お天気にも恵まれた21日午後から吉備中山を歩きました。
ここには、いくつかの遺跡が見られます。
とくに、弥生時代の終わり頃から古墳時代前半には、首長の墓として弥生墳丘墓や大型の前方後円墳が造られました。
まず、全長120メートルの前方後円墳の中山茶臼山古墳(吉備津彦命?)ですが、宮内庁の管理下に置かれていて、墳丘内へ立ち入り出来ません。
次に山を40分位下り、畑の中を通り尾上車山古墳に向かいます。吉備中山の南東隅に有り全長135メートルの前方後円墳です。
前頭部、後円部とも3段のテラスが見えますが、畑として開墾されているため、古墳の形が変わっているそうです。
古墳からの眺めは素晴らしいものです。
山を下だったり、上ったりして、最後は矢藤治山弥生墳丘墓につきました。吉備中山の南側にある、前方後円墳で弥生時代の終わり頃に造られたそうで、この時代の墳墓は古墳とは呼ばず、墳丘墓と呼ばれるそうです。
標識はありますが、形は木々が生い茂り、突出部も円丘部も全然わかりません。
ここには、いくつかの遺跡が見られます。
とくに、弥生時代の終わり頃から古墳時代前半には、首長の墓として弥生墳丘墓や大型の前方後円墳が造られました。
まず、全長120メートルの前方後円墳の中山茶臼山古墳(吉備津彦命?)ですが、宮内庁の管理下に置かれていて、墳丘内へ立ち入り出来ません。
次に山を40分位下り、畑の中を通り尾上車山古墳に向かいます。吉備中山の南東隅に有り全長135メートルの前方後円墳です。
前頭部、後円部とも3段のテラスが見えますが、畑として開墾されているため、古墳の形が変わっているそうです。
古墳からの眺めは素晴らしいものです。
山を下だったり、上ったりして、最後は矢藤治山弥生墳丘墓につきました。吉備中山の南側にある、前方後円墳で弥生時代の終わり頃に造られたそうで、この時代の墳墓は古墳とは呼ばず、墳丘墓と呼ばれるそうです。
標識はありますが、形は木々が生い茂り、突出部も円丘部も全然わかりません。