
あの日あの原爆は、本来ならばおっかさんの地元にあった小倉ぞうへいしょうに落とされるはずでした
でも!前日米軍はすぐ近くの八幡製鉄所のある八幡の街中を空襲し焼け野はらにしてしまいました
翌日の9日にはその火災の炎が上空を覆っていて空は真っ暗だったと、お昼前のまさにそのときに、窓ふきお掃除をしていたママリンの話を何度も聞いています
あの原爆投下が無計画な思いつきで、終戦前の駆け込みだったと想像できることです
戦後長い時間で色々な証言が出てくると、杉原千畝さんが発行したビザをもち、日本通過でアメリカに渡った科学者が原爆作成に加わったとか??
その人も、まさか罪のない日本市民の無差別殺人に使われると思ってはいなかったかも・・・
でも!どんな兵器でも作ればその矛先は人間に向かう事は当然の事だと思います
そういう意味でも、世界からの核廃絶は一番にお願いしたいことです
ミストが沁みるのか?片目を開けていた安部総理には、長崎市長の平和宣言や被爆者代表の方のお話は煙たかったかもですが...
皆様の願いをよく聞いていただきたいと思います

高校生の時に長崎勢和記念像にお参りしたことがあります
当時高校生合唱コンクールで佐世保に行ったついでにバスが寄ってくれたのだったと・・・
あの時、2度目の原爆投下は小倉が第一候補だったとは知りませんでした
もし知っていたら、違った思いでお参りしていたでしょう
その事を知ったのは20代の頃だったと~
もう50年も前の事...
10数年前、小倉ソレイユホールでのさだまさしコンサートで、マーシーが開幕直後に長崎の原爆は小倉が第一目標だったことを初めて知ったと話し始めました
あーそうなんだ~
長崎の人って長い間知らされていなかったんだ・・・