聞かれたら・・・・

①「私の話は問題に決着をつけるためのものでは決してない」と説明する。 ②なぜ、私の個人的意見が質問者にとって興味深いのか、を尋ねる。 ③教師である自分の技能は、「主にできの悪い議論や解答を暴露することであって、自分で正解を出せるという点で自信満々なわけではない」と説明する。 ④最後に、「そうではあるけれども、と言って、かなり徹底した本音の答え」を示す。【以上、クリック・後掲33頁】
   ・「中立性」を疑う視点;「批判的思考」の実践

【参考文献】
H・アーレント、大久保和郎・大島かおり訳『全体主義の起源3』(みすず書房、1981)
B・クリック、関口正司監訳『シティズンシップ教育論――政治哲学と市民』(法政大学出版局、2011)
S・ミルグラム、山形浩生訳『服従の心理』(河出文庫、2012)
E・モラン、杉山光信訳『オルレアンのうわさ――女性誘拐のうわさとその神話作用[第2版]』(みすず書房、1980)
マーサ・C・ヌスバウム、小沢自然・小野正嗣訳『経済成長がすべてか?――デモクラシーが人文学を必要とする理由』(岩波書店、2013)
伊勢崎賢治『日本人は人を殺しに行くのか――戦場からの集団的自衛権入門』(朝日選書、2014)
加藤直樹『9月、東京の路上で』)(ころから、2014)
丸山真男『「文明論之概略」を読む・上』(岩波新書、1986)
山竹伸二『「認められたい」の正体』(講談社現代新書、2011)

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