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非公開カテゴリー「ナイショの話」スタート?

トレシュー買いました

2005-10-30 | FOOTBALL
本日、「B&D浦和店」OPENの話を少年団の練習時、○井さんに聞き「かなり安かった」との言葉に思わず練習後に行って来ました。

行ってみたところ、「確かに安い・・・」OPENセールでだろうが、プレミアやリーガやエールディビジのレプリカが半額以下で売っていました。
私も思わず、adidasの「パルサド2 TF」のトレシュー買ってしまいました。前にBlogでも書きましたが、以前からトレシューが欲しかったので色々探していたのですが、元々PUMA好きなので、PUMAのトレシューを探そうと思いました。が、残念な事に「デルムンド」「レセルバ」は置いてない様でした。変わりに「メキシコTT」はありましたが・・・パルサドを試しに履いたら結構いい感じで、しかもかなり安い値段だったので買ちゃいました。息子と同じベッカムモデルの色違いで、オソロ状態のオマケ付きです。(サイドの渦巻き模様はベッカムの指紋をデザイン化したモノだそうで、そんなキモイ雰囲気をものともしないのが、アディダスのスゴイとこ?

とりあえず、11/5のフットサルでデビューかな?!

今日の俺

2005-08-24 | FOOTBALL

今日は休みを取って、昼間っから酒を喰らっている。
平日の真昼間呑むと必要以上に酔う、この背徳感が
タマラナイ!

昨夜は近くの「ジョナ」にて、文筆業のヤツと企んでいる事案の打ち合わせをした。
実は、2~3ヵ月前から進めているのだが、ココのところ畑違いの事が多くてモチベーションがダウン気味でした。が、モノを創るって最初は難しいと感じるけど、そこは思いと勢いで何とかてことで!

文筆業の男は、俺より一回り以上若い!モチロン若さの特権で夢も野望も持っている。
ヤツとはある部分、共通した観念を共有していると感じている。だから、負けらん無いと思ったし、実際こっちの方は負けるワケにはいかない。

だって俺が始めた事だから。

もう一人、我々の企みに片足ツッコミ掛けているデザイナーの事もあるし、新しい事にチャレンジする事に不安は付き物だが、期待もそれ以上に膨らんで行く!

さあ酔いを醒まして、気持を切り替えて久々の聖地「駒場」へ向かう準備をしようか。

※駒場に足を踏み入れてなかったら、こんな企ては思い付いていなかったぜ。

プーマ と アディダス

2005-08-16 | FOOTBALL
 
余りにも有名なドイツのスポーツメーカーの両雄だが、元は同じ会社であったというのは御存じだろうか?
1920年、靴職人の父 クリストフ・ダスラーの息子 ルドルフ・ダスラー(兄)とアドルフ・ダスラー(弟)が「ダスラー兄弟商会」という靴製造会社を設立し、室内用のシューズを作りはじめ、1924年、スポーツシューズ製造工場を建て、体育館用シューズを本格的に作るようになり、1925年に6本の固定スパイク付きランニングシューズ、さらに1929年には世界初釘止めスタッド付きサッカーシューズを完成させ、次々と画期的なシューズを開発。
ダスラー兄弟は、世界的なスポーツの祭典オリンピックに目を向け、数多く選手たちとコンタクトし、シューズの品質・安定性を追求、その結果、「ダスラー兄弟商会」は飛躍的な成長を遂げる。
第二次世界大戦終結から3年後の1948年、さまざまな出来事が兄弟を襲い、度々意見が食い違うことが多くなったことを理由に、ルドルフはアドルフと分裂。
「RUDA社」を設立、翌年これを「PUMA社」と改めた。
アドルフは、「ダスラー兄弟商会」47名のスタッフとともに、ヘルツォーゲンアウラッハに「アディダス社」(名前の由来は、アドルフのニックネームであった「アディ」に、名字である「ダスラー」を繋げたアディ・ダス〔ラー〕)を設立。
現在のアディダスとプーマが誕生。

アディダスの持つ質実剛健なイメージも、プーマの持つドイツぽくない何処かやんちゃなイメージも創業者の個性かも知れませんね。
 
サッカープレイヤーとしては、アディダスは皇帝「ベッケンバウァー」や「ミュラー」などドイツ代表の寵愛を受ける一方、プーマは「ペレ」、「クライフ」、「マラドーナ」といったファンタジスタ達に愛されました。ある意味プレイヤーも王道を行くスーパースターはアディダスを、又どこか異端的な魅力をもつスーパースターはプーマを選んでいる様に思うのですがいかがですか?

70年代オランダ代表はアディダス社のサポートを受けていたが、空飛ぶオランダ人「ヨハン・クライフ」は、ユニホームの肩に入った3本線を拒否。自分のユニホームだけ2本線に変えさせたという今では考えられない逸話が残っている。
※ヤッパちょっと王道から外れていて変わってる。

その後、アディダスは1982年に、W杯そのものの名を冠した「コパ・ムンディアル」を、プーマは1985年にその年のW杯開催国の名を冠した「パラメヒコ」と歴史に残る名機スパイクモデルをリリースしました。
※この二つクラシックモデルの雄は、デビューから20余年経った現在でも、第一線のトッププレイヤー達に絶大なる信頼と支持を集めている。



ゲルマンの職人気質と兄弟喧嘩が、フットボールや他のスポーツマテリアルの発展に寄与していると言ったら言い過ぎかな?でも、この兄弟が様々なスポーツシーンを支えて来た功績は計り知れない。
ヘアツォーゲンアウラッハ市という小さな町(人口23,500人)から、生まれた2つの大会社。
現在も尚、世界の人々に愛され続けているブランドとして君臨している。

ビッグクラブとプロビンチャ

2005-08-14 | FOOTBALL
最近よく「ビッグクラブ」って言葉を聞きますよね。
意味的には、「有力クラブ」って事なんだろうけど
基本としては、

①首都圏又は大都市をホームタウンにしている。
②高額な移籍金で選手を獲得できるだけの経済力がある。
③常時ホームゲームを満員に出来る人気クラブである。
④毎シーズンの様に優勝争いに絡んでいる。
⑤数々のタイトルを保持している。

以上の条件を満しているチームを総じてビッグクラブと呼ぶ。
例:レアル・マドリッド、バルサ、マンU、アーセナル、ACミラン、ユーベ、インテルなどが代表的なビッグクラブである。

一方、「プロビンチャ」とは簡単に言うと「地方クラブ」という意味で、本来はイタリアの地方の中小プロサッカーチームの事。ミラノ・トリノ・ジェノヴァ・ローマといった大都市の有力クラブと比べるとたいていは戦力的・資金的に劣るが、それでも地元での熱い支持を集めていて、戦略上、安価で有望な若手を発掘し、活躍させて有力クラブチームに売るという行動を取る事もあるクラブ。
例:ウディネーゼ、レッチェ、アタランタ、キエーボなどが代表的なプロビンチャのチームである。

以上の条件をJにあてはめると、ビッグクラブって呼べるとこ殆ど無いかな・・・
※今までJを引っ張って来た鹿島、磐田は①の条件でビッグクラブとは呼ばれない。Jのなかで一番ビッグクラブに近いのは、横浜FMと浦和であるのは間違いないが、果たして名乗ってよいものか?と思うのが現状。

ヨーロッパとは状況は違いますが、今までのJはプロビンチャが長年頂点に君臨していたリーグという事になるけど、実際ビッグクラブとかプロビンチャとか線引き出来るほどの差が無いと言えます。が、最近はお金を集められるチーム、主力選手を出してお金を作るチームといったチーム毎のカラーも段々出て来てはいますね。

将来的にJのビッグクラブと胸を張って言えるように浦和は⑤を頑張らないとね。

日本vs韓国

2005-08-07 | FOOTBALL
 東アジアサッカー選手権、日本は韓国を1-0で下し1勝1分1敗で準優勝。
優勝は中国で1勝2分の成績で締め括り、アジアカップの鬱憤を晴らした形?ですかね。
試合的には韓国が攻め、日本がしのぐといった感じで進み、後半43分に「中沢」の左足による見事なキーパー股抜きでのゴール!今大会、韓国に勝ったのが唯一の救いでした。
 
 そう言えば今日、子供達のシュート練習でキーパーの位置に入ったのですが、結構股下狙って来るんだよね。何発かやられたけど、抜かれるとかなりクヤシイ。。。